第118話「その力、今は久遠の彼方へ」

 渡辺篤名ワタナベアツナは、忙しい日々を送っていた。

 今日、リジャスト・グリッターズの全艦は欧州ユーロへと旅立つ。このエークスでは補給もできたし、晴れてバルト・イワンド大尉ほか三名、試験先行運用部隊も正式に母国の代表として参加することになったのだ。

 激しい戦い、そして激動の日々だった。

 だが、まだ旅は続く……自分達の地球、惑星"アール"へ戻るための旅が。

 生活班は新たにアレックス・マイヤーズを迎え、膨大な仕事に忙殺されていたのだった。


「でも、最近ちょっとユウのこと、見直したな……無事で、本当によかった」


 おひさまの匂いがするシーツを大量に抱えて、艦内の廊下を篤名は歩く。宇宙戦艦コスモフリートは、基本的には無重力の宇宙空間を航行するふねである。だからか、上下感覚のない中での運用を前提としてるため、天井と床は同じ意味を持っている。

 だからだろうか……今日も篤名は、パイロット達の個室が並ぶ区画に辿り着けない。

 道に迷ったのだと気付いた時には、すでに見たこともない場所に迷い込んでいた。


「あちゃ、やっちゃった……はぁ、なんで私ってこうドジなんだろう」


 篤名はまだまだティーンエイジャー、世が世なら高校生である。

 彼女が先程名を口にした、吹雪優フブキユウだってそうだ。

 県立第三高校の高校生で、甲府の小さな街で平凡に暮らしていく筈だったのだ。だが、激動の世界は篤名達の運命をもてあそぶ。パナセア粒子と呼ばれる未知の科学技術を巡って、篤名達は戦いに巻き込まれた。

 今もクラスメイト達は、秘匿機関ひとくきかんウロボロスなる謎の組織にかくまわれていた。

 だから、どうしても自分達の地球に戻る必要があるのだ。


「さて、奥の手を使おっかな? ええと、確か美李奈ミイナの番号が携帯に……ん?」


 二つ折りの携帯電話でも、篤名の世界では高級品だ。パラレイドとの永久戦争が、人々の暮らしを半世紀近く後退させているのである。この携帯電話も、リジャスト・グリッターズの一員となった時に支給されたものだ。

 だが、こちらの地球……惑星"ジェイ"では、そうした生活レベルの低下はない。

 そして、パラレイドではなくイジンや黄泉獣ヨモツジュウ模造獣イミテイトといった異形のモンスター達に襲われているのである。

 友人の真道美李奈シンドウミイナに助けを求めようとした、その時……聞き慣れた声が響く。


「なあ、待ってくれ! 待てって、御堂ミドウ先生!」


 声のする方へと、恐る恐る顔を覗かせてみる。

 そこには、誰であろう優の姿があった。

 彼が追いかける小さな軍服姿が、カツリとヒールを鳴らして振り返る。

 それは、少年少女の間では概ね恐れられつつ、御堂先生と呼ばれている女性軍人だった。確か、日本皇国海軍の所属でもあり、あの秘匿機関ウロボロスの構成員だという。

 御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさは、鋭い視線の刃で優を見上げていた。


「なんだ? 吹雪優。御堂刹那特務三佐と呼ばんか、馬鹿者が」

「それより、御堂先生! 教えてくれ!」

「……人の話を聞かんか、馬鹿者が」

「う、あ、じゃあ、えっと……みどーせつな、とくむさんさ」


 なんで棒読みになるんだろうと、盗み見る篤名は落ち着かない。

 昔から優は、どこかぼんやりして世間の常識にはうといところがあった。それでも日常生活には支障がなかったし、篤名は周囲の女子からからかわれても彼の面倒を見てきた。見てきたつもりだ。

 それに、優は極めて特殊な環境下で、誰もが驚く判断力と行動力を見せることがある。

 その優が、しどろもどろになりながら小さな刹那を見下ろしていた。


「教えてくれ、特務三佐。……パナセア粒子って、なんなんだ? あれは、どうして」


 思わず篤名も「あっ」と声を出してしまった。

 慌てて手で口を抑えて、物陰にしゃがみ込む。

 幸い、聴こえていなかったようだ。

 そして、優の口にした疑問は、市川流イチカワリュウ小原雄斗コハラユウトといった県立第三高校の生徒達の誰もが思っていることだ。


 ――


 この未知の粒子を、篤名の母校では極秘に研究していた。

 あろうことか、それを用いて人型機動兵器アイリス・シリーズを建造していたのである。結果、日本皇国総理大臣である佐藤春彦サトウハルヒコに狙われ、謎の組織PRECプレックと戦う羽目になったのだ。

 そもそも、パナセア粒子とはいかなるものなのか?

 パラレイドしか運用していない、小型のビーム兵器が製造可能なのは何故か?

 そして……先日の戦いで、優のアイリス・プロトファイブに起こった発光現象の正体は?

 その答えを今、優は刹那へと求めたのである。

 再びチラリと見やれば、刹那はフンと鼻を鳴らして笑った。


「貴様は私が、パナセア粒子は人類の救世主メシアですとでも言えば、それで気が済むのか?」

「そういうのはいいんだよ、先生! じゃない、特務三佐!」

「では、教えてやろう。パナセア粒子は、人類側における小型光学兵器運用技術の到達点。将来的にはレヴァンテインやパンツァー・モータロイドにビーム兵器を搭載することも夢ではない」

「それは、知ってる。あの、ロキってが盗んだ、ええと、瞬雷しゅんらい? あれが検証実験も兼ねてたんだろう?」

「そうだ。気が済んだか? なら、話は終わりだ」


 刹那は会話を打ち切ると、再び歩き出す。

 だが、なおも優は食い下がった。


「そういう、本に書いてあること、みんなが知ってることを聞きたいんじゃないんだ。俺……この間、アイリス・プロトⅤで世代セダイといちずを助けたら……光が、あふれて」


 そう、ジェネシードの三銃士が一角、エンターとの激戦でのことだった。魔力が尽きてヴァルクが実体を保てなくなり、空へと二人の仲間が放り出された。

 それを受け止めた優のアイリス・プロトⅤから光がほとばしったのだ。

 それはどこか温かく、柔らかくて優しい輝きだった。

 無骨な戦闘兵器であるアイリス・プロトⅤが、咲き誇る花のように光を広げていたのだ。

 刹那は脚を止めると、肩越しに振り返る。

 その冷たい瞳が優を黙らせた。


「あれは、パナセア粒子の覚醒現象だ」


 刹那は、それだけ言って口をつぐむ。

 覚醒……優のなにが、パナセア粒子を覚醒させたのだろうか。あの光景を今も、篤名は思い出すことがある。とても温かな明かりが灯って、光の花が咲く光景は美しく……同時に、とても恐ろしく見えたのだ。

 まるで、優を連れ去ってしまうような、そんな予感が今も止まらない。

 だが、当の優本人には別の想いがあるようだ。


「パナセア粒子の覚醒……教えてくれ、特務三佐! あの力を使いこなせれば……偶然じゃなく、俺の意思で発動させられたら。どうやればいい? なにをしたらいいんだ!」


 篤名は詳しくは知らないが、あのあとアイリス・プロトⅤのデータを解析して、恐るべき事実が判明した。パナセア粒子の覚醒状態にある時、アイリス・プロトⅤのスペックは通常の三割増しになる。そして、上がり続けるであろうことが予測されたのだ。

 優は今、強さを欲して力を求めている。

 大切な仲間を守って、共に戦うために。

 だが、刹那はやれやれと溜息ためいきを零した


「例えば、の話だ……吹雪優」

「ああ! なんだっていい、俺にチャンスをくれよ! 特務三佐!」

「例えば……?」

「……は? い、いや、それって……えっと、なんの話だ?」

「まあ聞け、吹雪優。世界は可能性に満ちている。そして、無数に分岐した平行世界と共にあるのだ。こうしている今も――」


 童女のように小さな刹那が、再度優に振り向いた。

 そして、爪先立つまさきだちに背伸びして、優のほおに触れる。


「今、貴様に触れた私と、触れなかった私との未来に分岐した。その先はもう、別々の未来……これが平行世界、異なる世界線の概念がいねんだ」


 ――ちょ、ちょっと優、なんで赤くなってんのよ!

 思わず飛び出しそうになったが、篤名は必死で堪えた。どうして自分がそんなことで怒りを覚えるのか、それが不思議にして当たり前だえるということにも気付けない。

 そして、刹那は恐るべき例え話を始めた。

 とある世界線で、戦争継続を望む男が別の世界線へと逃げた。それを探して、那由多なゆたの数にも等しい世界線の一つ一つを、多くの者達が虱潰しらみつぶしに探したのだ。だが、世界線を超える技術は諸刃の剣……繰り返す度に遺伝子情報が欠損し、成長が止まるのが早くなったという。


「そして、とある女が辿り着いた世界線……そこは、塔歴とうれきと呼ばれる閉鎖社会だった。誰もが未知の敵に怯えながらも、下らぬ階級闘争に興じている。そんな中で女は、パナセア粒子に……に出会った」

「万能粒子……パナセル?」

「その世界線にも探すべき敵の姿がなかったため、女は世界を守る戦いが終わったあとで、去った。ただ、後にパナセア粒子として転用する技術、その知識だけを記憶してな」

「ま、待ってくれ! その女の人って、まさか!」

「さあ、くだらん話はここまでだ! 持ち場に戻れ、吹雪優! ……遠い遠い昔の話だ」


 篤名は驚きに言葉を失った。

 そして、終わらぬ旅で戦争の権化ごんげを追う者達……その一人、話に出てきた女性とはまさか。だが、刹那は今度こそきびすを返すと、最後に一言だけ残す。


「パナセア粒子の覚醒……本来の万能粒子パナセルが目覚める時、アイリス・シリーズは新たな段階ステージを迎えるだろう。だが、それは危険過ぎる。吹雪優! 余計なことは考えるな。子供がこれ以上、危険なことをする必要はないんだ」

「なんだよ、特務三佐だって子供じゃんかよ。俺より全然お子様だって」

「ムッ! ……ま、まあいい。私は……私達リレイヤーズはもう、大人を忘れたのだ」


 刹那は行ってしまった。

 それを見送る優は、いらだちも顕に拳で手の平を叩く。

 篤名は不安のあまり、飛び出してしまった。


「優っ!」

「うおっ! な、なんだ? 篤名、どうしたんだよ。こっち、格納庫ハンガーの方だぜ?」

「危ないことはやめて、優……みんなと戦うなら、助け合えばいい。でも、一人でみんなを守ろうとしないで!」

「篤名……」


 気付けば篤名は、泣いていた。

 止まらぬ涙が溢れて、しながらも優が拭ってくれる。

 その指のぬくもりがいつか、遠くへ行ってしまうような気がして不安が収まらない。だが、言葉にならぬ想いが雫となって、そのまま頬を伝うだけだった。

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