第21話「銀色に染まる渇き」
日没の
無骨な四肢は強靭で、砂の上でもびくともせず安定して立ち尽くしている。全身にはいたるところに兵装が並び、砲塔や対空機銃らしきものが夕焼けの空に突き出ていた。
ゆっくりと沈む太陽が染める地の果てを、ぼんやりと歩駆は眺める。
「感謝するぞ、リョージ。そしてレージも。長らく砂嵐の中を
「いえ、自分は貴艦を……この巨大な人型兵器を保護するよう、要請を受けただけですので」
「それは僕も同じです。でも、凄いですね……原子炉を三基も搭載して、他にもなにか動力部らしきものが。そっちはよくわからないんで手をつけませんでしたが、故障箇所は応急処置しておきました。多分、動けると思います」
男たちの会話が歩駆の頭の中を素通りする。
先行してこの
退けられると思って、なにをしたか。
知らないからこそ、零児は甲板の隅に縮こまる歩駆を見つけると、駆け寄ってきた。
「歩駆さん、紹介しますよ。あの方がヨゼフ・ホフマンさんで……歩駆さん?」
失意の歩駆には今、顔をあげることさえできない。
ただただ、沈んでしまった太陽が最後の
目の前に立って屈んだ男が、不器用な笑みを浮かべて目線を並べてくれた。
右目に眼帯をした壮年の男で、筋肉質の日に焼けた肌をしていた。
「お前さんは、さっきの白いののパイロットだな? 礼を言わせてくれ、ありがとう」
「ありが……とう?」
オウム返しに感謝の言葉を繰り返し、歩駆はようやく男の顔を見る。
そこには、厳つい岩のような顔があった。
年の頃は、丁度自分の父親くらいか、それより少しは
「そうだ、ありがとうと言ったんだ。あの連中は砂嵐の中でもずっと、俺たちを付け回してきたんだ。凄いな、ここは……まだ信仰心なんてものが残っているなんて」
「凄い? 信仰心……?」
「ああ、どこのテリトリーだ? まさか宗教なんてものを信じてる人間がまだいるとは……いや、遠くに聞いた話は幾つかあるが。祈るべき神を持ってるなんざ、こんな
「ええと、それは……」
「名乗り遅れたな。俺はヨゼフ、ヨゼフ・ホフマンだ。改めて礼を言う」
ヨゼフと名乗った男は、手を差し出してきた。
ゴツゴツとした無骨な手が、握手を求めて鼻先にある。
だが、歩駆はそれを見詰めたまま身動きできなかった。ようやく意図を理解して、自分の手を持ち上げたが……その指はまだ、あの一撃の感触を覚えている。操縦桿へ押し込んだトリガーの肌触りすら蘇って、歩駆は震えが止まらなかった。
結局歩駆は、鼻から溜息を零すヨゼフの前で自分の肩を抱くしかできない。
こみ上げる
「やれやれ、どうにも繊細な少年だね。こんな子がでも、どうしてあんな兵器に……どこのテリトリーも人材不足と聞いてるが、これは――」
説明を求めるようにヨゼフが立ち上がった、その時だった。
カツカツと金属を鳴らすブーツの音が響いて、割り込むように歩駆の前に影が立った。
次の瞬間、歩駆は襟首を
自分で立つ気力もなくぶら下がる歩駆の首元を、熱くて、そして自分同様に震える手が握り締めてくる。
「おいっ、お前っ! さっきの白い機体のパイロット、お前だな……なにをした!」
「……俺は」
「まともな火力じゃなかった、戦略兵器級だぞ! どうしてそんなものを使った。連中は、お前が下手に刺激して暴れたから、退けなくなった。だから俺らが退くしかなかったのに、この有様だ!」
背後で若いパイロットらしき男、先程リョージと呼ばれていた青年が「やめろ、クーガー」と静かに制する。その声は驚くほどに穏やかなのに、有無を言わさぬ強さがあった。
しかし、クーガーと呼ばれた少年の手は、まだ歩駆を掴んで離さない。
声で思い出したが、先ほどの戦闘で介入してきた変形する機体のパイロットだ。
「サクラ付きっ! まかり間違えば、俺たちも巻き添えになっていた」
「よせと言った、クーガー」
「……ユートだ。ユート・ライゼス。お前は――」
「
先ほどの空戦タイプを操る二人は、対照的だった。
ユートはまるで炎のような激情で歩駆を
対して亮司は、鋭くも暗い目に凍れる氷河が灯っている。
両者を見渡し、あうあうと零児がヨゼフに助け舟を求めようとした、その時だった。
溜息を零して亮司が、少しだけ口調を和らげた。
「ユート、言いたいことをはっきりと言ったらどうだ。俺に翼の誇りをぶつけてきた男が、回りくどいんじゃないかな」
「……は、恥ずかしいんだよ。面と向かってそういうのは」
「少年少女にだけ許される特権だと思うがね」
「わーってるよ、わかってる……わかってはいるんだ」
改めてユートは、力を込めた手で歩駆を目の前に引き込む。
眼前に真っ直ぐな眼差しを湛えたユートの双眸があって、思わず歩駆は目を背けた。
「真道歩駆、とか言ったな……おい、歩駆っ! お前には、戦う者としての
「ルール? ……掟……矜持に、誇り」
「そうだ。今回の戦闘だって、お前が介入して無駄な戦闘を広げなければ、俺と亮司で撤退させれたかもしれないんだ。それをお前はやり過ぎた挙句、連中を!」
ユートの言葉に、歩駆の脳裏に昼間の光景がフラッシュバックする。
なんとか繋がった「あちら」の地球、まだ東京がある世界……
自分の生まれて暮らした方の地球が気になった。
そして、事情を知っているらしい途切れ途切れの声に促されるまま……
ミサイル、ただの通常火力だと思ったのだ。
それは現実には、異常発生した重力場が作る次元の狭間に、全てを吸い込み消滅させたのだ。熱砂の海に突如として発生した暗黒の奈落が、あらゆるものを飲み込み粉砕してしまった。
それは全て、歩駆が犯した罪として今も心を
それでもユートは、
「俺は……探し続けていた。この空を飛べなくなって、多くの仲間たちが消えていった。それでも飛びたいと思った、そう翼に願って……まだ飛んでる男に会いたかった」
「……それで?」
「俺は俺なりに、ちっぽけなプライドを背負って飛んでいるんだ。それが、俺を
最後の一言と共に、ユートは手を離した。
その場にへたり込んだ歩駆に、最後の一言が突き刺さる。
――戦いと皆殺しは、違うんだよ。
違ったらしい、そして違うのだろうかという疑問。どう違うのかもわからないし、なにがわからないのかもわからない。
歩駆はただ、ヒーローになれると思っていた。
あの日、新宿で模造獣が再び現れた瞬間……白亜に輝くゴーアルターと出会って、変われると思った。自分が変わって、世界を変えると信じていた。そして謎の発光現象と共に、見知らぬ「こちら」の地球にやってきたことで、確信したのだ。
運命的なイベントが続く中で、自分はヒーローになるしかないと。
だが、現実には違った……敵を
なによりも、その強過ぎる力をこそ、歩駆は知らなかったのだ。
「そこまでにしておけ、ユート・ライゼス。結果的にだが俺たちは助けられたとも言える。……
「亮司、それは! ……そうだ、けど。俺も、わかってる。でも」
「悪いがな、ユート。誇りでは飯は食えんし、誇りと引き換えに出来るほど命は易くはない」
「でも! でも……それを失ったら俺たちは、俺たちの翼はただの人殺しの機械になっちまう」
「……そうだな。お前は正しい。そして、そう思えるお前はまだ人殺しでも機械でもないさ」
亮司が
去ってゆくユートは、思い出したように足を止めると、こっちを見もせずに呟いた。
「それと……礼は言っておく。助かったのは事実だからな。だから、もうちょい考えて戦えよ。あんなすげえ力があるなら、使い方次第でお前はもっと……いや、今はいい。サンキュな、それと、悪かったよ」
和らいだ声音を残して、ユートは去っていった。
その言葉が、歩駆の胸に僅かな温もりを残してゆく。
やれやれと肩を
再び歩駆は膝を抱えて、もぞもぞと小さく背を丸める。
先ほどと違って、
「あ、そうだ……亮司さん。あの、この艦……さっき、動力部に入って少し修理したんですけど」
「八尺零児君、だったな。どうした、なにか妙なことでも?」
「妙どころじゃないですね。この艦、原子炉が三基あって、今はそれで動いているんですけど」
「今は?」
「明らかに動力バイパスや配管の流れを追うと、どこかに違う動力炉が……主機がある筈なんです。三基の原子炉は本来、それを補助するサブ動力というか。それに」
零児は少し迷ったようだが、
「信じられないかもしれないですけど……僕も信じられません。ですが……この艦の原子炉、及びその周辺のあらゆる機器、兵装や装備もろもろが、その……ありえない経年程度なんです。詳しくは調べてませんが、軽く数百年は経過してて、それでも動いてる水準の技術なんです」
終始冷静だった亮司が、僅かに息を飲む気配が歩駆にも伝わった。
「……数百年というのは確かに妙だな。そんな大昔の技術で、こんな艦が作れる筈はない」
「それに、それだけの年月を経て尚、ある程度ちゃんと動いているんです……信じられますか? 過去に作られた未来の技術の塊なんです」
「わかった、とりあえずそのことは俺で止めておこう。後日、上官へのレポートに記しておく。それまで口外しないで欲しい」
「は、はい」
「そうと決まれば、俺の
それが亮司の優しさなのか、諦めなのか、それとも軍人としての冷静な判断なのかはわからない。だが、後ろ髪を引かれる思いの零児が「夕御飯、温めておきますね。また後で」と言い残してくれる。そんな彼らの足音が遠のくと、抱いた膝に顔を埋めて歩駆は泣いた。
不思議と涙が溢れて、震えが止まらなかった。
この地球に……「こちら」の地球に、歩駆は
大昔に中国やロシアがあった大陸に、ゲルバニアンと向かい合うエークスがある「あちら」の地球……しかし、バルト・イワンド大尉たちも同じ星の異国人で、その上に今は一緒にはいない。ここには
そして、理不尽としか言いようがない無自覚な凶行が、孤立を招いていた。
「クソッ、どうして……俺はただ、ゴーアルターで……ヒーローに、なりたかっただけなのに。正義の味方をやって、なにかを守りたかったのに。なのに、それなのに」
気付けば空にはぼんやりと月が浮かんでいた。
涙目で見上げる夜空は、都会で見るよりも
熱砂の海は今、夜の世界に銀色の
昼夜の温度差は40度以上、灼熱地獄は夜には凍れる
思わずくしゃみが込み上げて、歩駆は鼻の下を指でこする。
そんな時、すぐ近くで声が弾んだ。
「おっす! 寒くない? ほら、これ使って!」
いつの間にか、すぐ近くに少女が立っていた。
そう、少女だ……全く気配がしない彼女は、月の光に銀髪をなびかせる女の子だった。その手が銀色に輝いてて、握るブランケットを突き出している。
思わず見惚れた歩駆を前に、少女はキョトンとしてしまった。
「あ、わかんないのかな……こーするんだ、よっと!」
ツナギを着た少女は、自分用に持っていたブランケットを被って見せる。ポンチョのように穴が空いてて、そこに首を通すタイプの物のようだ。彼女はそれにすっぽりと、やわらかな曲線で構成された身体のラインを覆った。そのまま一回転して見せて、ニシシと屈託なく笑う。
どうしてこの場にこんな女の子が……それも、雰囲気が妙だ。
それ以前に、涙を見られたのが恥ずかしくて歩駆は背を向けた。
「い、いや、俺は……大丈夫だから。いいんだ、別、にぃ!? って、おおお!?」
「震えてたけどなー? ほら、見てる方が寒くなるんだからさ。どうだっ!」
その少女は「よっと!」と、自分を覆うブランケットをまくり上げたかと思うと……歩駆の背に抱きつき、頭からそれを被せてきた。そして歩駆の首がようやく外気に飛び出た時には、すぐ背後に少女の笑顔があった。
背に密着してくる柔らかさが、不思議とひんやり冷たい。
それは、刺すような砂漠の冷気とは違って、不思議と歩駆の中の暗い
「あ、あのなあ! てか、重っ! 重い、なんだよお前っ!」
「えっと、君はあの白くてちっちゃいののパイロット? だよね? 他には空飛ぶちっちゃいのと、変形するちっちゃいのと、コンテナ背負ったちっちゃいの」
「そりゃ、この艦と比べりゃなんでも小さいさ。……ん? てことは、お前は」
「そだよ、私がこのサンダー・チャイルドを動かしてんだ」
すぐ耳元で、密着するような唇から言葉が零れる。
不思議と吐息は感じず、彼女の言葉が白く空気を彩ることもない。
ずっしり重い身体が背中に張り付いてきて、ついつい歩駆の頬が熱くなった。
「なんかね、おやっさんとサンダー・チャイルドのテスト中に突然、光が。それで気付いたら砂漠にいたんだよね。ここ、どこのテリトリー? 歩いて帰れる距離かなー」
「おやっさんってのは」
「おやっさんはおやっさんだよー、会わなかった?」
どうやら先ほど言葉を交わしたヨゼフのことらしい。
そして少女は、マイペースに言葉を続ける。
「私はシルバー!
「お、俺は歩駆……真道歩駆」
「そっか、今日はありがと! 助かっちゃったな。細かい敵はいちいち潰してられないし、サンダー・チャイルドも止まっちゃって立ち往生してたから」
「でも……殺さなくていい敵、消さなくていい人たちだった。俺は、そうとは知らずに、なにも知らずに」
「なるほど、命知らずってとこだね。確かにあの戦い、凄かったなあ。君の白いの、すっごく強いね!」
驚くほどに無邪気に、あっけらかんと笑うシルバー。だが彼女は、ブランケットの下で歩駆に腕を回してきた。肌とは違う感触が冷たくて、それなのに全く不快に感じない。
「でもさ、生きなくていい私ってのはない訳で。生きてる限りは助かったら、そりゃありがたいもの。それにさ、生きるって結構戦いだし、そゆの……ダメなの?」
「それは……」
「あの数をバシッ! とやっつけちゃうんだし、あれだけ派手に蹴散らせるんだからさ、それだけの力で救える命もあったりなかったり……ま、これから次第じゃないかなあ」
「これから? ……これから」
「そ、これから! 私はおやっさんと帰らなきゃいけないし、待ってる仲間たちもいるしね。そのためならなんでもやるし、立ち塞がる全ては粉砕してでも押し通る! そゆ感じ」
「随分、単純なんだな」
「シンプルな方がしなやかで強いんだよ?」
月明かりだけが照らす砂漠の寒さに、歩駆は涙を拭う。後ろのシルバーはその顔を見ない代わりに、遠慮無く体重を浴びせてきた。その不思議な感触と意外な重さに驚きつつも……歩駆の胸を満たすいくつもの言葉が
歩駆の中で罪は罪のまま、出血した心の傷になにかが触れた気がした。
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