第81話 絶望的な貧乳
「で、これ核心の話よ」
天然で茶髪の、若い兄貴分みたいな男が、缶ジュースを片手に詰め寄ってくる。
「胸はでけえ方がいいのか、小せえ方が良いのかって話よ。お前的に」
「いや、そんなのデカイ方が良いに決まってますよ」
そして、進は缶コーヒーを仰いで、クールを気取って返答する。
「で、お前の嫁は?」
「絶望的な貧乳ですね」
「どうすんの。おっパブ行くか?」
「刺されるんでやめときます」
「だろうなあ……。あれは? 朝乃。実姉だしアイツならいけんじゃね?」
「実姉は選択肢外で。普通に気持ち悪いですよ」
「初花は?」
「従姉も抜きで」
「じゃあ美夏。嫁の妹ってよくある話だろ?」
「どこの昼ドラですか」
近しい女性を言い並べて、いずれも選択肢としてあり得なかった。
「お前は一生、巨乳にはさわれねえって事か」
「生きる目標が無くて辛いですよ、全く」
嘆かわしいと言わんばかりに項垂れ、コーヒーを一口。
だが本当に嘆かわしいのは、昼間から最低すぎる会話を繰り広げている彼らである。
日戸進と、もう片方は
そして、組織の情報部に属する。
最初はそれの軽い情報交換のはずで、自販機がある休憩所で少し喋っていただけだったのだが、いつしか野郎特有の胸の話になっていた。
「つうかよ、何がどうしてあの美冬だけが貧乳なんだ? アイツの母ちゃんなんか巨乳やろがい」
「何ででしょうね。ほんとマジで」
母親の遺伝を継承できなかった美冬はアレだが、一方で妹の美夏は無事遺伝のおかげで成長中だ。
「ま、おっぱいは揉めばデカくなる。揉んだれ揉んだれ」
照憐はジュースを一気に飲み干して、ゴミ箱にフリースローする。
最後まで最悪最低なことを言ってから、さっさと消えていった。
あんな最低男でも、妻子持ちだから世の中は不思議だ。進はおおよそ見習いたいとは思えない兄貴分の背中を見送ってから、コーヒーを飲み干し、缶を捨てた。
休憩所を出て、角に差し掛かる。
途端、非物理的な何かが、彼の体を穿った。
それは正に、刃。
「すみませんでしたね。絶望的な貧乳で」
そして、絶対零度の眼差しと声音が、壁際に立つケモミミ少女から発せられた。
「み、みふ……!? え、い、いつから……」
「胸のサイズの話が始まった辺りでしょうか。どうします? 家庭裁判所、行きますか?」
スマホの画面に、夏の日付の録音ファイルをちらつかせながら。
未だに、あの話は生き続けている。
「じ、示談交渉は……?」
「そうですね……。死ぬまで家から出ない事が条件です。ご主人様を首輪と手錠、あとは足枷で繋いで、檻に入れて、美冬以外と接触できない状況をつくります。大丈夫ですよ。ご飯はちゃんと作りますし。おっぱいが揉みたくなったら、いつでも美冬のを揉んで良いんですよ? むしろ最高じゃないですか?」
屈託の無い、無垢で素直な笑顔で言う。冗談などではなく、本気で言っている。薄っすらと開いた細めた目からは、猟奇的な黒い光が覗く。
「い、今のは話を合わせるためであって、決して本心では──」
「は?」
言い訳をしようとした瞬間に見開かれた彼女の目は、真っ黒だった。ハイライトはなく、ただただ独房のような黒だ。
「まってそもそも、家庭裁判所に行くのは浮気したときって──」
「美冬以外のおっぱいに興味を示すことが浮気じゃなかったら、それは一体何なんでしょうか」
頭をフル回転させて、反例を探す。
「じゃ、じゃあみふ、逆に聞くよ。普段ロードスター乗ってる人がWRXを見て『かっこいい』って言っても──」
「浮気ですよ」
「なんで!?」
「そういう人は、次の車検でWRXに乗り換えますから」
「いやそうじゃなくて。ほ、ほら、世間的な認識としてWRXはもうカッコイイわけで、たとえどの車に乗ってても、WRXをかっこいいと思うのは普通だって言いたかったわけで……」
説得するための例え話を出したつもりが、いともたやすく一蹴されてしまう。進は必死に弁明するが、美冬に譲る気はさらさらない。
「では、ランエボに乗ってる人が同じことを言ったらどうですか?」
「え……」
言葉に詰まる。ランエボとWRXはどちらが速いか論争で、信者同士が熾烈な争いを繰り広げる程のライバル同士の車種。
「ご主人様が言っていることは、そういう事ですからね?」
美冬の持論は、とても強力だ。
「それに……。絶望的な貧乳とか言いますけど、Bはありますから。AでもAAでもなくBですから。周りにおっぱいオバケしかいないからご主人様の感覚が麻痺してるだけで、日本人の中では平均ですから」
だから貧乳であっても、絶望的とまで言われる筋合いはない。
「でも、前にネットで宮城の平均はDって見たけど」
だが、日本全国の平均はBからCだとしても、都道府県別で見れば話は違う。
「それ、信憑性無いやつですよ。各都道府県別に50人くらいをピックアップして、実際に測ることなくアンケートでやっただけですから」
訂正、進の情報源であるインターネットは、信頼に値するデータというものはほぼ無い。嘘を嘘であると見抜ける者でないとネットは使えないのと同じように、その情報がどれだけ正しいかが判断できる人間でないと、ネットは使えないのだ。
驚愕の事実を知った、みたいに間抜けで丸い目をした彼を見て、美冬は「してやったり」と妙に勝ち誇った気になった。
美冬は、進の手首を掴んで廊下を歩き出す。
「まあ、そんなに大きいのが良いんなら、ご主人様の協力も必要ですよ? 美冬は一向に構いませんが、どうします?」
「え、ええっ、例えば……マッサージとか……?」
進が恐怖心を抱きつつ、訊く。
美冬は一瞬ニヤリと笑ってから、スマホを取り出す。ブラウザを開き、ブックマークからとあるアフィリエイトサイトに飛び、振り返って後ろ向きに歩きながら画面を彼に見せた。
「曰く、お風呂で、揉んで吸っていただければ、マッサージの効果に加えて女性ホルモンの分泌のおかげで、大きくなるそうですよ?」
試すような、妖艶な眼差し。
画面には『彼氏と一緒に楽しくバストアップ♪』という胡散臭いピンク色の文字がフリー素材画像と一緒にあった。
ネットの情報に踊らされる現代きつね。
「良いから、とりあえず前向いて。人来てるから……」
話を誤魔化すのに丁度良く、スーツを着た数人の大人たちが険しい表情で向こう側から歩いてきていた。
美冬は急いで振り返って前を向いた。
すれ違う手前、一人だけ知った顔を見て、それに向かって少し気まずいながらも会釈した。
だがその男は一瞥をくれるのみで、ただすれ違っていく。
進の父親だ。その人は、魔導庁という組織の重役に居る人物であるから、この建物内を歩いていても何らおかしいことはない。
「お義父さん、忙しそうですね」
美冬は笑顔を繕っていうが、進の表情は亜鉛合金のように鈍重で無機質だ。いつもの間抜けな顔は一瞬だけ感情の一切をなくした、人形のよりも冷たい、怖い真顔だった。
だがそれも一瞬。
「今の呼び方悪意あるでしょ」
すぐにいつもみたいな間抜けな苦笑いに戻る。
悪意を込めたつもりはないが、彼が間抜けなら美冬とってはそれで良い。
進は両親と関わることを拒む。そして、それに関して美冬は何も言わない。
「はやく会議室戻りましょ。蒼樹さんたちも待ってますし」
進はうなずき、二人とも歩くスピードを少し上げた。
「それで、おっぱいはどうします?」
「その話まだ続けんの……」
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