第22話「夜明けに吼える」

 極寒の夜が明け始めると、砂の大地は払暁ふつぎょうに輝く。

 金色の砂漠がゆっくりと温められゆく、その荘厳そうごんな景色にユート・ライゼスは目を細めた。立ち尽くす巨大なサンダー・チャイルドの、その鈍色にびいろに輝く鋼の装甲が朝焼けに染まっていた。


「夜明けか。あいつ、ちゃんと寝てるんだろうな。……昨日はちょっと、凄く、言い過ぎがかも」


 ひとりごちてユートは、甲板上に駐機するEYF-X RAYに歩み寄る。ヘリポートよりも狭い、サンダー・チャイルドの張り出した装甲版の一角への着陸は困難を極めた。ユートは強襲可変戦闘機レイダーに関してはベテランだが、巨大な構造物にして動く要塞とも言えるサンダー・チャイルドは、その周囲を行きかう気流を乱すほどの存在感でそびえていたから。だから、変形をうまく使って人型形態で降り立ち、離陸を考えて飛行形態で待機させてある。

 滑走路も格納庫ハンガーもない場所、それも砂漠に一晩愛機をさらすのはユートには少し辛かった。


「おはよう、RAY。今日も頼む、な……なかなかにタフな一日になりそうだ」


 かぶせられた防塵用ぼうじんようのシートを取り払うと、漆黒に塗られた機体が姿を現す。航空力学の結晶であると同時に、変形を前提とした奇異なまでのボリューミーな流線形。直線と曲線とが織りなす翼は、空気の流れを泳ぐ空のさめだ。

 朝日に黒光りする愛機の周囲を一周してから、さっそくユートは仕事に取り掛かる。

 幼少期から叩き込まれた兵士としての本能は、自分の命を預ける機体へ一切の妥協を許さない。これが例え完全に設備と人員の行き届いたホームの基地でも、彼は自らの目と手とで機体をチェックするだろう。


「……チッ、これだから砂漠は。細かい砂はどこにでも入り込んでくる」


 電装系の小さなメンテハッチを開けると、サラサラと砂金のように輝くつぶがこぼれた。それは僅かな隙間から入り込んだ、ごくごく少量の砂にすぎない。

 だが、精密機械の塊である機動兵器にとっては、天敵とも言えた。

 局地戦用に改修され、防塵対策の整った機体であれば問題ないのだが。

 ユートは篠原亮司シノハラリョウジたち第101統合戦闘群だいイチマルイチとうごうせんとうぐんを追って転戦を繰り返してきたため、機体の調整や装備は今、砂漠では万全と言えない状態だった。

 そんな時、背後で声がしてユートは振り返る。


「おはようございます、ユートさん。昨夜はよく眠れましたか?」

「お前は……えっと、八尺零児ヤサカレイジ。ああ……おは、よう」

「零児って呼んでください。そいつの整備、遅れてて済みません。昨夜は神柄かむから望天吼ウァンテンホウにかかりっきりだったもので」

「あ、いや……いいんだ」


 汚れたツナギの少年がそこには立っていた。名は八尺零児、ユートとは同い年だ。日本皇国にほんこうこく独立治安維持軍どくりつちあんいじぐんが手配してくれた、現地での兵站へいたんや補給を受け持ってくれてる民間業者である。

 どこか柔和で温厚、ともすれば弱気に見える少年が目を細めてはにかんだ。


「ユナイテット・フォーミュラ規格のパーツも沢山持ってきてますし、防塵フィルタもいいのがありますよ。あとで整備、ご一緒させてください」

「ん、助かる……サンキュな。その……なんつーか」


 こういう時、どうしてもユートは口が不器用になる。コクピットに乗ればミリ単位の精密な攻撃と飛行が可能なのに、日常生活となるとまるでダメだ。普段の高校生活……否、普段の空での生活の合間の、高校生という時間が苦手だ。人を殺すことばかり上手くなる一方で、触れ合い語らう意思疎通の力が発揮できない。

 だが、気さくに笑って零児は言葉を続ける。


「でも、凄いですね……こんな見たこともない機体が、まだ空を飛んでるなんて」

「ああ、RAYは特別だからな。飛ぶさ、飛び続ける……どんなに空が狭くなっても、その先へと飛ぶんだ」


 ユートの心は常に、空にある。

 飛んでる時だけが、生を実感できた。そして、自分が強襲可変戦闘機の一部であり、一体化した瞬間だけ、平穏と安らぎを得られるのだ。

 今という時代、空は狭い。

 天には飛行戦艦がのさばり、高高度の蒼穹そうきゅうは完全対空力を持つ暴君タイラント支配領域テリトリーだ。

 地にはパラレイドが次元転移ディストーション・リープしてきて、強力な光学兵器から逃げるすべはない。

 それでもユートは飛ぶ……そして、あの人もそうだと思っていた。


「えっと、亮司さんは? どうしてるかな」

「さっきまで僕と神柄の整備を……今は仮眠をとってます。凄いですね、あれだけ戦って自分で整備もして、終わったら三分とかからず座ったまま寝ちゃって」

「そう訓練されてるからな、俺らは。兵士にとって時間は有限なリソース、そしてその使い方が生死をかつ。……でもまあ、確かに変わった人だ、それはよくわかったよ」


 無慈悲な空をそれでも飛び続ける、地球最後の航空団……第101統合戦闘群。そのエースパイロットである亮司は、一言で言えば変わり者だった。最初は、もっと誇り高き空の戦士、エースの名に恥じない矜持きょうじを持つ男だとユートは思っていた。

 だが、現実の亮司は、冷静で冷徹、時には冷酷なまでにクールな兵士だった。

 戦士ではなく、兵士……あらゆる感情を胸に沈めて戦い、そうしなければ生き残れない戦場で勝ち抜いてきたのだ。思っていた人物像とは違ったが、不思議とユートは妙な満足感を得ていた。


「この地球じゃ、戦う限り正気じゃいられない……まして飛ぶなんて、狂気の沙汰さたってことなのかもな」

「え? なにか言いました? ユートさん」

「いや、いいんだ。それより、飯だろ?」

「ああ、そうでした。それで呼びに来たんです。朝食の後で、こいつはゆっくり手を入れてやりましょう。飛ぶからには今できるベストを尽くさないと」

「だな」


 吹きさらしの甲板を歩いて、ユートは零児と一緒に鋼鉄の扉を開ける。少しかしいだ音の先には、既に仲間たちが集まっていた。適当なジェリ缶やポリタンク、コンテナ等に座っている。ユートはすぐに出されたトレイを受け取りつつ、ふと妙な違和感に気付いた。

 このサンダー・チャイルドなる巨大な人型戦艦は、次元転移で現れた。

 なのに、乱雑に散らばる周囲の品々には妙に統一感がない。

 赤錆びたコンテナがある一方で、新品同然の見たこともない資材が放置されている。梱包された品々も知らないタイプだし、そんな中にドラム缶が転がったりしていた。

 一言で言って、節操がない。

 まるでSF漫画の宇宙船に石器時代や消費社会が詰め込まれたかのようだ。

 そんなことを思っていると、トレイを渡してくれた女性が首を傾げる。


「どしたの? ユート……お腹、空いてないのかしら?」

「え? あ、ああ、いえ! なんでも、ないです」

「食べるのもパイロットの仕事よ? せっかく零児が用意してくれたんだから」


 彼女は亮司の相棒で、第101統合戦闘群のナンバーツー、望天吼のパイロットの虹雪梅ホンシュェメイだ。ポニーテイルの彼女は、くりくりとした目で笑うと「冷めないうちに食べましょ」と言って……不意にユートのトレイからチキンを一本無断で拝借してゆく。


「あ、ちょっと! 虹さん!」

「雪梅でいいわ、ンー! 美味おいしい! 日本って冷凍食品や缶詰かんづめも美味しい国なのよね」

「はあ……俺の、チキン」

「じゃあ、お返しにジャガイモをあげるわ。交換よ」


 笑う雪梅に、やれやれと苦笑する亮司の姿が視界の隅に浮かんだ。

 そうこうしていると、しゃがれた声が突然叫ばれる。


「こっ、こ、ここ、これは!? ……なんということだ、驚いたな」

「あれ? どうしたんですか、ヨゼフさん」

「いや、零児。美味いんだよ、不思議と……こんなに美味い物があるとはなあ」

「はは、真空パックや缶詰の類を温めただけですけどね。でも、温かい食事はそれだけで元気が出ますから」

「ああ、士気にも関わる。……缶詰? あの、よく掘り出される膨らんだゴミが? これなのか? どうなっているのだ、それとこの肉だ」

「チキン、ダメでした? ハムかなにかを温めましょうか」

「チキン……ああ、あの四つ足か! あれを食べるのか、酔狂な地域に来たものだ」


 彼の名はヨゼフ・ホフマン、このサンダー・チャイルドと一緒に次元転移してきた一人だ。今、トレイを持つ手を震わせながら、隻眼を大きく何度もまばたきさせている。

 その言葉に改めてユートは、昨夜のブリーフィングで聞かされた事実を思い出した。


「『あちら』の地球、か……そういや、あの真道歩駆シンドウアルクって奴もそこから来たって。信じられない、けど、事実で現実なのか」


 優れた兵士に必要なのは、適格な現状把握である。彼らの出自に興味はないが、成り行きでユートも一緒なのだ。ただサクラ付きに、亮司に会えればそれでよかった。先のことは考えてなかったし、亮司に会えば先が見える気がしていた。

 それが正しかったかどうか確かめるためにも、行動を共にするとユートは決めたのだ。


「んー! いい匂いっ! ほら歩駆、ごはんだよ! ごはん食べないと、私たち人間は死んじゃうんだよ? 食べよ食べよっ」


 思わずユートが「いやいや、お前人間じゃないだろ」と心の中で突っ込みを入れてしまう、そんな声が響いた。タラップをカンカンと鳴らしながら、銀髪の少女が現れる。名は体を表す通りで、彼女はシルバーと名乗っていた。そして驚くことに、このサンダー・チャイルドをヨゼフと二人で動かしているのだという。

 彼女が手を引き強引に連れるのは、まだうつむいている歩駆だった。

 彼は少し顔を上げたが、ユートと目が合うと下を向いてしまった。


「わー、なになに? おやっさん、なに食べてるの?」

「食える缶詰に、食えるチキンだ」

「へー、あの四つ足って食べれるんだ。……缶詰? どうやってあんな鉄屑てつくずを?」

「お前も食える時に食っておけ。今日は忙しくなるからな」


 シルバーはロボット、アンドロイドだとユートは軽く説明を受けた。だが、どこにでもいる年頃の少女のように見えるし、そうとしか見えないから輝く銀腕が奇妙な違和感を奏でていた。

 それよりなにより、ロボも食事するのかと驚かずにはいられない。

 そんなユートの視線を受けつつ、彼の何倍もシルバーは驚いてみせるのだった。


「うわっ、なにこれ! おいしい! パリパリジュワーでモンギュモギュだ! ほら歩駆、これ凄いね! え? 食べないの? 駄目だよ、せめて半分は食べなきゃ」


 既に歩駆のトレイにも手を付け始めているシルバーは、しれっと大きな青い瞳を輝かせていた。至福の表情で頬を染める彼女とは対照的に、歩駆の顔には生気がない。

 フォークで付け合わせのパスタを突きながら、ユートは気づけば歩駆ばかり見ていた。

 だが、零児が渡してくれたマグのコーンスープを飲みつつ、ユートは盛大にそれを吹き出す羽目になる。


「元気出しなよ、歩駆。やっちゃったものはしょーがないよ。ね? 私、昨晩一緒にいてあげたじゃん。立ち直らないと生きてけないよ?」

「ブアッ!? ふ、はぁ……そ、そそそ、それって」

「ん? どしたの、ユート。あ、なにそれ、なに飲んでるの? 零児、私にもあれちょーだいっ! なんか、イイ匂いするよ」


 束の間の休息で賑やかな朝食に、自然と皆の緊張感が和らいだ。ヨゼフはシルバーの発言を気にした様子もなく、雪梅だけがニヤニヤと生温かい笑みを浮かべていた。

 亮司が声を発したのは、そんな時だった。


「みんな、聞いてくれ。今後だが……先ほど連絡が入った。俺たちはこの砂漠を突っ切り、ドバイへと向かう。ドバイに入れば、中東連合も表立っての追撃をやめるそうだ」

「ドバイ? ドバイって、慰安特区いあんとっくのあのドバイ?」


 かつて第二の摩天楼まてんろうと言われた中東の宝石、ドバイ……今は中立地帯としていかなる軍も展開禁止の緩衝地帯、そしてあらゆる国の兵士の慰安特区になっている。

 雪梅の言葉に頷きつつ、亮司は平静な声を平坦にさえ思えるほど冷静に強張らせる。異様に落ち着いていて、喋りながらも手元はトレイの中身をかき混ぜている。

 よく見れば亮司は、朝食をあらかた一緒にかき混ぜてしまっている。

 それをまるで、機械が燃料を補給されるように自分へと流し込んでいるのだ。

 やはり、おかしい……妙だ。

 亮司の言動にはなにも間違いはないのに、欠落をユートは感じた。


「ドバイまで行けば、基地司令と独立治安維持軍の保護下に入れる。海岸線まで出れば勝ちだが、なにか質問は?」

「あ、んじゃあ……亮司、勝算は? ドバイだと砂漠を突っ切ることになるけど、この先には中東連合の砂海艦隊サンドフリートがいるわよ。私たちはともかく、このデカブツは」

「サンダー・チャイルド! サンダー・チャイルドだよー!」

「え、ええ、そうねシルバー。サンダー・チャイルドは艦隊を振り切れないわ」


 スプーンを振り上げ言葉を挟んだシルバーに微笑みつつ、雪梅の言葉はユートの懸念に先回りしていた。砂海艦隊とは、第二次冷戦と呼ばれる時代の遺物、この砂漠を支配する巨大な陸上艦艇の群れだ。中東連合にとってこの広大な砂漠は、それ自体が乾いた海なのである。

 そして、中東連合のテリトリーを横切るように南進しなければ、ドバイには行けない。

 その時、意外な人物が声を上げた。


「ドバイまで行けば、みんな……みんな、助かるのか?」


 か細い消え入るような声は、歩駆だった。彼はようやく顔を上げると、


「そこまで行けば……その道のりを戦い抜けば、俺は。でも」

「真道歩駆。基地司令を通して話は聞いている。信じがたいことだが、お前は異変調査団いへんちょうさだんの一員であると同時に……『あちら』の地球から来た異邦人だそうだな」


 亮司は相変わらず、ポテトサラダと塩ゆでパスタにヨーグルトを混ぜたものを食べながら話す。今の彼にとっては、食事という文化的な栄養摂取も興味の埒外らちがいのようだ。

 歩駆はようやく瞳に力を宿して、一同を見渡し頷いた。


「俺は『こちら』の地球の人間じゃない、まして軍人でもないし……でも持った力を振るってしまった。探していた自分、ヒーローになった自分自身に溺れてしまった。ような、気がする」


 誰もが黙って言葉を待つ中で、歩駆の声にはどんどん力が蘇っていった。

 気づけばユートも、食事の手を止めじっと彼を見詰めている。


「罪滅ぼし、じゃなくてさ。なんか……力に溺れて酔った俺が、今度はそのことに落ち込む自分にひたってるなんて、さ。そんなんで『あちら』の地球に帰ろうだなんて……俺は決めた、誓ったんだ。必ず帰る、そのために……ヒーロー気取りじゃない、本当の、本物のヒーローをやるって」


 零児は笑顔だったし、ヨゼフと雪梅は互いを見合って肩を竦める。誰からも今、温かなまなざしが歩駆に注がれていた。あの亮司すらも、それでいいと言わんばかりに頷いている。


「よぉーしっ! おやっさん! ゴハンを食べたら出発しよ! えっと、零児、だっけ。サンダー・チャイルドは」

「現状でできる限りの手は尽くしました、動けます。砂漠だから冷却系に不安がありますが、僕が逐一作業して支えますから」

「決まりだな。ユート、お前はどうする? ……聞くまでもないと思うが」


 亮司の言葉にユートは、ただ黙って首を縦に振るだけだった。

 そして、一同は空になったトレイを手に立ち上がる。数奇な運命の中で集った運命共同体の、決死の脱出劇が始まろうとしている。

 まばゆい光が朝日を塗り潰したのは、その時だった。


「なんだ? 今の光は……南の方だったな。雪梅、甲板に出るぞ」

「おやっさん! 今の光って、私たちの!」

「あ、ああ……似ていた。この砂だらけの土地に飛ばされた、あの光に」


 開け放たれていたドアの向こうから、まばゆい光が空と砂漠を包み込む。白一色の世界に七色の輝きが弾ける、それは……誰の目にも明らかな、次元転移の光芒だった。

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