Act.03「その足で大地を掴む者」

第13話「燃えるは蒼きオブリージュ」

 山梨県甲府市やまなしけんこうふし。全地球規模で戦争が常態化した地球においても、比較的二十一世紀初頭ぜんせいきと同程度の文明圏を維持している地方都市である。日本皇国は人類同盟じんるいどうめいに参集、他の大国と共にパラレイドと戦い、月のアラリア共和国とも戦い、その中で人類同盟参加国の各国とも見えない駆け引きを続けている。

 だが、それも片田舎の甲府では外の世界の遠い出来事だ。

 文明が昭和中期まで後退した中でも、この場所には文明の最先端が文化的な暮らしを担保していた。それはひとえに、この甲府が人類同盟の認定する戦場ではないという現状がある。

 敵が襲って死人が出ても、人類同盟が認めなければそこは戦場ではない。

 だが、少年にとっての戦場は今、生きて息衝いきづき暮らす中に浸透していた。


「ほ、ほらっ! 見て、優! 流れ星! ……あんなにはっきりと燃えてる」


 家の隣に住む幼馴染、小さい頃からの腐れ縁……そういう雰囲気を発散しているのは、渡辺篤名ワタナベアツナだ。見るからに親しげで、ともすれば家族のような距離感で接してくるが、実は中学校に進学して初めて出来た友人の一人である。

 彼女は、夕闇の中を歩く吹雪優フブキユウの数少ない友達だ。

 だが、そんな彼女の声を無視して優は歩く。

 商店街を歩く誰もが、彷徨さまよ幽霊ファントムのような優を避けるだけで通り過ぎてゆく。

 優にとっては、世界そのものが全て虚しいという錯覚が終わらなかった。


「ね、ねえ! 優! 流れ星だよ、ほら……お願い、しなきゃ。祈らなきゃ」

「篤名……あれは流れ星じゃない。進入角度と摩擦熱の発火反応でわかる。あれは人類同盟の空中戦艦か、それに類する艦艇だよ。なんであんな強行突入なのかは……まあ、どうでもいい話だよね。……ほんと、どうでもいいよ」

「え? そうなの!? で、でもっ、ほら! 綺麗だよ……流れ星」


 篤名の声で渋々、優は顔をあげる。

 夕暮れ時の逢魔おうまとき、稜線を紫色に染めて世界が夜を迎え入れようとしている。その闇が訪れる刹那の合間、優は篤名を連れて商店街を歩いていた。

 甲府の市役所周辺には、昔ながらの商店街が並ぶ。古くは城下町だったこともあって、シャッター街とか過疎地域とか、そういう言葉とは無縁な光景が広がっていた。それは、物流も経済も停滞したパラレイドとの戦時下で、不思議と昔より格段に賑わって見える。大規模なショッピングモールや大手スーパーが大打撃を受けた世界で、一番活力に満ちているのは昔ながらの小売商こうりしょうだった。その中を今、最後の残照に照らされ優は歩く。

 見上げれば確かに、大気圏に苛烈かれつな摩擦熱を燃やす一筋の光があった。


「あ、そぉだ! 優さ、アニメや漫画も好きだけど、ゲームも好きじゃない? ゲームセンターに新しいのが入ったって、みんな言ってたよ!」

「ん、ああ……」

機装戦記きそうせんきレムロイド! えっと、バトル・マッチ・ロボティック・シミュレーター? そう、BMRS! みんな面白いって言ってたし、優もきっと――」

「……ロボットで敵と戦って、平和を守る、か……ごめん、興味ない」


 商店街で買ったたい焼きをはぐはぐと頬張っていた少女は、優の言葉で固まってしまった。だが、事実だ。優は今、人生で一番衝撃的な現実に痛打を被って、他のなにものも考えられない状態におちいっていた。

 今、この山梨県甲府市は平和だ。

 その平和を守ろうとした人間を、優は知っている。

 優たちだけが、知っている。

 でも、マスコミや皇国軍は、そのことを隠している。

 世の中ではパラレイドの侵略と、月のルナリアンとの戦争だけが騒がしい。希少で貴重な家のカラーテレビは、集まった近所のお隣さんたちが見やる中で同じニュースを続けた。ガチャガチャと回すダイヤルの先で、どのチャンネルも同じことを語っていた。

 パラレイドとの戦況は膠着状態こうちゃくじょうたい、でも決して人類同盟は負けません。月のアラリア共和国は非道な枢軸国すうじくこく、でも人類同盟に敗北は許されません。

 いわゆる大本営発表が繰り返される毎日の中で、優は、優と仲間たちは新たな敵と戦っていた。そのことを誰もが知らない。知られていないという現実だけが、優をむしばさいなむ。


「ねえねえ、優! 優ってば……元気、出して? お願い、だから」

「……悪い、ちょっと、無理だ。でも、篤名のおかげで助かってるよ。それは、本当」

「そっか、そかそかー! よかった……でね、さっきの話、続きね! その、機装戦記レムロイド? BMRS筐体を使った最新作なんだけど、昨日一人の男の子がプレイ後に忽然と姿を――」

「待って、篤名! ごめん、黙って……口を閉じて!」


 不意に、優を襲う独特な緊張感。

 本来は知り得なかった、知りたくもなかった緊迫感が彼を襲った。

 夕闇迫る中、地元の商店街を仲良く歩く少年少女を襲ったのは……突然の爆発音。そして、優はそれが起こった瞬間には篤名を抱き寄せて、そのまま押し倒して通りの隅に転がっていた。咄嗟とっさに守るべき者を守れた、そのことには感謝を感じたが、同時に込み上げる戦慄。

 日常ではありえぬ異変に際して、身体は勝手に訓練された兵士のように動いた。

 それは、自分が非日常の中にいるという、なによりの証拠。

 平和な日常を塗り潰した炎の臭いに、優は悲しい程に的確で正確に動いた。


「ふええっ! ゆ、優……あ、あの、今のは! ……あ、あと、手……手が、わたしの、その」

「なんの爆発っ! また、連中が……あの敵が、来た? 違うな、パナセア粒子の光じゃなかった。ただの火薬……そう、大量の炸薬さくやくで人と物とが燃えて砕ける臭い!」

「あ、あのっ、優、あのぉ……手が、わたしの……その、胸に」

「奴らじゃないにしても、これは。クソッ、こんな片田舎でもテロかっ!? やるなら都会で、もっと中央でやってよね! ここは……この場所は、俺たちの故郷なんだから!」


 優は怒りに燃えて激昂げきこうの叫びをほとばしらせた。

 ほんの数秒前まで、夕餉ゆうげの買い物に沸き立っていた平和な光景が一変していた。この甲府のどこかで、爆弾テロが発生した。今の優にはわかる、悲しいけど理解できてしまう。事件に使用されたのは、古い時限タイプの発火装置を用いた爆弾だ。風に乗って漂ってくる臭いが、それを告げてくる。

 本当に悲しい……けど、その悲しさを受け止める意志と感情が麻痺している。

 無辜むこの民を襲った不条理な暴力への、その怒りは確かにあるのだ。

 それでも、優は言い知れぬ理不尽へのあらがいが、自分の中で圧殺されるのを感じる。


「とっ、とにかく! 逃げよう、優! 最近、第二皇都でも暴れてる『あかつきもん』かも」

「……逃げて、逃げてくれ……一人で逃げて、篤名」

「どうして! 優を置いていけないよぉ、ほら! 早く!」


 だが、優はその場に屈み込むと、一歩も動けなかった。

 この場を離れて走る、その先に……不可避の運命が待っているから。

 優が科学部の一員として関わった未来は、すでにその先に避けられぬ戦いを見据えていた。それは確実に、この甲府という街を戦いに巻き込み、その中心へと優をいざなう。

 それがわかるからこそ、一歩も動けなくなる優。


「どしたの、ねえ! ほら、立って! 歩いて、走って! 逃げなきゃ!」

「どこに……どうやって逃げるんだよ。俺は……もう、嫌だ」

「嫌? なにが? どうして! 死ぬのより嫌なの? ここにいたら危ないもの、ほら!」

「ここで名も無きその他として死んでも、コクピットで死んでも……一緒じゃないか!」


 地面に突っ伏しアスファルトを拳で叩く優の声が、篤名をビクン! と震わせる。

 驚きに表情を凍らせる篤名を見もせず、泣きじゃくる幼子のように優は言葉を続けた。


悠介ユウスケ先輩は! 荻原悠介オギハラユウスケは死んだ! 敵と戦って死んだんだ! なのに、敵がなんなのかもわからず、敵が襲ったことも誰も知らない……悠介先輩は、死体も残らなかった」

「優? ねえ、それって」

「知らないとこで戦いが起こって! それに巻き込まれて! 戦わされて! それで誰が、どんな奴が得してんだよ! 死ぬまで戦った悠介先輩が、なにを守れたんだよ!」


 周囲の市民が絶叫と悲鳴を巻き上げ、誰もが必死に逃げ惑う。その中で、優はがむしゃらにアスファルトを叩き続けた。科学部の一員として、パナセア粒子を扱う人型兵器の研究と運用、そしてそれで戦う敵への備えをしてきた。

 だが、その中でまだ、心も身体も学生、子供だった。

 皆から「茶飲み部」「半分帰宅部」と笑われ、苦笑を返す日常があった。

 それも今、襲い来る現実に飲み込まれている。

 迫る脅威は確かにあって、その最初の犠牲者は身近な人間だった。

 その現実を今は、優と一部の仲間しか知らない。

 相変わらず日本皇国は人類同盟の一員として、パラレイドと戦いつつ月のアラリア共和国との戦争を継続している。この地球上、日本の山梨を襲う脅威のことなど、認知しようともしない。そして、誰にも知られず若い命が散ってゆく。

 優は、嫌だった。

 誰にも知られず無駄に散る自分を想像すると、涙が止まらない。

 込み上げる震えに沈んで、今のように動けなくなる。


「優、立って! 優ーっ! お願い、一緒に逃げて! ……ッアア!」


 悲鳴が聞こえた瞬間には、優は爆風に身をさらわれていた。叩きつける熱量が、爆心地が近いことを伝えてくる。パナセア粒子が炸裂した衝撃ではないが、このテロは大掛かりな物だ。そして、テロリズムが殺意を向けてくる理由がこの地にひそんでいることを、優は知っている。誰もが知らぬ秘密の組織が、ここで未知の敵との戦いを行っているのだ。

 そのことを恐らく、テロリストたちは見逃さなかったのだろう。

 そこまでは冷静に分析しながら、動けぬ身を縮こまらせる優は気付いた。

 何故、今の爆風に薙ぎ払われて自分は……自分と篤名は生きている?

 その答が温かく柔らかな体温で密着していて、そっと優を抱き寄せている。


「……怪我はありませんわね? さあ、お立ちなさい。避難なさって」


 それは、自分と歳もそう変わらない少女だった。この近くの有名私学、エリート高校の制服を着ている。そして、その身にまとう服はツギハギだらけのくたびれたものなのに、自然と不思議な高貴さをたたえていた。

 まるでそう、乞食こじきの姿をした真なる王だ。

 少女はにこやかに笑みをこぼして、吹き荒れる爆煙と豪風の中で立ち上がる。


「そちらの方は御友人か、それ以上に大事な方でしょう? ならば、あなたはその方を守って逃げなければなりません。……未知の敵が襲い来る中、人が人を襲うテロなど! 許せません!」

「あ、貴女は……」

「私はあなたの名を問いません。ですから、あなたも同様に。ただ、人の命を守りたいという想いを共有する……ただの、通りすがりの一市民ですわ」

「一市民て……守りたいだなんて、俺は」

「ならば、あなたはどうしてその少女を胸に抱いているのです? さあ、自分に正直になって。そして、走って。ここはもうすぐ戦場になります」


 りんとして気高く雄々しい少女は、まるで太古の絵画にある自由の女神のよう。手にした灯火トーチで民衆を導き、聖なる尊厳を守りつつ誰しもを導く天使のようだ。

 そして優は気付く……無我夢中だったとはいえ、篤名を抱きしめ守っていたことに。

 自分の腕の中、胸の上で篤名は「んん……」と鼻を鳴らしている。

 そして、篤名の華奢きゃしゃな身を起こして立ち上がろうとする優は、見た。

 業火に焼かれて燃え尽きる商店街の中で、聖なる怒りを瞳に宿す少女の姿を。


「さあ、お逃げなさい! 例え同じ人間といえど、許す訳には参りません」

「あ、貴女は、逃げないんですか……一緒に逃げましょう! だって、テロなんですよ? 爆発して、この炎で……頑張ったって無駄ですよ! 誰が見てくれるんですか!」


 優の叫びに、少女は柔らかな笑みをたたえて振り返る。

 それは、恐ろしいほどに澄んた清水しみずのような微笑びしょうだった。


「誰が見ていなくとも、わたくしが見据みすえます。見届けて、見詰め続けましょう……己の戦いが行き着く先、人の平穏と平和を乱すやからを……決して私、許しはしません!」

「で、でもっ! そういう強さが、持てなかったら……ただ、みじめに逃げるしか。死ぬのが怖くなった人間の卑屈ひくつさは、確かにあって! 篤名を守ってる今も、俺は」

「それでも、あなたは守った……卑劣なテロ集団の仕掛けた爆弾が破裂した瞬間、その少女を守りましたね? それでいいのです。それだけでいいのです……さあ、その少女と一緒に逃げてください」

「あ、貴女は……貴女はどうするんです! い、一緒に逃げましょう! ここはもう」


 香ばしい匂いが立ち込める肉屋の、あのコロッケの味を覚えている。上級生や他校の生徒が溜まり場にしてるゲーセンは、BMRSでリリースされたゲームが一時の安らぎをくれた。本屋では高価な本は立ち読みしたし、えっちな本もゲーム雑誌も買った。大手のチェーン店も昔ながらの老舗しにせも、仲良く相互に助けあって商店街を形成していた。

 それが今、火の海になっていた。

 そんな中、ツギハギの制服を棚引かせる少女の視線が虚空を射抜く。

 テロリストと思しきパンツァー・モータロイドやレヴァンテインが立ち上がったのは、彼女がすがめる先の紅蓮の炎。燃え盛る街を背に、巨大な破壊神たちが身をもたげる。

 その姿を目にしても、ツギハギの少女は全くひるんだ様子がなかった。


「私は、逃げません。あなたのような方を守るために、私には力が与えられています。その力を今、真に正しく使う時が来たのです!」

「そんな……なにができるって言うんです! なにもできない、出来はしないですよ!」

「なにができるかは問題ではなくてよ……今、私にできる全てを振り絞る時」

「それで救える命を、誰が知って、覚えてくれるって……そういうの、言ってる俺はむなしくて、でも……実際に悠介先輩は死んだんだ! 誰にも知られず、誰にも想われずに!」


 だが、紅蓮の炎が逆巻く中、阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずの中心で少女は微笑む。


「あなたが……あなただけが知ってわかって、?」

「そ、それは」

「あなたが受け継いだものを得て、選ぶ未来は二つに一つ……などではありませんわ。常に未来は一つ! 自由という名の唯一の明日……それを守るため、私はいつでもこうするのです」


 少女は高々に右手を振り上げ、火の粉が舞い上がる夜の空へと叫ぶ。既に日の沈んだ暗闇は、周囲で爆発と破裂が響く中に凛冽りんれつたる声を吸い上げる。

 その声は、優の中の怯えて竦む勇気に火をつけた。


「我が身に宿って燃えるはオブリージュ……応えなさい! アストレアァァァッ!!!!」


 少女の絶叫を吸い込む空から、ぼんやりと浮かぶ月をさえぎる巨体が覆う。まだまだ稜線を紫に染める日差しが名残惜しい中、薄暗がりに浮かぶ満月を巨大な機影が塗り潰した。それは、轟音を響かせ優たちの前へと降りてくる。

 ご丁寧にエレガントなポーズで爪先立つまさきだち、商店街の建物を傷付けることなく立つ巨体。

 そのあおき姿へと、少女は歩み寄って声を張り上げる。


「セバスチャン! ご苦労様です、これから乗り込みます。……いつもの敵とは違うようですわ。ですが、市民を襲うテロリズム! 決して許してはおけません!」

「は、はいっ、御嬢様! 既に人類同盟、日本皇国軍には通報してあります! 援軍はすぐ来るかと!」

「それまでたせます! これ以上、残虐非道を許してはおけません……アストレア!」


 巨大な鋼鉄の手が、少女の前に降り立った。無骨で鈍色にびいろに光る、その五指がいかつい手に乗って、少女は空へと消えてゆく。そして、そびえる蒼き巨神が瞳に光を走らせた。

 燃え盛る甲府の街が、数多の悲鳴と嘆きに包まれる中……突如現れた鋼鉄の守護神ガーディアンが身を起こす。そう、守護神……驚きに言葉を失う篤名を抱いた、優の目には頼もしい救いの神に見えたのだった。

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