Act.03「その足で大地を掴む者」
第13話「燃えるは蒼きオブリージュ」
だが、それも片田舎の甲府では外の世界の遠い出来事だ。
文明が昭和中期まで後退した中でも、この場所には文明の最先端が文化的な暮らしを担保していた。それはひとえに、この甲府が人類同盟の認定する戦場ではないという現状がある。
敵が襲って死人が出ても、人類同盟が認めなければそこは戦場ではない。
だが、少年にとっての戦場は今、生きて
「ほ、ほらっ! 見て、優! 流れ星! ……あんなにはっきりと燃えてる」
家の隣に住む幼馴染、小さい頃からの腐れ縁……そういう雰囲気を発散しているのは、
彼女は、夕闇の中を歩く
だが、そんな彼女の声を無視して優は歩く。
商店街を歩く誰もが、
優にとっては、世界そのものが全て虚しいという錯覚が終わらなかった。
「ね、ねえ! 優! 流れ星だよ、ほら……お願い、しなきゃ。祈らなきゃ」
「篤名……あれは流れ星じゃない。進入角度と摩擦熱の発火反応でわかる。あれは人類同盟の空中戦艦か、それに類する艦艇だよ。なんであんな強行突入なのかは……まあ、どうでもいい話だよね。……ほんと、どうでもいいよ」
「え? そうなの!? で、でもっ、ほら! 綺麗だよ……流れ星」
篤名の声で渋々、優は顔をあげる。
夕暮れ時の
甲府の市役所周辺には、昔ながらの商店街が並ぶ。古くは城下町だったこともあって、シャッター街とか過疎地域とか、そういう言葉とは無縁な光景が広がっていた。それは、物流も経済も停滞したパラレイドとの戦時下で、不思議と昔より格段に賑わって見える。大規模なショッピングモールや大手スーパーが大打撃を受けた世界で、一番活力に満ちているのは昔ながらの
見上げれば確かに、大気圏に
「あ、そぉだ! 優さ、アニメや漫画も好きだけど、ゲームも好きじゃない? ゲームセンターに新しいのが入ったって、みんな言ってたよ!」
「ん、ああ……」
「
「……ロボットで敵と戦って、平和を守る、か……ごめん、興味ない」
商店街で買ったたい焼きをはぐはぐと頬張っていた少女は、優の言葉で固まってしまった。だが、事実だ。優は今、人生で一番衝撃的な現実に痛打を被って、他のなにものも考えられない状態に
今、この山梨県甲府市は平和だ。
その平和を守ろうとした人間を、優は知っている。
優たちだけが、知っている。
でも、マスコミや皇国軍は、そのことを隠している。
世の中ではパラレイドの侵略と、月のルナリアンとの戦争だけが騒がしい。希少で貴重な家のカラーテレビは、集まった近所のお隣さんたちが見やる中で同じニュースを続けた。ガチャガチャと回すダイヤルの先で、どのチャンネルも同じことを語っていた。
パラレイドとの戦況は
いわゆる大本営発表が繰り返される毎日の中で、優は、優と仲間たちは新たな敵と戦っていた。そのことを誰もが知らない。知られていないという現実だけが、優を
「ねえねえ、優! 優ってば……元気、出して? お願い、だから」
「……悪い、ちょっと、無理だ。でも、篤名のおかげで助かってるよ。それは、本当」
「そっか、そかそかー! よかった……でね、さっきの話、続きね! その、機装戦記レムロイド? BMRS筐体を使った最新作なんだけど、昨日一人の男の子がプレイ後に忽然と姿を――」
「待って、篤名! ごめん、黙って……口を閉じて!」
不意に、優を襲う独特な緊張感。
本来は知り得なかった、知りたくもなかった緊迫感が彼を襲った。
夕闇迫る中、地元の商店街を仲良く歩く少年少女を襲ったのは……突然の爆発音。そして、優はそれが起こった瞬間には篤名を抱き寄せて、そのまま押し倒して通りの隅に転がっていた。
日常ではありえぬ異変に際して、身体は勝手に訓練された兵士のように動いた。
それは、自分が非日常の中にいるという、なによりの証拠。
平和な日常を塗り潰した炎の臭いに、優は悲しい程に的確で正確に動いた。
「ふええっ! ゆ、優……あ、あの、今のは! ……あ、あと、手……手が、わたしの、その」
「なんの爆発っ! また、連中が……あの敵が、来た? 違うな、パナセア粒子の光じゃなかった。ただの火薬……そう、大量の
「あ、あのっ、優、あのぉ……手が、わたしの……その、胸に」
「奴らじゃないにしても、これは。クソッ、こんな片田舎でもテロかっ!? やるなら都会で、もっと中央でやってよね! ここは……この場所は、俺たちの故郷なんだから!」
優は怒りに燃えて
ほんの数秒前まで、
本当に悲しい……けど、その悲しさを受け止める意志と感情が麻痺している。
それでも、優は言い知れぬ理不尽への
「とっ、とにかく! 逃げよう、優! 最近、第二皇都でも暴れてる『
「……逃げて、逃げてくれ……一人で逃げて、篤名」
「どうして! 優を置いていけないよぉ、ほら! 早く!」
だが、優はその場に屈み込むと、一歩も動けなかった。
この場を離れて走る、その先に……不可避の運命が待っているから。
優が科学部の一員として関わった未来は、
それがわかるからこそ、一歩も動けなくなる優。
「どしたの、ねえ! ほら、立って! 歩いて、走って! 逃げなきゃ!」
「どこに……どうやって逃げるんだよ。俺は……もう、嫌だ」
「嫌? なにが? どうして! 死ぬのより嫌なの? ここにいたら危ないもの、ほら!」
「ここで名も無きその他として死んでも、コクピットで死んでも……一緒じゃないか!」
地面に突っ伏しアスファルトを拳で叩く優の声が、篤名をビクン! と震わせる。
驚きに表情を凍らせる篤名を見もせず、泣きじゃくる幼子のように優は言葉を続けた。
「
「優? ねえ、それって」
「知らないとこで戦いが起こって! それに巻き込まれて! 戦わされて! それで誰が、どんな奴が得してんだよ! 死ぬまで戦った悠介先輩が、なにを守れたんだよ!」
周囲の市民が絶叫と悲鳴を巻き上げ、誰もが必死に逃げ惑う。その中で、優はがむしゃらにアスファルトを叩き続けた。科学部の一員として、パナセア粒子を扱う人型兵器の研究と運用、そしてそれで戦う敵への備えをしてきた。
だが、その中でまだ、心も身体も学生、子供だった。
皆から「茶飲み部」「半分帰宅部」と笑われ、苦笑を返す日常があった。
それも今、襲い来る現実に飲み込まれている。
迫る脅威は確かにあって、その最初の犠牲者は身近な人間だった。
その現実を今は、優と一部の仲間しか知らない。
相変わらず日本皇国は人類同盟の一員として、パラレイドと戦いつつ月のアラリア共和国との戦争を継続している。この地球上、日本の山梨を襲う脅威のことなど、認知しようともしない。そして、誰にも知られず若い命が散ってゆく。
優は、嫌だった。
誰にも知られず無駄に散る自分を想像すると、涙が止まらない。
込み上げる震えに沈んで、今のように動けなくなる。
「優、立って! 優ーっ! お願い、一緒に逃げて! ……ッアア!」
悲鳴が聞こえた瞬間には、優は爆風に身をさらわれていた。叩きつける熱量が、爆心地が近いことを伝えてくる。パナセア粒子が炸裂した衝撃ではないが、このテロは大掛かりな物だ。そして、テロリズムが殺意を向けてくる理由がこの地に
そのことを恐らく、テロリストたちは見逃さなかったのだろう。
そこまでは冷静に分析しながら、動けぬ身を縮こまらせる優は気付いた。
何故、今の爆風に薙ぎ払われて自分は……自分と篤名は生きている?
その答が温かく柔らかな体温で密着していて、そっと優を抱き寄せている。
「……怪我はありませんわね? さあ、お立ちなさい。避難なさって」
それは、自分と歳もそう変わらない少女だった。この近くの有名私学、エリート高校の制服を着ている。そして、その身に
まるでそう、
少女はにこやかに笑みを
「そちらの方は御友人か、それ以上に大事な方でしょう? ならば、あなたはその方を守って逃げなければなりません。……未知の敵が襲い来る中、人が人を襲うテロなど! 許せません!」
「あ、貴女は……」
「私はあなたの名を問いません。ですから、あなたも同様に。ただ、人の命を守りたいという想いを共有する……ただの、通りすがりの一市民ですわ」
「一市民て……守りたいだなんて、俺は」
「ならば、あなたはどうしてその少女を胸に抱いているのです? さあ、自分に正直になって。そして、走って。ここはもうすぐ戦場になります」
そして優は気付く……無我夢中だったとはいえ、篤名を抱きしめ守っていたことに。
自分の腕の中、胸の上で篤名は「んん……」と鼻を鳴らしている。
そして、篤名の
業火に焼かれて燃え尽きる商店街の中で、聖なる怒りを瞳に宿す少女の姿を。
「さあ、お逃げなさい! 例え同じ人間といえど、許す訳には参りません」
「あ、貴女は、逃げないんですか……一緒に逃げましょう! だって、テロなんですよ? 爆発して、この炎で……頑張ったって無駄ですよ! 誰が見てくれるんですか!」
優の叫びに、少女は柔らかな笑みを
それは、恐ろしいほどに澄んた
「誰が見ていなくとも、わたくしが
「で、でもっ! そういう強さが、持てなかったら……ただ、
「それでも、あなたは守った……卑劣なテロ集団の仕掛けた爆弾が破裂した瞬間、その少女を守りましたね? それでいいのです。それだけでいいのです……さあ、その少女と一緒に逃げてください」
「あ、貴女は……貴女はどうするんです! い、一緒に逃げましょう! ここはもう」
香ばしい匂いが立ち込める肉屋の、あのコロッケの味を覚えている。上級生や他校の生徒が溜まり場にしてるゲーセンは、BMRSでリリースされたゲームが一時の安らぎをくれた。本屋では高価な本は立ち読みしたし、えっちな本もゲーム雑誌も買った。大手のチェーン店も昔ながらの
それが今、火の海になっていた。
そんな中、ツギハギの制服を棚引かせる少女の視線が虚空を射抜く。
テロリストと思しきパンツァー・モータロイドやレヴァンテインが立ち上がったのは、彼女が
その姿を目にしても、ツギハギの少女は全く
「私は、逃げません。あなたのような方を守るために、私には力が与えられています。その力を今、真に正しく使う時が来たのです!」
「そんな……なにができるって言うんです! なにもできない、出来はしないですよ!」
「なにができるかは問題ではなくてよ……今、私にできる全てを振り絞る時」
「それで救える命を、誰が知って、覚えてくれるって……そういうの、言ってる俺は
だが、紅蓮の炎が逆巻く中、
「あなたが……あなただけが知ってわかって、想っているでしょう?」
「そ、それは」
「あなたが受け継いだものを得て、選ぶ未来は二つに一つ……などではありませんわ。常に未来は一つ! 自由という名の唯一の明日……それを守るため、私はいつでもこうするのです」
少女は高々に右手を振り上げ、火の粉が舞い上がる夜の空へと叫ぶ。既に日の沈んだ暗闇は、周囲で爆発と破裂が響く中に
その声は、優の中の怯えて竦む勇気に火をつけた。
「我が身に宿って燃えるはオブリージュ……応えなさい! アストレアァァァッ!!!!」
少女の絶叫を吸い込む空から、ぼんやりと浮かぶ月を
ご丁寧にエレガントなポーズで
その
「セバスチャン! ご苦労様です、これから乗り込みます。……いつもの敵とは違うようですわ。ですが、市民を襲うテロリズム! 決して許してはおけません!」
「は、はいっ、御嬢様! 既に人類同盟、日本皇国軍には通報してあります! 援軍はすぐ来るかと!」
「それまで
巨大な鋼鉄の手が、少女の前に降り立った。無骨で
燃え盛る甲府の街が、数多の悲鳴と嘆きに包まれる中……突如現れた鋼鉄の
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