第9話 おっきくなったね

 このように咄嗟な状況では、女性はかなり冷静でいられるものだ。

「え、え。アサノさん、なにしてるんですか」

 美冬は隣でフリーズしている進の代わりに、正しく今感じるべき疑問を朝乃に投げかけたのだ。

 どうして、ここに主人の姉が来るのか、と。

 だが答えは至ってシンプルで、故に恐ろしく、意味不明なのである。

「ん? せっかくだしみんなで入るのもアリかな〜って」

 謎理論の暴力である。

「なしですよ!?」

 だが美冬のそんなツッコミも華麗にスルーされ、あろうことか、朝乃は風呂イスに座って進をニッコリと睨んだのだ。

「髪、洗うの上手なんでしょ? お姉さんにもやってくれる?」

 と。

 当の進なんかは、さらに思考停止していた。そしてやっと思考が再開して、現状を把握して、神経が働き始めた。

「ちょっと何言ってるかわからない」

 思考が働いてもなお、わからない。

「みふちゃんは良くって、お姉さんはダメなの、おかしくない?」

「いや全然おかしくない、むしろ正常」

「実の姉なのに??」

「実の姉だからだろ!」

 と、そんなこんなで結局、進は実姉の髪を洗うことになったのだった。


 †


「あぁほんとだ、美容院より上手かも」

 と、朝乃の頭部は泡でモコモコになり、わしゃわしゃと大人しく洗われている最中。

 と言っても、理屈なんて簡単で、要は左右の手を同時に動かなさいことと、自分で触る感触と他人に触られる感触は違う、ということ。

「さいですか⋯⋯」

 と、哀れな弟は生返事だけ返した。

 とてつもなく、妙な気分になってくる。


「おっきくなったね」

「は!? え!?」

「身長」

「あ、はい」

 妙な気分故に、そのワードには冷や汗ものである。

 風呂に浸かったままの美冬の監視の視線が、進に痛々しく突き刺さる。

 仕方ない。進も一応男だから。


 朝乃の髪は、肩にかかるくらいのセミロングだから、美冬ほど洗うのも大変ではなかった。

 泡を落として、進はリンスをとるために手を伸ばす。横目に姉の体を見て、なんとなく変な感慨に浸った。

 左肩から胸、そしてタオルで巻いた体へとうっすらと見える、細長い傷跡。昨今の医療は進化していたらしくて、5年ほど前の、大きな傷も目立たないほどには薄くなている。

 それでも、決して消えることなくそうやって残っている。


  美冬が付けた傷


「何見てるの??」

 進はいつの間にかぼーっとしていて、何となくいたずらっぽくなった声で朝乃が話しかけた。

 はたから見たら、進は実姉の胸をガン見している変態だ。しかもその実姉はたわわにも豊かなものを持っているわけで、美冬がマジギレ寸前な目で睨んでいるのも仕方ない状況だった。


 視線で、言われた。


 あとでお話があります、と。

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