第83話「遠雷、来たりなば」

 日本海、新潟にいがた沖。

 巨大な宇宙戦艦が洋上に浮かんでいた。その周囲には、作業艇が無数に動いている。大気圏突入した後に着水、ここまで曳航えいこうされてきた愛鷹あしたかである。

 改装中の無防備な姿を守るため、サンダー・チャイルドはすぐ近くで待機してた。

 腰まで海水に浸かっているが、その戦闘力はいささかも損なわれていない。

 全高300mの巨大な構造物の中を、御堂刹那ミドウセツナはある人物を探して走る。


「ええい、仕事が終わらん! 何故なぜこうも、リジャスト・グリッターズには面倒事ばかりが舞い込むのだ? ……みちびかれているとでも言うのか、これは」


 無骨なはしごを登って、刹那は頭部のコクピットへと顔を出す。

 そこには、強面の男がコーヒーを飲んでいた。彼はレーダーで周囲を監視しつつ、適度な緊張感を保ってくつろいでいる。このふねの操縦補佐をしている、ヨゼフ・ホフマンだ。


「おや、特務三佐とくむさんさ。何か御用で?」

「用があるから来ている。シルバーはどうした?」

「はは、やっこさんなら上さ、上」


 ヨゼフは紙コップを持った手で、天井を指差す。

 よく見れば、コクピットの側面のハッチが開いていた。吹き込む海風はすずしげで、密閉空間に近いコクピットの空気を洗い流している。

 またかと溜息ためいきこぼすと、刹那はハッチの外へと歩を向けた。

 だが、そんな彼女をヨゼフが呼び止める。


「シルバーが何かしでかしましたかね、特務三佐」

「いや、そういう訳じゃない。ただ」

「ただ?」

「あの次元転移ディストーション・リープで、こっちの地球……惑星"ジェイ"に飛ばされてから、まとまった時間が取れなくてな。お前達のことについいても、ちゃんとしたヒアリングが必要だ。特にシルバー……あいつは」


 ふむ、とうなってヨゼフがコーヒーを飲み干す。

 そうして彼は、珍しく真面目な声を作って言葉をつむいだ。


「なに、今更いまさら聞き出すことなんざないでしょう。俺達はどっちの地球でもない、どこかの地球から飛ばされてきた。そこは、あらゆる生産性から見放された廃惑星はいわくせいでしてね」


 刹那も以前、シルバーから軽く聞かされている。

 あれは確か、ドバイでシルバーに服やら何やらを買ってやった時だ。

 シルバーから聞かされた地球の様子は、こことはまるで別物だった。惑星"J"でもなく、惑星"アール"でもない。地球を死の星へと変えた最終戦争の、数百年後の世界。荒廃した地上では、かつて投入された究極の歩行戦艦、ウォーカーが猛威を振るっていた。

 あらゆる技術が失われた地上で、限られた物を奪い合うすさんだ世界。

 そのことを淡々と話すシルバーにとって、今の世界はどう見えているだろうか?

 そして、刹那は思う……、と。


「少し気になることがあるのだ。ヨゼフ・ホフマン、シルバーは確か……奇妙なカプセルから出てきたと言ったな?」

「ああ、出会った時のことか? ……そうだ。あれは忘れもしない。俺達のテリトリー・チャンドラに危機が迫っていた、そんな時だ。奴は目覚めるや、サンダー・チャイルドで……ま、結果的に俺達を守ってくれた」

「そのカプセルに何か、所属や身分、個人を証明するものは入っていなかったのか?」

「いや、俺達もアレコレ調べたんですがね。シルバーがロボット、いわゆる機械の身体だという以外はなにも」

「そうか」


 要は済んだとばかりに、刹那はハッチの外へ出ようとした。

 だが、意外にもヨゼフがその背中を引き止めてくる。


「おっと、特務三佐。もう少し話に付き合っちゃくれませんかね?」

「何かあるのか?」

「こっちも少し、気になることがありましてね。御堂刹那特務三佐……あんたいったい何者だ? 見た通りの子供って訳じゃない、それも不思議だが――」


 紙コップをクシャリと握り潰して、ヨゼフが立ち上がった。

 彼は刹那のすぐ目の前まで来て、じっと見下ろしてくる。

 歴戦の勇士を思わせる隻眼せきがんの男は、壮年期そうねんきとは思えぬ筋肉質の肉体にベストを着ている。よく日に焼けた肌は健康的で、自然と彼が生きてきた世界を物語っていた。


「御堂刹那特務三佐……あんた、シルバーの何を嗅ぎ回っている?」

「……それについては、秘匿機関ひとくきかんウロボロスの第一級機密事項トップシークレットだ。今は言えん」

「こんな見知らぬ地球に飛ばされて、機密もなにもねえと思いますがね」


 じっと見詰めてくるヨゼフの目は、その奥に真剣な光がともっている。

 彼は次元転移でシルバーと共に飛ばされてきてから、よく彼女を支えて補佐してきた。時に相棒、時には兄貴分であり、父親……そうしてシルバーは勿論もちろん、多くの少年少女にも頼られてきたのである。

 その彼が、シルバーを探る刹那を警戒するのは当然と思えた。

 刹那はしばし考えた後に、もう一度コクピット内へ向き直る。


「口外は無用だ、ヨゼフ・ホフマン」

「……心得てるつもりさ。それで? 何があるってんですか、シルバーの奴に」

「一つ、私は恐らく……過去、シルバーに会ったことがある。と、思う」


 流石さすがのヨゼフも驚きを隠せないようだ。

 目を見張みはって、今の言葉の意味を自分でも考えいる。

 そして、話してみて改めて刹那も思った。

 シルバーと以前に会った……そう、此処ここではない時、今ではない場所。

 しかし、その時の人物とシルバーは同一人物なのだろうか?

 そのことも気になって、ついつい刹那はシルバーに世話を焼いてしまう。


「それと、もう一つ……私にも昔、子供がいた。だが、娘は――」

「は? 子供、って……ええと、ちょっといいですかい? 特務三佐、歳は」

「それこそ第一級の機密事項だ。だが、見た目通りではないとだけ言っておこう」

「はあ。……ははーん、それで。はは、そういうことか。なら、俺から言うことは何もない。シルバーも何故かあんたになついている。俺も助かってるくらいでね。行ってください、特務三佐。ここは俺一人いれば十分ですからな」

「ん、すまん。何かあったら呼び出してくれ」


 それだけ言って、刹那はハッチの外へと身をおどらせた。

 海面から100m以上の空は、冷たい風が大陸から吹いてくる。

 青空の下では、愛鷹の艦体がアチコチに修理の火花を咲かせていた。

 刹那は迷わず、サンダー・チャイルドの頭部を見上げる。装甲の上に申し訳程度に、上へと向かう非常用のタラップが備え付けられていた。

 登り始めれば、日本皇国海軍の軍服姿に真っ白な長髪が棚引いた。


「シルバーがもし私の知るあの娘なら……その人格を移されたアンドロイドか、それとも義体サイボーグ化した本人ならば」


 刹那の脳裏に、一人の少女が浮かび上がる。

 彼女と出会って別れてから、どれくらいの時間が経過したのだろう。

 そして……あの世界はどちらの地球なのだろうか?

 それを確かめるべく、刹那はアンテナ群が密集するサンダー・チャイルドの頭部に立った。強い風が吹いて、危なく制帽を飛ばされそうになる。

 冷たい風が叩きつけるような吹きさらしの中で、一人の少女が背を向けていた。

 白い髪に銀腕のシルバーは今、Tシャツにカーゴパンツとラフな格好だ。そして、振り向きもせず刹那を察知して話しかけてくる。


「あれ? 刹那ちゃん、どしたの?」

「御堂刹那特務三佐だ、馬鹿者が。……少し、貴様と話がしたくてな。何をしている?」

「ううん、何も。ただ……お月さまを見てたの。ほら」


 頭上を指差すシルバーの手を追って、視線を上げれば……ぼんやりと光る真昼の月が浮かんでいる。

 太陽の光を反射して輝く、地球の衛星……月。

 今はルナリア王国が建国され、地球との関係は悪化している。

 しかし、シルバーが見ているのは天体としての月、地球を巡って回る資源の塊そのものだった。そこにいる人間、取り巻く環境と情勢も彼女の興味の埒外らちがいだ。


「なんかさあ、刹那ちゃん。昼間の月っていいよねえ」

「……そうか」

「うん。空がこんなに透き通ってるって、私は初めて見るからさ。おやっさんと一緒にいた世界は、砂嵐は酷かったし毎日くもってばかりだし、おまけに汚染物質まみれの雨は降るし」

「そうだな。そういう時代だった、上から見ていてよく覚えている」


 刹那も記憶の糸を手繰たぐり寄せる。

 シルバーが見上げても見えぬ、あの世界の月……そこに一時期、刹那はいた。

 彼女もまた、ときの放浪者だ。

 あのあかつきリリスと同じ、彷徨さまよ異邦人エトランゼなのである。

 それゆえに呪いを身に受け、その肉体は成長をどんどん忘れてゆく。刹那を始めとする、ある目的のために己を削って大人を忘れた子供達を、人はと呼んだ。

 だが、それを知る者はどこにもいない。

 刹那の旅は孤独だ。

 秘匿機関ウロボロスの同志しか知らぬ、巨大な秘密を秘めている。

 だからこそ、シルバーと出会った時に驚いたのだ。

 シルバーは、過去に刹那が触れ合った少女と同じ顔をしていたから。


「フン、まあいい……シルバー、少し話を聞かせてもらえるか?」

「いいよ、でも」

「でも?」

「下の作業は少し急いだほうがいいかも。……嵐が、来る」


 天を指差すシルバーが、ゆっくりと手を下ろす。

 彼女が銀腕を向けた大陸の奥へは、黒い雲が幾層にも連なり重なっていた。時折稲光いなびかりまばたかせながら、暗雲がこちらへと近付いている。

 いまだ眼下の海は静かにいでいたが、今夜は時化しけるかもしれない。

 そして、ゆっくりと振り返るシルバーの瞳が刹那をとらえる。

 まるで宝石のような碧眼へきがんに、小さな自分の姿が写り込んだ。


「……シルバー、お前は……私を、知っているか? いや……覚えているか?」

「ん? 刹那ちゃんのこと? 知ってるよ、色々買ってくれる人! あと、ちっちゃい人」

「そういう意味じゃない。私は過去に、お前と会ったことがある。正確には、過去という表現は適切ではない。ただ、以前の私はお前を知っていた。そしてお前は――」

「ストーップ! ストップだよ、刹那ちゃん! 私、記憶はほとんどないんだ」

「そうだろう。恐らくあの時にお前は……人間としてのお前は」

「んー、でも私は私だよ? 今もこうして生きてるし。ごはんもお酒も美味しいし!」


 刹那は鼻から溜息を逃して、苦笑を浮かべた。

 目の前の少女は、確かにあの娘に似ている。酷似こくじ、同一人物だと言っていい。そして、その少女は月で……だが、それ以上を問うのはよすことにした。

 ここから先の話をシルバーに聞くならば、自分もまた語らねばならないから。

 リレイヤーズと呼ばれた、呪われし子供達の因果と宿命を。


「まあいい、その話はこれで終わりだ。あとは、そうだな……このサンダー・チャイルドの内部を色々調べさせた。だが、一箇所だけブラックボックスになっている場所がある」

「へえ、そうなんだ」

「……知らないようだな、その様子では。ただ、三基の原子炉からバイパスされるエネルギー供給路の全てが、分岐してその侵入不能な区画に通じている」

「じゃあ、そこも原子炉? なんじゃない?」

「または、それに類する動力部が眠っていることになる。そう、眠っている……全く何の意味もないデッドスペースがこのサンダー・チャイルドの中にあるのだ。何か心当たりは」

「ありませーん……私もね、刹那ちゃん。こいつのことはよく覚えてないんだ。知らないわけじゃないんだろうけどさ」


 その名は、サンダー・チャイルド。

 かつて地球を闊歩かっぽするだけで滅ぼした、廃惑星を我が物顔で歩く鋼鉄の巨神。ウォーカーと呼ばれる歩行戦艦のことは、刹那の記憶にも確かにある。

 だが、サンダー・チャイルドという名の艦にも、その謎の構造にも覚えはない。

 そのことを再度問うても、シルバーはただ首を傾げるだけなのだった。

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