Act.04「灼けた砂海を征く者」
第19話「己の誇りを翼に問えば」
昨日までの砂嵐が嘘のような、快晴。
雲ひとつない
西暦2097年、地球上からほぼ全ての空軍が消えてしまった。
パラレイドと呼ばれる謎の侵略者が、光学兵器による絶対対空戦闘力を有していたからである。しかし、心に翼を持つ者たちは飛び続ける……そして、基本的に陸戦無人兵器群とされるパラレイドが、空の戦場をより高い高度へと押しやっていた。
今でも空は、宇宙との境目で飛行戦艦が絶対戦力とされる戦場だ。
『ヒバリ2、っていうかヴァーミリオン? 目標発見。二時の方向……流石に大きいわね』
自分で名乗っておきながら、僚機の
トップエースだとは名乗らぬ控え目な自己主張が、彼女の性格そのものだ。
「こちらヒバリ1、肉眼で確認した。あれか……
『パラレイドだと思う? アイオーン級やアカモート級でないってことは、もしかしたらセラフ級かもしれないけど』
「あれがパラレイドなら、今頃俺たちはビームで蜂の巣さ」
『違いないわね。それより……サクラってTACネーム、嫌? 私が考えたげよっか?』
軽口での提案を
――AX-15、
亮司に与えられ、サクラの花びらをパーソナルマークとする試作機だ。正確には先行量産機とも言えるが、
空を追われながらも、人は翼を捨てることはできない。
そう言ったのは確か、ネメシア・J・クリーク……人型機動兵器の第一人者で、パラレイド出現後の刷新された世界での空軍力強化に尽力した人物だと亮司は記憶している。
そんなことを考えている間も、徐々に眼下の構造物は降下する程に大きくなっていった。
『大きいわね……目算でも300m以上あるわ、これ。しかも、人型をしている』
「雪梅、周辺監視。俺はあいつに降りてみようと思う。どこかに甲板らしきものでもあれば――」
『ヴァーミリオン、了解。あ、ほら……あそこに降りろってことかしら? 冗談キツいわね』
徐々に眼下に大きくなってゆく巨大人型構造物の、その右腕がゆっくりと持ち上がる。まるで天をも掴む神話の
まるで、ゆっくり降下する亮司の神柄へ手を伸べる赤子のようだ。
だが、神柄は春風に舞う蝶などではない……全身を火器で武装した兵器なのだ。
亮司が慎重な操作で機体を安定させていた、その時だった。
不意にパイロットスーツのヘルメット越しに、雪梅の叫び声が響き渡る。
『敵機直上、太陽の中! 亮司、避けて!』
その声と同時に、狭いコクピット内にアラートが響き渡る。ロックオンされた瞬間にはもう、亮司は神柄を
咄嗟に回避運動を取った亮司は、擦れ違うように急降下で熱砂に吸い込まれる機影を見る。
それは、かつて大空を支配した
「クッ、制空戦闘機……いや、
『ヒバリ1、亮司っ! 今、援護を! ……速いッ!?』
正体不明の巨大人型構造物をなぞるように、その影は真っ逆さまに地上へと落ちてゆく。そして、砂煙を巻き上げるや……変形した。
そう、完全な戦闘機の姿を脱ぎ捨て、複雑なフレームと装甲の分割移動で人の形へと持ち上がったのだ。スラスターの光を煌々と灯して、完全な人型機動兵器へと変形して滞空、同時に上昇しながら再び航空力学の塊へと変身、変貌する。
その間、僅か数秒。
変形に至っては、一秒も掛かっていない。
「どこの所属だ?
こちらを牽制するように空を裂く強襲可変機は、そのコクピットから発光信号が発せられていた。自然とその声なき言葉に従うように……というよりは、導かれるように亮司は無線を
次の瞬間、耳元に少年の声が飛び込んできた。
そう、まだ子供……自分よりずっと若い男の子だ。恐らく、亮司が初めて軍で飛んだ頃とそう変わらないだろう。ティーンエイジャーの声は荒々しい息遣いの中に、熱っぽい言の葉を並べてきた。
『見つけたぞ……サクラ! サクラ付きのパイロット!』
「君は……ッ、ハァー! クゥ!」
急制動で機体をコントロールする亮司は、喋る言葉に呼吸を奪われる。
機体の四肢で雲を引いて逃げる神柄の、その背後を取った敵機から再びロックオン。だが、どうやら相手はミサイルの類で決着をつけるつもりはないようだ。
浴びせられる機関砲の火線が、一秒前の亮司を蜂の巣にした。
背後にピタリと張り付いた強襲可変機もまた、同じGで
『ッ、ハーァ! 俺は……俺はお前を、探していた! サクラ付き!』
右に左にと回避運動を続けつつ、亮司は素早くデータベースに敵機を照会する。返答を待つまでもなく、これだけの戦闘機動を可能にする機体とパイロットはそうはない。自然の亮司の脳裏に、一人の人間が浮かび上がった。
それは、極東の空を支配した
飛行戦艦の高高度と、パラレイドの低空領域に挟まれ圧縮されてゆく空に生まれた、魂に翼を持つ者たちの希望だ。その男はまだ年端もいかぬ少年で、こんな時代に空で生きることを選んだという。
亮司はセンチメンタリズムには動じず共感もしないが、奇妙な親近感は感じていた。
そして恐らく、今という御時世に空を飛ぶ全ての者たちがそうだろう。
「EYF-X! なんてこった、最新鋭機じゃないか。となれば……お前はっ!」
大きくループを描いて空へと駆け上がり、同時に亮司はプロペラントタンクをパージする。加速する背後で、まだ燃料が残っていたタンクは機銃の一斉射を受けて爆発した。
その爆煙を利用して、神柄が抜刀と同時にターンを決める。
たちまち攻守は逆転し、目の前に敵機のベクタードノズルが迫った。
間違いない……ステルス性を考慮された尾翼配置に、変形機能を兼ねた可変機構を持つ主翼。最新鋭の強襲可変機、EYF-Xだ。資料で見たことはあるが、亮司が実物を見るのは初めてである。
「……お前がクーガーか」
『そうだっ! ようやく見つけた。探していたんだ、サクラ付きっ!』
「どこに属している? 誰がお前を雇った」
『俺を今、駆り立てるのは……俺自身だ。他の誰でもない、俺個人だ!』
EYF-Xが加速で引き剥がそうとしてくるので、亮司もスロットルを開いてブースターの推力を絞り出す。シートに身を沈めて押し付けられながらも、ジリジリと迫る敵をレティクルに捉えようとした。
神柄の手にはもう、抜刀したレーザー銃剣が光の刃を灯していた。
携行する銃身へと着剣する時間はない、このまま……亮司の周囲を流れる体感時間が、どこまでも引き伸ばされてゆくかのような錯覚。スローモーションで回避運動に揺れるEYF-Xが、ゆっくりと近付いた。
『俺は……あんたに会いたかった。サクラ付きっ! お前は知ってる
「軍の機密に抵触することに関しては発言できない。余裕だな、クーガー」
『答えろ、サクラ付きっ! ……教えてくれ。あんたは……どうして空を飛んでいられる!』
――あんたは……どうして空を飛んでいられる!
その言葉が頭の中で響いた時、亮司は即答する言葉を持ち得なかった。
一瞬言葉を迷った瞬間、目の前でEYF-Xが機種を持ち上げる。
「コブラ機動? 古い手をっ! しまった、エアブレーキ!」
ほぼ直立に近い形で減速したEYF-Xが、失速することなくそのまま変形する。人型へと姿を変えたEYF-Xを、流れる空気の対流が包んで押し返した。
あっという間にEYF-Xが後方へと飛び去ってゆく。
追い越す形になってしまった亮司は、冷静な判断で着剣と同時にダイブする。
背後に追いすがる送り狼のように、肉薄する敵機からの声は続いていた。
『みんな、降りていった。ある者は撃墜され、またある者は戦場を
「……それで?」
『あんたはまだ飛んでる! あんたらは! 各国のエースを集めた、この星の最後の飛行隊。第101統合戦闘群……教えてくれ。あんたらはなんのために飛ぶ』
「そういう話か……青臭いが嫌いではない。だが、一度牙を
『……そうか、そうだな。ありがとう。クーガー、了解。貴官を撃墜する』
「ヒバリ1よりヒバリ2へ。TACネームで呼び合うか、そろそろ統一した方がいいな。暫く空に誰も近付けないでくれ。……エンゲージ!」
背後に張り付く影のようなEYF-Xを連れて、神柄が増速で風となる。
浴びせられる機銃の光の中で、亮司は言い知れぬ高揚感に熱くなる自分が不思議だった。
何故、飛ぶのか? その問を今まで、感じたことすらなかった。
人類同盟に参集した日本皇国の軍人として、アジアでは中華神国との共同戦線で戦ってきた。ハルピンの魔王とまで呼ばれるほどの、
それでも、
クーガーと呼ばれる少年が言うように、世界は空を失っている。
既存の航空兵力による戦術論は破綻し、制空権などという言葉は過去の概念だ。それでも、亮司は飛ぶ。何故かと自らに問うことすら忘れて飛び続ける。
「いい腕だ、だが……!」
巨大な人型構造物へと、その足元へと落ちるように亮司は神柄を操る。
クーガーの駆るEYF-Xは、全く乱れた挙動もなく背後へピタリとついてきた。
「曲芸を見せろというなら、期待に応えるのはやぶさかではない……極限のサーカスを見せてやる。お代はお前の生命で払ってもらうぞ!」
立ち尽くす巨人は、再接近で見ればやはり人の作った被造物だ。あちこちに対空機銃らしきものが突き出ていて、かなり口径の大きな砲も見受けられる。純然たる戦闘兵器に見えると同時に、この巨大さがなにを意味するのかがわからない。
だが、そびえる鉄巨神にそって飛べば、荘厳な神々しさに言葉を失うばかりだ。
かつて人類が決別した神への
亮司は巨人の足元へとスラスターを逆噴射しつつ、その股をくぐって上昇に転じる。
「さあ、出てこい……お前の噂は聞いている。パイロットたちの都市伝説……クーガー。極東の悪夢と呼ばれた亡霊。一騎当千の謎の強襲可変機使い」
空へと背を向けたまま、後方へと全兵装を向けて神柄が上昇する。その機体を亮司は繊細な操縦で操りながら、沈黙したまま立ち尽くす巨人の肩へと着地させた。足元に気をつけて歩けば、人間の肩にあたる巨人のそこは、巨大な砲塔が鎮座している。
やはり、どうみても人の手による兵器、それも巨大な人型機動兵器だ。
「この砲は、48センチ砲か? もっと大きい……なんて
そう、艦だ。
さながら二足歩行の戦艦である。
改めて亮司は、自分たち第101統合戦闘群に下された密命を思い出す。現在、中東各国が攻撃している、次元転移によって現れた謎の巨大構造物を保護せよ。この中東では人類同盟に未加入の国も多く、二十一世紀初頭の混乱が未だ続いている。
そんなことを亮司は思い出しつつ、焦れて乾いた唇を舐める。
「……どうした、クーガー。俺を追ってこい。こいつの股ぐらから飛び出た時がお前の最後だ」
不思議と敵意も殺気も感じず、亮司自身からも湧き上がってこない。
まるでそう、互いの技量を確かめ合う模擬戦のような気持ちだ。そして、機種は違えど空に戦うパイロット同士、肌がひりつくような紙一重の攻防が心地いい。
クーガーと呼ばれる少年が自分に、同じものを感じて答を欲しているのが理解できた。
瞬間、レーダーが違う反応を捉えて警告音を響かせる。
それは動体熱反応ではなく、すぐ側に肉薄した金属反応だった。
「チィ! こいつ……このデカブツを登ってきたのか!」
『貰ったぞ、サクラ付きっ!』
機体を振り向かせた瞬間、敵機のブレードがかすめた。ギリギリで避けた一撃が、翻って返す刀で突きつけられる。
敵は……クーガーは亮司の位置まで昇ってきた……否、登ってきた。
亮司の待ち伏せを察知するや人型に変形、両腕と両足でこの巨人を登ってきたのだ。
繰り出されるブレードの斬撃の、その隙間へと亮司も銃剣のレーザー光を捩じ込む。そうして二合、三合と斬り結びつつ、両者は一斉に宙へと舞い上がった。
巨大な鋼鉄の神が見守る中、逆方向へと離脱した二人が天空へと
大きく弧を引いてループする中で、ブラックアウトが亮司を襲う。スーツが反応して血の逆流を押し留めているが、それでも狭くなってゆく視界に奥歯を噛み締めた。
このループが頂点で交わる時、互いに正面のポジションで攻撃すれば……どちらかが火だるまになって爆散するだろう。
「最後に、ッハーァ! ンッッッ! 教えて、やるっ! クゥゥゥゥゥガァァァァァ!」
『その答を……俺は、ッッッッッア! 待っていた! さあ、答えろ……サクラ付きぃぃぃ!』
「俺が飛ぶのは、俺たちが飛ぶのは! それは……」
その瞬間だった。逆さに映る天と地との
逆宙でのループで交差する二機が、互いへ向けた武器に攻撃を命ずることはなかった。それは、亮司の耳に雪梅の声が突き刺さるのと同時だった。
『二人共! 対空ミサイル多数! 足元の巨人からじゃない……避けて!』
そして亮司は見る……真っ直ぐこちらへ突っ込んでくるクーガーの、その背後に白い尾を引く無数のミサイルを。そして恐らく、奴にも自分の背に同じものが見えているだろう。
一秒が何千にも何万にも小さく刻まれてゆく中の、その一つ一つが無限にも思える刹那。
決断を下した亮司が全兵装を解放、瞬く間にミサイルを次々とロックオンして叩き落とす。
同時に、神柄の背後でも無数の爆発が連鎖した。
自分と同じことをクーガーがやって、自分に追い
二機はそのまますれ違い、一瞬の交錯で亮司は見る。ヘルメットのバイザーをあげてこちらを見たのは、やはり少年……極東一の強襲可変機使いは、年端もいかぬ子供だった。
そして二機は、互いが撃墜したミサイルの爆煙を突き抜けて離れた。
「……聞こえるか、クーガー。俺と同じ判断を下したな。この勝負、預けるぞ……お前が答を求めて、それを俺の中に探すなら、それもいいだろう。全ては生き延びてからだ」
『ユート……ユート・ライゼスだ。今、少しだけわかった……飛ぶ理由、飛び続ける訳……そんなことじゃない。俺が、飛んでいたいのが何故か……わかった』
「なら、あとで答え合わせといこう。俺は悪いが、身も蓋もないことしか考えてなくてな。この空で戦う全てを黙らせ戦争を終らせる。平和になるまで……ちょっとクサいか?」
『いいや、ちっとも。誰が笑うんだよ、そんな……そんな言葉を』
第二波のミサイルが打ち上がる中を、亮司は回避運動に歯を軋らせながら耐える。砂漠の海に今、無数の車両が大挙していた。砂嵐が収まるのを待って展開を始めた、中東連合の各国だろう。それは全て、目して動かぬ鉄の巨神へと向かっているのだった。
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