Act.09「閉ざされし氷海に羽撃く者」

第49話「愛ある限り」

 レオス帝国の王宮、広がる庭園にアルズベック・レオス・ヴァルパーは目を細めていた。

 季節の花々が競い合うように咲き乱れ、樹木の枝葉は空を我先われさきにと奪い合っている。

 そして、彼の視線の先に一際美しい花が咲いていた。

 すでに妻として迎え、身も心も捧げさせた少女……世代陽与ヨシロシヨの笑顔がそこにはあった。既に城の者とも打ち解け、咲き誇る笑顔は大輪のはな侍女じじょたちと共に庭を歩く姿も堂に入っている。

 だが、不意にアルズベックは表情をけわしくした。

 それは、背後にただならぬ気配が澱むのと同時。

 振り向きもせず、アルズベックは放つ声をわずかにとがらせる。


「時と場所を選ばぬのが、貴公きこうの悪いところだ。無礼とは思わぬか」


 後に突然、壮年の紳士が現れた。彼はうやうやしくこうべれると、そのまま左胸に手を当て、心臓を捧げる忠誠の証を示す。

 アルズベックが鼻を鳴らすと、彼は面を上げて喋り出した。


「アルズベック様、御機嫌うるわしゅう」

「そうでもない。ニッポンのブライト・シティは、あまり面白くない話ではないか。どうなのだ? ソースケ」


 ソースケと呼ばれた紳士は、悪びれた様子もなく「左様さようで」と言葉を切る。

 この男、佐々総介サッサソウスケをアルズベックは全く信用していなかった。

 昨今、この暗黒大陸の各地を騒がせる神話生物の秘密を知る者。のみならず、列強各国が微妙なバランスで拮抗する現状を、まるで盤上のゲームのようにかき乱す者。正体不明の男だが、使いよう次第では有益だと思うから無礼を許している。

 アルズベックにとって、リスクは恐れるに足らぬものだ。

 コストは惜しむべきではないし、彼は全てにおいてその先を見据みすえている。

 生まれながらの覇王は、自分が勝利と定義した全てを得るために、あらゆる手段を講じて最善を尽くす。総介との付き合いも彼の中で完全にコントロールされていた。

 アルズベックは、池の橋を渡りながら極彩色の魚たちを見下ろす陽与を見詰める。

 その間も、背後の総介に決して気を許しはせず、鋭い言葉を突き立てた。


「ジェネシードとか名乗る連中、どういう者なのだ?」

虚空こくうの宇宙を流離さすらう民……かつてこの星を生み出し、自らの安住の地として定めた種族だと聞いております。そして、彼奴らが創生した星、地球は……二つ」

「私にもあの女は、キィとかいう首魁しゅかいはぬけぬけと言ってのけた。宇宙と呼ばれる星の海に、二つの地球。地球とは、この大地のことだな? その地球が、二つあると……どちらか片方をよこせと言うのだ」

「左様にございます、殿下」

「私はいずれ、あの絶氷海アスタロッテを超えて……暗黒大陸の外をも手中に収めるつもりだ。ならば、二つの大地を統べることになにを躊躇ためらうか。そうであろう?」


 首肯しゅこうを返す総介を、肩越しに振り還れば笑みが浮かんだ。

 怜悧れいりな微笑を湛えたまま、アルズベックは再び視線を庭へと戻す。

 その間も、完璧な所作で礼節をわきまえながら、総介は喋り続ける。


「リジャスト・グリッターズはブライト・シティにて、ジェネシードの一角、シフトと交戦……これを退しりぞけております」

「貴公がゼンシア神聖連邦の海軍と手配した、禁忌の産物が暴れたそうだな? しかし、それも失敗した。制御できぬ力は暴力でしかなく、兵器としては信頼性に欠く」

「しかしながら、全ては殿下の御采配ごさいはい……使い用で御座いましょう。ゼンシアは今回の一件で、海軍の強硬派に必ず動きが生じますれば。そんな国で、民のよりどころたる姫巫女ひめみこが不在となれば……」

「あの娘は、国へは戻らぬのか?」

「そういう手筈てはずでございます」


 ふむ、と唸ってアルズベックは脳裏に地図を広げる。

 国境を接するゼンシア神聖連邦は、広大な領土を誇る超大国である。その歴史は浅くとも、レオス帝国やエネスレイク王国とは規模がまるで違う。多民族の併合と吸収で成り立った国家は、スメルの姫巫女と呼ばれる存在が一繋ひとつなぎに纏めていた。

 逆を言えば、憂慮すべきはスメルの姫巫女ただ一人。

 彼女の善意と良心で結ばれた絆は、その影に多くの疑心と疑念を生んでいる。


「スメルの姫巫女……あのニッポンの伝説、比翼ひよくの巫女の子孫とされているが。民とはな、ソースケ。そうした世迷言よまよいごと、神話や伝承に弱いものだ。己のルーツを確かめる時、権力ではなく権威に縋りたくなる」

「比翼の巫女……その存在を実証する島が、存在します。

「ニホン? 内海ではないのか? ニッポンは」

「この暗黒大陸をニッポンの形にくり抜き、大地を西へと持ち去った者……それが、神代の太古にうたわれた、伝説の巫女。彼女は今のニッポンの形に取り出した大地を、島として浮かべました。それが、日本」

「この暗黒大陸ならば誰もが知るおとぎ話だな。だが、無視はできぬ。この物語は、私に告げてくるのだ……絶氷海に閉ざされたこの暗黒大陸から、外へと出てゆく……


 そう、外界より隔離されたこの暗黒大陸から、比翼の巫女は出ていったのだ。

 今はニッポンと呼ばれる都市国家群、巨大な内海を生み出して。

 識者の中には、比翼の巫女の存在を疑う者も多い。それが空想の産物で、過去の原始的な民の暮らしが産んだ幻想だと言うのだ。だが、アルズベックの気持ちは、否定されればされる程、確信を得て強固になっていった。

 超常の力で羽撃はばたき、その名の通り欠けた翼で絶氷海を渡った巫女は、実在したのだ。


「非実在の証明、という訳だ。そうだな? ソースケ」

「我らの世界では悪魔の証明とも呼ばれております」

「比翼の巫女とやらがいたと仮定すれば、全ての辻褄つじつまがあうが、物証がない。逆に、比翼の巫女がいなかったという証明もまた、難しい。彼女の為した偉業の全てを、彼女という特異点……そう、まさに特異点だ。特異点を用いずに全て立証せねばならない」

「それが誰にかないましょうか」


 小さく頷いて、アルズベックは再び思惟しいを庭園へと逃がす。

 そこには、美しき妻が水面に己の姿を映していた。

 彼女が手からえさをこぼすと、眼下に集う魚たちが我先にと波を立てる。透き通る水に映った陽与の姿は、泡立ち飛沫しぶきとなって舞う水の中にゆたんでいった。

 最近になってようやく、陽与は笑顔を見せるようになった。

 それも、己の身分を見極め悟ったかのような、慈愛に満ちた優しい笑みだ。臣下の中には彼女の存在を否定する者たちも多かったが、今は誰もがきさきとして陽与を認めている。他ならぬアルズベックが、己の選択が間違いでなかったことの証に満足していた。

 常に暗黒大陸の覇権、そして無限の野望に身を焦がす男、アルズベック。

 自ら灯した炎が、闘争心をあぶる中で、覇道へと彼を追い立てる。

 常人ならざる膂力りょりょく胆力たんりょくで、アルズベックはそんな状況の自分を楽しんでいた。そして、勝利と栄光へと向かう中での、一時のやすらぎすらも彼は手に入れたのだ。

 そんな彼の後で、総介が静かに言の葉をつむぐ。


「殿下、お優しい……実にお優しい顔をされております」

「フッ、笑うなソースケ」

「いえ……御身は戦いを求めて戦い、闘争を呼ぶ闘争に自らを駆り立てておいでです。まさに時代が産んだ寵児ちょうじ、選ばれし覇王。されど、あまりにんだ瞳がお優しい」

「……人は愛を知らねば、生きてはゆけぬ」


 そう言ってみて、アルズベックは我ながら陳腐な戯言ざれごとをと笑った。

 だが、背後の総介はアルズベックの言葉に黙って頷く。

 ――愛。

 求めても得られず、与えても無に帰す不思議な感情。しかし、得るためには与えるしかなく、求めるだけではなにも生み出さぬ概念だ。そして、人は愛を得ねば生きてゆけない。愛がなくとも死なないが、それは生きているとは言えないのだ。

 アルズベックは、それを理解していた。

 本能で知っていた。

 己が邁進まいしんする鉄血の覇道も、それを支えて寄り添う愛があればこそ。

 男は皆、女の愛で駆動する暴力装置だ。

 そう自分を定義して、自分に正直であるからこそ、アルズベックは民からも慕われ、臣下にも信頼されている。

 それは、真理とさえ言えた。

 だが、他者に話すのは総介が初めてだった。


「……笑わぬとはな。笑うにすら値せぬ、弱気な一面と思うたか?」

「滅相もない。私めもまた、愛を求める一人の男に過ぎませぬ」

「ほう? ソースケも、愛を……貴公に俄然がぜん、興味が湧いてきた。話せ」

「おたわむれを、殿下。人は皆、愛ゆえに争い、戦ってたたかい、失い得る中で生きてゆくもの。それがうたかたの夢であっても、その歩みを止めぬ者にしか愛は微笑みませぬ」

「それもまた真理だな」

「御意。そして、いずれ私の目指すところ……神理しんりへと繋がるでしょう」

「貴公の求める愛に栄光を。互いの求める勝利に愛を……誓おう、ソースケ。我は必ず、この暗黒大陸をたばねてつ。二つの地球の、どちらかを選べだと? 馬鹿を言うな! 二つあらば二つを得るのがわれの道、私の進む先だ。そうだな、ソースケ!」

おおせのままに、殿下」


 徐々に背後で、総介の気配が薄れてゆく。

 その声ですら、言葉の輪郭が不思議な反響を広げていった。

 この男が人外の御業みわざを使う存在だとは、アルズベックも知っていた。だが、その根源について詮索したことはない。無意味だからだ。ただ、有用な才能であるだけでいい……それをかして使うのが、覇王たる者の務めであり、宿命さだめ

 最後に総介は、二つの連絡事項を伝えてきた。


「先日の男、使える才の持ち主かと……帝国の機兵に、鹵獲した操御人形、そして新造するサーキメイル。どれも、必ずや殿下のお力になるかと」

「アイザックとか申したか。よき者を手配してくれた……礼を言おう」

「それと、殿下の懸念も調べておきました。御報告を」


 ピクリと、アルズベックの片眉が跳ね上がる。

 そして、それを察したかのように遠くで陽与が振り向いた。

 まるで、アルズベックの心の乱れを察したかのように、彼女が見詰めてくる。アルズベックは努めて平静を装いつつ、愛する妻へと微笑んだ。

 侍女や従者、警護の兵たちには美しい光景に見えただろう。

 異界より召喚され、后となった美しき少女、陽与。その不憫ふびんな身を寵愛ちょうあいしていつくしむ、偉大なる王の器……アルズベック。後世の歴史化は二人をたたえ、あらゆる叙事詩と物語が民草に娯楽となって満ちるだろう。

 だが、今この瞬間を生きる二人には、互いがなければ生きてゆけぬ切実さがあった。

 アルズベックは王の中の王、百獣の王ならぬ百王から選りすぐられた獣だ。

 故に、愛を求めて与え、得るままに分かち合う。

 そうして己の道を真っ直ぐ貫き、その先へと走るのだ。

 陽与を安心させている間も、消え行く総介の声は語り続ける。


「太古の昔、王機兵が退しりぞけし脅威……殿下のクルツィアを含む、十二の王機兵が戦った敵。それが、神兵。比翼の巫女が生まれて生きた時代、この暗黒大陸を包んだ騒乱の元凶」

「……なにかわかったのか? ソースケ」

「どうやら、リジャスト・グリッターズがパラレイドと呼ぶ存在が、同質にして同一の存在かと思われます。距離も次元も、……それが、パラレイド。殿下の父祖ふそたる皇帝たちが立ち向かった、恐るべき神兵」

「そうか。あいわかった、御苦労であった」


 最後に総介は、再度深々と頭を下げて消え去った。

 その頃にはもう、アルズベックは庭園の中へと足を踏み出している。

 かつて暗黒大陸全土を襲った、謎の存在……神兵。天変地異そのものとしか思えぬ、民と国とを引き裂き蹂躙じゅうりんした、まさに悪魔としか思えぬ存在である。それを討ち滅ぼして追い返したのが、十二の王機兵なのだ。

 その一つ、アルカシードを操り逃げ去った少年のことが、ふと脳裏を過ぎった。

 絶対の力を得て尚、逃げた少年を笑う者が帝国には多い。

 だが、アルズベックはその決断に今も警戒心がささくれ立つ。

 あの時、転移陣の反応と思しき光から、異界の機兵が現れた。否、機兵ではなかったし、操御人形やサーキメイルではなかった。集められた異界人の一人が、レヴァンテインの瞬雷シュンライだと叫んでいた。その機体を、一撃で天空の彼方へとほふった剛腕……覚醒せし、アルカシードの拳。

 それを得て尚、あの少年は戦火を交えることを選択しなかった。

 戦いと闘いで、全てを勝ち得て簒奪すると誓ったアルズベックには、理解しがたい。

 理解を拒む中で、しかし……かれる。

 捨て置けぬ存在と、なにかが警鐘けいしょうを鳴らすのだ。

 その少年が、后となった陽与の昔の恋人なのもあるだろう。

 それでも、アルズベックは今後の警戒すべき敵の筆頭に、リジャスト・グリッターズとあの男を……飛猷流狼トバカリルロウを見定めていた。


「フッ、今は雌伏しふくの時……牙と爪とを研ぐ時だろう。今はいい、まだいい……やがてくる鎮定戦争レコンギスタの時まで」


 歩み寄るアルズベックに、陽与が両手を広げて駆け寄ってくる。

 その華奢きゃしゃ痩身そうしんを抱き留めながら、ぬくもりと香りに沈む中でアルズベックは笑う。来る決戦の時を夢見て、見果てぬ夢に身を委ねて。

 この日、レオス帝国は正式にゼンシア神聖連邦に軍事同盟の締結を打診した。

 スメルの姫巫女が不在な中で、アルズベックの企みは着々と実を結んでゆくのだった。

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