第1話「混沌たる世界への出撃」

 西暦2097年、十月。日本皇国にほんこうこく正央せいおうこよみが改まって、十年以上が経過していた。

 どこの国もそうであるように、戦争で疲弊ひへいし、文明はゆるやかな後退を続けている。

 もうすぐ二十二世紀も間近というのに、町並みや市民の暮らしはまるで昭和だ。例えば、テレビ……こうして基地の待機室で退屈なニュースを歌うのは、今時ちょっと見ない箱型の二十インチだ。

 今時、という言葉がいつを指すのかさえわからない時代だった。

 ここは日本皇国の第二首都、廣島ひろしま……くれ独立治安維持軍どくりつちあんいじぐん第五十四陸戦機動部隊だいごじゅうよんりくせんきどうぶたい所属、槻代級ツキシロシナはブーツの編み紐をキツく縛り、硬いかかとを古びた床に打ち付ける。人型機動兵器ロボットのパイロットである自分を、黙々と出撃へ向けて高めてゆく。

 一種のストイックな実直さは、ニュースキャスターがさえずるテレビの音さえ聴いてはいなかった。


『さて、第二皇都を震撼させた御典医ごてんい惨殺事件の続報です。未だ犯人の特定には至らず、警察では現在行方不明のご子息、佐々佐助サッササスケ君の消息を追っており――』

『殺された佐々氏は、皇室や宮家にも出入りする御典医でした。テロの可能性は十分に考えられます。過激派テロ集団であるあかつきもんの関与も疑われますね』

『そうなるともう、連中の……独立治安維持軍の出番でしょうなあ。階級すら持たぬ皇国の番犬……超法規的な権限を与えられた、まあ、のような連中ですぞ』


 今、この廣島での話題は御典医惨殺事件で朝も夜も塗り潰されている。

 人が人を殺すという、人が殺したと思い込める話題で、意識的に頭の中から逃しているのだ……今という時代が、人ならざる謎の敵に脅かされる、滅びのときだという現実から。

 無責任なニュースの言葉など、級の耳には入っていなかった。

 皇国の番犬……そう、法の鎖で自らを律して戦う、市民を守るための力。あざけり笑われようとも、どんな汚名だって喜んでかぶる。例え、テロ殲滅のために結成された、一騎当千の私兵集団と言われようとも構わない。

 そんな時、不意にテレビが消された。

 そして級は、身支度を終えると椅子から立ち上がる。


「級、トレーラーの準備が出来たわ。……気にしないほうがいいよ、テレビなんてさ」


 振り返るとそこには、テレビのリモコンをテーブルに放り出す痩身そうしんが立っていた。見心地のいいスレンダーな体躯ボディは、しなやかさとやわらかさが完璧な調和を保っている。級と同じスーツを着た、同じ第五十四陸戦機動部隊の狙撃班S.S.T.……そのエース、一条灯イチジョウアカリだ。

 実年齢より少し若く見えて、少女という表現がピッタリのようなあどけなさもある。

 それなのに、灯の瞳は強い光を宿して真っ直ぐな輝きを放っていた。


「呉の市内で初めての次元転移ディストーション・リープ反応……皇国軍もパンツァー・モータロイドの二個中隊を展開中よ。……来るのかしらね、パラレイドが、また」

「さあな」


 出動の要請が正式に通達されてから、既に一時間。

 そっけなく応える級にも、それはわからない。

 ――それは、神出鬼没で正体不明、敵であることしかわからぬ存在。どこからともなく次元転移を用いて現れる、人類の天敵。人類同盟じんるいどうめいという旗の元に集った者たちは、恐るべき敵性機動兵器群をパラレイドと呼んだ。

 級たちの任務は、パラレイドと交戦権のある皇国軍および在日米軍から、無辜むこの市民たちを守ること。

 それを誰よりも理解してるからこそ、級は一人呟きを零す。

 その言葉を拾ってくれる灯が、いつも通りの空気で隣に立ってくれた。


「ただ……まあ、どうでもいい話だが。ハイエナは自ら狩りをする生き物だ。侮蔑の例えとしては適切ではないな」

「あら、サバンナで食べ残しの死肉を漁る動物じゃないんの?」

「ハイエナは群れで組織的な狩りをする。ライオンなんかが逆に、ハイエナの残し物に群がることもあるさ。……ハイエナが死肉を漁るのは、他に食べ物がない時だけだ」

「知らなかった。でも……ハイエナはちょっと、私はヤかな」

「女の子はまあ、そうだな」

「あ、また笑って……もう」


 二人は連れ添い、待機室を出る。基地内はどこも大忙しで、慌ただしく職員が行き来していた。誰もが足早に歩く中、灯を連れて級は外へと出る。

 二人の愛機を搭載したトレーラーは、既にアイドリングを奏でて待機していた。

 ――レヴァンテイン。

 それは、人が手にした炎のつるぎ……自らも燃やして焦がす諸刃もろはの剣だ。今や全世界規模で陸軍が運用する陸戦用人型機動兵器は、大きく分けて二種類ある。

 一つが、女子供や学生でも操縦が容易な、軍でも多数を占めるパンツァー・モータロイド、通称PMRパメラ。そしてもう一つ……訓練されたパイロットの搭乗を前提とした、高い機動力と運動性を誇るレヴァンテイン。絶対元素Gxぜったいげんそジンキの発見と前後して、爆発的に進化した人類科学の結晶……当時の希望に満ちた者たちは、第一世代型を『レヴァント』と呼んだ。自らの行いを不滅レヴァナントと歌ったのだ。そして兵器として成熟され、今の時代では『レヴァンテイン』が一部で普及している。

 大量生産前提のPMRと、パイロット適正を持つ者たちだけのレヴァンテイン。

 そうした兵器が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする今という時代は、混迷の戦争に彩られていた。


「積み荷のチェック後、出発する。今日は二人だけだ、バックスを頼む」

「了解、級。千景ちかげみやこもいないんだから、ツーマンセル。フォワード、よろしく」


 級は灯が差し出す小さな拳を、自分の拳でコツンと叩く。

 背を預け合う戦友。そして、明日にはいないかもしれない隣人。

 トレーラーへと搭乗するべく歩く二人を、壮年の声が呼び止めた。覇気に満ちて通り良く響くのは、この基地の最高責任者の言葉だ。


「あ、級……ちょっと、ほら。東堂トウドウ司令」


 灯に言われるまでもなく、身を正して向き直る級。その横で緊張に固くなってる灯との、ピシリと引き締まった敬礼に笑顔が返ってきた。

 東堂清次郎トウドウセイジロウ……立治安維持軍の総司令官だ。


「すまない、二人共。皇国軍の丁稚でっちみたいに使われた上に、最小戦力での出動を余儀なくされるとは」

「い、いえ、司令……パラレイドは無差別に文明を攻撃する侵略者です。国を、国家を守るのが皇国軍なら、国民と国土を守るのが私たちの任務。だよね? 級」


 頷く級を見上げて、灯が僅かに頬を崩す。

 だが、清次郎は笑顔で頷く一方、不思議な言葉を残した。


「侵略者、か……世界規模で地球全土を襲う、パラレイド。奴らは、

「と、おっしゃりますと?」


 思わず言葉を返してしまった級に、清次郎は発言の内容を選んで慎重に語る。


「侵略とは古来より、武力による領土の獲得、略奪行為を指す。……パラレイドが得ている物は、なんだ? 目的と手段、それが結びつかないのだよ」

「司令は、パラレイドに知性や思想といったものがあると?」

「人類同盟の各国からなる調査団は、パラレイドを無人兵器の群体と定義している。だが、果たしてそうかね? 何故、奴らは一方的に地球を攻撃しつつ、占領政策もなく、兵站へいたんもなく、いたずらに大地を消し飛ばしているのか」

「それは……」


 その時、我に返ったように清次郎は表情を明るくした。

 まるで、今までの問答が意味をなさないかのような、忘れてくれとでも言わんばかりの表情だった。


「いや、すまない。出撃前の君たちに妙な話をしてしまったな。じゃの道はへびでね……組織のトップというのは、やぶを突いて蛇を出したとしても……逃げる訳にはいかん」

「蛇が出たのでしょうか、司令」

「デカい蛇だ、その名は……ウロボロス。人類同盟の秘匿機関ひとくきかんとかいう、胡散臭い組織だ。人員から装備にいたるまで非公開。それが接触してきたんだが……」

「きな臭い話ですね」

「ん、まあ……槻代君、一条君も。子供の相手というのは疲れるものだ。それも、大人ぶってウロボロスの特務三佐とうそぶく銀髪のお嬢ちゃんは特にな。……いや、いい。忘れてくれたまえ」


 最後に清次郎は「随伴する補給機と現地で合流するように」とだけ言うと、見事な敬礼で二人を送り出してくれた。

 最後に一言、死ぬなとだけ言って。


「司令も気苦労が絶えないわ。ん、級? どしたの、難しい顔して」

「……東堂司令は辣腕らつわんで知られているが、この組織を活かして人を守るために心身を削っている。ならば俺は、番犬でも猟犬でもなってやるさ」

「そゆこと? そう、なら……子供の相手の仕方でも教えてあげるのね」

「こ、子供は……少し、凄く苦手だ」


 クスリと笑う灯の運転で、トレーラーは基地の敷地内を走り出す。

 助手席で開けた窓に肘を遊ばせ、その上に顔を置いて級は流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 仮初かりそめの平和にまどろむ第二皇都、廣島。

 次元転移の発光現象が観測されたとはいえ、街の市民たちに目立った動揺も混乱もない。

 この街が、この国が戦火に燃える時、自ら紅蓮の炎へ飛び込む覚悟はある。だが、普段の治安維持出動では感じぬ胸騒ぎに、級は落ち着かぬ気持ちをそよがせていた。

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