第52話 専業主婦として失格な気がして······

 美冬の姿を見て、もう冬だな、と思った。

 しばらくは獣耳っ娘の姿を見ていたが、帰って玄関を開けて真っ先に飛びついてきたプラチナキツネを見て、そう思った。

 冬毛のモフモフが、抱き上げて撫でたときに心地よい。

「もうこんな季節か……」

 寒い季節になると、狐の姿での行動時間が多くなる。

 服を着込むより暖かくて身軽なのだという。

 美冬は、キューキュー言いながら顔や鼻、口元を舐めてくる。今朝の美少女はどこへやら、今ではただの獣である。 

 狐の体は軽く、抱いたまま突き放して距離を稼ぐことは容易だ。

「なんで嫌がるんですかっ」

「よだれでベトベトになるからだろ……」

 心底ショックを受けたような顔をしてから、その場で獣耳っ娘の姿に変わる。

 ずーんと落ち込んで、暗黒に沈む眼で上目遣いに見つめ、そして言う。

「愛情表現もダメなんですか……」

「あ、ごめん」

 動物にとって、他者を舐めることはかなり上級の愛情表現だ。

「今日も、あの女の匂いしますし……」

「途中まで一緒だから仕方ないというか」

 言い訳もほとんど聞かず、美冬はトボトボと部屋の奥へ。居間の座布団にへたり込み、額をテーブルに当ててうなだれた。

「ごめんって。ていうか、お腹空いたし早くご飯食べようよ」

 進は若干呆れつつ、帰りに駅近くのスーパーで買ってきた惣菜を、テーブルに並べた。

 帰り際に連絡したときに、その時点で買い物にも行っていなかったらしく、故に、進が帰宅ついでに買い出しに行った。

 食欲の化身は、目の前に置かれた惣菜類で機嫌を直し、箸を掴んだ時点でまた落ち込む。

「……」

「どうしたの」

「専業主婦として失格な気がして……」

「そーやって自分のハードル上げるなって。ん? 専業主婦……?」

 進の疑問はよそに、美冬は落ち込みながら煮っころがしを口に運んだ。

 咀嚼し、飲み込み、もう一つ掴みながら「スーパーのご飯って美味しい……」と、言ってまた落ち込むのだ。 

 見ていて、かわいそうになってきた。

 進もとりあえずだし巻きを一口食べて、空っぽの胃袋に栄養を流し込んだ。

「ま、まあ、みふが作ったご飯のほうが俺は好きかなぁ……」

「作らなくてごめんなさい……」

「あっ今回は逆効果か……」

「気遣って貰って……情けない限りです……」

 もはや、美冬は泣いていた。泣きながら、メンチカツを頬張っていた。


 †


 美冬が情緒不安定になるときはたまにある。原因や予兆みたいなものはほとんどなく、突発的に起こる時が殆ど。

 いつものように風呂上がりに尻尾を乾かしたら、今日はそのまま狐の姿になった。

 ブラッシングはその勢いで全身をやる。

 プラチナキツネはしばらく心地よさそうに目を細くしていたが、人間の方が飽きて、ごっそりと毛が取れたところで終了となった。

「じゃあ、電気消すよ。明日も朝早いし」 

 キツネは「にゅ〜」と狐声きつねごえでなんとも言えない返事をしてから、猫用ドーム型クッションに入った。

 猫用なのに器用に入る。確かにクッションは多少は大きいが、猫とキツネではサイズが違う。それでも入ってしまえるのだから、きっとキツネも猫と同様で液体なのだろう。

 進も、電気を消したら布団にもぐった。

 スマホをいじる気力も無く、そのまま目を閉じて睡眠の準備にかかる。

 眠いからすぐに寝れそうだ。

 眠い。

 ……。眠い。 

 ……。 

 眠い。

 ……。

「はぁ、なんだよ」

 だが寝れない。

 美冬の落ち着きが無い。

 ドームから出たら、布団の中に潜ってきてずっともぞもぞしているのだ。

「ポジションが決まらなくて」

「おとなしくドームで寝てなよ……」  

「一緒が良いんです、だめですか?」

 そう言われると断れないのを知っていて、その言葉を選ぶのだ。甘え上手とは計算の上で成り立つ。

「じゃあ早くポジション決めて」

「……」

 狐が布団の中で匍匐前進する姿を未だかつて見た者が居るだろうか。

 器用に進の左腕を枕にして、そこに位置を決めた。

 つまりこれも計算。

 人間の姿であったら鬱陶しかったが、毛玉であればモフり甲斐があるのでまだ許せる。獣のくせに臭くないのも良い。

「明日も、いつもどおりの時間ですか?」

 眠たそうな声で聞いてくる

「うん」

「お弁当も?」

「うん、よろしく」

 学園祭の準備期間と言えども、登校時間は変わらない。出席は全員集まって普通に取るらしい。

 話し終えたら、まぶたが重くなってくる。


  †

 

 気付いたら、美冬に「起きてくださぁい」と起こされていた。

 寝てから一瞬しか経ってない気がする。こんなだと、寝た気がしないし、損した気分だ。

 

 その後、朝の支度をし、家を出て学校に向かう。

 混み合う駅、通勤ラッシュ、面倒な乗り換え、そして駅から学校までの徒歩。

 今日と明日だけはいつもの教室では無く、学園祭で使う教室で集まる。

 荷物は全て教室の端っこに寄せて積み上げられた椅子と机の上へ。

 自分の教室の椅子と机は校庭まで出したのに、ここは端っこに寄せるだけで良かったというのは酷い理不尽をクラス一同感じていて嘆く者は多かった。

 一応、ホームルームはある。

 それまでは暇だ。やることも無いし。

 スマホをいじるくらいか。

 昨日、高千穂から動画が送られてきていて、それを観る。猫の妖怪、霞と雪女の葵での組手の映像だ。

 講評を求められていたが、いまいちコメントが湧いて来ない。「特に無い」と返事をするのは失礼か。強いて言うなら「葵さん、容赦無さすぎて怖い」だ。霞が可哀想なくらい吹き飛ばされているから、まだ幼い子供にやることでは無い。

 それこそ「実戦投入」する前に「壊れる」事になる。

 似たような経験があるから余計に心配になってくる。


「なに難しい顔してんの」

 気付いたら、目の前には菅谷すがや飛鳥あすかが立っていた。

「え?」

「おはよう」

「……ども」

 クラスの中で唯一喋る相手だ。

「そう、今日あとで買い出しに行くから、日戸もね」

「あ、はい……」

 知らない間に色々と決まっているらしい。

 ただ、彼女がここに居るのは丁度良かった。

「ちょっと相談があるんだけど」

「相談?」

「知り合いに、なにかコメントを求められた時に何も浮かばなかったら、『特に無し』って返事しても大丈夫かぁ……って思って」

「いやだめでしょ。なにか絞り出しなよ」

「ええ……」

「嫌な顔してもだめ! 日戸はね、他人に興味が無さ過ぎなのが人として最低なの、わかる?」

 相談したつもりが、怒られた。

 言われたとおり、スマホの画面を凝視し頑張ってみたが、なにか思い浮かぶ前にホームルームが始まった。

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