第39話 ちっ、クソが! 覚えてやがれ!

 学校のとある教室、昼休みにて、窓際の席。

 10月に入って久しく、肌寒くなってきた候。

 ここに今日も無駄な一日を過ごす野郎が一人。黄昏ているという言葉が似合いそうだが、実際はこの言葉に「ぼーっとして物思いに耽っている」という意味は無い。

 ただし、この言葉の本来の意味が夕暮れ時だとして、由来が「夕暮れで暗く、そこにいるのが誰かわからない」という意味で「誰そ彼」そして「黄昏」になったという意味から考えて、彼の状況はあながち間違いではないのだ。

 概ね、この教室の中での進のポジションは「あの人誰だっけ」と、ある意味で「誰そ彼」だ。



 悲しいかな、今日もまた1人で自称嫁の愛妻弁当を食すのだ。

 だが好都合。弁当の隣にコピー用紙を広げて作業も同時進行中。 

 教授に、いつでも実験に使いたいからと簡略的な支援魔法の魔法陣を作ってくるように頼まれていた。

 魔法陣とは、本来の魔法の発動に必要では無い。あればやりやすいかな、程度のものだ。

 使い慣れていない魔法を遜色なく使いたいときは、コレがあればとても便利に行く。言わば、魔法の設計図のようなもの。

 だが、この手の魔法ならば魔導書を漁ればいくらでも出てくるが、ほぼ全てが実戦向きの手のかかるもの。実験の時にそれを一々展開するのは面倒くさいので、使い慣れている進に、簡単に使える魔法、もとい魔法陣を作れ、との仕事が与えられたのだ。

 別に苦ではない。簡単ではないが、進はこの手のコトが結構好きなのだ。

 魔法は嫌いじゃない。作るのも嫌いじゃない。むしろ好きだ。趣味らしい趣味が無い進にとって、これが趣味と言っても差し支えない。

 普通の魔法使いなら、既存のものを自分が使いやすい様に改造するなど良くやること。

 進は、美冬を使役する上で、その必要性が更にあった。

 そうしているうちに、自分が改造した魔法が発動して上手くいったり、理屈攻めで作り上げ、現実で矛盾するものを力技とメンタルでどうにかする脳筋マジックがなんとなく面白いので、ハマった。

 この仕事も、暇でやる気が出た時にやっておこうという算段だった。

 

 するとここで、一人きりの憩いの時間を邪魔する輩が数人現れた。

 隣の席の女子と、その仲間たち約3名。

 何をはしゃいでいるのか、騒ぎながら進にタックルをかました。

 厳密に言うと、隣の席の女子が立ち話をしていて、後ずさった先に進が座っており、軽くぶつかってしまった、と言うだけのこと。

 ただし、これは殺意が沸くレベルだ。

 ぶつかられて、筆ペンで「結」と書こうとした瞬間にぶつけられ、べチャリとやってしまったのだ。途中まで描いた陣が台無しである。


「あ、ごめん」

 ぶつかってきた本人が謝ってきた。

 だがごめんで済まされることでは無い。


 今すぐ唯一得意の熱力魔法で貴様の温度を全て奪い尽くし、隣のJKにそれをぶつけてやろうか。人間は体温が20度を下回ると死ぬ。熱をヒートポンプよろしく奪っていまえば、人間なんて簡単に死んでしまうのだ。


 と、思っていた。


 マジの殺意が湧いて、謝られたところでは済まない怒りを覚えて、相手と顔も合わせずに、「いや……大丈夫」と答えた。 

 彼にそんな度胸は無かった。

 

 仕方なく、無駄になった紙を丁寧に畳んで机にしまい、もう1枚コピー用紙を出したところで、やる気が失せて、飯だけ食うことにした。


 †


 学校から駅まで向かう途中、いつも通り無心で歩いていた。

 せいぜい、なんか買い物頼まれてたっけな……くらいの曖昧な記憶だが、今日は無い。

 美冬の顔を思い出す度に、今朝の、というか、最近のおよそ毎朝の生々しい感覚が蘇って来るのは気のせいか。

 思いっきり舌を入れてきて、なおかつ唾液をこれでもかと流し込んで来くる。

 彼女の口付けは、最早口吸いである。だが吸っていないからむしろ過給器、ターボチャージャーだ。

 血が出るまで噛むか、気持ち悪くなるまで舌を絡ませてくるかの二択なのは、一体なんなのか。

 帰ったら説教か。

 だが美冬の事だから「なにか問題でも有るんですか? それとも〜、恥ずかしいんですか〜?」とか絶対言われる。想像が簡単に出来、美冬ボイスで脳内再生まで一瞬だった。

 諦めよう。

  

 何気ない心の平和を堪能しているのも束の間、状況は一気に不穏になった。

 朝、彼は美冬にこう言われていた。「車と悪い妖怪には気をつけろ」と。

 言われて本当にそれに遭遇するとは、虫の知らせか、美冬の予言か、狐の勘か女の勘か、とにかく、そういう状況にぶち当たってしまったのだ。

 背筋がぞくぞくするような禍々しい気配。

 半年前までしばしば感じていた感覚。最早懐かしくも有るが、心做しか気分が上がる。

 平たくいえば、妖怪。

 もっといえば、雷獣。

 姿はまだ見えないが、状況から判断できた。

 突如、異常気象にも思える程に雷雲が発達し、雷が一閃、爆音とともにどこかへ落ちた。

 やがて破裂音が建物の間を縫うように轟き、人間の悲鳴が響く。 

 丁度よく、こちらに迫ってきた。 

 まるで焦っているかのような、そんな動き方だが、これ以上暴れ回ると人間に被害が出る可能性がある。

 才有る者の使命か、今は魔導庁に属さず、理由もないが、何となく極微小の義務感と殆どの好奇心で、立ち向かうことにした。 

 まだ姿は見えないが、足元に魔力で陣を展開させる。

 少し大掛かりなモノを作ってみる。 

 罠型結界妖術。

 このサイズになると、魔法陣が役立つ。

 対象に反応して半自動的に結界を展開、対象を閉じ込めるというものだ。

 

 そして、視界の奥底に黄色い閃光が見え、一瞬の間も無く、結界が反応した。

 展開速度は雷のそれを上回り、妖は結界の壁に阻まれた。対象を捉えた壁は、網の様に伸縮し雷を徐々に減速させて行った。

 伸縮性のある不可視領域の結界壁は純粋な物理攻撃を吸収し実質的な強度を増す。

 雷を解いた妖─雷獣はなおもパニックになりながら壁の破壊を試みるが、掴もうとすれば伸びるそれに、苦戦している。

 

 さっさと始末するか、そう思い、空気中の熱を奪い、空気そのものを凍らせる。酸素の凝固点は-219℃、窒素は-210℃、アルゴンは −189℃、つまり-220℃くらいまで熱を奪えば良い。

 物体の熱を絶対零度付近まで奪う程のこと、熱力魔法ならば簡単。

 

 凝固した酸素、窒素、加えて二酸化炭素と水、それをごちゃ混ぜにし、形を成し、魔力で包み込み、刀の形を形成する。

 超低温の武器の完成。

 さて、雷獣は未だに逃げようとする。

 見た目は巨大なハクビシンそのもの。 

 かつては6本足の犬のような見た目だと伝えられたが、実際はこれだ。

 まじで、ハクビシン。ただの害獣である。外来種かどうかの議論は一先ず置いておき、雷獣というのは江戸時代より存在していたれっきとした在来の妖。

 普段は大した悪さをしないから、退治をするのは少々心が痛む。だが、ここまで興奮し暴れ回っていると、周りに被害がでかねない。

 小さくなった時の見た目は、それはそれは可愛らしいので、出来れば殺したくはないのだが。

 それは単なる人間のエゴか。


「そこの雷獣。今なら命だけは助けてやる。巨大化を解いておとなしくしろ」

 妖に対して下手に出ては行けない。

 できるだけ上から目線で、とにかく乱暴な口調で挑む。

 雷獣は「ああああ??」と凄みながら振り返り、怒鳴った。

「てめえ何者だ! ふざけんな、さっきから一方的に襲ってくるじゃねえか!! オレは何もしてねえのにいきなり喧嘩売ってきたのはそっちだろうが!?」

 さて、話が読めなくなった。

 この雷獣は、何者かに狩られそうになって、逃げてきたと言うのか。

 しかも、その仲間だと勘違いされている。

 そして口は乱暴だが声は可愛い。見た目も可愛ければ声も可愛い。


「まあいい。やる気が無いならさっさと消えろ」

 厄介事に巻き込まれる予感がするから。

 美冬を召喚術で呼ぼうかと思ったが、むしろ危険なのでやめた。

「ああ?? てめえふざけんなよ!? こちとら人質がんのだぞごら!! むしろ詫びろ! 俺様に詫びろ!!」

 だが雷獣の怒りは収まらない。

 そして雷獣はずっと尻尾に隠していたらしい、人質を見せてきた。

 制服を着た、女子高生の姿。しかもその制服には見覚えがあり、目を回している間抜けな顔にも見覚えがあった。

 忌々しき、ウェーブがかかったショートヘア。

 隣の席の、あのJKである。

 溜息が漏れた。


「言っておくが、お前を倒す理由はないし、見逃すことも出来る」

「は? 抜かせ! そんな言葉、信用できるか!!」

 だよな、と苦笑い。

 最早、進の頭の中ではこの妖を撃退することに概ね決定した。

 先ずは尻尾を切り落として人質を救出し、あとは熱魔法で周囲を凍らせて動きを止めれば終わる。

 出来れば、そんな可哀想なことはしたくないから、さっさと人質を置いて消え去ってほしい。


「抜刀、江雪」

 呟くように唱え、固体空気の剣に名刀を憑依させる。

 本来は、月岡家に代々伝わる妖が使う術『妖術』だが、人間が使えない訳では無い。

 以前は、妖怪が使う術を妖術、人間が使う術を魔術もしくは魔法と読んだが、最近はその区別も有耶無耶になった。

 本質は同じ。

 まだ未完成だが、教わったことがまだ体に染み付いている。


 江雪左文字、優れた主の名を受け、そして今も尚存在する、名刀。

 生涯も美しければ、名も美しい。

 雪の字は、氷によく合う。

 固体酸素が混ざり青かった刀身は、太刀らしい鋼色へと衣を変える。

 結界の中は吹雪、その空間を冷気で染める。

 抜刀による、領域制圧魔法。

 だがそれは、この技の一側面でしかない。

 冷たい、ということはその熱をどこかに奪い取ったという事だ。

 その大量の熱量は、今、進の制御下にある魔力に貯蔵されている。そして、いつでも放つことが可能だ。


 だが、聞こえは良いが、一端の魔法使いにとって、これだけまどろっこしい魔法は無い。もっと単純な攻撃魔法で仕留めてしまえばいいのだ。

 進には、それが出来るほどの標準的な攻撃魔法の腕が、無い。

 色んな魔法をとりあえず適当に摘んでばっかりいたせいで、どれをとっても中途半端でマトモに使えるものは無いのだ。

 唯一と行ってもいい。この熱力の魔法は、支援魔法に傾倒した進にとって、単独行動でそこそこ役に立つ魔法だ。 

 

「もう一度言う、その人間を置いて、消え去れ」

 切っ先を向けて、最後の警告。

 寒さと、この領域に恐怖したか。最早ここまでかと、冷静にも雷獣は尻尾の力を抜いて人質のクラスメイト女子をほん投げてきた。

 綺麗な放物線を描いて、女子が上から降ってくる。

 進は手に持っていた刀を地に突き刺し両手を開けて、それを捕まえた。うまくキャッチできたは良いものの、いかんせん重い。人間の体重は50kg以上あるが、それがそこそこの高い位置から落ちてくれば、運動エネルギーは相当なものになる。

 地に足を着きそうになったが、魔法の補助でギリギリ持ちこたえた。

 

「ちっ、クソが! 覚えてやがれ! さっさとこの障壁を退けろ!!」

 最後に小物らしいセリフを吐いて消え去ろうとするから、言われた通り結界を解いた。

 一件落着、平和的解決。めでたしめでたし。

 そう思った瞬間だった。

 

 眩い光が、雷獣を穿った。

 進は一瞬状況が理解出来ずに固まって、気を取り直した時には、時既に遅し。

「やあ久しぶり、進。元気だったかい?」

 やはり、こいつの仕業だった。

 今、信号機の上に優雅に立って、進を見下ろしている、この人間。

 進の元同僚で、妖怪を見つければ無差別にも滅せようとする、好戦的な人物。

「ケント……、横浜方面に行ったって聞いたんだけど」

「ま、少し通りかかったところに変なのが居たから、ちょっと退治しようと思っただけだよ」

 日本の魔術師の名家とイギリスの魔術師の名家、その双方の血を引く、最強のサラブレッド。

 ケント・高千穂

 天然の金髪と、洋風混じりの顔が、めちゃくちゃ女子にモテるのだ。

 

「それで、なんでコイツを撃ったって、聞くまでもないってやつか」

「そう。妖怪は絶対悪。ただ滅するまで」

 だから、彼は妖を見る度に滅する。

 

 だが、彼の隣に侍っているモノを見やった。

 妖の使い魔だ。4体の女性形妖が、ケントの周りに浮いている。

 妖を滅する手法は、使い魔を使ったものだ。

 彼もまた、進と同じで召喚術士だ。

 だが、やり方が全く違う。

「言いたいことは解るよ。でも、これらは道具だ。妖退治の為の、ね」

 彼は、使い魔の精神すらをも掌握し、完全に傀儡として扱う。

 

 喋っているだけ無駄だ。

 根は良い奴なのだが、これに関しては、進が絶対に理解できないところだ。

 

 未だに腕の上で目を回している重いクラスメイトを揺さぶって起こして、状況の理解が出来て居ない彼女を下ろし、地べたに座らせた。


「あの妖、貰っていくけど、文句言うなよ」

 雷獣は先程まで大きかった体も、獣サイズまで小さくなって血を流したまま倒れている。

 あのままでは可哀想だから、どうにかしてあげたい。

 ケントは黙ったが、最後に「まあ、良い。進の頼みだからね」と言って、召喚していた使い魔を全て帰した。

「東京はまだボクの担当領域じゃないし」

 それだけ言って、信号機の上から跳躍し、空にとビルの向こう側に消えていった。

 根は良い奴良い奴だから、一応、進の考えを理解した上で見逃しはしてくれる。


 消えたところを、通行人に見られる前に……と言うよりかはもう見られているが、すぐに雷獣をとっ捕まえて、走ってその場から逃げた。

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