第87話「慟哭のケダモノ」
身体の感覚がないままに、どこまでも引きずり込むような、闇。
(俺は……死んだ、のか? 何が……何が起こったんだ)
わかることは、ただ一つ。
何かが起こった。
そして、旭の生まれ育った
そして、
(あ、ああ……父さん、母さん……そうだ、バケモノ……
二つの首が並ぶ血の海に、悪鬼が
炎に包まれる街のあちこちで、
そして、確かに目撃した。
街を守ってくれるはずのゲルバニアン軍が、大損害を
(明……明ィィィィィッ! クソォ、奴等……許さねえ、絶対にっ! 許さねえ!)
大事に守ってきた
奇っ怪な笑い声で
助けを求めて、旭を呼ぶ声。
全身の血が
玄関にあった仕事道具のスコップで、手当たり次第に異形と戦った。
その頃にはもう、
(あれは……あんなのは、人の死に方じゃねえ……母さんは、父さんは、明は! 死んでいい人間じゃなかったんだ!)
ふつふつと湧き上がる
闇の中で
そして、断片的な記憶が再び声となって注ぎ込まれた。
『肉体の形成には成功しました。ただ……』
『ただ? 何だね』
『人間としては高い
『ほう……で、天原旭? だったか。まあ、順番通りだと……11号か』
それは、自分の肉体をいじくりまわされた時の声だ。
激しい苦痛の中で、心身を過酷な術式で作り変えられた。そのことも今は、わからない。感じないのだ。
まるで、自分の身体が自分じゃないみたいだ。
ただ、確かなものは
そして、燃え盛る
感情と理性が暴走する中で、不意に視界が開かれる。
突然に降ってくる、声。
『よし、性能試験を開始しろ!』
旭は今、気付けば四方を鋼鉄の壁に囲まれていた。
床も硬い金属で、その肌さわりは冷たい。それで気付いたが、旭は裸足だった。だが、寒くない。裸だったが、全身に火が付いたように熱かった。
そして、目を向ける向こうで……唯一の出入り口と思しきドアが閉じようとしている。
見るもおぞましい異形の怪物を残して、白衣の男達は部屋を出ていった。
そして、旭は唐突に理解する。
闘争心と本能が、激怒に
「ここは、はぁ……そうか、ここは! たたかえってんだな……てきと! こいつと!」
そう口走った時には、
身体が軽い。
驚くべき速さで、あっという間にバケモノへと肉薄する。
相手もまた、
がっぷり四つに組む、そのまま力比べに持ち込む。全身の筋肉が躍動し、骨と腱とが軋む音が聴こえた。だが、痛みが安全装置として働かない。自分の生命の危機が感じられない。
高揚する興奮が、ただ目の前の敵へと向けられていた。
「はは、は! おまえ、つよい……けど! おれが、おれのが、つよいいいい!」
頭の中で無数に炎が
神経がバチバチとスパークするような錯覚。
その中で、旭を
その顔に旭は見覚えがあった。
血走る目を見開き、力に力で
明を犯したケダモノだった。
「おまえは、おまえ、は……この野郎はぁ!」
にらいだ怒りに意思が宿った。
そこに魂は、まだあった。
急激に思考がクリアになる中で、旭は死力を振り絞る。
怒りのままに力を絞り出しながらも、その感情を
敵の両腕があらぬ方向へと折れ曲がり、
だが、旭は攻撃の手を緩めない。
「よくも明を! よくも、よくも! よくも、
そこからは一方的な
戦意を喪失した相手を、旭は一方的に
野生の動物ならば、観念した相手を殺したりはしない。食料と闘いとは別なのだ。だが、旭は人間だ……人間の心を、情を取り戻していた。
激情のままに、家族の
そして、室内にブザーの音が響き渡った。
「はぁ、はぁ、はぁ……やった。やったぞ、明……父さん、母さん」
血塗れで
だが、その時……旭は疲労から壁によりかかり、目撃した。
磨かれた合金製の
顔だけではない、返り血に濡れた自分の全身を。
「な、何だ? これは、どうした? まだバケモノがいやがるのか!」
身構えようとして壁から離れる。
だが、ようやくそこで察した。
そして、否定しようとしても考えが上手くまとまらない。
ただ、真実だけが無言で突きつけられた。
ブザーが鳴り終えた時、そこには……異形の怪物と化した自分が映っていた。
「ああああっ! こ、これは俺だ! 俺なのか……この
壁には、光の反射がおぞましい姿を浮かび上がらせていた。
八本の
自分が両腕だと思っていたのは、一対の節ばった最前列の脚だったのだ。
そして、先程のドアが開いて白衣姿がやってくる。
皆、笑顔だ。
「素晴らしい! あの1号を倒したか……成功、大成功だよ!」
「やりましたね、
ドリル獣? 俺が? 最強……最強のバケモノ!?
混乱のあまり、旭の精神が悲鳴を上げる。
発狂寸前の意識が自我を
だが、同時に再び憎しみが燃え盛った。
そのまま旭は、ゆっくりと白衣の男達に向き直る。
無性に今、壊したい。
自分をドリル獣と言った存在に、ドリル獣のなんたるかを見せつけてやるのだ。
それも、人間故の感情を激発させて。
そうでなければ、今この瞬間に狂ってしまいそうだった。
「手前ぇ等か……俺をこんなに、こんな姿にしたのはぁ!」
「ひっ! ま、待て、待ってくれ! 落ち着け……保安員! 何をしている、早く来て撃ち殺せ!」
「待ち給え! 11号……確か、天原旭。君は今、素晴らしい力を手に入れたのだ」
九十九と呼ばれた男だけが、興奮に瞳を輝かせている。
だが、そのつぶらな、まるで少年のような無邪気な目には……全身を揺すって呼気を荒らげる旭の姿が映っていた。正しく、
「殺してやる! 手前ぇ等、あの世で母さんに、父さんに……明に! みんなに
「素晴らしい! なんということだ、自我を有している。見たかね、人間の言葉を喋ったぞ。ドリル獣の分際でだ! 貴重な検体だよ、データをもっと取らねば」
その時だった。
不意に、重金属で囲まれた鋼鉄の闘技場が揺れた。
外からの振動だと思った、その瞬間には……突然、天井が崩落する。
そう、天井だけは唯一、配管が縦横無尽に走る開放構造だったのだ。
ガラガラと機器や照明が崩れてくる。
何かが旭の身体に当たった。
だが、硬い
九十九達、白衣の集団は逃げていった。
「待てよ、おい! 逃げんな……そこを動くなぁ!」
絶叫を迸らせる旭。
しかし、彼の行く手を何かが遮る。
強烈なプレッシャーと共に、今……天井を突き破って何かが落ちてきた。
それは、巨大な異形と化した旭をも震え上がらせる、
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