第124話「海を割る鬼神、空を裂く天使」

 リリスは眼前の光景に息を呑んだ。

 もはや、目の前にいるのは御門響樹ミカドヒビキであって、御門響樹ではない。

 自らを響鬼ヒビキと名乗る、過去から蘇りし戦士の亡霊だ。


「クッ、主様マスター! ……いかん、これでは……再び、神話が歴史を食い潰す」


 今、黒海の海原が真っ二つに割れていた。

 これぞまさしく、神の力……修羅しゅら羅刹らせつも滅ぼしほふる、鬼神の力である。

 海中を自在に動いていたザリガニ型のメカは、目の前でひっくり返ったままジタバタとハサミを動かしていた。

 こうなるともう、陸に上がった河童かっぱである。

 その敵機から、悲痛な声が広域公共周波数オープンチャンネルで零れ出た。


『まっ、まま、待った! タンマ! ワシの負けじゃ! 負けじゃから』


 だが、目を吊り上げる響樹は……いな、響鬼は声を凍らせる。

 まるで、煉獄れんごくの風がそのまま言の葉になったようだ。


「悪党がほざいてんじゃねえぞ……手前ぇは潰す! 今、ここで!」


 ぞくりとするような声だった。

 同時に、リリスは自分の中心が熱くなるのを感じる。

 これぞまさしく、建速須佐之男命タケハヤスサノオノミコト化身けしん……原初の益荒男ますらおえる声だ。その荒ぶる呼吸自体が、単純かつ抵抗不能な言霊となって空気を震わせてゆく。

 リリスは咄嗟とっさに理解した。

 無数の輪廻りんねを重ねて連ねた、自分の中の本能が、遺伝子が震えている。強い男を求める、女としての本質そのもののがよろこびを感じているのだ。


「じっとしてろよ……うおおおっ!」

「主様! これ以上は」

「黙って見てな。しゃべると舌ぁ、噛むぜぇ!」


 グイ、と強く腰を引き寄せられた。

 リリスのくびれたウェストに腕を回し、響鬼はそのまま強引に抱き寄せてくる。

 あらがえない程の力ではない。

 粗野に見えて、乱暴ではない。

 それなのに、リリスは間近に燃える瞳を見上げて言葉を失った。


「来いっ! アマノウズメ! タジカラオウ! ……まつれ、神楽かぐら! 開け、岩戸!」


 響鬼に呼応するように、スサノオンは両手を天へと突き上げる。

 何かをつかむかのように、指が震えて輝き出した。

 同時に、回線へと悲鳴が響く。

 それは、黒崎護クロサキマモル暁沙那アカツキサナの声だった。


『機体が……アメノウズメが、勝手に!』

『ブリッジ! 格納庫ハンガーを開けてくれ! 外から……なにか、強い力で引っ張られている!』


 あっという間に、頭上に二機のマシーンが飛び出してきた。

 なんと、響鬼がスサノオンを通じて、アマノウズメとタジカラオウを物理的に引き寄せたのだ。そして、光と光とが結ばれ、三機が一つに重なり合う。

 割れた海は今、その断面が逆流して天へと吸い込まれていた。

 無数に渦巻く海流の中に、無敵の鬼神が姿を現す。


顕現けんげん……鬼神っ、スサノオォォォォォ!」


 荒ぶる神がそびえ立っていた。

 鋼鉄の巨躯きょくは今、わずかに浮きながら全てを睥睨へいげいしている。

 ザリガニ型メカ、シーベットマイナーは身動きすら取れないようだった。そして、リリスもまた動けない。響鬼の腕の中で、おぼこのように震えることしかできなかった。

 だが、響鬼はフンと鼻を鳴らして見下ろしてくる。

 猛々たけだけしく荒ぶっているが、やはり邪気は感じない。


「どうだ、リリス……俺が、俺こそが! 鬼神に選ばれし男だ」

「……ち、違――」

「まあいい、見てな。今、こいつの力でっ!」


 ずしり、と鬼神スサノオが海の底へと降り立つ。

 だが、海中から飛び出した黒い影が、無力化されたシーベットマイナーを背にかばった。


「もうやめな、響樹っ! 敵は戦意を失ってる!」


 神塚美央カミヅカミオ神牙シンガだ。

 だが、鬼神スサノオは止まらない。

 この場の誰もが動けなかった。まるで時間と空間が凍りついたような、戦慄。あまりにも禍々まがまがしく、神々こうごうしい空気が戦場を支配している。

 だが、そんな中を旋律が突き抜けた。


「ン? これは……なんだ? リリス、これは」

「主様……これは、歌。どこから……おお、あの輸送機からかや?」


 静まり返った戦場に、歌がたゆたう。

 とても透き通った、澄み渡るような歌声。

 清冽なまでに清らかな、少女の歌が響き渡っていた。

 そしてそれは、ブレイライト・フライヤーが支える輸送機の中から聴こえてくる。そして、その声に聞き覚えのある人物たちが声をあげた。


『この曲……大ヒットナンバー、? まさか』

瑠璃ルリさんっ、知っているのか?』

『え、ええ。でも、どうして彼女がこんなところに……』


 どこか物悲しく、切なげで、そして力強い。

 哀切の念を込めた、とても綺麗な歌声だった。

 そして、徐々に響鬼の表情がやわらいでゆく。

 その瞬間を見逃すリリスではなかった。


「響鬼……数多あまた因果地平いんがちへいを超えていった、戦士たち。その、幾重いくえにも混ざり合う無意識の集合体がおぬしじゃ」

「リリス、俺は……」

「今は眠るのじゃ……運命は再び、御門響樹を選んだ。見守ってたもれ……終わらぬ戦いの終わり、終焉しゅうえんの神話より、永久に」

「……沙那、は」

「無事じゃ。今度こそ、われが守る。じゃから」


 突如として、鬼神スサノオが止まった。

 だが、その力は未だに海を両断している。

 状況が膠着こうちゃくする中、歌だけが静かに広がっていた。歌には敵にも味方にも、等しく響き渡ってゆく。だが、その波長がわずかに乱れるや、突如として破綻して切り裂かれた。

 宇宙戦艦コスモフリートのブリッジで、エリー・キュル・ペッパーが叫ぶ。


『これは……次元転移ディストーション・リープ反応、増大っ! 次元境界線じげんきょうかいせん歪曲率わいきょくりつが限界を突破します!』


 突如とつじょ、空を不気味な虹が覆った。

 オーロラのように、天が揺らめきながら七色に発光する。

 それを見上げて、リリスが絶句した時だった。

 自分を抱き締める声が、先程よりも柔らかくなった。


「うっ、俺はなにを……はっ、リリスさん!? いや、これは! 違って、その! やわらかい! じゃなくて!」

「主様? おお、戻られたか! それより、見よ……響鬼め、とんでもない置き土産みやげを」

「何だ? 空が逆巻く……天が割れるってのか!?」


 ――

 それは、空間を捻じ曲げ起点と終点とを結ぶ技術。現在の人類では、あちらの地球でもこちらの地球でも、実用化していない。唯一、トライアールと呼ばれる謎のロボット以外、人類に次元転移する力などないのだ。

 つまり……

 そして、味方でもないのだ。

 その恐るべき驚異の名は――


『高熱源反応! 動力パターン、照合……バハムート艦長! です!』

『数は!』

『数は……一機です! でも、本艦を上回る圧倒的なエネルギー量が』

『……スサノオンは、鬼神スサノオは』

『現在、割れた海の中で停止中……あっ、動きました! 鬼神スサノオが、空を!』


 そして、眩い光と共に死が訪れる。

 まるでそう、罪を罪とおも思わぬ人間に、罰を与える死天使してんしのように。

 次元転移の光が渦巻く中から、一機の人型機動兵器が現れた。

 瞬間、美央の声が緊張感と共に叫ばれる。


『あれは……バルト隊長! みんなも! 撤退よ……輸送機を確保しつつ、撤退! あれは、パラレイド……セラフ級パラレイドだ!』


 美央の声が、逼迫ひっぱくした緊張感に尖っている。

 光を背負って現れたのは、白を基調としたトリコロールカラーのロボットだ。大きさは18m前後と、特別なサイズではない。背には巨大な盾を背負い、手にライフルを握っている。頭部にはツインアイがけいと輝き、Vの字型のブレードアンテナがひたいに伸びていた。

 その姿に、鬼神スサノオが反応を示す。

 怒る魔神の眼光は、冷酷なる天使をにらんでいた。


「主様、あれは……ああ、ワシは、あれを……知って、おる。熾天使セラフおさ……メタトロン」

「リリス、しっかりしろ! ……スサノオンが、鬼神スサノオが言ってる。あれは、危険な存在だ。俺の中のなにかが、そう叫んでいるッ!」


 響樹はすでに正気に戻っている。

 そして、いつになく鬼神スサノオの出力は上がり続けていた。

 まるで、目の前のパラレイドに呼応するかのようである。

 リリスは恐怖した。惑星"アール"と呼ばれる地球を、混乱の中で滅亡へと追いやる敵……謎の驚異、パラレイド。正体不明のその正体、誰も知り得ぬ謎をリリスは知っていた。そう、聞かずとも覚えているし、見る前に記憶していた。


「そうかや、この星……惑星"ジェイ"の神兵とは……うっ!」


 リリスがメタトロンと呼んだセラフ級は、ゆっくりと鬼神スサノオの前に着地する。そのまま、身動きできないシーベットマイナーを抱えると、再びふわりと宙に浮いた。

 すかさず、鬼神スサノオがえる。

 その眼光をメタトロンもまた、睨み返した。

 鬼神と天使の視線がぶつかりあう中で、徐々に両者の距離は離れてゆく。

 最後に空へと昇って背を向けると、メタトロンは再び次元転移の光をまとって消えた。

 同時に、互いがついとなる抑止力であったかのように、鬼神スサノオの合体が解けてゆく。


「……行った、か。大丈夫か? リリス。顔が真っ青だ」

「へ、平気じゃ……それより主様は」

「なんか、また俺は変になってたのか? 確か前も、宇宙でジェネシードのタブって奴と戦った時に」


 大自然は、摂理せつりを思い出したかのように日常の空気を取り戻す。割れていた海が、轟音を立てて元に戻り始めた。

 味方の戦艦が追いついてくる中、スサノオンもアマノウズメやタジカラオウと共に宙へとゆっくり浮かび上がる。共に戦っていたアストレアも、激しく浸水したが無事のようだった。

 国連本部へ向かう旅路は、保護した輸送機と共にどうにか再開されるのだった。

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