第162話「四月の雪に咲く花」

 あの日からずっと、ナオト・オウレンは苦悩の中で藻掻もがいていた。必死で足掻あがいて、闇の中を彷徨さまよう……しかし、コクピットの中で自分を追い込んでゆく程に、追いすがる黒い影が巨大になっていった。

 謎の黒いトールとの戦い、そして敗北。

 それはナオトに、見えない傷を無数にきざんでいたのだった。

 そんな彼は今日も、皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこうの敷地内を格納庫ハンガーへと向かう。


「ん? 騒がしいな……歩駆アルク君や佐助サスケ君の声もする」


 こちらの地球に来るのは二度目だが、春だというのに外には雪がちらついていた。

 なんでも、パラレイドと呼ばれる謎の侵略者との戦いは、地球自体の環境にも影響を与えているらしい。度重なる戦略兵器級の攻撃は、大地を消し飛ばし、山脈の形を変え、地軸すらゆがめているという。

 それでも、銀世界の春に少年たちの声が弾んで響いていた。

 そっと格納庫の中をうかがうと……そこには、小さな奇跡が芽吹いているのだった。


「よーし、作業終了だ! 統矢、早速試運転と行こうぜ!」

「なんか、ツギハギだらけの包帯ミイラみたいになっちまったな」

「この、アンチビーム用クロークだっけ? 羽織はおって隠せば大丈夫じゃん?」


 ナオトは目を見張った。

 あの大破し擱座かくざした機体が、完全とはいかぬまでも稼働状態まで修復されている。それを実現したのは、同じリジャスト・グリッターズの少年少女たちである。

 こころなしか、あの摺木統矢スルギトウヤも今日だけは表情が柔らかい。

 殺意と復讐心に凍っていた彼は、どこか照れくさそうにコクピットへ上がる。


「あの状態から修理して、もうこんなに……凄いな」


 思わず口をついて出る独り言。

 ナオトは素直に感心したし、子供たちの強い団結の力を見て感動もした。

 あの機体は確か、パンツァー・モータロイド……最新鋭の97式【氷蓮ひょうれん】。初めてこちらの地球に次元転移ディストーション・リープさせられた時、ナオトたちの隊長であるバルト・イワンドに銃口を向けてきた機体である。

 今、傷付き朽ちてゆくかに見えた機体が、微動に震えた。

 再び動力に火を灯して、その隻眼せきがんに光が走る。


「お、もうここまで仕上げたか……見ろよ、ナオト。なかなかにまぶしいじゃねえか」


 ふと気付けば、隣に仲間が立っていた。

 赤いジャージが嫌に似合う、天原旭アマハラアサヒだ。確か彼は、この学園で用務員の真似事まねごとをしているらしい。本人は暇潰しだと言っているが、身近な距離で少年少女を見守っていたのである。

 旭はいつもの野性的な瞳を、僅かに細めて小さく頷く。


「大したもんだぜ、まったくよ。なあ、ナオト?」

「え、ええ……彼らにはいつも、驚かされてばかりですよ」

「子供ってなあ、可能性のかたまりみたいなもんだからな。俺ぁメカは乗るばかりで、あまり整備や修理は詳しくない。けど、ありゃどう見てもスクラップだったぜ」


 ナオトも先日、ちらりと見て同じ印象を抱いていた。

 そのことに関して、リジャスト・グリッターズの整備班長、唐木田カラキダも的確に評していた。本来であれば、あそこまで破壊された機体を修理する必要性を感じない。何故なぜなら、

 だが、すでくだんの【氷蓮】は、人型機動兵器である以上の意味を宿してしまった。

 一人の少女の死が、統矢に戦う理由を刻み込んだのだから。


「……なあ、ナオトよう。まだ、びびってんのか?」

「な、なにがですか? 自分は」

「リーグ中尉やルーカスの奴も、心配してんだ。勿論もちろん、バルトのおっさんもな」

「俺は……自分が不甲斐ない。トールに乗って戦う以外、俺にはなにもないというのに」


 フム、とうなって旭が鼻から溜息を逃した。

 ナオトには、軍に入隊する以前の記憶がない。そして、そのことを悩んだりしてこなかった。エークスとゲルバニアン、二つの超大国が地下資源を奪い合う戦争で、その余裕がなかったのも事実である。

 ナオトは現実の今を生きてきた。

 トールのパイロットとして、戦士として。

 仲間とのきずなも、生き甲斐や生きる意味も、鋼鉄のコクピットの中にあった。

 だが、今の彼は心を暗い闇に侵食されているのだ。


「怖い……そう、恐ろしい。俺は、あの黒いトールが恐ろしいですよ」

「それでいいと思うんだがな。俺だっていつも怖いぜ。戦いも、敵も……虎珠皇こじゅおうもな」

「旭さんでも、ですか?」

「おいおい、俺をなんだと思ってんだ?」


 笑う旭に、バン! と背を叩かれた。

 この不思議な男は、誰からも兄のように慕われ、頼られていた。こう見えて面倒見がいいし、ワイルドな言動には強力な求心力が見え隠れする。そして、粗野で豪胆かと思えば、繊細で心優しい一面を秘めているのだ。

 自然と気付けば、ナオトは苦しい胸の内を吐露とろしていた。

 それを決して笑わず、旭は言葉を選んでくる。


「恐怖を感じない奴ぁ、無敵だ。だが、そんな強さはむなしいだけさ」

「虚しい、ですか?」

「普通は、戦いは怖いだろ? それは、負けて失うもの、負けたら守れねえものがあるからさ。負けられない理由があれば、無敵じゃいられないが……それが、強さだと俺は思う」

「……確かに。では、俺にも? 俺の中にも、そうしたものが」


 にわかには信じられないが、説得力はある。

 そして、ナオトは思い出した。

 この旭という男は、ナオトたちが戦争をやってるその下で、家族も仲間も皆殺しにされたのだ。自分さえも殺された上で、訳のわからない連中によって改造されたのである。こうして並んでいると普通だが、その肉体は既に人間ではない。

 ふと、ナオトは今まで考えてもみなかったことに気を取られる。

 果たして、DRLとは? 何故、あの希少金属を人は血眼ちまなこで奪い合うのか?

 そして……人ならざる者たちは、DRLのために非道を繰り返す。


「なあ、ナオトよう。おびえる自分を取りとりつくろうのは、もうやめようぜ?」

「し、しかし」

「死にたくない、怖い。だから生きて生き残る。そのまま生き抜いてやれって、思う。それは、俺たちが言葉ではなく行動で示してくのさ」

「……彼らのために、ですか?」

勿論もちろんだ。それに、なにより自分のためにな」


 今、格納庫にメカニカルな金切り声が響く。

 ゆっくりと、鋼の巨人が立ち上がろうとしていた。

 開けっ放しのコクピットは今、ハッチの上に一人の少女が立っている。機体から排熱される熱風の中、長い黒髪を遊ばせながら……彼女はコクピットの統矢と言葉を交わしていた。確か、この学校の生徒で五百雀千雪イオジャクチユキという名だった気がする。

 むずがるような駆動音を刻みながら、ゆっくりと【氷蓮】は立ち上がった。

 その姿は、重傷の敗残兵にも見えて痛々しい。

 応急処置用のスキンテープで、装甲の損傷を繋ぎ合わせた、いわばかろうじて動く程度には処置が済んだ状態だった。


「おお、やったぜ!」

「みんな、お疲れ様! これにて修理完了、だねっ」

「ふひー、疲れた……いやしかし、あの状態からよく直ったよな」

アカリちゃんせんせー! このあと、打ち上げ行きましょうよ! みんなで!」


 子供たちの顔には、明るい笑みが浮かんでいた。

 兵器の修理、それは次なる戦いへの準備でしかないのかもしれない。だが、それを協力してやり切った少年少女の笑顔は、今のナオトには眩し過ぎた。

 彼らもまた、恐怖を胸に沈めて戦っている。

 この場にいない誰もがそうで、いなくなってしまった彼もだろう。

 自然とナオトの脳裏に、命を賭してリジャスト・グリッターズを守った男の面影おもかげがよぎった。


「あの黒いトールは、俺に恐怖心を植え付けた……いや、思い出させた。そして、シナの死はその傷をえぐって広げたんです。そして、今もんで出血している」

「でも、その痛みは生きてるあかしだ。生きているから、悩むし、怖いし、それを乗り越える力だって湧いてくる」

「俺にも、それができるでしょうか」

「さあな。できるかできないかは、俺にもわからねえよ。ただ……お前はやる、やろうと何度も立ち上がる。喧嘩けんかと同じだ、何度倒れてもいい。最後に立ってりゃいいんだからよ」


 それだけ言って、旭は去っていった。

 その背中が、ナオトには不思議と大きく見えた。

 そして、怯える自分を前へと押し出す。

 丁度ちょうど、再起動した【氷蓮】の前では騒ぎが起こっているところだった。子犬みたいな小さな少女が、ややハスキーな声で叫んでいる。


「ちょっと、千雪! なんでアタシのストックしてある予備パーツ、勝手に使ったのよ!」

「兄様には……部長には申請済みで、使用の許可を得ていますが」

「アタシが許してないって言ってんのよ! なによ、リジャスト・グリッターズ? だっけ? 揃いも揃ってお祭り騒ぎ……バッカじゃない!」


 小さくツインテールに金髪を結った少女の、とがった言葉が無差別にばらまかれる。

 誰もがざわつき顔を見合わせる中、彼女は腕組み平坦な胸を反らした。そうして相手を見下みくだすようにすがめると、矮躯わいくから強烈な敵意をほとばしらせる。

 だが、それ以上にナオトが驚いたのは……【氷蓮】から満ち溢れる、殺気。

 凍れる花びらが舞い散るように、格納庫に暗く冷たい殺意が広がってゆく。


「……俺の……俺と、みんなの直した機体だ。文句あるのかよ」

「アンタね、北海道からすごすご逃げてきたってのは。ハン、こんなスクラップ直したところで」

「それ以上、喋るな……俺の邪魔をするなら、今すぐ潰す」

「いい度胸ね! すぐにアタシが屑鉄ジャンクにしてやるんだから!」


 統矢は豹変していた。

 この数ヶ月の間に、ナオトの知っている統矢はどこにもいなくなってしまったのだ。大切な仲間を失って、リジャスト・グリッターズの子供たちも動揺しているが……それでも、前を、上を向いてくれている。

 だが、統矢は暗い炎の中で己を燃やし続けていた。

 それは、復讐という名の黒い業火だ。

 そう思ったら、迷わずナオトは一歩を踏み出した。


「摺木統矢君! 久しぶりだね、ナオト・オウレン少尉だ」

「あ……? ああ、あんたはあの時の」

「修復されたその機体の、シェイクダウンを手伝いたい。一つ、模擬戦の相手に俺を使ってくれないかな」


 誰もが驚きの声を連鎖させた。金髪の少女がいの一番に、噛み付くように吠える。だが、それを静かに視線で制して、ナオトはもう一度同じ言葉を繰り返した。

 コクピットの中の統矢が、戸惑いながらもうなずく気配が確かに伝わるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る