第151話「四方草を揺らす暴風」

 時はしばし巻き戻る。

 激震に揺れて、爆発音。電源が全て消失したコスモフリートの艦内を、少女は疾走していた。その目には迷いも躊躇ためらいもない。ただ、冷たく燃える覚悟だけがあった。

 手にした銃の安全装置は、すでに解除されている。

 目標は今、検査のために医務室にいるはず勿論もちろん、監視を兼ねた護衛がいるのは承知している。それが旧知の仲であろうと、容赦はしない。

 撃鉄ハンマーを上げて、殺意を装填しながら走る。


「くそっ、どうなんってんだ!? なにが……おっ、いいところに来た、なあ! 今――」


 医務室の前には、ゼラトこと布勢主フセツカサが立っている。

 かなり驚いているようだが、顔見知りの少女を見てわずかに緊張を緩めた。

 その瞬間にはもう、少女は銃爪トリガーを引いていた。

 ゼラトは「っぐ!?」と、くぐもった声と共に崩れ落ちる。

 言葉はいらないし、感情などもう捨てた。

 怒りと憎しみ以外を、夜空の月に置いてきたのだ。

 医務室の扉を開けると、非常用電源でここだけは明かりが通常通りともっていた。丁度ちょうど船医のバウリーネ・ブレーメンが殺害対象を診察しているところだ。軍艦の船医だけあって、銃を持った少女を前にとっさに動く。

 彼女は銃声一つで二人を金縛りにした。

 攻撃対象の、驚きに満ちた声が静かに響いた。


「どうして……なにをしているのっ、ヨモギッ!」


 そう、彼女はいつもヨモギと呼ばれている。

 それはゲームでのハンドルネームで、本当の名前はリズ・ウェルチだ。

 ヨモギは硝煙しょうえんけむる銃口を、殺害対象……カグヤへと向ける。


「潜入を命じたノハ、アナタ。でも……先にアナタが裏切っタ!」

「っ……そ、それは」


 そう、最初から仕組まれていたのだ。

 ヨモギは、月の女王として祭り上げられた十六夜迦具夜イザヨイカグヤの、唯一自由になる部下だった。もともとゲーム仲間だったし、ヨモギ一人だけはあの男が許したのだ。

 悠仁ユージンことジーン・アームストロング大佐の、おめこぼしだ。

 彼は徹底的に、カグヤを偶像アイドルとして作り上げ、自分の定めた枠へと押し込んだ。その中で、唯一許したことがヨモギの存在だ。同時に、ヨモギはカグヤの監視役でもあったのだ。


「ワタシは、それでも良かッタ。カグヤが月の女王をヤッてくれてたカラ」

「……でも、アタシは知ってしまった。それは悠仁が作った偶像。女王なんて所詮、お飾りでしかない。それでも、月のためになにかしたくてアンタを」

「ワタシは復讐を誓ッタ身……利害は一致してたシ、嬉しかッタ。同じ月のためニ、一緒に戦えるッテ。でも!」


 ヨモギには、戦う意味がある。

 アースリングを殺して、月の民を平和へ導く……などという大義名分ではない。この戦争の中で、極々ごくごく個人的な理由が彼女を突き動かしていた。

 それを思い出すだけで、全身の血液が沸騰ふっとうしそうである。


「ワタシは、大事な人を失ッタ。なのニ、アナタは!」

「待って! 待って、ヨモギ……アタシだって、馬鹿だってわかってる。でも、アキラは……あの子も馬鹿なのよ。アタシのこと、疑いもしない。嫌いになってくれないの。こんな言い方、卑怯よね。でも!」


 カグヤは今、悲劇のヒロインでもないし、その立場に酔うような素振りはみせていない。むしろ、流石さすがは月の女王をやらされていると知ってて、その上で女王以上のカリスマを演じていた少女である。

 加えて、彼女を背に守るバウリーネが静かに言葉を選んできた。


「ヨモギちゃん、って私も呼んでいいかしら。ねえ、今はふねが大変な時よ? なにかが起こった……このコスモフリートに乗ってる以上、今は全員で――」

「部外者ハ黙ってテ!」


 再度銃声が響いた。

 咄嗟とっさにバウリーネが、カグヤを抱き締め守ろうとする。

 それがまた、ヨモギの激情を逆撫さかなでした。

 何故なぜ、カグヤだけがああも愛され、愛を得ているのか。

 どうして自分には、それが永久に失われてしまったのか。

 そのいきどおりが、僅かにヨモギの注意力をかき乱した。

 そして、銃を持つ右手に激痛が走る。


「ッ! だ、誰!? ……クッ、そうでシタ。医務室には、アナタが」

「いやあ、すっかり居着いついちゃってねえ。おじさん、今じゃすっかり医務室のヌシだよ。まあ、美人の茶飲み友達もできたし、ここはいいとこさ。だから……物騒な真似はよしな、お嬢ちゃん」


 そこには、カーテンの奥から車椅子で出てきた日暮昭二ヒグレショウジがいた。

 彼が投げたであろう小さな薬瓶くすりびんが、銃と一緒に床に転がっている。流石は独立治安維持軍どくりつちあんいじぐんの凄腕諜報員である。車椅子の不自由な身体でも、手にする全てが彼の武器だ。

 痛む右手を押さえながら、慌ててヨモギは銃を拾おうとした。

 だが、バウリーネを振り払ってカグヤが掴みかかってくる。

 咄嗟にヨモギは、格闘技訓練の内容を思い出した。


「もうやめて、ヨモギ!」

「どの口でそんナ……離セ!」

「アタシを殺したいなら、全てが終わったあとでそうすればいい。でも、このリジャスト・グリッターズにいて、ヨモギも感じたでしょう? 正しさを求めても、それを表現する手段を間違えると!」


 一瞬、胸の奥が傷んだ。

 まるで心臓を射抜かれたように、激痛にきしる。

 そう、ヨモギもこの部隊での短い時間で、平穏を感じていた。戦う意味と意義を考える切っ掛けにもなったし、同世代の少年少女は誰もが優しかった。

 だが、今は復讐に燃えて拳を握る。

 カグヤも訓練を受けているようで、あっという間にヨモギは腕をねじりあげられてしまった。


「観念なさい! ……アンタには、本当に悪かったと思ってる。アタシはその罪を、つぐないたい。そのためにも、側にいてほしい。それに、アキラは――」

「カグヤはいいよネ! 愛するアキラとこれから結ばれルモノ!」

「そうはならないかもしれないわ。氷威コーリィって、真っ直ぐ過ぎて……少し気後れもしてるし、揺らいでる。アキラにはやっぱり、そういう人が相応しいかもって」

「なにヨ! 奪うくらいじゃないト……ワタシに弱いトコ、見せないデ!」

「それは……そうね。ふふ、ねえヨモギ。もう少し話せないかしら? 今、この艦は」


 その時だった。

 銃声が再び響いて、少年の声が走る。

 慌ててヨモギは、自分を拘束するカグヤの身を案じた。そして、不意に考え直す。どうして自分は、月の女王を放棄したカグヤを……でも、彼女の言葉に動揺している自分も確かに存在した。

 幸い、カグヤに弾は当たらなかったようだ。

 だが、一瞬できた隙を先に利用したのはヨモギだった。即座に関節技をすり抜け、床の銃を拾う。

 開いたドアには、ミド・シャウネルが銃を構えていた。


「行くぞ、ヨモギ! KTケーティは駄目だ……あの馬鹿、どうして。どうして、この艦の人間ってやつは!」

「ミド!? ……引き際ネ。カグヤ、アナタはワタシが絶対に殺ス。アキラと一緒に、地獄に突き落としてやるワ!」


 台詞ぜりふみじめさを感じた。

 涙が込み上げて、その意味もわからずヨモギは走り出す。

 この異変は、たった四人の反乱。記憶の戻ったロキが今頃、ブリッジを外から瞬雷しゅんらいで制圧している筈だ。そして、動力を失ったコスモフリートは、格納庫ハンガーのハッチを開けることができない。

 ロキの瞬雷を止めることは不可能な筈……

 廊下を走りながら、ヨモギは脱出へと頭の中を切り替えた。

 そして、ミドと共に艦外へ出るべく走る。

 だが、リジャスト・グリッターズにもプロの軍人がいる。彼らの対応は素早く、異変に対しての即応性は高かった。それを思い知らされる羽目になり、咄嗟にヨモギはミドをかばう。


「止まれ! ヨモギちゃんと、ミドか……撃ちたくはない。撃たせないでくれ」


 現れたのは、篠原亮司シノハラリョウジだ。

 なるほど、多くのパイロットは異変を察して格納庫に集まっているだろう。だが、愛機の神柄かむくらが大破してるため、亮司は別の行動を選んだのだ。

 流石である。

 突然の爆発と、動力の喪失。

 その瞬間、艦内に敵対勢力が突如出現したと亮司にはわかったのだ。

 わかった、理解したなどというものではない……そう感じたのだろう。

 ヨモギは、亮司と銃を突きつけあって固まる。彼とは触れ合うことは少なかったが、その数えるほどの接触でいつも親切にしてもらった。ハルピンの魔王と恐れられた惑星"アール"のエースは、なんだか少しぼんやりしてる感じもあって、朴訥ぼくとつとしててほがらかで……まるで本当のお兄ちゃんみたいに優しかった。。

 だが、それも全て過去だ。


篠原三尉シノハラさんい、撃ちたくないのハ……ワタシも同じデス」

「なら、どうして!」

「三尉も軍人ナラ、祖国がアル筈。ワタシは、月の民のために戦うと決めマシタ」

「カグヤちゃんを見ろ。正面から突っ込むだけがいくさじゃない。君は俺たちと一緒に戦ったし、今も一緒にいる。リジャスト・グリッターズにいても、月のために戦える筈――!?」


 それは突然、そして偶然だった。

 互いに銃を突きつけ合う廊下で、ヨモギは背後にプラスチック容器が沢山落ちる音を聴いたのだ。振り返ると、そこには一人の少女が立ち尽くしている。

 どうやら彼女は、運んでいた飲み物のボトルを落としてしまったらしい。


「え……な、なに? どうして……あの、ヨモギさん」


 明らかに少女は、突然の混乱を身に招いていた。理解しがたいのも無理はない……艦が大変なことになってる中、仲間同士が銃を突きつけあってるからだ。

 瞬時にヨモギは、その小さな女の子を拘束して、ひたいに銃口を押し当てる。


「動かないデ、篠原三尉! ミド、彼の銃を奪ッテ……ミド! しっかりして!」

「あ、ああ……でも、その子は。その子だけは」

「黙ッテ! 手段なんテ、選べる立場じゃナイ! 選べタラ、今頃」


 ヨモギの腕の中で、ミリア・マイヤーズは怯えていた。恐らく、生活班の仕事で飲み物を運んでいたのだろう。その最中、突然艦が揺れて、停電状態になった。それで廊下を彷徨さまよっていたら、ヨモギたちの愁嘆場しゅうたんばに遭遇してしまったのだ。

 ミドが銃を向けると、静かに亮司は両手をあげた。

 ヨモギも、突然の幸運を喜べない。誰も巻き込まずに、まずはカグヤを殺して脱出するつもりだった。復讐の本命はアキラだが、まずは彼からカグヤを永遠に奪いたかった。愛する人を奪われる苦しみを味あわせてから、ヴェサロイド同士の戦闘で殺したかったのだ。

 だが、それも全て御破算ごはさんになった。

 ミリアを盾にしながら、複雑な気持ちを抱えてミドと共にヨモギは走り去るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る