第132話「乙女たちは今、女神になる」

 一条灯イチジョウアカリは今、経験したことのない緊張に包まれていた。

 独立治安維持軍どくりつちあんいじぐんのスナイパーとして、激戦をくぐり抜けてきた自負はある。だが、これから挑む戦いには、その全てが意味のないものなのだ。

 そう、戦い……敵は羞恥心しゅうちしんと、自分でも意外なほどの臆病だった。


「落ち着くのよ、灯……大丈夫。きっと、多分、結構、大丈夫だから」


 自分に言い聞かせる程に、言葉が曖昧あいまいになってゆく。

 それでも、メイクを終えて灯は立ち上がった。

 目の前の鏡に今、きらびやかなミニドレスをまとった自分の姿が映る。特別オシャレに気を使ったことはないが、今の自分を包む薄布がとてもまぶしい。

 そして、意外な器用さでそれを縫い上げてくれた人物が、ポンと肩を叩いてくれた。


「大丈夫よん? さ、灯ちゃん……リラックス、リラックス」


 肩越しに振り返れば、宇頭芽彰吾ウズメショウゴの笑顔があった。恰幅かっぷくがいい巨漢だが、不思議と家族のような温かさでいつも見守ってくれている。

 灯たちが今着てる衣装も、全て彼が忙しい中で縫い上げてくれたものだった。


「彰吾さん、その……私、上手くやれるか自信がなくて」

「いいのよぉ、上手にできなくても。だって、灯ちゃんたちは……プロジェクトISHT@Rイシュタルは、今日が"初陣ういじん"なんですから」

「みんなを纏める大役、務まるのかなって」

「あら、そぉ? ならちょっと、振り返って"見て"みなさいよ」


 彰吾に促され、控室を見渡す灯。

 そこには、すでにスタンバイを終えた仲間たちが各々の時間を過ごしていた。シファナ・エルターシャが酷く落ち着いて見えるのは、スメルの姫巫女としての貫禄だろう。大勢の前に出ることなど、彼女にとっては日常茶飯事なのだ。

 真道美李奈シンドウミイナはこんな状況でも、差し入れられた弁当を綺麗に完食している。

 エリー・キュル・ペッパーは、何度もダンスの振付を確認していた。

 神塚美央カミヅカミオも、先程から楽曲をイヤホンで聴き返している。

 皆、部隊では戦友、頼れる仲間たち。

 だが、ステージの上は誰もが未経験、未知の領域なのだった。


「ま、死んだりやられたりはしないわよん? "気張きば"っていくしかないでしょ?」

「そ、そうですね。私がしっかりしないと……一応、リーダーなんだし」

「それと、灯ちゃん。ステージを楽しむのよ。そんな余裕ないかもだけど、ネ」

「ステージを……楽しむ」


 気持ちのいい笑みを残して、最後に灯の背中を軽く叩くと、彰吾は行ってしまった。

 今では、リジャスト・グリッターズのおふくろさんと誰もが彼を思っている。そう歳も違わないはずなのに、彰吾には不思議な包容力があった。灯は自然と、その優しさのみなもとがわかるような気がした。

 多くの戦いが、彰吾に悲しみをいてきたのだ。

 誰よりも痛みを知るからこそ、彼は仲間に優しいのだろう。


「よしっ、私も頑張らないと! あっ、そうだ……セイルちゃん」


 灯は、今日のステージの主役へと声をかけた。

 こちらの日本のトップアイドル、虹浦ニジウラセイル……まだまだあどけなさの残る少女は、一人黙って鏡に向かっている。

 その横顔を見て、灯はハッとさせられた。

 そこには、プロとしてのアイドルの顔があった。

 笑顔をこれから振りまくために、一人の乙女が自分を着飾きかざる。それは、完全武装で出撃する灯たちの日常に、勝るとも劣らぬ緊張感が張り巡らされていた。

 セイルは、パシィン! と両頬りょうほおを自分ではたくと、笑顔で振り返る。


「あっ、灯さん! どうかしましたか?」

「えっ、あ、ああ、うん。あの、今日のこの、スペシャルゲストって」

「ふふふ、それは秘密です。気合い入れないと、このセイルちゃんでも食われちゃうかも……そういう大物との共演、凄く楽しみ」

「たの、しみ……なんだ。凄いなあ」


 灯が感心してると、そっと頬にセイルが触れてきた。

 レースの手袋をした、その小さな手は震えていた。

 おどろきに灯が目を見開くと、セイルはもう片方の手で人差し指をくちびるに立てる。


「武者震い、っていいたいけど……みんな最初は恐いし、いつだってブルッちゃうんだよ?」

「セイルちゃん……」

「でも、セイルとみんななら……プロジェクトISHT@Rなら、大丈夫。きっと素敵なステージになる。最高のパフォーマンスで、世界中の戦争を包んじゃおうよ」

「う、うん……ありがとう、セイルちゃん。私、駄目だなあ」

「そんなことないよっ! 灯さん、スタイルいいし綺麗だし……それに、あんな素敵な人が一緒で、うらやましいなあ」

「ほへ? 素敵な人、って」


 セイルが指差す先へと、視線をめぐらせる。

 そこには、一人の青年がドアの前に立っていた。

 あわてて灯は、「ちっ、違う違う! 違うってば!」と両手を振った。自分でも恥ずかしいくらいに、顔が熱かった。それが恥ずかしさなのか、嬉しさなのか、それとも両方なのかわからない。

 だが、他のメンバーに挨拶したあとで、その青年はこちらにやってきた。


「どうだ、灯。はは、凄い衣装だな。うん、似合ってるんじゃないかな」


 さらりと必殺の一言をくれた。

 それだけでもう、灯は心臓を撃ち抜かれたように動けなくなる。普段からあらゆる標的を射抜いてきた狙撃手は、彼の前では……槻代級ツキシロシナの前では、まるで案山子カカシになったみたいだ。


「な、なによ、級。……どうせ、からかいに来たんでしょ」

「まあな」

「ちょっとー、そこは否定してよ! もうっ!」

「はは、でも……気安くからかえないな。なんでも全力投球、一生懸命ないつもの灯だからさ」

「級……そんなこと言っても、なにも出ませんよーだ!」

「だろうな。でも、どうだ? 少しは緊張が取れたか?」


 思わず灯は「えっ!?」と目を丸くした。

 そんな彼女の頭を、ポンと級はでてくれた。なんだかちょっと照れ臭いが、先程までの落ち着かない気持ちが自然とんでゆく。

 そのまま級は、他のメンバーにも声をかけて、控室を出ていった。

 綺麗さっぱり、灯を包む無駄な緊張感が持ち去られてしまったようだ。

 そして、気付けば美央がニヤニヤと締まらない笑みを浮かべてる。


「むふふ、灯さんってば、かーわいー」

「ちょ、ちょっと、美央! もうっ、大人をからかうんじゃありません!」

「またまたー、嬉しいくせに」

「それは……まあ、ねえ。ちょっとは、うん」


 うりうりと美央が、ひじ小突こづいてくる。彼女もまた、灯と同じあでやかなステージ衣装に身を包んでいる。肩から胸元にかけて、大きく露出した白いミニドレス。縫製も見事で、まるで優しい空気そのものに包まれているかのようだ。

 背中に結んだ大きなリボンが、まるで妖精の羽のように揺れていた。

 改めて灯は、自分が凄い格好をしているのだと驚かされる。

 そして、目の前の美央はその派手な衣装を、持ち前のスタイルの良さで完璧に着こなしていた。

 そうこうしていると、セイルが声をはずませる。


「よーしっ、気合十分! みんなーっ、ちょっと集まって! 円陣だよっ!」


 皆でセイルの元に集まると、自然と互いに手と手を重ねる。

 円になって、中央へと差し伸べた手に、仲間の体温が伝わってきた。

 セイルは一同を見渡しながら、最後に灯にうなずき、ゆっくりと喋り出す。


「みんなはいつもは、パイロット。でも、今夜は……国連総会のレセプションを兼ねた夕食会で、一時の夢を見せるアイドルだよっ!」


 そう、これからステージで灯たちは歌って踊る。

 セイルと謎のゲストとで、夢のステージを作り上げるのだ。

 それは、銃爪トリガーを引くよりも酷くキラキラしてて、まぶしい光に満ちている。灯も他のメンバーも、自分たちが女の子であることを思い出したような気分だ。

 練習もしたし、急な話でも特訓を重ねた。

 その成果を今夜、要人たちの前で披露するのだ。


「じゃあ、考えてきてもらったやつ、はっぴょー! はいっ、?」


 セイルの声に、すぐに反応したのは美央だった。


「歌は、勇気! かな? ……正直ブルッてるけど、やるしかないでしょ、もう」


 次はエリーが、気恥ずかしそうにつぶやく。


「歌は……願い? うん、願いかなって」

「ええ、そして歌は祈り。このシファナ・エルターシャ、今宵こよいは皆さんと祈りを歌に変えましょう」


 シファナの言葉に誰もが頷く。

 そして、美李奈もそれに続いた。


「歌は、喜び! 喜びです……戦いだけが全てではないと、各国の方々にも伝わればと」

「おっ、いいねいいねー! セイルちゃん、気に入った! 勇気、願い、祈り、そして喜び。その全てだよねっ! ……で、灯さんは?」


 皆の視線が灯に集中する。

 だから、少し恥ずかしかったけど、しっかりと自分の気持ちを言葉にする。

 これは、アイドルとして先輩のセイルから、先日出された宿題だ。

 

 

 夢やお金、そして地位と名誉……それだけでは得られない多くのものがあると、セイルは教えてくれた。だから、漠然としてても言葉にしてみてと、彼女はそう伝えてきたのだ。

 静かに息を吸って、吐いて、そしてまた吸って、息吹を言葉に変える。


「歌は、光……みんなと一緒に、照らしたい。私もみんなと、輝きたい」

「よーしっ! 虹浦セイルwithウィズプロジェクトISHT@R! いくよっ!」


 皆で肩を組み、ステージの無事と喝采を祈る。

 こうして、灯たちは光に満ち溢れたステージへと向かうことになった。その名の通り、灯の胸にはもう……不屈の勇気、平和への願いと祈り、そして歌う喜びが燃えている。確かに胸の奥に、小さな火がともっている気がした。

 その光が今まさに、戦争に塗り潰された世界に解き放たれようとしていた。

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