第89話「獣醒、閃光を目指して」

 ようやく取り戻して、再び失いかけた自我。

 一人の少年を目の前にして、天原旭アマハラアサヒの意識は鮮明になってゆく。

 異形へとちた自分を見上げて、両手を広げる少年。


(そう、お前は……確か、真道歩駆シンドウアルク。そして、俺は)


 そう、真道歩駆だ。

 旭の故郷である鉱山都市こうざんとしに連れてこられて、打ちひしがれながら無為むいに過ごしていた少年である。それを救い、旭は人間の生きる意味を思い出させてやった。

 そんな大それたものではないが、知ってほしかったのだ。

 家族や仲間と一緒に、飯を食う。

 笑って泣いて、明日また生きていく。

 それだけのことでも、人間は自分の尊厳そんげんを支えに生きていける筈なのだ。


(へっ……うた子に教えられ、って奴かい? だが、俺ぁそんな上等な人間じゃない。そう……人間じゃあないんだよ、歩駆)


 だが、みにくい八本脚のバケモノになった自分へと、歩駆は迷わず近付いてくる。

 生身をさらして、目の前で見上げてくる。


「旭さんっ! 旭さんなんだろ? 俺は、俺にはわかる! なあ、どうして……いや、どうしたらいい? 教えてくれっ! 今度は俺が旭さんを助けたいんだ!」


 歩駆の言葉に、黒き竜のマシンが止まった。

 歩駆を連れてきた昆虫のようなマシンも同じである。

 無力な少年の勇気ある行動が、暴力の連鎖を止めたのだ。

 そして、旭は思い出す。

 歩駆は無力などではない……きっと何かを取り戻したのだ。まだ手が届いていない何かへと、駆け出すために歩き始めたのだ。


「ウ、ガ、ガ……カハァ、ハァ……!」


 言葉が出てこない。

 すでに人間の肉体を失った旭は、人の言葉を発音することができなかった。

 それでも、たかぶる気持ちを声に乗せる。

 みなぎり満ちてくる感情のままに叫ぶ。


「オオオオオオオオオオオ!」


 その時、背後で鋼鉄の床がえぐれてぜた。

 突然、足元の地面から巨大な闘気の塊が生えてきたのだ。

 それは、振り向く旭の前に威容をさらす。呼応するように、前方では黒き竜がうなりを上げていた。そして、そのたけすさぶ覇気が虎を呼ぶ。

 そう、虎だ。

 両の腕がとがって、高音域の金属音をかなでながら回転している。

 その巨躯きょくは、正に虎……人の姿へと立ち上がった虎だった。

 そして、腕のドリルが回転を止める。


(な、何だ……こいつぁ、採掘用のドリルなんか比じゃねえ! なんて音で空気を混ぜやがる……!)


 旭が驚いている、その一瞬で虎は吠えた。

 ビリビリと周囲を震わす咆哮ほうこうと共に、背を逸して天へと絶叫。そして、虎の巨人は両腕のドリルを旭へと突き入れる。

 激しい痛みと共に、さらなる甲高い金切り声をドリルが歌った。

 己の中を掻き回される感触に、意識が激しく揺さぶられる。


(な、何が……何が起こって、やがるッ!)


 身体が獣としての防衛本能に支配される。

 抗うようにして逃げようと、八本の脚が蠢く。

 だが、黒い竜のマシンが旭を押さえ込むように固定してきた。

 そのことで、虎のドリルがより深くへと貫き……真芯ましんを捉える。

 そして旭は、人の姿を失う中で消え行く、DNAの奥底へと沈む自分に触れられた。激しい回転で血肉をけながら、虎の手が天原旭という人間の遺伝子を掴んだのだ。

 そして、脳裏に雑多なイメージがはじける。


(こ、これは……!?)


 明滅めいめつする無数の宇宙が、生まれては消え、また生まれては消えてゆく。

 その営みは、恐らく人間という名の銀河の輪廻りんねだ。

 そして、意識だけの存在となった旭は、虚無きょむ深淵しんえんへと吸い込まれた。

 闇さえ見えない暗黒の中、全ての終りと始まりとが混じり合う混沌こんとん……その中で、光を見る。二つの光が、互いに呼び合うようにして近付き、結ばれようとしていた。


(あれは……女!? いや、ガキだ……まだ、小さな……メイくらいの、女の子だ)


 裸の少女の、白い肌が光っていた。

 互いに手を伸べる二人の少女。

 双方はそれぞれ、右と左とにだけ、背に翼がある。

 互いが相手の片割れであるかのように、比翼ひよくと比翼とが手を取り、混じり合う。

 徐々に少女達は、細く長く伸びて人の姿を失っていた。


(待ってくれ! なあ、比翼の巫女みこなんだろ! ……今、俺は比翼の巫女と? それは)


 二筋の光となって暗闇に伸びてゆく光は、互いに螺旋らせんを描いて絡み合った。

 それはまるで、二重螺旋のDNAだ。

 そして、互いに捻り合わさりを描きながら、徐々につむがれ尖ってゆく。

 それがドリルのようだと思った瞬間には、旭は一瞬でバケモノの肉体に戻っていた。そして、自分の中へ深々と刺さるドリルが逆回転を始める。

 虎はそのまま、力尽くで旭の本質にして根幹、旭そのものを引き抜こうとしていた。


(そうか……俺を助けようってのか? お前は……虎珠皇こじゅおうは!)


 先鋭化した旭の自我と意識が、瞬時に理解した。

 この虎の巨人は、虎珠皇。

 今、ドリル獣というバケモノにした旭を、その異形の中で再構成しようとしているのだ。回転が生む遠心分離の力で、遺伝子レベルまで一度分解し、余分なものを消し飛ばす。

 そこに加えられてゆくのは、DRL……あの超物質DRLだ。

 旭はここにきてようやく理解した。

 あのエークスとゲルバニアンが、何故DRLを奪い合っていたのか。どうして小さな鉱山都市を巡って、長らく全面戦争を続けてきたのか。


(俺は、生まれ直すのか……DRLの力は、肉体を失った魂に……おいおい、人様をそうやって、バターみたいに……こねて回すんじゃ、ねえ、よ……)


 巨大な怪物としての感覚が、音を立てて切り離されてゆく。

 不純な要素が削ぎ落とされる中、どろりとゆっくり自分が固まってゆく。

 水分を飛ばしたことによって固まる、濃厚な油脂のように凝結してゆく。

 そして、虎珠皇がゆっくりと手を引き抜いた。

 核となる旭という因子を失い、崩壊するドリル獣の中から……旭自身が人間の肉体で復活を遂げた。目を明け見上げれば、うなる虎珠皇が瞳でうなずいている。

 今、この虎珠皇は自分を求め、望んだ。

 それだけがはっきりと旭には理解できた。


「あっ、旭さん! 無事ですか……よかった。よかった、よかったですよ! 俺は、もう、もう……どうしたらいいか」

「ほらっ、歩駆っ! こんなとこでへたり込まないで! まだ終わってない! 始まってさえいないんだから。さ、脱出よ!」


 かがむ黒い竜から、神塚美央カミヅカミオが飛び降りてくる。

 彼女はまるでしり蹴飛けとばすような勢いで、涙ぐむ歩駆を仲間の機体へと追いやった。

 そして、徐々に響く地鳴りの中で旭を見上げてくる。


「……よぉ。美央ちゃん、だったよな?」

「やっぱり、旭なのね。どういう訳かは知らないけど……あんた、天原旭だと思うよ。私も」

「だよな? ああ……そうだ。俺はまだ、死ぬことも堕ちることも許されねえ。俺自身が許しちゃいなかったんだ。それを、こいつが思い出させてくれた」


 そう言って、再度虎珠皇を見上げる。

 黄色と橙色の虎は、まるで旭を導くように胸のハッチを開く。

 そして、思い出したように顔を赤らめ、美央もそっぽを向いて愛機へ走り出した。


「のっ、乗れっていってるんじゃないの! 脱出するわ、早く乗って! ……あと、隠して! はっ、はっ、裸なんだから!」


 美央のかわいらしい悲鳴で気付いたが、旭は一糸まとわぬ全裸だった。

 ニヤリと口元をゆがめて、旭は虎珠皇のコクピットへ飛び込む。

 まるで鼓動が聴こえてきそうな程に、不思議な温かさで満ちた操縦席だ。導かれるように中央へ蓮華坐れんげざに座れば、不思議と虎珠皇の全てが脳裏に流れ込んできた。

 四肢を形成する筋肉とけん、厚い装甲に包まれた神経と骨格。

 まさに、人機一体じんきいったい猛虎もうことかした旭。


「っし、行くぜえ……俺はまだっ、死なねえ! ……ゴメンな、明……親父、おふくろ。生まれ直したこの身に意味があるなら、その意義を俺は確かめるっ! そして、そしてェ!」


 美央達が上へと脱出する、その小さな縦穴をこじり開けるように跳躍する。

 再び両腕はドリルとなって、咆哮と共に進む先へと掘り始めた。

 身も心も虎珠皇と一つになる感触の中、旭は宣言する。

 宿命へ向かって、宣戦布告する。


「絶対にお前達のかたきを取るッ! その無念を晴らして、続く業苦ごうくの連鎖を断ち切る!」


 先行する美央達の機体を追い抜き、獰猛どうもうなまでの爆発力で旭は地上を目指す。

 すぐに助けてくれた美央達の機体から通信が入った。


『繋がった! ちょっと、旭! 派手に掘り過ぎてる、周りにはまだ殺気のバケモノがいるかもしれないのよ?』

『歩駆っ、しっかりつかまってろ! って、姐さん!? さっきのドリルロボが!』


 どこまでも突き抜けるような一体感で、世界を上へと潜行せんこう……穿孔せんこうしてゆく。

 向かう先に、輝きせんこう……閃き広がる光。

 不意に虎珠皇の両手が、虎の爪になった。それで旭はさとる……新たな相棒が、よじ登れと言っていると。掘り抜けた先で、自分の腕力で己を打ち出せと……そう言っていると感じるままに、筋力で己を光の中へ飛び出させる。


「これが……これが、空! これが世界かっ! 虎珠皇!」


 天にえる。

 今、旭は青空の下にいた。そして、世界の全てに接していた。装甲越しに感じる空気でさえ、どこかこもって息苦しい故郷とは違う。

 だが……ゆっくり地上へ降り始めた虎珠皇と旭へと、強烈な殺気が向けられたのだった。

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