第77話 なんでアイツラは出来るのに、俺はうまく行かないんだろ

 ドライヤーの音が、壁に囲まれた狭い脱衣室でうるさく鳴る。

 いつも通り、進が美冬の尻尾を魔法で乾かしていた。酷い眠気に負けぬよう、なんとか意識を保ちつつ、彼女の尻尾をモフる。

 やっとふさふさに乾いたら、彼女の後ろ姿を見上げた。

 まだ、髪は乾いていない。

 立ち上がり、背後から美冬の手を掴んで、ドライヤーを借りる。

 美冬はすぐに察して、そのまま大人しく進に髪を乾かさせる。

 段々と、しなしなの髪はサラサラへと変わっていき、いつもの綺麗な銀髪ストレートになる。

 ドライヤーのスイッチを切り、コンセントからコードを抜いて纏め、定位置に戻す。

 櫛で髪をとかしながら、サラサラの髪を撫でる。ぴょこんとたった耳の触り心地も良好。シャンプーの香りも良い。

 美冬は大人しく、そのままされるがまま撫でられ続けた。 

「ご主人様?」

 ふと、美冬は耳を触っていた進の右手を、両手でがっしりと掴んだ。

「昨日の話。ちゃんとごまかさないで教えて下さい」

 いつも通りを装ってはいたが、やはり我慢しきれなかった。比較的気分は穏やかで、冷静に話せる気もしている。

「……昨日って、満里奈の事……?」

 進の確認に、美冬は頷く。

 正面にある洗面台の鏡で、視線があった。

 しばらくそれで見つめ合って、進の左手が美冬の頭から離れる。

 今日すでに、十分以上に過去を蒸し返されて気分が滅入っている状態で、これ以上はクドい。

 進は、一歩だけ後ずさり美冬から離れようとした。

 だが、掴まれた右手のせいで、逃げられない。鏡を経由してではなく、振り返った美冬の目が、直接彼を捉える。

 それで、その場しのぎのための言葉を繕った。

「去年、色々キツかったから、それで愚痴とか聞いてもらってただけ」

 嘘偽りはない。端折って、要点だけ述べれば一番これがわかりやすく簡潔だ。

「なら、どうして美夏と高千穂から、好きだったとかいう発言が……?」

「……。」

 未だに握られたままの右手は、美冬が執拗ににぎにぎと遊ぶようにしているのを感じる。

「じゃあ、もう完全に好きとかじゃなかったってことですか」

 その確認に、進は頷いた。

 握られていたはずの右手は、指が絡められていた。

 暫くそのまま、だまって手を遊ばれ続けた。そして、家の中だというのに手を引かれて廊下を歩き、予め居間に敷いてあった布団に座る。

 向かい合ってではなく、90度の位置に座って、斜め45度首を回して向かい合うかたちとなった。

「普通に、去年の昔話とかしませんか」

 雑談でもしよう、みたいな口調と、いつもと変わらぬ表情だ。

「美冬たちにとっては、なんていうか、かっこよく言うと空白の一年みたいな感じのが有るじゃないですか」

「空白の一年……」

「そですそです。一年ほど長くはないですけど、殆ど別行動だったじゃないですか。あのとき、ご主人様がどんなことしてたのかなあーって」

 視線は落ちているが、穏やかに口元が緩んでいる。

「お風呂入りながら、少し考えて……。それはそれで良いのかなって、思えたんです。もしご主人様が満里奈を好きだったとしても、ご主人様も普通の男の子ですから、普通の事ですものね。好きじゃなかったら、それなら全然良いですし。それに、今は二人でこうしてるわけですから」

「みふ……」

「ご主人様は一生美冬から離れない。そう。一生。死ぬまで。ずっと一緒です」

 そして微笑む。

「だって、あんなに辛い時間がってなお、美冬達は一緒にいるんですから。そうですよね? やっとわかったんです。ご主人様は、美冬じゃないとだめだって。だから昔の話をしましょう? これからのために」

 ありとあらゆるものが詰まりすぎて色と言う概念がなくなってしまったかのような、無の色の目。そんな目で、天使のような笑顔になった。

 これは、決して嫉妬や後悔ではない。

 昨日、あるじが言っていた「未来の話」という、明るく建設的な話だ。

 だが、視線を合わせようとしない辺り、進の反応が悪い。

 美冬にはわからない。なぜそこまで嫌がるのか。

 だからこそ、知りたい。

「ねえ、ご主人様? 美冬は、ご主人様が幸せならそれで十分なんですよ? だから、ご主人様が美冬以外の人を好きになっても、良いんじゃないかって思えるようになったんです。ご主人様の幸せが美冬にとっての一番の幸せですから。だから──」

 すーっと布が擦れる音がなった。背中に手を回し抱き着いて、耳元で言った。

「美冬はご主人様の邪魔者になるのが、一番嫌です。美冬のせいで、ご主人様が、自分の気持ちを諦めたとかだったら。ご主人様が本当は美冬のことなんか好きじゃなかったらとか」

 だとしたら、自分は彼にとっての邪魔者でしかない。

 一番最初がそうだった。

 5年ほど前。初花に手放されたときに居場所を用意したのは、進だった。ただ一方的に懐いていただけなのに、情けをかけるみたいに。

「だから、ご主人様の気持ち……教えて下さい」



 進は、美冬の髪をなでた。

 呪いをかけられているような気分になってくる。

 謙虚なことを言うくせに、行動だけは真逆だ。

 華奢な体を抱き締める。

「今から最低なこと言うけど、いい?」

「……。」

 確認を取ると、頬に当たる美冬の頭が動いて、縦に頷いたのを感じ取った。

 視界の外にあるせいで、顔は見えない。

「満里奈の事は微妙にいい人だなーとは思ってたかもしれないけど、みふの方が断然可愛い」

「本当に人として最低です……」

「半分冗談」

 ある意味で黒歴史だ。まだ短い人生の中でも、最悪だった時期。出来れば思い出したくもないし、今すぐ忘れたい。なかったコトにしたい。

 進にとっては、そういう時期だった。

「満里奈って、どんな魔法使うか知ってる?」

「……。パペットマスター……ですよね」

 満里奈は、人形を操作する魔法を使う。その人形というのも、くまの人形から、工業製品、兵器までありとあらゆるものが対象。

 同時に操作できる数も、ほぼ無制限のようなもの。

 加えて、他の魔法も同時に使いこなせる。

 強襲隊の中で最強と言われる所以だ。

「そう。それで、ケントも召喚術師で、使い魔の精神制御もするでしょ」

「高千穂ですか……?」

 突如としてその人の名前が出てきて、若干混乱する。

「二人共、俺と似たような魔法使って、俺より何倍も上手いんだ」

 それに感心し、尊敬もした。そのうえで

「めちゃくちゃ嫉妬した。なんでアイツラは出来るのに、俺はうまく行かないんだろーって」

 美冬をさらに強く抱きしめる。

「みふのせいだって、思っちゃったんだよ……」

 一番最初は、美冬の「レスポンスが悪い」と言う極普通の相談だった。美冬が発動する魔法に対し、進の魔力制御が追いつかない。美冬の魔力制御を進が担っている手前で、この問題は致命的なものだった。

 暫く、どうにかして改善しようとしていたが、思うようにうまく行かなかった。日々、お互いに対する不満は募るばかり。

 進は、そもそも美冬の魔力制御が壊滅的だという根本的な原因に対する憤り。

 そして「アイツらはダメだ」と言う周りからのプレッシャー。

「……。」

 それが、中2の終わり頃だ。顔合わせる度に喧嘩し、そのうち喋ることも無くなり……と言う末期の如く状況。その時から、進が美冬を拒む形で、険悪になっていった。



「それで、『それは違うだろ』ってキレてくれたのが、満里奈とケントだった。ホントにアイツラの言うとおりで、美冬のせいじゃないんだよなって。それで、アイツラに魔法教わったり、愚痴聞いてもらったりしてた……。最悪だよ、何もかもアイツラのほうが上手うわてなんだから。それに、嫉妬した相手に教えを請うとか、色々ズタボロだろ。でも、純粋に憧れた。アイツラすごいから。特に、満里奈は魔力制御ってトコロで、俺が欲しかった技術すごい持ってたから、ストーカーみたいについて回ってたよ。高千穂と美夏が、俺が満里奈を好きだったって言ってたのも、そのせいかな」

 自分が惨めでしたかたない。

 そしてもっと惨めだったのが、美冬のことだった。

「最初、みふに八つ当たりしてさ。それで、結局最後まで謝る度胸もなくて」

 それで暫く引きずって、中3の夏まで距離をとっていた。

 それでも、組織に属していて、妖怪退治の仕事をしなくてはならず、とりあえず美冬を召喚し、使役し、戦うだけ。

 技術を教わっても、使いこなせるかはまた別の話だ。多少改善されても、完璧に良くなる事は無かった。

 問題が一つだけだったら、どれだけ気楽だったろうか。

 四方八方から襲い来るものが、焦りと恐怖を駆り立てた。

 縋れるものなら、何にでも縋りたかった。



 進は、その時を思い出して胃がねじれる感覚を覚えた。

 

 ただ、皮肉なことにそれを救ったのも、美冬だった。

 

「いつだっけ。みふが、デート誘えって言ってきたの」

 夏休みの半ば。いきなり美冬が「どこでもいいので、デートに誘ってください」と言ったことがあった。「近所の公園でもどこでもいいんです」と。急に泣きながら言われたのを、進は鮮明に思い出し始めた。

 訓練が終わって召喚していた美冬を帰し、自分も家に帰ったあとだ。

 受験勉強しろ、などと母親に怒鳴られそうになったから、疲れた身体に鞭打って勉強机に向かっていたとき。

 ちょうど、関数の問題を解いている最中だった。

 急に美冬から電話がかかってきた。

 集中を切らされ苛立ち、加えて喋るのも気まずく、無視しようと思っていたがいつまで経っても切る気配がなかった。

 仕方なく出てみる。

 最初は、美冬の方から歯切れの悪い雑談を持ちかけられた。勉強はどうだとか、もう風呂には入ったのかとか。

 やがて、会話は止まり、進が「じゃあ、切るから」と言うと、美冬は「まって!」と大声で止めてきた。

 急に泣き出して、嗚咽で言葉をつまらせながら、どこでもいいからデートに誘ってください、と言う旨の言葉を言った。



 最初こそふざけるなと思ったが、だが当時の進も、そこで突っぱねてやれるほど度胸も無く、二つ返事で了承した。



「あのデート行ったから、みふと仲直りできたんだよ。だから、みふのおかげ。それに多分、あれのおかげで今の高校受かったようなものだし」

 誇張なしに、進はそう思った。

 今思い返してみると、最悪な記憶だけではなかった事に気付き始める。

「だからさ……。みふが邪魔者だった時なんて無いし。みふのせいで、俺が何かを諦めたとか……無いよ」

 最初の話からものすごく脱線した。着地点をなくしかけて、無理美冬が求めていた答えに持っていく。

「だから、もうこの話、終わりで良い?」

 これ以上、言えることはなかった。

 好きだ腫れただの話なんて言うのは、覚えていない。

 進は美冬の肩に触れる。

「ごめん……なさい。ごめんなさい……」

 美冬が、微かに震えながら囁くように言った。

 離れたくないと、そんな意思が伝わるほどに強く抱きしめられて、吐息と震えを感じる。

「なんでみふが謝るんだよ……」

 苦しさと穏やかさが半分ずつ混ざりあった頭では、それが精一杯の慰めだった。



 最初の雑談はどこへやら。

 結局、何かが綺麗に収まったわけでも解決したわけでもなく、淡々と過去の事を述べただけの話だった。

 進は、一度、半ば無理やり美冬から離れて、部屋の電気を消しに行った。

 両手で顔を覆ってへたり込む彼女を一度抱いて、横たわり、布団をかぶった。

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