第133話 1500円のワッフル
「……んえ?」
美冬は妙な雑音に起こされて、むっくりと起き上がった。
だらしなく、突っ伏していたローテーブルに涎が垂れる。
起こした雑音の正体はスマホの着信だった。誰だ誰だと思いながら見やると、電話の相手は菊花だ。
たまに意味もなく電話をかけてくることがあるので、今回もどうせそれだろう。人の睡眠を邪魔しやがってと忌々しくも電話に出る。
「もしもし……」
『お前いま何やってんの?』
しょっぱなから元気がよろしいことで。
「ね て た」
『はあ? もう昼の1時だぞ』
「夜行性なんですよ……」
目をこすり欠伸する。手近にあったティッシュを一枚とってテーブルの涎を拭いた。
『じゃあ暇してんだろ』
「してませんよ……。これからお掃除とお洗濯して、お買い物行ってご飯作ってご主人様のお世話するんです」
そう列挙してみると意外とやることが多い。掃除もどこまでやるかで手間と時間が変わってくるが。
『そんなん自分でやらせろよ。とりあえず今から新宿集合な。いつもの本屋の前。おーけ?』
「のー」
主人がそんなこと出来るわけなかろう。いや、させてはいけない。
『そういってくれるなよ……。ちょっとお前のコネに頼りたいんだよ』
「こめ……? うち実家は仙台で畑はありますけど田んぼはないですよ?」
『ちげえよコネだよコネ。コネクション』
「コネクション? そんなものないですよ」
『あんだろ。えーっとマドウチョウってやつ』
「……あー……。いや゛ですよ。面倒くさい」
『じゃあわかった。対等な取引と行こうじゃねえか。来たら1500円のワッフル奢ってやる』
──1500円のワッフル──
†
新宿の東口から徒歩数分、もしくは新宿三丁目の駅から出てすぐ。映画館が入っているビルの地下にあるブックカフェ。
昼にはハンバーガーのランチ、夜にはフィッシュアンドチップスやローストチキンなどが美味しい店だ。
暖色系のライトが柔らかく店内を包み、周囲は本棚で囲まれ中央には大きな木のオブジェが立つ。薄暗い中もすっきりとしたジャズのバックミュージックが流れる、落ち着いた空間。
さて、このような洒落た場所で雷獣の友人にワッフルを餌に見事一本釣りされた狐の妖怪少女が、メニューとにらめっこしていた。
そもそもワッフルとはベルギーの焼き菓子の一種である。その焼き菓子に1500円もかけるのは如何なものかと彼女は思っていたが……写真を見せられその愚かな思考は粉砕されたのだ。
ワッフルと同じ皿にのせられ彩るのは、ソフトクリームやベリーのソースなど甘いものであることは勿論。だが生ハムやアボカドとチキンのサラダなど、今までのお菓子としてのワッフルのイメージを覆すようなものまである。
悩む。ミックスベリーとソフトクリームにするか、チョコレートとバナナにするか、はたまた生ハムとバニラアイスなんてものもある。
「メニューと睨めっこしてるところ悪んだがよ」
「はい」
返事はするが目線はメニューだ。
「本題に入っていいか?」
「ご自由にどうぞ」
あくまでペースを崩さない美冬に対し菊花は溜め息を吐く。
そして菊花の隣に座る少女は心配そうな顔で彼女を見た。その少女は、当然人間ではない。今でこそ人間の姿をしているが、その正体は妖怪である。
「あんな、こいつオレの後輩なんだけどな」
「へー」
「今、なんかユーエス……学生ナントカっていう変なヤツラが妖怪襲って回ってるってあるだろ?」
「らしいですね」
「それで、こいつの身内が壊滅状態でやばいからどうにかしてやってくれるようお前から魔導庁とやらに掛け合ってくれねえか?」
「それは気の毒に。でも美冬には何も出来ませんよ?」
「そこをなんとかよお」
「だって今は部外者ですし」
適当にあしらいつつ、メニューを伏せて置いた。
美冬は、バツが悪そうに俯き座る少女を見やる。
橙色の髪色と、猫目。猫の妖怪……いや、獅子か。
「そもそも、保護してもらうだけなら魔導庁に直接──」
「無理……なんです。その……。組が……その……」
「妖怪ヤクザですか」
少女は頷く。
「杉並の銀獅子組……と言われています」
「杉並の銀獅子組、どこかで聞いたような」
どことなく記憶に引っかかり、少し考えた。
「あ、前に学生魔導士連合に仕向けられて、水竜組とやりあってたアレ」
随分と前に、その戦いに巻き込まれたのを思い出した。人間の子供にいいように操られ、今度は壊滅させられるという。なんとも哀れな任侠者達だ。
ヤクザと聞けばもっと強いのをイメージしていたのだが。
「組のみんなが、ボロボロなのにやり返すって躍起になってて……。だから、もう、不本意ですけど人間に頼ってでも力づくでも大人しくさせないと──」
だから魔導庁に介入させて無理矢理にでも止めさせたい、と。だが直接頼むなど無理だからこうして回りくどいことをしている、ということらしい。
「そんなの内部告発みたいなことをすれば良いのに……」
深刻さは伝わってくるが、美冬にとっては所詮他人事である。どこで誰が死のうと関係無い。
「今の話をそのまま魔導庁の知り合いに流すくらいなら出来ますけど。寧ろそれしか出来ませんが」
「と、とにかく藁にもすがる思いなんです」
「わかりましたわかりました」
しつこいのも面倒だと、美冬はスマホを取り出し、朝乃へメッセージを打ち込む。先程の話をそれっぽくまとめて送信した。
「魔導庁の、妖怪退治専門のプロにこうやって送っときました」
一応、その証拠のトーク画面は見せた。
「その人が動いてくれる確証はありませんけど」
「ありがとうございます……」
「いえいえお礼には及びませんよ」
社交辞令の形式的な返事をし、丁度隣を歩いたウエイターを呼び止め注文をした。
「こんなお洒落な場所なら、こんな景気の悪い話じゃなくてご主人様と来たかったですよ全く」
「タダメシ食えるんだから文句言うなよ」
「交通費はタダじゃなかったんですけど」
全く。この程度の事なら電話で済ませてくれれば良かったのに、と文句を垂れつつ肘をついた。嫌味の一つくらい言いたくもなる。
「ご主人様って……?」
獅子の少女が首を傾げた。基本的に人間嫌いの妖怪ヤクザの娘がすぐに理解できないのは仕方ない。
「こいつ、使い魔なんだよ。人間の」
「使い魔……?」
「召喚獣」
「召喚獣……」
獅子の少女は懐疑的に美冬を見る。まるでフィクションに存在する生物を見るような目だ。現実に存在したのか、と。
「本当に居たんですね。菊花先輩みたいな人間と仲がいい妖怪は知ってましたが、従属しているのは初めて」
「そうですか……。珍しいですか」
ヤクザからすればそういう反応になるだろう。
ウエイターが、注文した飲み物を運んできて、3人の前にそれぞれ置く。
「その……。良いんですか。人間に従って。それで幸せ……っていうか、楽しいっていうか……」
「はい。幸せで楽しいですよ」
恐る恐るされた質問には、すんなりと答えた。レモネードの上に乗ったシャーベットを、ストローで突いて溶かし、吸う。
ほんのりと甘酸っぱく冷たい。
「少なくとも、ワタクシは」
そうだ、家に帰ったら報告するために写真を撮っておこう。
「どうして……。だって人間に道具みたいに使われて──」
「人間に偏見持ちすぎですよ、それは」
中にはそういう人も居るでしょうけど、と前置きをして続けた。
「ワタクシがもし『道具』だとしたら、最悪に使いにくい道具でしょうね。魔法下手ですし。いつ捨てられてもおかしくないようなほど」
実際、最初の主に捨てられたのだから。
「でも、ご主人様はそんな美冬でも受け入れてくれました」
「美冬、やめとけよ。重くて初対面のヤツにする話じゃねえよ」
雰囲気がおかしくなり始めたところで菊花が介入した。やれやれと言ったふうに。
そうこうしている内に、頼んだアボカドとチキンのワッフルが登場する。先程までの会話の内容は何処かへ吹き飛んで、美冬の脳内は完全に食欲で満たされた。
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