第169話「神話の舞う夜」
月が輝いている。
白銀の雪景色は今、深夜の静けさに満ちている。
「IDL035-EXARD……
今、瑠璃は
360度フルスクリーンの球形コクピットを通して、大自然が広がっていた。
そして、隣に静かに
一緒に偵察任務を引き受けた、ハイジ・アーデルハイドの機体だ。
『瑠璃、平気か? バイタルはこちらでもチェックさせてもらってるが』
「ああ、問題はない。この機体なら、私もまた戦える」
『そうか。だが、無理はするなよ? それと、今回は偵察だ』
八甲田の
だが、こちらの地球は
「地軸が歪むほどの攻撃を……これがパラレイド、か」
『ん? なにか言ったか、瑠璃』
「いや、なんでもない」
明らかに異常気象で、ともすれば天変地異だ。
こちらの地球、惑星"
瑠璃の知る日本は、四季の豊かな国だった。
だが、こちらではもう北海道がなく、春はまだ遠い。
無数の異形、
『おっと、そろそろ目標地点だ。レーダーに反応が二つある』
「こちらでも確認した」
『それとな、瑠璃。もっと身を低くして機体を地形に
「……そんなに私は、殺気立っているか?」
『殺気というか、
ハイジは以前、自分が初めて山野に分け入ってハンターとして銃を撃った思い出を話してくれた。彼の射撃センスには全幅の信頼を置いているが、
言われた通り、極力周囲に気を配りながら瑠璃は戦人二号機を慎重に操作する。
そして、先程のブリーフィングでの一件を思い出した。
「悪い作戦ではないと思う。かつて敵のキィ・ボーダーズだったとはいえ、発言に嘘偽りは感じなかった」
『そこは俺も同感だ。そして、例のセラフ級パラレイド……ゼラキエルを倒せる唯一の方法かもしれんなあ』
「それに、
現在、向かう先でゼラキエルが戦っている。
突如として人格を豹変させた、響樹の駆るスサノオンとだ。
そしてそれは、半日が経過した今も続いている。
生身の人間ならば、疲労で戦闘続行は不可能になっている
その状況を打破し、ゼラキエルを速やかに撃破、
『気になるんだな? お前……あの、
「ああ。狙撃の腕は心配ないだろうが、あの子は」
『……以前の自分を重ねるのもいいが、今は作戦のことだけを考えた方がいい』
対ゼラキエル撃破作戦……ウーリ作戦は始まりつつあった。
ウーリとは今のスイスにあたる土地で、かつては神聖ローマ帝国の支配する場所だった。その独立に際して、ウィリアム・テルという英雄の伝承が人々を勇気づけたのである。
そう、今回の作戦は超々長距離からの陽電子砲による狙撃攻撃。
その射手に選ばれた一人が、青森校区の
だが、彼女は皇都東京の壊滅時にPTSDを患い、長時間コクピットでの戦闘が難しい。それでも気丈に愛機と戦う姿が、瑠璃には痛々しい過去を
『しかしなあ……
「ジェネシードの民も、なかなかに
『ロボットだったけどな、オルトは。まあ、狙撃手に関してはまだまだ揉めてるが、
「それもまた、酷な話だ……
そう、狙撃手の候補は二人。バルト・イワンドのトール一号機にかつて搭載されていた、陽電子砲を改修、バレルを延長したユニットを固定砲台として使用する。そしてそれは、ただ一人の射手を待っている。
腕前を問うなら、二人は互角だろう。
だが、桔梗にはコクピットへの強いトラウマがある。
そして灯は、まだ級の死から完全に立ち直れてないように思えた。
瑠璃は内心、ならば自分がと思うこともある。狙撃の訓練は十分に積んでいるし、エースとして戦っていた彼女にはあらゆる戦いの
そんな瑠璃でも、狙撃では
『ま、今は目の前の任務に集中してくれや』
「わかった、すまない」
『なに、いいさ』
二機の戦人は、
やがて、重金属がぶつかり合うような、激しい衝撃音が奥から聴こえてきた。
そして、月明かりに二柱の破壊神が姿を現す。
片方は破壊の
もう片方は、
両者は今も、疲れを感じさせない戦闘を継続中である。
瑠璃の目には、二機が拳と拳で戦う光景が、どこか神話の一節にさえ見えた。荘厳にして流麗、人間が踏み入ってはいけない神々の領域を思わせる。
しばし目を奪われていると、ハイジの声が突然尖って突き刺さった。
『なにっ、高エネルギーの熱源体が接近中だぁ?! この速度……速いぞっ!』
すぐに瑠璃もセンサーをチェックする。
夜空を切り裂くように、高速で飛来する反応があった。
そしてそれは、見上げれば満月の中にその身を晒している。まるで空中の玉座に身を下ろすかのような、その姿を瑠璃は知っていた。
「あ、あれは……ゴーアルター!?
そう、それはもう一人の
「何故ゴーアルターが……奴らにも次元転移の力が?」
『それはわからん。だが、二つの地球を行き来できるのは俺たちだけじゃない。少なくとも、ジェネシードとパラレイドにはそれが可能と見るべきだ。ならば』
「それらの組織とアルクが共闘関係にあるか、単独で次元転移する力をなんらかの方法で手に入れてる」
『そういうことだ』
改めて瑠璃は、星空に
威風堂々、しかして戦々恐々である。
以前にも増して、
天使と鬼神が戦う新雪の闘技場を今、戦神が
そして、不意に声が走る。
『やあ、ヒビキ。以前より強い覚醒を感じてね……文字通り、飛んできたよ』
アルクの声だ。
ひどく澄んで穏やかで、それなのに心胆を寒からしめる鋭い声音だった。
そして、その声にスサノオンが反応する。
ゼラキエルの拳を受け止め、その腕を逆関節に捻じり上げながら天を
『……アルクか。まさか、
『当然だよ。共に神話を
『ハッ、笑わせるぜ! お前たちのような
『そうかい? 俺たちは基本的に同じ……『いままで』と『これから』ぐらいしか違わないと思うけどな』
『よく喋るガキだぜ、ええ? なんならお前も降りてこい。この神兵と一緒にブチ壊してやるからよ』
何が起こっているのか、瑠璃には理解不能だった。
歩駆の話も大人たちが聴取したが、要領を得ない点が多かった。ただ、歩駆とは別の人格を持った、それはまさにアルターエゴ……アルクと名乗った謎の少年は、ゴーアルターを奪って独自の行動を始めているのである。
その影におそらく、あの男……魔人、
稀代のトリックスターは、二つの地球を
『瑠璃、とりあえず下がるぞ。状況は把握した。データを持ち帰って司令たちに』
「わかった。確かに手持ちの武器じゃ、ゴーアルターとはやりあえないな」
『命あっての
「了解」
ウーリ作戦に今、一つの不確定要素が生まれた。
それも、作戦の成否を左右しかねない、とても大きな存在だ。
ゴーアルターでアルクが介入してくるなら危険だし、もし敵に回れば……そう思うと、瑠璃の背筋を冷たいものが
同時に、歩駆少年の強い瞳の光をも思い出せた。
彼はいつか、ゴ―アルターを取り戻すつもりだ。
そして、もう一人の自分に打ち勝ち、模造獣の秘密を暴き出すだろう。
それが信じられる程度には、瑠璃はリジャスト・グリッターズに馴染みつつあった。
『よし、データ転送完了……瑠璃、戻るぞ』
「了解――ッ! い、今……こっちを?」
『どうした、瑠璃?』
「いや……何でもない。戦人二号機、離脱する」
一瞬、月影に浮かぶゴーアルターと……アルクと目が合った気がした。
全てを見透かされてるかのような、そんな
だが、瑠璃は自分を律して平常心を維持し、機体を静かに下がらせるのだった。
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