第50話 夜はこっちの言い分も聞いてもらいますから
「ん、葵さんの匂いがしますね……」
と、帰宅して、朝のリベンジと言わんばかりに玄関先で抱きつかれてすぐに気付かれる。流石は狐だけあって、鼻がいい。いや、良すぎるか。人間には計り知れないところである。
「あー、そう、葵さん居たし」
「なら召喚してくれればよかったのに」
美冬は、雪女の葵にかなり懐いている。
「多分、近いうちにまた会うから、その時にね」
ケントも居るからなんとなく微妙だが、恐らく大丈夫だろう、と思った。
「近いうちに? なんでですか?」
「ケントが、新しい使い魔と契約したから、その子の鍛錬に付き合ってる」
「そうなんですか……。程々にしてくださいね? そのうち強制的に復帰させられちゃいますよ」
「それは嫌だな。うん、嫌だな……」
切実にそう思う。
とにかく、抱きつかれたままでは靴を脱ごうにも脱げず、美冬を引き剥がした。
†
進の帰りが遅い時は、美冬は大抵の場合、夕飯を作って待っている。
今日はカレーだった。
日本の家庭の味だ。そして、その味は家の数だけ種類がある。
美冬のカレーは、美冬の母方の祖母から続く味を、みふママの世代を経て、美冬の世代になり、美冬の若干のアレンジが入ったものとなっている。
「ふと思ったんだけど」
「はい?」
「狐ってさ、虫とかネズミとか食べるじゃん?」
「……いや、あの、妖怪の狐は食べませんよ。動物の狐だけですから」
「だよね、うん」
「こんど、カレーにイナゴ入れましょうか?」
「いらないいらない」
「あるらしいですよ。イナゴカレー」
「絶対いらない」
美冬はスマホを取り出すと、素早いタップで検索し、画像を見せる。
名は体を表す、を地で行くスタイルで、一般的なカレーライスにイナゴが埋まっているというものだった。
「あ、じゃあ、稲荷寿司とか油揚げとかは?」
「稲荷寿司は有れば食べる……って感じですし、油揚げよりもかき揚げ派です。っていうかどうしたんです? ここ10年以上一緒に居て今更感食べ物の質問ですか」
「なんて言うか、よくよく考えたら普通になんでも食べてるな〜って。猫みたいに焼きイカ食べたら腰抜かすとかないの?」
「……。あの、こう見えて妖怪なんですけど。大抵のものは食べれますよ」
「ほーん」
元々なんでも食べるイメージだが。食欲の化身。
「聞いてきた割には興味無さそうですね」
「そんなことないよ」
「……。別にいいですけど」
美冬はスマホを机に置き、スプーンを持ち直したところで、あ、そうだ、と向き直った。
「話変えていいですか?」
「うん?」
「ちょっと相談……? がありまして」
「うん」
彼女自身、相談と言うには大袈裟だな、と思っているらしく、少し“相談”という言葉を使うには違和感があった。
「バイトしようかな〜って思ってるんですけど」
「え゛」
進はスプーンを落としかけた。
彼にとっては、かなり重大な相談だった。
「なんで……? 小遣い足りない……??」
最近では、稼いだ金額の半分は美冬に渡しているのだ。
日戸家の祖父母からの仕送りと、月岡家からの仕送り、進のバイト代
これらの収入のもと、家計をやりくりし、貯金をして、多少の小遣いを得ているのだ。
確かに、菊花という友人が出来て遊びに行くようにはなったが、美冬は金遣いは荒く無く、そこに関してはかなりきっちりしているのだ。だから、小遣いが足りないから働く、なんて言う動機は若干考えにくい。
「いえ、そうじゃないんですけど」
「じゃ、じゃあ……なんで……」
「ご主人様が学校行ってる間とか、やること無くて暇なんです。ですから、時間も勿体ないし、生活費と貯金の足しにも出来るから働こうかな〜って思った次第で」
「そ、そっか。暇、か、そうだよなあ……。やることないと暇だよな……。で、どこでバイトするの? まさかメイド喫茶?」
「学歴無いですから、人間の職場はちょっと……。なので、妖怪がやってる居酒屋で働こうかなあ〜って思いまして」
「妖怪がやってる居酒屋? 夜遅くならない?」
「そうなったら、忍びないんですけど、ご飯は作っておきますから」
「そういうことじゃなくて……」
だが、進は諦めて、ため息を飲み込んだ。
美冬が自発的に働こうというのだから、その意思は尊重して然るべきである。
自分だけ学校に行って研究室の手伝いしてそこそこ充実した日を送っているのだ。彼女だけに不毛な日々を送らせる方が忍びない。
「わかった、じゃあ決まったら教えてよ。俺もこう見えて、半年前は色々なところで働いてたし、バイトの先輩としてなんでも教えるよ」
今は教授の手伝いだけだが、高校に入ってすぐの頃は、スーパーのレジ打ちと日雇い派遣の倉庫のバイトを掛け持ちしていた時期があった。
「まーそれも、どっちも3ヶ月でやめましたけどね?」
「それは……教授の手伝いの方が忙しくなったから」
「さんざん店長のグチを聞かされましたし、倉庫の文句も聞かされましたし?」
「人には向き不向きがあって」
「ご主人様に向いてることってなんかあります?」
「う……」
†
美冬はシャワーを浴びながら若干悩んでいた。
いつもの進であれば、自分が何かをやりたいって言った時は、快くそれを認めてくれるのだが、今日の「バイトをしたい」は若干難色が出た。
その理由について色々考察に耽っていた。
夕飯の心配だろうか。
出来たての手作りじゃないと文句を言うような残念野郎では無かったはずだ。
ならどうして。
身を案じているのか。妖怪の世界も人間の世界と負けず劣らず物騒だ。だがそんなことは四六時中案じられているから今更のこと。
夜に出歩くくらいは認めてくれる。
そこら辺の雑魚妖怪なら、魔法や妖術を使わずとも滅することなど余裕。
魔法が上手く使えなくても、いざとなれば、抵抗する。拳で。
相対的に才能が壊滅的なだけで、普通に使おうと思えば使えるのだ。そう、普通に使おうと思えば。
ではなんなのか。
なぜあんなに難色を示したのか。
美冬は唸った。
†
シャワーの音が止まり、風呂場の扉が開いた音を聞き取って、進は直ぐにスマホの動画を閉じた。
夕方、化け猫の霞の鍛錬を撮った時の映像を、敷いた布団に座って見ていたのだ。
美冬に見られたら「女ですか」と睨まれかねないので、見られる前に閉じる。
だが、次かその次に霞と会ったら、匂いでバレそうだ。
今日はあまり接触していないから、匂いもあまり移ってない。
加えて、電車に乗って色々な匂いを浴びてきたから、美冬もその中の1つだと思っている。
嗅覚というのは「匂いを感じる能力が優れている」という事に加えて「匂いを分類する能力が優れている」ということでもある。
つまり、連続して同じ匂いを感じ取れれば、それでバレるというわけだ。
だから、あと数回、続け様に霞と会えば何かしらの説明が求められるだろう。
やましいことなど一切していないのに、やましいことをしている気分になる。
特に、男性と女性では匂いがかなり違うらしく、かなりバレる。
そして、洞察力も優れている。
以前、菅谷飛鳥を雷獣の菊花から救出した時に「女の匂いがする」とバレたのは
まず、「匂いがかなり強くついたこと」
これは直接的に接触したから
次に、「血だらけの菊花を連れていたから、電車に乗れるはずがない」つまり、電車の中で誰かと接触した事は考えられない、ということ
たったこの二つの事柄だけで怪しくなった、という事だ。
美冬の疑い深さは、時々辛い。
自分はそんなに信用がないのか、と。
今回の霞のことであれば、1番手っ取り早いのは、今のうちに情報を全て共有してしまうことだが。
こうして悶々としていると、脱衣場から美冬の声がした。
「ご主人様ぁ、尻尾お願いします〜」
日課だ。
ハイハイ、と立ち上がってそっちへ向かう。
美冬はまだ何も着ていない姿で、タオルで髪の毛を拭いている最中だった。
「なんで裸……」
「時短のためですよ? ほら、髪の毛拭いている間に尻尾やって貰った方が早いかな〜って思ったので」
「みふ、最速の時短方法教えてあげようか?」
「尻尾しまってお風呂入るんですね? いや゛です」
「だからなんで……」
「なんででもですっ」
「じゃあせめて恥じらいを……」
「今更恥ずかしいことなんてないじゃないですか。ええ、嘆かわしいことにっ」
若干怒っている。
「下着見ても裸見ても、なんもないじゃないですか。実姉には欲情するくせに」
「夏休みのこと、未だに引きずってんの?」
「死ぬ前にも言ってあげますよ。ご主人様が死ぬ寸前にか、美冬が死ぬ寸前に」
「だからあれは不可抗力っ。欲情とか絶対してないっ、断じて。それに死ぬまで引きずる気かよ……」
「いいから、寒いので早くしてください」
こちらの主張は全て却下されるのであった。
だが主張すべきはする。
進はいつものように尻尾を熱力魔法で温めて乾かすのだが、その最中に言ってやったのだ。
「みふ、俺さ、思うんだ。モロに見るよりも、見えるか見えないかの瀬戸際が一番色っぽいんじゃないかなって」
美冬の場合は、何にしても見えすぎなのだ。だから、恥じらいがない、と言う感想で終わってしまうのだ、と。
そして美冬は、進の想像に反して真面目に検討し始めたのだ。
「……確かに、そうですね」
と。
美冬は、夜用のブラをつけながら思い悩んだ。
「……例えば、このブラです」
「うん?」
「今みたいにモロに見えてるより、服の隙間から見えてた方が良い……って思ったり」
「うん」
「パンツも、スカートからチラッと見えてた方がよかったりするってことですよね」
「と思う」
「それならすごく納得します」
そして美冬は寝間着用の灰色のモコモコワンピースを着る。
「でも結構難しいと思うんです。ほら、一緒に住んでると、見ないようにする方が難しいじゃないですか」
「確かに……。みふが座ってるとかなり見えるし」
「それに、尻尾もありますから、結構捲れちゃいますし」
故に、美冬の外出時は季節によらずロングスカートの時が殆どだ。ミニスカートは全く履かない。美冬は言う。「あれは美夏くらいしか履かないです」と。というのも、美夏が尻尾を出す時は、周りに身内しか居ない時だけなので、そこに気を使う必要が無さそうなだけだが。
美冬はドライヤーを掴み、スイッチをいれて髪を乾かし始めた。
うるさい機械音が鳴り、それがしばらく続いて、尻尾もかわいた頃には音も止む。
美冬はあくびをして、進に続いて洗面所を出て、布団を敷いて寝転がりリモコンでテレビのスイッチを入れた。
進が勝手に尻尾を掴み、ブラッシングを開始する。
これをやって、やっと一日が終わる気がするのだ。
今日も今日とで、冬毛の尻尾からは毛がごっそり取れ、毛玉ボールが出来上がり、ゴミ箱にフリースロー。
そろそろ寝ようと思った矢先、美冬の頭が膝に乗る。
ぼーっとした目に見上げられ、狐らしい黒っぽい耳をふにふにした。
髪は白いのに、耳だけ黒いのは不思議だ。事実、普通の狐も、耳や手足は黒い。
「ご主人様?」
「ん?」
「さっきから訊こうと思ってたんですけど」
パンツの話をしていて、タイミングが無かった。
「ご主人様は、美冬がバイトするのはいやですか」
「みふがやりたいなら──」
「ご主人様自身は?」
「……」
進は黙った。
端的に言えば、何となくやめて欲しい。
だが理由がどうも臭いのだ。臭いし、自分勝手だし、そもそも自分で何故そう思うのかが、理由付け出来ない。
だがその沈黙で、美冬は理解した。
「理由を聞いてもいいですか?」
美冬に隠し事はできない。
「いや……なんて言うか……」
「はい」
「家に帰って来たらみふが居ない、っていう状況を想像したら、ちょっと寂しいなって思っただけ」
「……え、この間まで1人暮らししてたのにですか?? それにご主人様ってそこまで寂しがり屋でも無かったじゃないですか」
「なんて言うか、今の生活に慣れちゃったから」
今更スマホが無い生活には戻れない、と言う要領で。
家に帰ったら誰かがいる、という安心感は大きいものだ。半年間だけ1人で生活していたから、その有難味の偉大さは重々理解してしまった。
美冬は、目を丸くしながら彼の理屈を聞いていた。だがそれは全く頭に入ってこなかった。
ただその理由があまりにも予想外だった。
意味を理解していくと、徐々に頬が赤くなっていくのを自覚できる程に感じる。
美冬は起き上がり、そして下を向いた。
落ち着け、落ち着け自分、と。
「み、みふ?」
「ご主人様……ちょ、ちょっと……」
「なに?」
「ごめんなさい……その、理由が……あまりにも可愛くて……」
「か、可愛いって……なんか傷つく……」
だが進の言葉は無視して、美冬は勝手に話を続ける。
「バイトするのやめます……!」
「いや、いいよ別に」
「あんなこと言われて、ご主人様に寂しい思いさせる訳にはいかないじゃないですかっ!」
「いや、だからいいって……」
「よくよく考えたらですよ? 美冬が究極の寂しがり屋だってご主人様も知ってるじゃないですか? だから、自らご主人様との時間を減らすのって、自殺行為だと思うんですっ。ただでさえ、ご主人様が学校に行ってる時とかも寂しいのにっ」
「え、そうだったの……」
「そうなんですっ」
これだって、こんな話さえしなければ自分からは絶対に言うまいとしていたことだった。
何だかんだで、互いに同じ気持ちであったなら今更癪に思うことも無い。
「もぉぉぉ……。だったら、朝の行ってきますのちゅーくらいしてくれたって良いじゃないですか」
「ぇ……それとこれとはまた別問題じゃない」
「はぁ!? スキンシップは大事じゃないですか!! 寂しいんでしょぅ!? 寂しいなら、互いの温もりくらい覚えてから出掛けたってバチも当たりませんよっ」
進は明らかに嫌な顔をしたが、美冬は必死だった。
「なんで嫌がるんですか」
「だって、めっちゃ噛んでくるし、ヨダレ入れてくるし」
「なっ」
美冬は納得がいかなかった。
「いいじゃないですかっ」
なぜ拒むのか。どうせ舐め合うなら変わらないだろう、と。
「朝なんだし、せめて舌突っ込むのはやめて欲しいなって」
「むぅ……」
これが、人間と狐の差なのか。愛し合う間柄ならば噛んだり舐めたりするのは別に恥ずかしがることでもないはずだ。猫なんか、それで活動時間の殆どを費やしていると言うのに。
美冬は不服申立てをしようと思ったが、だが彼女は無駄に賢い狐だ。
「じゃあ、朝以外なら良いですよね」
「え」
嫌な顔をされて、ムカついた。
「……。まあいいですよ……。じゃあ、今のうちに練習しておきましょう。明日も学校じゃないですか? 土曜日の午前授業の日。 ほら、勢い余って噛んじゃうかもしれないので、今練習しましょ」
「なんでそうな──」
何かを言われる前に、美冬は口を口で塞いだ。
無理だ。我慢が出来ない。
あんなことを言われれば、感情が抑えられるわけがなかった。
言われた通り、唇までだけで我慢したのだから、それだけでも褒めて欲しいくらいだ。
「このくらいなら良いですよね」
お互いの吐息が当たるくらいに顔はほぼゼロ距離で、一応の確認はとる。
いつの間にか、体は主の上に乗っていたし、腕も背中に回していた。相手の逃げ場は無い。
「朝は、この位ならいいんですよね?」
進は諦めたらしい。何も言わず、口元を袖で拭いた。
その態度は実に気に入らない。
「じゃあ、夜はこっちの言い
また唇を当てて、宣言通り、舌を絡ませたり、唇を噛む。
血が出ようが関係ない。これも愛情表現、求愛行動だ。
既に全身が寂しくなっていて、密着できる所は余すことなく密着する。
「痛い痛いって」
一度強制的に引き剥がされたが、それでも続けた。
抵抗するなら容赦はしない。
「嫌がっちゃダメですよ。使い魔にはご主人様に甘える権利はがあるはずです」
「だから落ちつ──」
「それに、もうお布団も敷いてありますし? ちょうど良いですよね」
「え゛」
その理解出来ず混乱した間抜けな顔は実に滑稽だ。
そして美冬は、そのまま力任せに押し倒した。
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