第19話 やっぱりロードスターだな

 長かった1日も終わり、やっと寝れた……と言うところで、真夜中、というよりも朝方、進は起きてしまっていた。

 おかしな状況で、美冬の部屋で寝ていたはずなのに布団の中には美夏が潜り込んでいてその違和感で目覚めたのだが、とうの美夏は爆睡していた。

 そこで進はふたつの選択肢を思い浮かべた。

 1つ目、そのまま寝る。

 だが朝になって美冬に気付かれたらどうなるのかわかったものでは無い。

 2つ目、美夏を美夏の部屋に戻す。

 この場合でも、途中で美夏に気付かれたら厄介である。


 選びかねた。

 全ての選択肢は閉ざされている。

 ということで、仕方なく、進が起きたのだった。


 起きたはいいが、何もすることがない。

 午前4時。もう少しで夜明けだ。

 水でも飲もうと、真っ暗な家の中を、寝ぼけた視界でなんとか進みリビングへ向かった。

 思った以上に体が疲れていたことに気付く。

 体は重く、鉛のよう。

 昼過ぎに突然仙台まで新幹線に乗り、着いたらすぐにバーベキュー、そして時々襲ってきた精神的疲労。疲れないはずが無かった。


 やっとリビングへ到着し、そして台所へ行って冷蔵庫を開ける。

 一応他所の家だが、もう慣れ親しみすぎて半分自分の家というか、めちゃくちゃ近い親戚の家みたいな気分だから、冷蔵庫やらを開けることへの抵抗は一切なく、そこの冷たい水を勝手に飲むなど造作もない。


 さて、水は飲んだがどうしようか、と悩んだ。

 美冬の部屋に戻ればもれなく美夏が居る。外に出て暇つぶし……にしても、何も無い。川と山が有るのみか。


 進は、とりあえず、とリビングのソファに座った。

 スマホでもいじってようか、と思ったが美冬の部屋に置いてきた事に気付いて断念。

 テレビは流石に迷惑か。

 暇だなと思って、ソファに寝そべった。

 朝方は夏でも冷える。もはや寒い。

 さすがに、半袖半ズボン挙句に裸足、この部屋着&寝間着スタイルでは特に寒さが身にしみる。

 進は若干の後悔をしていた。

 美夏が居ても、部屋の布団にくるまっておくべきだったか、と。


 そんなどうしようもない後悔に耽っていたところで、ふと、懐かしい音が聴こえた。

 大人しい、ゴロゴロと言う機械音。

 進がまだ小さかった頃。小学校に入ったかどうかくらいの頃、その時によく聞いた音だった。10年近く聴かなかった音だが、今でも若干覚えている。

 あ、治したんだ、と思った。


 進は起き上がって、玄関に向かった。

 サンダルを履いて、家を出て、そしてガレージに向かう。

 流石は妖の名家。家が大きければ敷地も広い。庭が広ければガレージも大きい。車が2台分入るくらいには大きい。


 そのガレージのシャッターは開いていて、覗き込めば簡単に中が見れた。

 ミドルサイズのSUVと、古いロードスター。

 そのロードスターが、おそらく10年ぶり近く久々にエンジンを鳴らしている。静かに乾いたようで、どこか自己主張が激しいような、矛盾めいた音だ。


「なんだ、スゥ。起きてたのか」

 みふパパが気付いて、運転席から顔を出した。

「まあ。それより、こいつ復活したの?」

「エンジンだけな。まだミッションがイカレてるから、次はそっち治す」

 進はロードスターに近づき、エンジンルームを覗き込む。ただ、見たって何が何なのか一切わからず、とりあえずDOHCという横文字が書かれたデカいのがエンジンだと言うことはわかった。

「治ったらどっか行くの」

 進が訊いた。彼は昔、みふパパに乗せてもらってかなり色々なところへ行った。

 時には、遠くに行きすぎて日帰りできず、ふたりして怒られたこともあった。

「津軽岩木スカイラインとか」

「知らない」

「ググれ」

 あいにく手元にスマホはない。

「だがな、そのうち新しいモン買う」

「なにを」

「やっぱりロードスターだな」

「こいつは? 売るの?」

「お前ぇにやる」

「……。え、まじで?」

「嘘ついてどうするよ」

「まあ、うん」

 驚くべき意向に進は上手い返事ができず、適当な言い方になってしまった。

「つっても、お前ぇが免許取れんのもあと3年アトだろ。それまでに治しといてやる」

「どうも……」

 その時の進の顔を形容するとすれば、正しく鳩が豆鉄砲を食らったような顔、と言うべきか。

 だがふと疑問が思い浮かんだ

「でも、どうしていきなり」

「は?」

「車治したり、くれるっていったり」

 みふパパは若干考えながら言った。

「子供もでかくなったし。美冬に至っては出ていったし。そろそろ子育ても終わる。あとは、若いうち遊べなかった分今から遊ぼうか、ってな」

 それを聞いた進は、ただ漠然と大人って大変なんだな、と思った。

 最後にこのロードスターが動いたのは10年前のことだ。進が5歳の時、秋の山、紅葉のトンネルの中を走ったのが最後だった。

 あの時は、美冬が育ち、美夏がだんだんと大きくなろうとしている時期だった。

 きっと美冬と美夏が居て、守るべき家庭があって、色々なモノを我慢したり犠牲にしてきたんだろう、と。


「実はな、こいつはお前の親父が買って、それを俺に寄越したヤツなんだぜ」

「え、は──?」

 初耳で、しかも衝撃だった。

 進としては“あの人”が“こんなもの”を自ら買うなんて思えなかった。何に対しても一切の興味が無さそうな人間が、だ。

「信じらんねえって顔してんぞ」

「実際、信じられない」

「アイツは、口下手だからな。朝乃が生まれてお前が生まれて、背負うもんが出来たんだよ。お前にはまだわかんねえな」


 みふパパは、進の父のことをよく知っている。

 日戸家と月岡家はかなり親密な関係にある。先祖代々より、霊術師の名家である日戸家は、妖の名家である月岡家の狐を従者や使い魔、召喚獣として従えていた。

 進が美冬を従えていたり、美夏が進の従弟の従者であったり、それと同様に、みふパパも進の父の使い魔であった。

 進が生まれてから15年。父親と過ごして同じ歳月。だがみふパパはその2倍以上は共に過ごしていた。

 進なんかより、よっぽど知っている。


 そして、人間と妖の違いはあれど、お互いに家族を持ち、子供を持った。


「美冬が朝乃のこと殺しかけたときあったろ?」

「思い出したくもないけど」

「はっ、同感。あの時のお前の母ちゃんクソ怖かったぞ」

 心の中で「お前の娘のせいだろうが」とツッコンだ。

「まあでも、あの後お前が美冬の主人になるって聞いた時はお前の神経疑ったけどな」

「まあ、仕方なかったっていうか」

 進は、初めから美冬の主であったわけではなかった。

 美冬の最初の主は、あの時、姉が血を流して倒れ、美冬が呆然とし、そしてその光景を突っ立って見ていた〝ある少女〟、つまり進の従姉であった。

 あの時、進の従姉が美冬との主従関係を断絶し、そして美冬は孤独になった。

 日戸家の娘を斬った為に、あの家での美冬の立場は無くなった。自責と、ある人物からの指弾という、二重の叱責の中、彼女は日戸の家の端っこでうずくまるしかなかった。

 そこを、ある意味で救ったのが進だった。

 彼にも、そのに心当たりがあったから。


「あれ以来、お前の親父もさらに大人しくなった……。つうか昔の話なんざどうだっていいんだよ」

 しんみりしたところで、みふパパがアクセルを開けてロードスターのエンジンを吹かした。

「お前よ、美冬のことどんだけ好きよ」

「何いきなり」

「いいから、どんなよ」

 いったい何の尋問か。

「みふが死んだら後追いするくらい」

 最大限かつ、ぎりぎり恥ずかしくない表現方法を見出す。

「それ聞いて安心した」

「で、なんで。結婚の挨拶しに彼女の実家に行くレベルで緊張したんだけどコッチは」

「安心しろ。娘をくれって娘のオトコに言われるくらいの気持ちで訊いた」

 みふパパは、少し笑った。

「アイツ、傍から見ても愛が重いからな。父親としては複雑だけどな」

「たしかに」

「それで、まだお前がアレのことどう思ってんのかって」

「アレって何が……」

 心当たりはない。無いということにしておく。

「ま、ならお前らはそのままでいろ。間違っても、お前の親父達みたいにはなるな」

「わかってる。ていうか、そっちはどうなんだよ」

「安心しろ。娘共の目盗んでは遊んでる」

「相変わらずのバカップルで良かったよ」

「美冬が出て行ってから難易度下がったな。ついでに美夏ももってけ」

「要らねえよ」


 早朝から下世話な話をしてしまった。


 気付けば、朝日が山のあいだから顔を覗かせて、道のアスファルトがオレンジ色に照らされていた。

 進は欠伸をして、踵を返した。

「二度寝してくる」

 と、そんな気は無いが。

 みふパパは返事はしないが、エンジンを吹かした。まだ遊ぶらしい。


 なんだか心地よく感じるうるさいエンジン音を、玄関に入って扉を閉めてシャットアウトした。

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