第123話「激神絶唱、波濤は怒りに割れて」

 御門響樹ミカドヒビキは焦燥感にかられていた。

 リジャスト・グリッターズの一員になってから、水中戦の訓練も十分に受けてきた。御門晃ミカドアキラという弟分みたいな存在が、誰よりも熱心だったのもある。この部隊での同年代は皆、少年少女としての青春を少しだけ戦争にかたむけている。

 それも全て、守りたいもの、戻りたい場所があるから。

 響樹だってそうだったが、暗い水の底にいると息苦しさが込み上げてきた。


「これ、主様マスター! しっかりせよ!」


 同じコクピットに密封された、アカツキリリスのげきが飛ぶ。

 すぐ間近に、身を寄せてくる確かな体温があった。

 内海うちうみと言えど、その大きさは日本の本州に匹敵する。黒海の荒波に沈めば、調整されたコクピットの気温でさえ凍えるように冷たい。

 だからこそ、寄り添い叱咤激励しったげきれいしてくれるリリスが温かかった。


「わかってる! でも、水中じゃ……クソっ、スサノオンが重い! 理屈じゃわかってたが、この水圧と抵抗じゃ」


 シミュレーションでは、アキラを始めとする多くの仲間と、それこそ数え切れないくら特訓した。もともとが普通の高校生で、巨大な人型機動兵器ロボットとは無縁だった響樹である。

 それでも、ユート・ライゼスに一蹴いっしゅうされれば、不屈の闘志が燃え盛った。

 神塚美央カミヅカミオに背を押されれば、負けてられるかと意気込んだ。

 毎日が研鑽けんさん、そして切磋琢磨せっさたくまの日々だった。

 だが、暗い海の底は、積み上げてきた自信を飲み込んでしまう。


「とりあえず、美李奈ミイナを……アストレアを助けなきゃな! 待ってろ、今すぐ俺が」

「やれやれ、気負い過ぎじゃな」


 スサノオンは、太古の古き神々が生んだ、言うなれば神造兵器しんぞうへいき……突き詰めれば、神そのものである。だが、それを操る響樹は、まだまだ普通の男子高校生なのだ。

 だが、地球の危機は成長を待ってくれないし、逃避も許してくれない。

 だからこそ、どうしても響樹は焦ってしまうのだ。


「ヘルプダイバーが助けに来てくれた? あいつはヘルパーズの中でも水中戦のプロ……なら」

「なら、すべきことは一つじゃな」

「ああ! 美李奈を助けて、あのザリガニロボを倒す。その上で――」

「じゃから、一つじゃと言っておろう。どれ」


 不意に、ほおをリリスの髪がでた。

 鼻孔びこうをくすぐる甘い匂いを感じた、次の瞬間には……響樹はくちびるを奪われていた。

 突然、リリスはキスしてきた。

 行き交う吐息をといき分かち合う、永遠にも感じる一瞬。

 そっと唇を放したリリスは、うっそりとまぶたを開くと妖艶ようえん微笑ほほえんだ。


「落ち着いたかや? 主様」

「え、あ、お、おう……って、今なにを!」

「今なにを? おう、それよな、それ。今はまず、落ち着くが肝要。こうしている間にも、美李奈めは」

「あっ、そ、そうだ! 美李奈! 応答してくれ、美李奈!」


 頬が熱くて、顔から火が出そうだ。

 慌ててリリスから顔を背けると、響樹は回線の向こうへと叫んだ。

 だが、普段と同じ落ち着いた声が返って来る。

 どうやらまだ、真道美李奈シンドウミイナは無事のようだ。


『響樹さんですか? 大丈夫です、浸水は止まりました』

「浸水!? コクピットに水が!」

『ですから、大丈夫です。脱いだ制服で浸水箇所を塞ぎましたので』

「脱いだ! それって……痛っ! な、なんだよリリス」


 何故なぜかリリスに小突かれた。

 だが、危機を脱したにしては美李奈の声は逼迫ひっぱくしている。

 それが全て、自分へ向けられた心配だとすぐにわかった。


『残念ですが、敵はすでにアストレアを無力化……し、た……と判断――ようです。そちらに――』

「美李奈っ! クソっ、無線の調子が」


 すぐにリリスが耳元で教えてくれた。

 スサノオンは、神代かみよの時代に生まれた完全無欠の鬼神、その中枢としてまつられた神器じんぎなのだ。その能力は、操者次第では宇宙をも掌握しょうあくして全銀河をべる。

 そのスサノオンの通信能力が不調なのは、響樹が未熟だからにほかならない。

 面と向かって言われると、納得はできても気持ちのいいものではない。

 そう思った瞬間、激しい衝撃にコクピットが揺れた。


「ぐっ! 奴か……リリス、どこかに掴まっててくれ! 揺れるぞ! ……って、なあ!」

「じゃから、掴まっておる。ほれ、遠慮せずブン回さんか」


 ひざの上で、リリスが抱き着いてきた。

 肌で呼気を感じる距離だ。

 同時に、二度目の攻撃と共に勝ち誇った声が響き渡る。


『カカカッ! 大したことないのう! シーベッドマイナーの敵ではないわ!』


 初老の男の声だった。

 どうやら、シーベッドマイナーというのがザリガニ型ロボットの名称らしい。

 そして、水中ではスサノオンといえども、圧倒的に不利だった。

 懸命に防御を固める響樹だったが、次々と四方から連撃が浴びせられる。

 さすがの負けん気にもかげりが差した、その時だった。


『見ちゃいられねえな……どけ、小僧。鬼神の流儀、その覇気を……見せてやらぁ!』


 突然、頭の中に声が響いた。

 それは言葉をかたどってはいるが、まるでけだもの咆哮ほうこうだった。

 まるで自分が上書きしてゆくように、意識が薄れる。


「むっ、いかん……主様! 気を確かに持つのじゃ!」

「こ、これは……俺の、中で、俺じゃない、俺が……!」


 同時に、スサノオンが怪しい光を双眸そうぼうともす。

 神をも超える鬼の化身は今、獣の闘争本能を身に招いていた。

 あっという間に、襲い来るシーベッドマイナーを片手で掴んで押し止める。無造作に伸ばした腕だけで、力を込めた素振りも見せずに鷲掴わしづかみにした。


『なにぃ!? ワ、ワシのシーベッドマイナーが!』

「ぬりぃな……ぬるいんだよ、心底なあ! うおおっ、吼えろぉ! スサノオンッ! 今こそ神話を取り戻せ……神をも殺す力となれっ!」


 響樹とは違う自分が叫んでいた。

 同時に、周囲の海水が沸騰ふっとうしたように泡立つ。

 そして、信じられないことが起こった。

 抱きつくリリスの声も、心なしか強張って聞こえる。


「むっ、神話係数しんわけいすう増大……いっ、いかん! よすのじゃ、主様! これ! 御門響樹!」


 だが、応える声は荒ぶる鬼神そのものだった。


「響樹? 違うぜリリス……俺だ! そう、俺だよ。御門……御門っ、響鬼だ!」

「この間の! お主はスサノオンの中に沈んで消えたはずじゃ!」

「そうさ、数多の英霊と共に今も俺は戦ってる……こうして、手だって! 貸して、やるっ!」


 精神体として傍観者へ追いやられた響樹は、見た。

 黒海が、割れた。

 そう、スサノオンが立つ場所を中心に、海が真っ二つに割れたのだ。信じられない奇跡が、目の前に広がっている。そして、水を奪われたシーベッドマイナーに、もはや戦闘能力は残っていなかった。

 だが、文字通り陸に上がった河童かっぱごとき敵へと、怒りの権化ごんげとかしたスサノオンは吼えすさんだ。

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