第49話 色っぽくていいでしょう?
「忘れ物ないですか? 教科書は? スマホは? 財布は? ティッシュとハンカチ、ちゃんと持ちました?」
と、毎朝玄関前での美冬による最終チェックを済ませる。
今日は華金、明日は休日……ではない。高校というのは無情で、土曜日にも午前中のみとはいえ、授業があるのだ。
だから、金曜日は「明日も学校か……」というむしろモチベーションが下がる日。
「あ、今日、少し帰り遅くなるから」
「研究室ですか?」
「それとはまた別なんだけど……ちょっと市ヶ谷に……」
「市ヶ谷……? なんでです?」
市ヶ谷には“魔導庁”の本部がある。
「よくわかんないけど、ケントに呼ばれて……」
美冬は首を傾げた。
「わかりました。じゃあ、帰るとき電車乗ったら、連絡下さいね」
美冬はとりあえず了承し「じゃあ、行ってきますのちゅー」と進にひっつこうとして、「また今度ね」と拒否られる。
進はそのまま家を颯爽と出ていった。
さて、1人取り残された美冬は、今日もシュンとして一日を過ごす。
主が素っ気ないのは昔からのことだが、だからといって寂しくないわけはない。
手を繋いで歩くことまではしてくれるが、それ以上のことは、彼の気分次第と言ったところだ。
敷きっぱなしの布団をしまう前に、とりあえず枕の匂いを堪能する。
その後、台所で食器を洗う。
その次は、洗濯をする。
そして、洗濯機が回っている30分間は暇でテレビを眺め、洗濯物を干したあともしばらく暇になる。
この時点で、まだ9時にすら達していない。
ここで、さらに暇になって、進の弁当の余り物の朝食を食べる。
美冬の一日は、こんな感じでスローだ。
子供がいない専業主婦は、普段からこんな感じらしいことを、ネットで知った。
子供がいたり、兼業主婦は死ぬほど忙しいらしいが、美冬は働いていないので、忙しくはない。
平日の昼は、やることがない。
1人きりは寂しい。
何度か言いかけたことがある。学校なんか行かないで一緒にいて欲しい、と。
そんなことは出来るわけもない。人間の学歴による階級制度は重々承知しているから、主人にはちゃんと学校に行ってもらわなくてはならない。
暇だし、寂しさも紛らわせたい。バイトでも始めようかなんてふと考えた。
†
夕刻、学校が終わり、そのまま進は市ヶ谷に居た。
市ヶ谷の、とある建物のその地下。
平たくいえば体育館だが、その空間は異様で、妖気に包まれている、と言うにふさわしい雰囲気と様相だ。
壁には至る所に札がはられ、地面には等間隔で陣が描かれている。
これは全て領域魔法のもので、物理的な壁の魔法だ。
ここは体育館。
いくら暴れようとも、建物が壊れないようにするための結界だ。
そこに、進とケントは居る。
2人は数メートル離れ、向かい合った。
高千穂は、傍らに赤髪の子猫の獣人を侍らせ、そして色々と指示した後、進の前へ行かせる。
「頼んだよ、進」
「お手柔らかに」
子猫の獣人はぺこりと頭を下げ「化け猫の霞です。本日はよろしくお願いします」と幼くも礼儀正しく言った。進も「よろしく」と返し、そして竹刀を構える。
「じゃ、早速だけど始めてくれ」
ケントが言うと、霞は突如オレンジの火炎に身を包み、進に向かって跳躍した。
炎の爪で進を焼き裂こうとするも、ただ彼はそれを躱し、竹刀でいなし、霞がバランスを崩したところで、竹刀で軽く背中を叩く。
「霞! 動きが読まれている!」
「は、はい!!」
厳しいな……と苦笑いしつつ、子猫の猫パンチを相手がバテるまで受け止め続けた。
†
ケントと以前に通話した時に言われた「頼みたいこと」とはこのことだった。
ケントが新しく契約した使い魔の、その鍛錬を手伝って欲しい、ということだった。
というのも、先日、歴戦の猛者たる使い魔の1人が引退したので、その穴埋めに、才能がありそうな獣を引っこ抜いて来たらしい。
だが、まだ幼く、今は訓練段階だと言う。
使えるようになるまで、あと数年、といった所らしい。
ケントは、そういった意味では計画的な人間だ。
そこに労力を割くことを怠らない。
今は、霞という子猫の少女は、ケントが召喚した雪女に膝枕をしてもらい冷やされている。
その間は、進とケントはだべっている。
「君から見て、どうかな、あの子は」
高千穂はまるで親の様に言う。
「引っこ抜いて来ただけはある……って感じ。少なくとも、魔力の回転と制御は凄くいい。粗という粗も、まだ幼いからって言う理由で片付くし」
「君のお墨付きを貰えれば、安心か。あとは精神制御でどうにかする」
「……。」
精神制御。言葉通り、従者の精神までも制御して、行動を全て掌握する。
聞こえは悪いが、画期的だ。
ケントが自ら考え出した手法だ。
進は嫌っているが、その有用性は進も認めており、その開発には彼も手を貸した。
精神を支配する、と言うことは感情をも支配できる。
未熟な使い魔を戦闘に参加させるとき、その恐怖心を忘れさせることで、未熟さから起きる事故を予防できる。
戦いの恐怖を植え付けなくて済む。
そういう意味では、使い魔にとっても安全だ。
危ない状況になれば、無理やり退避させる事だってできる。
高千穂は、妖は絶対悪と言っておきながら、自分の従者に対して冷徹という訳では無い。
そういう矛盾があることは、進が高千穂をある意味で理解できる理由の1つ。
「相変わらず、リアリストだな」
「そうかい?」
「……。まあ、良いけどさ。俺には、あの子を戦わせるのは無理」
怖くて。加えて、怖がっている者を無理やり戦わせる様な真似はしたくない。
「だが、あの子の存在理由はそこにある」
「違いない……けど」
「妖怪ってのは、難儀なものだね。人に仇なすか、人に尽くすか、その2択しかない」
「共存するって言う手は?」
「馬鹿な。それが出来るのは、君の家と、君の使い魔の家くらいさ」
日戸家と月岡家か。
だが、菊花を思い出した。菊花と、彼女の言葉を。
それを言ったところで、話は平行線のままだろうから、言わないでおいた。彼には彼の正しさがあるのだと、度重なる衝突の上で見出した折衝点。
「ケントが、前にみふのことを欲しいって言った時も、そんな理由だった……とか?」
「ん? よくわからないな」
「みふが使い魔だから、その存在意義の場所を提供しようとしてくれた……」
当時は「道具扱いするな」と腹がたったが、こういう側面もあったのではないか、と半年以上かかってから気付いて思う。
「それは買いかぶりさ。君も知ってるだろ? 僕は、使い魔を道具としか思ってない」
「……。そぉっすか」
息苦しそう、と率直に思ってしまった。
口では言うが、そう思っていたら、精神制御まで開発して、それを危険回避用には使わないだろう。もし使い魔を道具扱いして、精神まで制御するなら、玉砕させてまで闘わせるだろう。
加えて、ケントが心の底から妖を道具扱いしていたらなら、今そこに居る雪女は何なのか。
あの雪女は、ケントが初めて契約した使い魔だ。
それが今でも、甲斐甲斐しくこうして彼に付き添っているのだから、色々察しがつく。
そこが、ある意味で進がケントと普通に仲良く出来る理由の1つだ。
ケントは、根は良い奴なのだ。
「ケント、もう行けるそうですよ」
雪女が、霞の肩に両手を載せて、言った。
霞の顔にはまだ疲れが見て取れるが、やる気はそれ以上に見えた。
「よし、じゃ、進、次はもっと色々な魔法を使っていじめ倒してくれ。そのために君を呼んだんだからね」
「いじめ倒すって……酷だな……」
確かに、進は中途半端ながらも使える魔法の範囲は広いので、初心者の練習相手には都合がよく、こうして呼ばれたのだ。
呼ばれたからには、その分の仕事はしなくてはならない。
†
今度は、ケントが自ら霞の相手をしていた。
進は、そのオブザーバーだ。
ケントはかなり厳しい。霞は、連続して進と戦った後にこうして主人に直接しごかれているのだから、涙目になりながら体を文字通り燃やしている。
その厳しさたるや、かつての初花を彷彿とさせる。
見てて悪寒がした。
「どうですか。ケントは」
そして物理的な悪寒も隣からした。
「あ、葵さん、いつのまに……」
雪女の葵が立っていた。
雪女らしい長く青白い髪と、雪女らしくない現代的なファッション、具体的にはタートルネックの白ニットと黒のスキニーの、大人な風貌だ。
事実、大人だ。
「厳しいですね、あいつ」
「ええ。とても」
「……。なんであんなに厳しいんですかね」
「生ぬるいと、それだけ弱りますから。それに、いざ実戦となった時に、気持ちの余裕も生まれます」
「なるほど……」
あれだけやったから大丈夫、鍛錬の方がキツかった、そういう意味での気持ちの余裕だ。
高校受験の時に追い込んだ時を思い出して、納得した。「あれだけ勉強したから大丈夫!!」と頭で念じ、美冬に同じことを言ってもらって、とりあえず合格したのだ。
現役で魔法を使いをやっていた時も、妖怪を相手にする際は「姉さんと亮平よりは弱い」と、普段はバケモノを相手に稽古をしていただけあって、妖怪退治でも余裕はあった。
「でも、あれだけ小さい子にそこまでやらせます?」
「……まあ、彼には彼の気持ちがあるし」
葵は前髪をあげて、額にある傷跡を進に見せた。
そして、色々納得がいった。
以前に彼女と話した時は「妖を相手に不覚を取られた」とだけ聞いてきたが、今この瞬間をもって、その傷跡が何を意味するのかがわかった。
どんな人間でも、色々な過去があって、だからこその、今の言動がある。
それは、当然、高千穂も同じだ。
「今思ったんですけど」
「ん?」
「知り合いに傷跡がある女の人、多いなって……思ったんですよね」
実姉とか。
「色っぽくていいでしょう?」
2人して笑った。
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