第22話「夜明けに吼える」
極寒の夜が明け始めると、砂の大地は
金色の砂漠がゆっくりと温められゆく、その
「夜明けか。あいつ、ちゃんと寝てるんだろうな。……昨日はちょっと、凄く、言い過ぎがかも」
ひとりごちてユートは、甲板上に駐機するEYF-X RAYに歩み寄る。ヘリポートよりも狭い、サンダー・チャイルドの張り出した装甲版の一角への着陸は困難を極めた。ユートは
滑走路も
「おはよう、RAY。今日も頼む、な……なかなかにタフな一日になりそうだ」
かぶせられた
朝日に黒光りする愛機の周囲を一周してから、さっそくユートは仕事に取り掛かる。
幼少期から叩き込まれた兵士としての本能は、自分の命を預ける機体へ一切の妥協を許さない。これが例え完全に設備と人員の行き届いたホームの基地でも、彼は自らの目と手とで機体をチェックするだろう。
「……チッ、これだから砂漠は。細かい砂はどこにでも入り込んでくる」
電装系の小さなメンテハッチを開けると、サラサラと砂金のように輝く
だが、精密機械の塊である機動兵器にとっては、天敵とも言えた。
局地戦用に改修され、防塵対策の整った機体であれば問題ないのだが。
ユートは
そんな時、背後で声がしてユートは振り返る。
「おはようございます、ユートさん。昨夜はよく眠れましたか?」
「お前は……えっと、
「零児って呼んでください。そいつの整備、遅れてて済みません。昨夜は
「あ、いや……いいんだ」
汚れたツナギの少年がそこには立っていた。名は八尺零児、ユートとは同い年だ。
どこか柔和で温厚、ともすれば弱気に見える少年が目を細めてはにかんだ。
「ユナイテット・フォーミュラ規格のパーツも沢山持ってきてますし、防塵フィルタもいいのがありますよ。あとで整備、ご一緒させてください」
「ん、助かる……サンキュな。その……なんつーか」
こういう時、どうしてもユートは口が不器用になる。コクピットに乗ればミリ単位の精密な攻撃と飛行が可能なのに、日常生活となるとまるでダメだ。普段の高校生活……否、普段の空での生活の合間の、高校生という時間が苦手だ。人を殺すことばかり上手くなる一方で、触れ合い語らう意思疎通の力が発揮できない。
だが、気さくに笑って零児は言葉を続ける。
「でも、凄いですね……こんな見たこともない機体が、まだ空を飛んでるなんて」
「ああ、RAYは特別だからな。飛ぶさ、飛び続ける……どんなに空が狭くなっても、その先へと飛ぶんだ」
ユートの心は常に、空にある。
飛んでる時だけが、生を実感できた。そして、自分が強襲可変戦闘機の一部であり、一体化した瞬間だけ、平穏と安らぎを得られるのだ。
今という時代、空は狭い。
天には飛行戦艦がのさばり、高高度の
地にはパラレイドが
それでもユートは飛ぶ……そして、あの人もそうだと思っていた。
「えっと、亮司さんは? どうしてるかな」
「さっきまで僕と神柄の整備を……今は仮眠をとってます。凄いですね、あれだけ戦って自分で整備もして、終わったら三分とかからず座ったまま寝ちゃって」
「そう訓練されてるからな、俺らは。兵士にとって時間は有限なリソース、そしてその使い方が生死を
無慈悲な空をそれでも飛び続ける、地球最後の航空団……第101統合戦闘群。そのエースパイロットである亮司は、一言で言えば変わり者だった。最初は、もっと誇り高き空の戦士、エースの名に恥じない
だが、現実の亮司は、冷静で冷徹、時には冷酷なまでにクールな兵士だった。
戦士ではなく、兵士……あらゆる感情を胸に沈めて戦い、そうしなければ生き残れない戦場で勝ち抜いてきたのだ。思っていた人物像とは違ったが、不思議とユートは妙な満足感を得ていた。
「この地球じゃ、戦う限り正気じゃいられない……まして飛ぶなんて、狂気の
「え? なにか言いました? ユートさん」
「いや、いいんだ。それより、飯だろ?」
「ああ、そうでした。それで呼びに来たんです。朝食の後で、こいつはゆっくり手を入れてやりましょう。飛ぶからには今できるベストを尽くさないと」
「だな」
吹きさらしの甲板を歩いて、ユートは零児と一緒に鋼鉄の扉を開ける。少し
このサンダー・チャイルドなる巨大な人型戦艦は、次元転移で現れた。
なのに、乱雑に散らばる周囲の品々には妙に統一感がない。
赤錆びたコンテナがある一方で、新品同然の見たこともない資材が放置されている。梱包された品々も知らないタイプだし、そんな中にドラム缶が転がったりしていた。
一言で言って、節操がない。
まるでSF漫画の宇宙船に石器時代や消費社会が詰め込まれたかのようだ。
そんなことを思っていると、トレイを渡してくれた女性が首を傾げる。
「どしたの? ユート……お腹、空いてないのかしら?」
「え? あ、ああ、いえ! なんでも、ないです」
「食べるのもパイロットの仕事よ? せっかく零児が用意してくれたんだから」
彼女は亮司の相棒で、自称第101統合戦闘群のナンバーツー、望天吼のパイロットの
「あ、ちょっと! 虹さん!」
「雪梅でいいわ、ンー!
「はあ……俺の、チキン」
「じゃあ、お返しにジャガイモをあげるわ。交換よ」
笑う雪梅に、やれやれと苦笑する亮司の姿が視界の隅に浮かんだ。
そうこうしていると、しゃがれた声が突然叫ばれる。
「こっ、こ、ここ、これは!? ……なんということだ、驚いたな」
「あれ? どうしたんですか、ヨゼフさん」
「いや、零児。美味いんだよ、不思議と……こんなに美味い物があるとはなあ」
「はは、真空パックや缶詰の類を温めただけですけどね。でも、温かい食事はそれだけで元気が出ますから」
「ああ、士気にも関わる。……缶詰? あの、よく掘り出される膨らんだゴミが? これなのか? どうなっているのだ、それとこの肉だ」
「チキン、ダメでした? ハムかなにかを温めましょうか」
「チキン……ああ、あの四つ足か! あれを食べるのか、酔狂な地域に来たものだ」
彼の名はヨゼフ・ホフマン、このサンダー・チャイルドと一緒に次元転移してきた一人だ。今、トレイを持つ手を震わせながら、隻眼を大きく何度も
その言葉に改めてユートは、昨夜のブリーフィングで聞かされた事実を思い出した。
「『あちら』の地球、か……そういや、あの
優れた兵士に必要なのは、適格な現状把握である。彼らの出自に興味はないが、成り行きでユートも一緒なのだ。ただサクラ付きに、亮司に会えればそれでよかった。先のことは考えてなかったし、亮司に会えば先が見える気がしていた。
それが正しかったかどうか確かめるためにも、行動を共にするとユートは決めたのだ。
「んー! いい匂いっ! ほら歩駆、ごはんだよ! ごはん食べないと、私たち人間は死んじゃうんだよ? 食べよ食べよっ」
思わずユートが「いやいや、お前人間じゃないだろ」と心の中で突っ込みを入れてしまう、そんな声が響いた。タラップをカンカンと鳴らしながら、銀髪の少女が現れる。名は体を表す通りで、彼女はシルバーと名乗っていた。そして驚くことに、このサンダー・チャイルドをヨゼフと二人で動かしているのだという。
彼女が手を引き強引に連れるのは、まだ
彼は少し顔を上げたが、ユートと目が合うと下を向いてしまった。
「わー、なになに? おやっさん、なに食べてるの?」
「食える缶詰に、食えるチキンだ」
「へー、あの四つ足って食べれるんだ。……缶詰? どうやってあんな
「お前も食える時に食っておけ。今日は忙しくなるからな」
シルバーはロボット、アンドロイドだとユートは軽く説明を受けた。だが、どこにでもいる年頃の少女のように見えるし、そうとしか見えないから輝く銀腕が奇妙な違和感を奏でていた。
それよりなにより、ロボも食事するのかと驚かずにはいられない。
そんなユートの視線を受けつつ、彼の何倍もシルバーは驚いてみせるのだった。
「うわっ、なにこれ! おいしい! パリパリジュワーでモンギュモギュだ! ほら歩駆、これ凄いね! え? 食べないの? 駄目だよ、せめて半分は食べなきゃ」
既に歩駆のトレイにも手を付け始めているシルバーは、しれっと大きな青い瞳を輝かせていた。至福の表情で頬を染める彼女とは対照的に、歩駆の顔には生気がない。
フォークで付け合わせのパスタを突きながら、ユートは気づけば歩駆ばかり見ていた。
だが、零児が渡してくれたマグのコーンスープを飲みつつ、ユートは盛大にそれを吹き出す羽目になる。
「元気出しなよ、歩駆。やっちゃったものはしょーがないよ。ね? 私、昨晩一緒にいてあげたじゃん。立ち直らないと生きてけないよ?」
「ブアッ!? ふ、はぁ……そ、そそそ、それって」
「ん? どしたの、ユート。あ、なにそれ、なに飲んでるの? 零児、私にもあれちょーだいっ! なんか、イイ匂いするよ」
束の間の休息で賑やかな朝食に、自然と皆の緊張感が和らいだ。ヨゼフはシルバーの発言を気にした様子もなく、雪梅だけがニヤニヤと生温かい笑みを浮かべていた。
亮司が声を発したのは、そんな時だった。
「みんな、聞いてくれ。今後だが……先ほど連絡が入った。俺たちはこの砂漠を突っ切り、ドバイへと向かう。ドバイに入れば、中東連合も表立っての追撃をやめるそうだ」
「ドバイ? ドバイって、
かつて第二の
雪梅の言葉に頷きつつ、亮司は平静な声を平坦にさえ思えるほど冷静に強張らせる。異様に落ち着いていて、喋りながらも手元はトレイの中身をかき混ぜている。
よく見れば亮司は、朝食をあらかた一緒にかき混ぜてしまっている。
それをまるで、機械が燃料を補給されるように自分へと流し込んでいるのだ。
やはり、おかしい……妙だ。
亮司の言動にはなにも間違いはないのに、欠落をユートは感じた。
「ドバイまで行けば、基地司令と独立治安維持軍の保護下に入れる。海岸線まで出れば勝ちだが、なにか質問は?」
「あ、んじゃあ……亮司、勝算は? ドバイだと砂漠を突っ切ることになるけど、この先には中東連合の
「サンダー・チャイルド! サンダー・チャイルドだよー!」
「え、ええ、そうねシルバー。サンダー・チャイルドは艦隊を振り切れないわ」
スプーンを振り上げ言葉を挟んだシルバーに微笑みつつ、雪梅の言葉はユートの懸念に先回りしていた。砂海艦隊とは、第二次冷戦と呼ばれる時代の遺物、この砂漠を支配する巨大な陸上艦艇の群れだ。中東連合にとってこの広大な砂漠は、それ自体が乾いた海なのである。
そして、中東連合のテリトリーを横切るように南進しなければ、ドバイには行けない。
その時、意外な人物が声を上げた。
「ドバイまで行けば、みんな……みんな、助かるのか?」
か細い消え入るような声は、歩駆だった。彼はようやく顔を上げると、
「そこまで行けば……その道のりを戦い抜けば、俺は。でも」
「真道歩駆。基地司令を通して話は聞いている。信じ
亮司は相変わらず、ポテトサラダと塩ゆでパスタにヨーグルトを混ぜたものを食べながら話す。今の彼にとっては、食事という文化的な栄養摂取も興味の
歩駆はようやく瞳に力を宿して、一同を見渡し頷いた。
「俺は『こちら』の地球の人間じゃない、まして軍人でもないし……でも持った力を振るってしまった。探していた自分、ヒーローになった自分自身に溺れてしまった。ような、気がする」
誰もが黙って言葉を待つ中で、歩駆の声にはどんどん力が蘇っていった。
気づけばユートも、食事の手を止めじっと彼を見詰めている。
「罪滅ぼし、じゃなくてさ。なんか……力に溺れて酔った俺が、今度はそのことに落ち込む自分に
零児は笑顔だったし、ヨゼフと雪梅は互いを見合って肩を竦める。誰からも今、温かなまなざしが歩駆に注がれていた。あの亮司すらも、それでいいと言わんばかりに頷いている。
「よぉーしっ! おやっさん! ゴハンを食べたら出発しよ! えっと、零児、だっけ。サンダー・チャイルドは」
「現状でできる限りの手は尽くしました、動けます。砂漠だから冷却系に不安がありますが、僕が逐一作業して支えますから」
「決まりだな。ユート、お前はどうする? ……聞くまでもないと思うが」
亮司の言葉にユートは、ただ黙って首を縦に振るだけだった。
そして、一同は空になったトレイを手に立ち上がる。数奇な運命の中で集った運命共同体の、決死の脱出劇が始まろうとしている。
まばゆい光が朝日を塗り潰したのは、その時だった。
「なんだ? 今の光は……南の方だったな。雪梅、甲板に出るぞ」
「おやっさん! 今の光って、私たちの!」
「あ、ああ……似ていた。この砂だらけの土地に飛ばされた、あの光に」
開け放たれていたドアの向こうから、
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