第8話「あまねく星の力となりて」
音の速さを遥かに超えて、自らの質量に
その数、五機。
エラーズのサポートなしでピージオンをフルコントロールしながら、アレックス・マイヤーズは新たな機影の接近に
「新手、ならさ! 悪いけど狙撃させてもらう……ノコノコ来るからっ!」
周囲を飛び交うギム・デュバルからの、上下も前後もない飽和攻撃の中で、反転。不自然な制動に機体を軋ませつつ、アレックスの意志を拾ってピージオンが迫る光球へとベイオネットライフルを向けた。
こんな時は、エラーズがいてくれればオートで弾道補正してくれる。
だが、今はエラーズにはアラリア共和国のレーダー網ハッキングへ注力してもらっていた。
つまり、この銃口の先へ向けるのは、アレックスだけの意志。
この銃身を支えているのも、
自然と
「……撃てなかった。撃てない! あの距離で急所を外すのは、僕には無理だ。変なところに当ってしまえば、それは……出来ないんですよぉ!」
しばし動きを止めていたからか、インデペンデンス・ステイツの包囲網は狭まっていた。焦りに思わず機動を計算すれば、モニターに三次元表示されるピージオンの
『各機、援護しろっ! 俺が直接接触して、
『今、援護を! ……ん、なんだ?』
『所属不明機、急速接近! あ、あれは?』
『……天使、なのか?』
その時はやってきた。
真紅の光に輝く六枚の翼を広げて、ピージオンが五機のギム・デュバルと空間機動を奪い合う戦場に……突如、
そう、神話や聖典にその名を残す、まさしく天使だ。
静かな微笑を浮かべた表情に、そのほっそりとした首から下は白い肌が目立つ。まろび出そうな程に豊かな胸の膨らみの下で曲線は絞られ、ヘソの下へと落ち込む股間に薄布のような三角地帯。両腕両脚こそメカニカルな
そこには、ダイバーシティ・ウォーカーより一回り大きい、
「なんだ……ッ! それはそれで、まずはこいつを!」
『女神飾りの次は天使か! なんだというのだ』
アレックスはリング・ブースターの出力を急速反転、同時に急加速で自らギム・デュバルへと飛び込む。接触しての捕縛を試みようとしていた隊長機が、グン! と目の前に迫った。
そして、すれ違いざまに互いの闘志が相手へ向けられる。
僅か一秒にも満たぬ、その何十分の一もの
左肩の速射機関砲から鉛の
『ライフルで
「撃ったら当たって死ぬからでしょう! ……ン、なんだ」
相変わらず包囲網を狭めてくるインデペンデンス・ステイツの兵たちは練度が高い。このままでは時間の問題だし、その時間もモニターの表示を見ればあと300秒しかない。
先ほどの天使が回線を開いたのは、そんな時だった。
『そこまでですっ! 多勢に無勢、それが革命の闘士がすることですかっ!』
全宇宙に鳴り響くような、まるで楽器が奏でる
表情を引き締め大きな
『宇宙の民を救うと
『なん、だと……そんなふざけた機体で、説法か!』
『先生は言ってました……貴方のような人が、強過ぎる力を持っては危険なんです。だから、わたしが御相手しますっ! このっ、
――熾天使装星エヴォルツィーネ。
どうやらそれが、
ご丁寧にドヤ顔でポーズをキめたエヴォルツィーネへ、周囲のギム・デュバルから火線が殺到する。だが、巨体に似合わぬ
呆気に取られつつ、包囲の
その時、頼もしい声がコクピット内に戻ってきた。
『ハッキング終了、ダミー画像を毎秒700パターンで転送中。コスモフリートの宙域離脱まで続行』
「エラーズ、戻った? 終わったんだな、レーダー網の方は! なら……エラーズ、あの機体を、紅い天使を読めっ!」
『
「敵か味方とかさ! 性能とかでしょ! いいからデータをどんどん読み込むんだ!」
意外なすっとぼけを見せたエラーズを
ピージオンは息を吹き返したように、ツインアイに光を走らせ鋭敏な機動で
その間もずっと、無数に飛び交う攻撃の中をエヴォルツィーネが踊るように
『
「! エラーズ、なんだあの武装は! 右腕が……右腕が飛んでく!」
『まだです、女神飾りさん! 左腕もっ、ありまぁぁぁぁすっ!』
握った拳を右、左と、エヴォルツィーネは打ち出した。それは眩いスラスターの光を吐き出しながら、真っ直ぐギム・デュバルの編隊に吸い込まれてゆく。意表を突かれたのはアレックスも敵も同じようで、あっという間に二機の敵機が爆発を咲かせた。
あれは、死んだ……脱出装置が働いたようには、見えなかった。
改めて戦場である今が、あと200秒を切った戦いがアレックスの全身を
『よくも俺の部下を、気高き戦士たちを! ええい、お前は何者だっ!』
『貴方に名乗る名など、ありませんっ!』
『おのぉれ! 熾天使装星エヴォルツィーネめええええっ!』
「……知ってるじゃないか、名前。でも、その隙っ! やるなら、今だね!」
嫌悪感を飲み込み……震える手で操縦桿を握って、
『ターゲット、マルチロック。マーカーオン。当たります』
「当てるんでしょ! そこの天使さんっ! あと少しで僕は母艦に戻らなきゃいけない……今ならまだ追いつける! エラーズ、回避運動ランダム展開、射撃と同時にリング・ブースター出力最大!」
あっという間にエラーズが、残った三機を同時にロックオンする。ピージオンは飛び交う銃弾の中、両腕を再接続するエヴォルツィーネと共に浮かび上がった。
『合わせますっ! 必殺っ、エクリプスッ! ビィィィィィムッ!』
「いちいち叫ぶなんて! でもっ、その攻撃を避けさせて……そこぉ!」
開いた右腕の
その回避運動パターンの全てを把握して潰すように、ピージオンが全身のアポジモーターを小さく明滅させつつ姿勢制御……そして、銃声が真空の宇宙に響き渡る。
『ぐっ! スラスターだけをやられた?』
『こっちは頭部です、なにも見えません! サブカメラ……ええい、ナナキ殿っ!』
『こうも簡単に戦士たちが……この俺までもがあ!』
次の瞬間にはもう、ピージオンは機体を
最大加速で飛ぶピージオンの中で、アレックスはゲル状のショックアブソーバーに包まれながらシートに押し付けられる。
例のエヴォルツィーネとかいう機械天使は背後をついてくるが、徐々に遅れ始める。
リング・ブースターで飛ぶピージオンの速さは、惑星間航行用に造られた宇宙船にも匹敵した。だが、アレックスは残された1秒を使うために急激なマニューバに歯を食い縛る。
「そこの人っ! 敵じゃないっていうなら……こんなアラリアの防空圏には、置いてけない! だから――」
『これ以上はスピードは……わたし、大丈夫ですっ! 先生も言ってました、こんな時は』
「黙ってるんだ、舌を
サーカス機動でピージオンが、どうにか追い付こうとするエヴォルツィーネを手で引き寄せる。そうして、
そして徐々に目の前に、先行するコスモフリートのノズルの光が見えてくる。
あちらも最大加速で飛んでいるので、その差はなかなか縮まらない。
こちらはリング・ブースターの力を120%まで引き出しているが、エヴォルツィーネがデッドウェイトになっているのだ。
「駄目か? 君がちょっと重いんだ。ごめん、でも……やってみる!」
『女の子に重いとか言っちゃ駄目です、ええと、確か……アレックス君、ひうっ!?』
さらなる増速でピージオンがガタガタと震え出す。耐圧用のゲルに守られているアレックスはいいが、エヴォルツィーネの少女は大丈夫だろうか? あちらも
徐々に、コスモフリートの艦尾が見えてきた。
後部ハッチが開いて回収用のアンカーが射出され、誘導灯を振る甲板作業員まで見え始める。
あと少し……もう少し。
「君! 天使の人! 手を伸ばして、アンカーを
『ほへ? わ、わたしですかっ!』
「ピージオンは君の重さで両手が
『は、はいっ!』
エヴォルツィーネが伸ばす手が、その細くしなやかな五本の指がアンカーを掴む。同時にコスモフリートのウィンチが巻取りを始めると、今度はエヴォルツィーネがもう片方の手を伸ばしてくる。ピージオンがその手に捕まった瞬間、アレックスはリング・ブースターをパージした。
遥か後方で、限界以上の力を出してオーバーヒートしたリング・ブースターが
その爆風を浴びつつ、ピージオンはエヴォルツィーネに抱き締められて
ようやく一段落、長い長い600秒が過ぎたのを見送り、アレックスはシートの上をずり落ちた。
『ハッチ閉鎖! 気密確認!』
『いいぞ、空気を! おい、アレックスを早く出してやれ!』
『こっちのはなんだ? え、えっと、天使様?』
『おいおいアレックス、天使と女神の二股か? よくやってくれたぜ、ボウズがよぉ!』
慌ただしく作業が進む格納庫の中心に、歓声を上げて仲間たちが駆け寄ってくる。エヴォルツィーネに支えられつつ、ピージオンはどうにかデッキの上に立ち上がった。
サイズの都合上、ピージオンの目線の真ん前には、たわわな二房の実りがある。
やはり、それがモニターに大写しになっても嬉しくないが……アレックスは、その胸の谷間に小さなハッチが開いて、そこから一人の少女が飛び出てくるのが見えた。
エヴォルツィーネのパイロットは、全裸だった。
「はっ、裸ぁ! ……あ、いや、着てるのか。あれじゃ、全裸の方がまだいい。なんていかがわしい格好をした女なんですよ?」
小さな
低重力の格納庫へと、肌もあらわなスタイルの良さが舞い降りた。
一拍の遅れでポニーテイルに
まだピージオンのセンサーは、格納庫の異質な空気に愛らしい声が響くのを拾っていた。
『はじめまして!
『……長ぇよ』
『そ、そうですか……しゅん。じゃ、じゃあ、略して星華でいいです。略称はセでいいです』
『短ぇよ! 極端だな、ええと、星華ちゃんでいいのか? えっと……まず、だな』
周囲の大人たちも困惑している。宇宙の荒波に生きる海賊たちが、一人の無駄に肉付きがいい健康優良児を前に驚いている。
羽々薙星華、それが彼女の名前。
アレックスを助けてくれたのかどうか、それはわからないが……アレックスが助けた天使を
『とりあえず、なんか服を着てくれや。こっちだってなあ、そんな格好されてちゃ』
『これですか? これはエモーショナル・リアクティブ・オペレーティング・スーツです。先生は
エロスーツだ……エロスーツじゃねーか……エロスーツだねえ……ざわめきが広がってゆく。もう
だが、次の瞬間にはアレックスの疲れた脳細胞が突如として活性化した。
『そもそもアンタ、なんなんだ? ええ? 先生ってのは』
『先生はわたしの先生です! ネメシア先生ですっ!』
その名前を、アレックスは知っていた。否、目にしていた。ネメシア・J・クリーク……人となりも人物像もわからないのに、名前を目撃した記憶が眠っていた。それは確か、人類の名だたる人型機動兵器に関わった女性科学者の名前。ダイバーシティ・ウォーカーの基礎理論構築に貢献し、
それだけを思い出したが、顔も年齢もわからない。
それでもアレックスは、エリーが開けてくれたハッチの向こうの光へと、這い出るようにゲル状の液体と共に流れ出る。肉声となって格納庫に響く、少女と海賊たちのやりとりが遠くなる中……ヘルメットを脱がされたアレックスは、確かな人の温もりで眠りへと落ちていった。
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