第60話「神話と歴史の交わる未来」

 御門響樹ミカドヒビキは暗い闇の中をまどろんでいた。

 上下も左右もない世界を、のぼるでもちるでもなく漂う。

 深い暗黒の世界では、五感のすべてが虚無きょむへと飲み込まれていった。

 なのも響くことのない中、声が聴こえる。

 それは、空気の震えを鼓膜が拾っているのではない。

 第六感とでも言うべき、心の底に染み渡る声だ。


『なんだ……お前は。誰、だ……どうして、俺に……ここは』


 返事は、戻らない。

 ただ、うなる獣のような、鬼哭きこにも似た声が染み込んでくる。

 次第に心の中に満ちる声は、響樹の中の激情を呼び覚ます。

 その根っこは、響樹のいちばん大事なものへと触れてきた。


『なんだ? 月と……宇宙と。これは、地球? 地球が、もう一つ?』


 そこには、月を天へと頂く地球があった。

 だが、明らかにその姿は響樹の知る地球とは違う。

 そして、不意に声は鮮明な声へと変わった。

 瑞々みずみずしい乙女のような、嘆き泣く老婆のような声だ。


『あれは……惑星"アール"。もう一つの、こことは時空をことにする地球じゃ』

『だっ、誰だ! お前、なのか? さっきから俺に』

『否……我は舞姫。神楽かぐらほうじて神話に舞う者。見よ……創星そうせいされし二つの母星ははぼしを』


 不意に、月が歪んで宇宙に虹が走る。

 歪んだオーロラのような、不気味な光が広がった。そして月が歪曲わいきょくしてゆく向こうに……もう一つの地球があらわになる。そして、その先へと無数の影が地球を飛び立った。

 見るもおぞましい、異形の声が虚空こくうを飛び交う。

 それは、先程響樹が見た黄泉獣よもつじゅうにそっくりだ。

 そして、薄れ行く声と光景とが、次第に現世への覚醒を促してゆく。


黄泉平坂よもつひらさか……かつて神兵しんぺいと呼ばれし存在の力。遥けき彼方の地球では、パラレイドと呼ばれる者たちの力。空間を超え、時をも超える次元転移ディストーション・リープ。その力が結ぶ二つの母星。我はその観測者、無限のときをたゆたう調停者。さあ、今こそ力を……建速須佐之男命たけはやすさのおのみことの力を』


 不意に脳裏に光が弾けた。

 そして、響樹は汗に濡れて身を起こした。

 瞬間、激痛に頬を歪める。

 全身を痺れる痛みが走り、身体が思うように動かない。

 そして、ここが狭いコクピットの中だと気付く。直ぐ側には、先程自分を助けてくれた暁沙那アカツキサナの姿がある。玉座にも似た不思議な座席に身を沈めて、彼女は懸命に戦っていた。その真剣な横顔を眺めていると……不意にグキリ! と首が鳴る。

 響樹は突然、頭を両手で包まれ横を向かされた。

 小さく柔らかな手の持ち主は、幼い女の子だった。


「目覚めたかのう? 我の声、届いておったようじゃな」

「あ、あなたは……さっきの夢の?」

「否、夢などではない。我の意識を重ねて投影した、我の記憶の一部じゃ。その中でお主も見たであろう? この星、そして日本の異変の元凶を」


 確かに響樹は見た。

 この日本をむしばむ新たな魑魅魍魎ちみもうりょう……黄泉獣。既に模造獣イミテイトに加えてイジンや神話生物の襲来を受けて、今の日本は滅亡寸前だ。そして、助けてくれる国などどこにもない。大陸では今も、エークスとゲルバニアンという超大国同士が不毛なゼロサムゲームを続けている。

 まして、暗黒大陸の国々が助けてくれよう筈もなく、国家が存在するかどうかも定かではないのだ。

 そして、新たに遅い来る黄泉獣……それは、異なる地球より迫る敵。

 ここではない時、今ではない場所よりの侵略者。


「あれは、本当なのか? そんなことが」

「真実、そして事実じゃ。そして……もうすぐやってくるぞよ? この竜源郷りゅうげんきょうを救う戦士、時空の防人さきもりが。星の方舟はこぶね鉄巨神てっきょじんを従え、すぐに来る」

「それは」

「まつろわぬ創種の民ジェネシードが、滅びの中で希望をつむいだ母星……二つの地球。今、その片方を連中は手にしようとしている。奴らにとって、どっちの地球に生きる人類も原生動物に過ぎん。ま、それは後々に改めて。今は、あれじゃ」


 またまたゴキン! と、響樹の首が無理やり曲げられる。ムチウチになりそうな痛みの中で、正面の不思議なモニターを響樹は見せつけられた。

 沙那がにらんで敵を映すのは、まるで水晶でできた光の膜だ。

 柔らかな光で、周囲の光景を前面に映し出している。

 一言で言うなら、

 異形が食い合う戦場は、響樹の言葉を奪う異様な光景だった。


「これは……あっ! そうか、あの学校が」

「左様。我らは空を舞う故、乱戦の心配はないがの。じゃが、あそこには多くの民が避難しておる。そして見よ……荒れ狂う黒暴竜ヒューベリオンの向かう先を」


 今、学校の周囲は百鬼夜行ひゃっきやこうが渦巻く戦場と化していた。

 守って戦うは、半壊したSVサーヴァントだ。訓練用らしきカラーリングは、尾張五式おわりごしきだろうか? 型落ちの機体が学校での訓練用に配備されることは少なくないが、損傷が激しい上に武器もない。装甲を引き剥がした胸部には、剥き出しのコクピットに女性の姿が見えた。

 パイロットは、単機で学校を守っている。

 そして、そんな彼女にディフェンスを任せて……吹き荒れる黒い嵐がすさぶ。

 咆哮ほうこうを張り上げ、黒き竜が血飛沫ちしぶきに踊っていた。


「な、なんだ、あれは……!? あれは、アーマーギアなのか? SVとも違うぞ」

「あれは……ふふ、なるほどのう。やはり宿業しゅくごうへと導かれるのかや? この星の特異点よ。彼の星の特異点と結び結ばれ、特異線とくいせんをなす存在。しかし、しかしじゃ」


 先程から狭いコクピットで、古風な言葉を喋る少女は密着してくる。

 ちらちらとそれを横目に見ながらも、沙那はオフェンスとディフェンスの間で要撃インターセプトに専念していた。僅か三機の防衛戦は、いつ破綻はたんしてもおかしくない危うさで敵意を押し留める。

 そして、頬を寄せる少女がニヤリと笑った。


「しかしじゃ! ……あの黒暴竜め、我より派手に登場しおって!」

「……は?」

「あのプールは前回、使! お約束じゃからなあ……知っておるじゃろ? プールからババーン! と出て来るんじゃ、秘密兵器は。本当は原作通り汚水処理場おすいしょりじょうがいいんじゃがのう」

「な、なんの話を……あっ! あの、あれは!」


 妙な熱意を見せる少女のすぐ横で、響樹は見た。

 次々と異形をほふる黒き竜の、その先に……見覚えのあるバケモノが吼えている。あれは、先程の軌道エレベーター前で妹の御門美亜ミカドアミをさらった黄泉獣だ。

 それを確認した瞬間、モニターになっている不思議な壁へと響樹は張り付いた。

 すかさず沙那が声をあげる。


「危ないですから、下がってて! あと、見えない、邪魔ですっ!」

「ごめん、でもっ! あれは、あそこには美亜が!」

「……確かに。あれは、さっきの。リリス!」


 沙那の操縦で、天女てんにょごとく優雅にアマノウズメが身を翻す。

 高速で急降下するその姿が、風をはらんで両手に光を集めた。


「ようし、沙那! ……あとを頼まれてくれるな?」

「リリス、本当にあなたっていう人は」

「母様と呼ばぬか。さて……少年、選べ! お主を選んだ運命を、宿命を選べ」


 輝く刃が優雅に振るわれ、殺到する敵意が舞い散るように切り裂かれる。

 静かに舞い降りたアマノウズメが操縦席を解放するや、響樹は自然と飛び出していた。全身の痛みは既に、朦朧もうろうとする意識を成り立たせる劇薬と成り果てている。身体のどこかで血が漏れ出るのが感じられた。

 だが、身の内の痛みを焼き尽くすように、心の中でなにかが燃えている。

 そして、先程の夢の中の声が再び戻ってきた。

 荒ぶる神の如き雄叫び、鬼のくような声。

 そして、大地に落下し立ち上がった響樹の頭上で、リリスと呼ばれた少女が叫ぶ。


「今こそ選択はささげられた! しからば、目覚めよ……数多あまたの輪廻を貫き穿うがつ、神の化身! 再び我に力を……我のあるじに力を! この世界線をも蝕む邪悪に、今こそあらがう時!」


 地面によろりと身を起こす響樹を、すかさず異形のバケモノが取り囲む。

 だが、その時……足元の大地が激震と共に裂けた。

 そして、地の底の暗闇からなにかが登ってくる。

 四方より押し寄せ響樹を喰らおうとした敵が、あっという間に眼下に飛び去った。その場の全ての異形が見上げて、血走る眼光で響樹を睨んでくる。

 響樹は今、巨大な手の中に立っていた。

 地の底より伸びてきた手は、響樹を守るように五本の指があり、曇天どんてんへと突き出された。

 そして、豪腕の魔神がせり上がってくる。

 それは、太古の戦神いくさがみを思わせる怒りの権化。雄々しき姿は、人の地に降臨せし神そのもの。リリスの声を聞いたその瞬間にはもう……響樹を守った手が彼を神の胸へと導く。あっという間に吸い込まれて、気づけば響樹は奇妙な一体感で座らされていた。

 リリスの声だけがはっきりと響き渡る。


「目覚めよ、スサノオン! 我が主の向かう先、進む先へ道をしめすがよい! 再び救世を……混迷の地球に、光を!」


 ――スサノオン。

 それが、響樹を内包して立ち上がる鬼神。

 完全に地の底より解き放たれた、雄々しきくろがね益荒男ますらおが周囲を見渡した。

 そして、脳裏に再び声が走る。

 沙那でもリリスでもない、その声の導くままに響樹は左右のレバーを握った。足元には左右一対のペダルがある。しかし、横文字で形容するのが躊躇ためらわれるように、各部は生命いのちのぬくもりで鼓動をみなぎらせていた。その確かな息遣いが、響樹の怒に重なる。

 女の声は最後に名乗ると、消え去った。

 その時にはもう、響樹は不思議とこの鬼神にして機神……スサノオンの全てを把握していた。


「待ってくれ、卑弥呼ヒミコさん! 卑弥呼、さん? 今、俺は……いや、今はいい! それより……あの声を、心の声を信じてみる。美亜は、渡さない……俺が取り戻して、守り抜くっ!」


 響樹に満ち満ちる裂帛れっぱくの意思が、スサノオンを突き動かした。

 知らない全てを覚えている。

 わからぬ全てを理解していた。

 自分の中で芽生えた力に従い、響樹は叫ぶ。

 それは、振り返った黒き竜のマシンが吼えるのと同時。黒暴竜はお膳立てをするように周囲の敵影を蹴散らし、美亜を吸い込みとらえた黄泉獣へと突進する。あっという間に黄泉獣は、背後から噛みつかれて自由を奪われた。


『私が抑える、訳ありってやつよね? やってみせてくれるかしら……新顔さん』

「任せろっ! おおおおっ、スサノオンッ、ブレエエエエエドッ!」


 スサノオンが腰の剣を引き抜き、走り出す。すれ違う敵は全て、アマノウズメの援護で血柱ちばしらに変わった。流血の先へと向かって、響樹がせる。

 黒き竜はスサノオンに合わせるように、強靭きょうじんな尾で黄泉獣を放り投げた。


『……ふふ、まるで荒ぶる鬼神ね。そう、かつ高天原たかまがはらを追放されし、日ノ本ひのもと最強の戦士。スサノオ、いえ、スサノオン……覚えておくわ。異界と化したこの日本を救うなら、うってつけってこと』

「はああああっ! 天孫てんそんっ! こぉぉ。りんっ! だんッッッッッッッッ!」


 宙を舞う黄泉獣を、一撃のもとにる。

 同時に、上下に真っ二つになった敵へと、響樹はスサノオンの左手を突き出した。胸に輝く水晶体の中には、妹の美亜が閉じ込められている。その球体を鷲掴わしづかみにして、黄泉獣から引き剥がす。

 再び剣を縦に振るえば、周囲のバケモノごと全てが吹き飛んだ。

 その力は、天をおおう暗雲さえ消し飛ばす。

 長らく閉ざされていた太陽が、蒼天そうてんに高く輝いていた。

 スサノオンが着地した時、既に周囲に敵意はない。そして不思議なことに、援護してくれた黒暴竜の姿もなかった。

 ただ、学校の避難民の歓声だけが、響樹の耳に響いてくる。

 そして……晴れ渡る空の向こうに、目撃した。

 遠く東京湾の彼方から……空に巨大な方舟、海に雄々しき鉄巨神が向かってくるのを。

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