第87話「慟哭のケダモノ」

 天原旭アマハラアサヒは、闇の中にいた。

 身体の感覚がないままに、どこまでも引きずり込むような、闇。


(俺は……死んだ、のか? 何が……何が起こったんだ)


 わかることは、ただ一つ。

 何かが起こった。

 そして、旭の生まれ育った採掘都市さいくつとしは炎に包まれたのだ。

 錯綜さくそうする記憶が、脳裏へ無限に乱舞する。

 そして、戦慄せんりつの光景がフラッシュバックした。


(あ、ああ……父さん、母さん……そうだ、バケモノ……奴等やつらが)


 むごたらしく殺され、両親の成れの果て。

 二つの首が並ぶ血の海に、悪鬼がうごめいていた。

 炎に包まれる街のあちこちで、虐殺ぎゃくさつ陵辱りょうじょくが行われていたのだ。

 そして、確かに目撃した。

 街を守ってくれるはずのゲルバニアン軍が、大損害をこうむって退却してゆくのを。そして、悲鳴と絶叫が満ちた中で……妹のメイが泣き叫んでいた。


(明……明ィィィィィッ! クソォ、奴等……許さねえ、絶対にっ! 許さねえ!)


 血塗ちまみれで拘束された妹の明は、その純潔をけがされた。

 大事に守ってきたみさおを、獣のような異形達に奪われたのだ。

 奇っ怪な笑い声でえる魔物は、代わる代わる繰り返し、何度も何度も明を犯したのだろう。泣き叫ぶ妹の声が、今も耳にこびりついている。

 助けを求めて、旭を呼ぶ声。

 全身の血が沸騰ふっとうしたようで、旭は熱い怒りに支配された。

 玄関にあった仕事道具のスコップで、手当たり次第に異形と戦った。

 その頃にはもう、さかる家は倒壊を始めた。

 紅蓮ぐれんの炎の中で、明は内側から引きちぎられ……燃えながら死んでいった。


(あれは……あんなのは、人の死に方じゃねえ……母さんは、父さんは、明は! 死んでいい人間じゃなかったんだ!)


 ふつふつと湧き上がる激昂げきこうの気迫に、身体が熱くなってくる。

 闇の中で彷徨さまよっていた肉体に、怒り共もに感覚が戻ってくる。

 そして、断片的な記憶が再び声となって注ぎ込まれた。


『肉体の形成には成功しました。ただ……』

『ただ? 何だね』

『人間としては高い精命力オーラを持つものの、それ以外に特筆すべき点はありません』

『ほう……で、天原旭? だったか。まあ、順番通りだと……11号か』


 それは、自分の肉体をいじくりまわされた時の声だ。

 激しい苦痛の中で、心身を過酷な術式で作り変えられた。そのことも今は、わからない。感じないのだ。

 まるで、自分の身体が自分じゃないみたいだ。

 ただ、確かなものは憎悪ぞうお

 そして、燃え盛る憤怒ふんぬだ。

 感情と理性が暴走する中で、不意に視界が開かれる。

 突然に降ってくる、声。


『よし、性能試験を開始しろ!』


 旭は今、気付けば四方を鋼鉄の壁に囲まれていた。

 床も硬い金属で、その肌さわりは冷たい。それで気付いたが、旭は裸足だった。だが、寒くない。裸だったが、全身に火が付いたように熱かった。

 そして、目を向ける向こうで……唯一の出入り口と思しきドアが閉じようとしている。

 見るもおぞましい異形の怪物を残して、白衣の男達は部屋を出ていった。

 そして、旭は唐突に理解する。

 闘争心と本能が、激怒にたぎった心を激しく揺さぶった。


「ここは、はぁ……そうか、ここは! たたかえってんだな……てきと! こいつと!」


 そう口走った時には、すでに走り出していた。

 身体が軽い。

 驚くべき速さで、あっという間にバケモノへと肉薄する。

 相手もまた、たくましい両腕を突き出してきた。

 がっぷり四つに組む、そのまま力比べに持ち込む。全身の筋肉が躍動し、骨と腱とが軋む音が聴こえた。だが、痛みが安全装置として働かない。自分の生命の危機が感じられない。

 高揚する興奮が、ただ目の前の敵へと向けられていた。


「はは、は! おまえ、つよい……けど! おれが、おれのが、つよいいいい!」


 頭の中で無数に炎がぜて散る。

 神経がバチバチとスパークするような錯覚。

 その中で、旭をにらんで必死で力を込める、悪鬼……そう、悪鬼だ。

 その顔に旭は見覚えがあった。

 血走る目を見開き、力に力であらがう異形は……。それも、鮮明に思い出せる。旭が両親と一緒に守ってきた、何よりも大事な存在を奪ったもの。その者から奪って奪い尽くし、生命までも奪い去ったケダモノだ。

 明を犯したケダモノだった。


「おまえは、おまえ、は……この野郎はぁ!」


 にらいだ怒りに意思が宿った。

 そこに魂は、まだあった。

 急激に思考がクリアになる中で、旭は死力を振り絞る。

 怒りのままに力を絞り出しながらも、その感情を俯瞰ふかんするかのような心境で心がんでゆく。そして、相手の悲鳴が響いた。

 敵の両腕があらぬ方向へと折れ曲がり、血飛沫ちしぶきが舞い上がる。

 だが、旭は攻撃の手を緩めない。


「よくも明を! よくも、よくも! よくも、手前てめぇっ!」


 そこからは一方的な鏖殺おうさつだった。

 戦意を喪失した相手を、旭は一方的に蹂躙じゅうりんする。

 野生の動物ならば、観念した相手を殺したりはしない。食料と闘いとは別なのだ。だが、旭は人間だ……人間の心を、情を取り戻していた。

 激情のままに、家族のかたきを破壊してゆく。

 そして、室内にブザーの音が響き渡った。


「はぁ、はぁ、はぁ……やった。やったぞ、明……父さん、母さん」


 血塗れで肉塊にくかいと化した仇敵きゅうてきから離れる。

 だが、その時……旭は疲労から壁によりかかり、目撃した。

 磨かれた合金製の耐圧隔壁たいあつかくへきに、自分の顔が映るのを。

 顔だけではない、返り血に濡れた自分の全身を。


「な、何だ? これは、どうした? まだバケモノがいやがるのか!」


 身構えようとして壁から離れる。

 だが、ようやくそこで察した。

 そして、否定しようとしても考えが上手くまとまらない。

 ただ、真実だけが無言で突きつけられた。

 ブザーが鳴り終えた時、そこには……


「ああああっ! こ、これは俺だ! 俺なのか……このみにくいバケモノが!」


 壁には、光の反射がおぞましい姿を浮かび上がらせていた。

 八本のあしまわる、醜悪な毒蟲どくむしにも似た姿。

 自分が両腕だと思っていたのは、一対の節ばった最前列の脚だったのだ。

 そして、先程のドアが開いて白衣姿がやってくる。

 皆、笑顔だ。


「素晴らしい! あの1号を倒したか……成功、大成功だよ!」

「やりましたね、九十九ツクモ博士! 現時点でこの11号が、最強のドリル獣です」


 ドリル獣? 俺が? 最強……最強のバケモノ!?

 混乱のあまり、旭の精神が悲鳴を上げる。

 発狂寸前の意識が自我をくしけずる。

 だが、同時に再び憎しみが燃え盛った。

 そのまま旭は、ゆっくりと白衣の男達に向き直る。

 無性に今、壊したい。

 自分をドリル獣と言った存在に、ドリル獣のなんたるかを見せつけてやるのだ。

 それも、人間故の感情を激発させて。

 そうでなければ、今この瞬間に狂ってしまいそうだった。


「手前ぇ等か……俺をこんなに、こんな姿にしたのはぁ!」

「ひっ! ま、待て、待ってくれ! 落ち着け……保安員! 何をしている、早く来て撃ち殺せ!」

「待ち給え! 11号……確か、天原旭。君は今、素晴らしい力を手に入れたのだ」


 九十九と呼ばれた男だけが、興奮に瞳を輝かせている。

 だが、そのつぶらな、まるで少年のような無邪気な目には……全身を揺すって呼気を荒らげる旭の姿が映っていた。正しく、魑魅魍魎ちみもうりょうという言葉がぴったりのバケモノだ。


「殺してやる! 手前ぇ等、あの世で母さんに、父さんに……明に! みんなにわびてこいっ! 楽に死ねると思うなああああっ!」

「素晴らしい! なんということだ、自我を有している。見たかね、人間の言葉を喋ったぞ。ドリル獣の分際でだ! 貴重な検体だよ、データをもっと取らねば」


 その時だった。

 不意に、重金属で囲まれた鋼鉄の闘技場が揺れた。

 外からの振動だと思った、その瞬間には……突然、天井が崩落する。

 そう、天井だけは唯一、配管が縦横無尽に走る開放構造だったのだ。

 ガラガラと機器や照明が崩れてくる。

 何かが旭の身体に当たった。

 だが、硬い甲殻こうかつが痛みもなく跳ね返す。

 九十九達、白衣の集団は逃げていった。


「待てよ、おい! 逃げんな……そこを動くなぁ!」


 絶叫を迸らせる旭。

 しかし、彼の行く手を何かが遮る。

 強烈なプレッシャーと共に、今……天井を突き破って何かが落ちてきた。

 それは、巨大な異形と化した旭をも震え上がらせる、暴虐的ぼうぎゃくてきな黒き竜だった。

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