第117話「見えない刃、切れ過ぎて」
アレックス・マイヤーズの日々は
パイロットとしてローテーションに入ってる時よりも、もしかしたら忙しいかもしれない。今日も彼は、宇宙戦艦コスモフリートのキッチンで仕事に
眼の前には、大量のジャガイモの山。
ナイフで皮を
そんな彼の隣に、可憐な少女が同じ作業で手を動かしていた。
「ヨモギちゃん、上手いね……
「これくらい、誰でもできマス!」
ヨモギことリズ・ヴェルチの手が、ジャガイモから紙テープを引き出すように動く。あっという間にまた一つ、綺麗に皮が剥けてしまった。
どうしてパイロットの彼女が、こんなことをしているのか?
率直にアレックスは聞いてみたが、答は意外なものだった。
「それはモチロン、アレックスと話すためデス。ワタシ、どうしても知りたいカラ」
「知りたい? なにを」
「アナタはどうして、ピージオンから降りてしまったのデスカ!」
直球だった。
ヨモギは不思議と、アレックスには妹のミリアを思い出させる。妹は物静かで家庭的な雰囲気があるが、ヨモギは活発で快活だ。
今も、次から次へとジャガイモの皮を剥いてくれる。
手伝ってくれるのはありがたいが、彼女の質問は胸に刺さった。
胸の奥でまだ出血している、
「ン……そうだね、僕は……絶対に人を殺したくないんだ。傷付けたくない。そうならない戦い方を、自分なりに選んできたつもりだったんだ」
「なら、それを
不意にヨモギの表情が
だが、彼女はそれを隠すように表情を強張らせた。そして、眉根を寄せてアレックスに身を乗り出してくる。
「アレックスが戦わないと、そのことで死ぬ人が出るんデス!」「
「うん……でも、僕は自分を曲げられないんだ。今も、なにが正解だったのかを探して、迷ってる。ピージオンは、その気になれば一発の銃弾も使わず全てを終わらせられるけど」
それが、ピージオンに搭載されたマスター・ピース・プログラムだ。
惑星"
今やピージオンは、真の意味であらゆる兵器を従える存在となったのである。
だが、そのピージオンを動かせる唯一の人間、アレックスには迷いがあった。
「僕が戦うことで、守れる命がある。同時に、どうしても奪ってしまう命もあるんだ」
「当然デス! 戦争って、そういうものなんデス……」
「うん。だから、僕は卑怯なのかも知れない。己の手を汚さず、己の信念に対して綺麗なままでいたい。大事な人を守るために汚れられない、この気持ちを今も考えてるんだ」
納得したような、全くしないような顔をヨモギは見せた。
当然だ、アレックスの言っていることはあまりにも都合が良過ぎる。戦場において敵を殺さなければ、生き残ったその敵が味方を殺すかも知れない。そうと知っていても、アレックスは殺さずの誓いを貫き通した。
だが、現実には彼の手は
それは敵の血であり、仲間の血だ。
アレックスを守って散った命のことは、今も忘れられない。
「僕はね、ヨモギちゃん。正義の味方にはなれないんだ……どの正義とも
「知ってマス! 正義の反対は、もう一つの正義……双方の事情と立場があるのデス」
「そうだね。だとしたら、互いの主張や理想には、善悪がないんじゃないかって。そして、僕の殺さずの誓いも同じじゃないかって思ったんだ」
ヨモギは言葉を失い黙ってしまった。
逆にアレックスは、話している間もずっとジャガイモの皮を剥き続ける。
ピージオンを降りると自分で選んでから……少しだけアレックスは、ゆっくり考えることができるようになった。スクランブルで叩き起こされることもないし、機体のメンテで休日が潰れることもない。
なにより、
そして、そのことを見透かし責めるような声が響く。
「つまり、さ……お前は俺達と、みんなと同じじゃ嫌だって言うんだろ?」
振り向けば、
アレックスの友人、ミド・シャウネルである。
彼は
暗い炎が燃えるような目で、ミドは
こんなにも感情を剥き出しにした彼を、アレックスは初めて見る。
「ミ、ミド、どうしたんだ? その……気に
「謝るな! 俺が欲しいのは謝罪じゃない。だから、謝って済まそうなんて思うな!」
アレックスは驚いたが、同時に納得もした。
このリジャスト・グリッターズは今、自分達の故郷とは違う地球を放浪中である。行く先々で戦いの連続、明日をも知れぬ中で
当然、戦闘になれば双方に犠牲者が出る。
戦いに勝ち抜くことで、アレックス達は自分達の信念を示し、正当性を証明してきたのだ。だが、それはあくまでリジャスト・グリッターズの都合であり、敵にも相応の言い分があった
しかし、死んでしまった人間は
信じた理想も、国家の旗も、死体には関係のないものなのだ。
「さあ、言えよ! 言ってみろってんだよ! なあ、アレックス! 迷ってなにかわかったか? 考えてなにがわかったんだ!」
「ミド……僕は」
「やめてくだサイ! 二人共、こんなところで
ミドの悲痛な叫びは、
だが、それでも自分の意志は曲げられない。
つまり、アレックスは自分の理想を
殴るくらいなら、殴られた方がいい。
殺すくらいなら、殺された方がいい。
そういう
「……ごめん、ミド」
「謝るなって言ってるんだ! ……そんなんじゃ、エリーを守ってはやれないよな!」
「そう、だね。完全に僕のわがままさ。でも……それを失ったら、戦うどころか僕は……生きていけない。そうまでして生きる理由もまた、僕にはわからないんだ」
「死にたいって奴がいるか? はいそうですかって死んだ奴がいるかよっ!」
その時だった。
ヨモギが不意に、アレックスを吊るすように握られたミドの手に触れた。手首を軽く掴んだように見えたが、短い悲鳴が響く。
力を入れた素振りはなかったが、ミドは苦痛に顔を歪めていた。
そして、酷く
「……ミド、勘違いしなイデ。ワタシの怒りは、ワタシのもの……誰にも渡さナイ」
「ッ! ヨモギ、お前は」
「ワタシは、ただ……そう、ただアキラに死んでほしくないダケ!」
どこか暗い情念の入り交じる、冷たい声だった。
小さな少女が発する言葉としては、あまりに鋭利に
だが、ミドは引き下がるどころかヨモギに
当然のようにヨモギもまた、
時として言葉は、意図せぬ鋭さで相手を切り裂くとも知らずに。
「お前、そういうのか! ハハッ、そいつはいい。アキラには
「知ってるワ……だから、許せない。許さないノ!」
「恐い恐い、女ってのはこれだから」
「そうヨ、ワタシにはワタシの想いがアル……でも、
「……やめろ! それ以上言ったら」
ヒュン、と空気が震えた。
アレックスにも、ヨモギの手が見えなかった。
だが、彼女が握っていたナイフは今、厨房の壁に突き立っている。目にも留まらぬ
突き刺さったナイフは、息を荒げた彼女の心のように上下に
そのままヨモギは、フン! とそっぽを向くと行ってしまう。
慌ててアレックスは、去っていく小さな背中を呼び止める。
「待って、ヨモギ! ミドに悪気はないんだ、でも……君も、少し言葉が」
「ワタシは、絶対にアキラを殺させない。……だって、ワタシは、ワタシが……」
「ヨモギッ!」
少女は行ってしまった。
だが、アレックスはその暗く
希望を胸に、諦めずに戦うリジャスト・グリッターズ……そのパイロットとしての自分から、
だから、次に逃げたらもう、居場所はない。
それに、自分が選んだ結果からだけは逃げたくない。逃げられないから、パイロットでありつづけることをやめたのだ。
「……ミド、あのさ」
アレックスは立ち尽くすミドの横をすり抜け、壁に刺さったナイフを抜いた。
人を
刃物と違って、巨大人型兵器……それも、戦略的な絶対性を持つピージオンは生々しすぎる。簡単に『使う人次第』なんて言えないと思っていた。
逆なのだ。
戦争の概念を
「な、なんだよ……俺は、謝らないからな。それに、ヨモギが言ってたことだって」
「うん、わかってる。けど、もっと話がしたいな。ミド、これ……手伝わない?」
そう言ってアレックスは、親指でクイとジャガイモの山を指差す。
黙ってミドは、渋々彼からナイフを受け取るのだった。
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