第146話「欠けた月が暮れても」

 十六夜迦具夜イザヨイカグヤが目を覚ますと、そこは見知らぬ天井。

 すぐに自分の肉体状況を把握、大きな怪我がないことを知る。

 そして、記憶の糸を辿れば疑問符がこぼれた。


「どうして……アタシ、生きてる。氷威コーリィに撃墜されたはずじゃ」


 どうやら長い時間、気を失っていたようだ。

 そして、ここは友軍の施設ないしふねではない。同じ地球と月の民、国連軍が運用する艦船は技術的にはルナリア王国とそう変わらない。だが、今いる医務室らしき場所は、とても軍の内部とは思えなかった。

 あまりにも温かな風景で、緑も配置されリラックスできるからだ。

 ふと思い出す……リジャスト・グリッターズと呼ばれる者たちは、もう一つの地球から来たという。科学水準は同じくらいらしいが、ここは彼らの艦の中なのだろうか?


「それより、あの時……アキラを助けようとした、あの瞬間。不思議な感覚が……あれはなに?」


 今でも、つい先程のことのように覚えている。

 空中へと自らを放り出した、御門晃ミカドアキラ。その無謀なまでの勇気に、思わずカグヤは動いてしまった。自分を突き動かす衝動に、正直になってしまったのだった。

 直後、ゲーム仲間だった氷威に撃墜された。

 だが、今も自分は敵艦の中で生きている。


「……とにかく、脱出しなきゃ。でも、その前に……アキラの無事だけでも、確かめたいけど。それと、とも連絡を」


 その時だった。

 不意に医務室のドアが開く。

 それは、咄嗟とっさにカグヤが布団ふとんに戻るのと同時だった。ベッドで寝入ったふりをしながら、全神経を集中させる。

 ちらりと見たが、やってきたのは十代の少年だった。

 彼はカグヤではなく、その奥のベッドへと進む。そして、周囲を見渡し警戒心をとがらせた。まるで、人の目を盗んでの密会のようである。

 やがて彼は、ベッドの中の人物へと呼びかける。


「おい、起きてるんだろ? 目覚めているはずだ……ロキ」


 どうやら、奥のベッドの人物の名前らしい。

 そして、それが同年代の少年だとカグヤは知ることになる。

 酷く冷たい声が、不気味なくらいにんで響いた。


「お前は、確か……ミド・シャウネルか。フン、よく気付くじゃないか」

「ああ、気付いたさ。お前……記憶が戻っているな?」

「……だとしたら、どうする?」


 ミドと呼ばれた少年に対して、おぞましいまでの殺気が発せられた。

 底なしの闇に包まれたかのような錯覚が、離れたベッドに横たわるカグヤにまで伝わってくる。嘘偽うそいつわりのない、純化した殺意がそこにはあった。

 だが、ミドは鼻を鳴らして怯んだ様子がない。


「記憶がなかった頃のことを、覚えているか? ロキ」

「いや? それが全然……まさか、メイドをやらされてたなんてさ、笑えないよ」

「それなりに楽しそうだったけどな。まあ、それはいい」

「で? ボクになにをさせたいんだ。くだらないこと言ったら、殺すよ? 今でも、こうしておとなしく寝ているのは苦痛なんだ」


 とても不穏な声が行き交う。

 カグヤは、自分の見えない所で陰謀が始まるのを聴いてしまったのだ。

 リジャスト・グリッターズの中には、自分が送り込んだ少女以外にも、間者かんじゃがいる。強いきずなで結ばれていると思っていた部隊は、一枚岩ではなかったのだ。

 そして、ミドの声はさらに密やかに小さくささやかれた。


瞬雷しゅんらいの修理は完了している。起動パスコードも俺がこっそり変えておいた」

「おやおや、ボクにオモチャをくれるのかい? ……目的はなんだ、ミド・シャウネル」

「この部隊は……アレックスは、生ぬるい。異星人の脅威を前に、二つの地球を守るためには、もっと確固たる力が必要なんだ」

「ハハッ! それを人は暴力というんだよ? 自分たち以外を殺せば、自分たちの平和は保たれるからね」

「そうだ。そして、それを躊躇ちゅうちょするような正義の味方ごっこには、もう飽きてきたのさ」


 戦慄がカグヤを貫く。

 そして、決断はすでに迫っていた。

 こちらの潜入工作員と合流すべきか、更にはミドとロキをも戦力に加えるか。

 それとも、彼らの良からぬたくらみを防ぐべきか。

 だが、二人はすぐに会話をやめて、突然病人と見舞いの客に戻る。

 同時に、再び医務室のドアが開かれた。

 現れたのは、車椅子の男性ともうひとり……腰に軍刀サーベルを下げた国連軍の女性士官だ。


「やあ、悪いね斐燕ツバメ君。それとも、俺も氷威と読んだ方がいいかな」

「仲間たちは皆、そう呼びます。日暮さんもよければ、気軽にそう呼びつけてもらえれば」

「はは、若い娘さんをおじさんの散歩に付き合わせるのも、ちょっと気がひけるけどね」


 若い女性士官は、氷威……佐甲斐燕サカイツバメだ。

 どうやら彼女は、怪我人らしき男の車椅子を押しているようだ。

 だが、その様子を伺っていたカグヤは、ビクリと身を震わせる。


「……目が覚めているな? カグヤ」

「ッ! ど、どうして? どうやって」

「人の気配というものは、見知った仲同士では察することもできる。例えゲームの仮想現実バーチャルでも……お前は、私たちの戦友だった」


 失敗したと思った。

 だが、もう手遅れである。

 おずおずと身を起こせば、丁度ミドと目が合った。彼は日暮と呼ばれた中年の男に挨拶して、礼儀正しく出ていこうとしている。

 なにから話せばいいか迷った挙げ句、カグヤはようやく口を開いた。


「どうして、アタシを殺さなかったの? あれは、必中の距離だった」

「お前の〝シルバーン〟は無事だ。軽く推進系をやらせてもらっただけだからな。上手く不時着してくれて助かったよ。流石さすがの腕だ……アキラも無事だった」

「そ、そう。でも、質問の答にはなってないわ」

「アキラも巻き込まれる危険があった。それ以前に……私に、お前を殺す理由がない」

「どうして! アタシ、月の女王なのよ? ルナリアンを扇動して、戦争を起こしている」


 だが、氷威はなにも言わずにカグヤの前を通り過ぎた。

 そして、おもむろにテーブルの上のフォトビジョンをつける。すぐに立体映像で、ニュースらしき番組が浮かび上がった。

 そして、音量を上げつつ氷威はチャンネルを操作する。

 どうやら、録画してある番組を呼び出しているようだ。


「カグヤ、落ち着いて見て欲しい。これがあいつの……悠仁ユージンの選んだ道だ」


 録画されていた番組が再生された。

 それは、国連総会で演説をする、悠仁ことアームストロング大佐の姿だった。

 彼は両手を大きく開き、身振り手振りをそえて熱弁を奮っている。


『我々の愛した月の女王は、死にました! 殺されたのです! あの、リジャスト・グリッターズとかいう、国家の管理を逃れた無法な軍事集団によって!』


 カグヤは耳を疑った。

 言われた言葉の意味が、上手く頭の中に入ってこなかった。

 だが、悠仁のアジテーションはさらに加速してゆく。


『我々はここに、リジャスト・グリッターズの地球退去動議をもって、採決を要求します! 彼らは正義の執行を声高に叫ぶ、なのです』


 そんなことはない。

 少なくともアキラは違うし、氷威だってそうだ。

 そんな二人が信用する人たちが、テロリストな筈がない。


「なに……? なによ、これ!」

「落ち着いて、カグヤ」

「アタシ、生きてる! 生きてるのに……どうして」

「悠仁は、戦意発揚せんいはつようのためにお前を死んだことにするつもりだ」


 ぐらりと世界がゆがんでたわむ。

 そんな錯覚さえ感じて、カグヤは思わず自分の肩を抱いた。

 見えない寒さに凍えてゆくように、震えが止まらない。

 そして、悠仁の声はさらに高まってゆく。


『私は暗黒大陸のアルズベック陛下、そしてその協力者であるスルギトウヤ大佐とも気持ちを同じくしています。今、この地球に住む全ての総意で、危険な軍事力の跳梁ちょうりょういましめねばなりません!』


 あちこちで拍手が巻き起こっていた。

 大国は慎重さを見せているが、中東やアフリカの国々は支持を表明している。

 今、世界のバランスが危うい天秤の上に乗っていた。

 それを揺らす者たちの戦いは、すでに始まっている。

 フォトビジョンを消すと、氷威は改めてカグヤに向き直った。


「カグヤ、落ち着いて聞いてほしい。もし、アキラがあの時ああしなかったら……お前がそのまま、ルナリア王国軍に戻っていたら」

「じゃあ、もしかして」

「悠仁は、自分のシナリオのためにお前を殺したかもしれないんだ。お前が月の象徴として女王をやる時間が、終わったと見ているのだろう」

「どうして! アタシは、本当に月のみんなを……ただ、病気のみんなに安住の地をと思っただけなのに!」

「そのお前の純真さが、利用されたんだ。それをずっと、アキラは気にしてた」


 ふと見やれば、日暮昭二ヒグレショウジと名乗ってくれた男もうなずいている。

 自分なりにやってきたつもりだったが、カグヤという偶像アイドルは既に必要とされてなかった。例え偶像でもいいと、道化に踊って民のために戦った。そうやって使い潰されてゆくことにも、どこかで納得していたし、自分にしかできないと思った。

 だが、それすらも悠仁にとっては、計画の途中段階に過ぎなかったのだ。


「それと、カグヤ」

「……な、なによ。さぞかし滑稽こっけいでしょうね。お飾りの女王としても、必要なくなったんだから」

「それでも、アキラの隣にお前は必要だ。そして、私にとっても」

「どういう意味?」


 氷威は、そっと手を出してきた。

 握手を求められて、その意味を聞かされた。


「私は、アキラが好きだ。だけど、お前がいなくなることを都合がいいとは思いたくない」

「それって……ねえ、氷威。アンタ、前からだけど……不器用よ」

性分しょうぶん、なんだろうな。私は、恋敵こいがたきとしてのお前にいてほしいし、お前からアキラを奪いたいんだ。これは、パイロットとしての自分よりも、正直になっていい戦いだと思うから」


 苦笑しつつ、カグヤはその手を握った。

 こうして、監視下で謹慎することになったが、カグヤはリジャスト・グリッターズに居場所を見つけたのだった。

 このあと、アキラにも会えると言われて……その嬉しさと、月から追い出されたショックとで、彼女は失念してしまった。

 このあと始まる、リジャスト・グリッターズ最大の危機の、その最初のきざはしを。

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