第169話「神話の舞う夜」

 月が輝いている。

 あおい月の、冴え冴えと冷たい光だ。

 白銀の雪景色は今、深夜の静けさに満ちている。

 月影瑠璃ツキカゲルリは今、新たな愛機と共に山野へ沈んでいた。


「IDL035-EXARD……戦人イクサウド。悪くない」


 今、瑠璃はIDEALイデアルの最新鋭mSVモブ・サーヴァント、戦人に搭乗していた。瑠璃のためにコクピットブロックを改修した二号機で、密閉感はあまり感じない。

 360度フルスクリーンの球形コクピットを通して、大自然が広がっていた。

 そして、隣に静かに僚機りょうきの一号機が並ぶ。

 一緒に偵察任務を引き受けた、ハイジ・アーデルハイドの機体だ。


『瑠璃、平気か? バイタルはこちらでもチェックさせてもらってるが』

「ああ、問題はない。この機体なら、私もまた戦える」

『そうか。だが、無理はするなよ? それと、今回は偵察だ』


 八甲田の峰々みねみねはまだ雪深く、まるで真冬のよう。

 だが、こちらの地球はすでに四月を迎えているという。


「地軸が歪むほどの攻撃を……これがパラレイド、か」

『ん? なにか言ったか、瑠璃』

「いや、なんでもない」


 明らかに異常気象で、ともすれば天変地異だ。

 こちらの地球、惑星"アール"はそれほどまでに傷付き、むしばまれている。人間たちの巻き起こす無数の戦禍せんかと、それすら飲み込もうとする謎の侵略者によって激変したのだ。

 瑠璃の知る日本は、四季の豊かな国だった。

 だが、こちらではもう北海道がなく、春はまだ遠い。

 無数の異形、模造獣イミテイトやイジン、黄泉獣よもつじゅうや神話生物に襲われる惑星"ジェイ"とどっちがましだろうか? その答えすら虚しい……どちらも今、多くの民を不幸にしているからだ。


『おっと、そろそろ目標地点だ。レーダーに反応が二つある』

「こちらでも確認した」

『それとな、瑠璃。もっと身を低くして機体を地形に馴染なじませろ。妙な殺気も、今はNGだ』

「……そんなに私は、殺気立っているか?」

『殺気というか、苛立いらだちやいきどおりだな。……なあ、お前さん。さっきの話、どう思う?』


 ハイジは以前、自分が初めて山野に分け入ってハンターとして銃を撃った思い出を話してくれた。彼の射撃センスには全幅の信頼を置いているが、斥候スカウトとしての技術も称賛に値する。なにより、こういう危険な任務を子供たちにやらせずに済むのが嬉しい。

 言われた通り、極力周囲に気を配りながら瑠璃は戦人二号機を慎重に操作する。

 そして、先程のブリーフィングでの一件を思い出した。


「悪い作戦ではないと思う。かつて敵のキィ・ボーダーズだったとはいえ、発言に嘘偽りは感じなかった」

『そこは俺も同感だ。そして、例のセラフ級パラレイド……ゼラキエルを倒せる唯一の方法かもしれんなあ』

「それに、御門響樹ミカドヒビキも救出できる。……ただ、私は少し気が重いんだ」


 現在、向かう先でゼラキエルが戦っている。

 突如として人格を豹変させた、響樹の駆るスサノオンとだ。

 そしてそれは、半日が経過した今も続いている。

 生身の人間ならば、疲労で戦闘続行は不可能になっているはずだ。

 その状況を打破し、ゼラキエルを速やかに撃破、殲滅せんめつする……そのための作戦が、ジェネシードのオルトからもたらされた。それは、次元転移ディストーション・リープをよく知る者ゆえの、次元転移による敵の逃走、戦場の拡大を防ぐ意味でも合理的なプランなのだった。


『気になるんだな? お前……あの、御巫桔梗ミカナギキキョウって子が』

「ああ。狙撃の腕は心配ないだろうが、あの子は」

『……以前の自分を重ねるのもいいが、今は作戦のことだけを考えた方がいい』


 対ゼラキエル撃破作戦……は始まりつつあった。

 ウーリとは今のスイスにあたる土地で、かつては神聖ローマ帝国の支配する場所だった。その独立に際して、ウィリアム・テルという英雄の伝承が人々を勇気づけたのである。

 そう、今回の作戦は

 その射手に選ばれた一人が、青森校区の戦技教導部せんぎきょうどうぶ副部長である桔梗だ。

 だが、彼女は皇都東京の壊滅時にPTSDを患い、長時間コクピットでの戦闘が難しい。それでも気丈に愛機と戦う姿が、瑠璃には痛々しい過去を彷彿ほうふつとさせるのだ。


『しかしなあ……林檎りんごの産地だからって、ウィリアム・テルと来たかってな』

「ジェネシードの民も、なかなかに洒落しゃれのわかる奴がいるということだ」

『ロボットだったけどな、オルトは。まあ、狙撃手に関してはまだまだ揉めてるが、一条灯イチジョウアカリで決まりだろう』

「それもまた、酷な話だ……槻代級ツキシロシナを失った彼女に、また戦えというのか」


 そう、狙撃手の候補は二人。バルト・イワンドのトール一号機にかつて搭載されていた、陽電子砲を改修、バレルを延長したユニットを固定砲台として使用する。そしてそれは、ただ一人の射手を待っている。

 腕前を問うなら、二人は互角だろう。

 だが、桔梗にはコクピットへの強いトラウマがある。

 そして灯は、まだ級の死から完全に立ち直れてないように思えた。

 瑠璃は内心、ならば自分がと思うこともある。狙撃の訓練は十分に積んでいるし、エースとして戦っていた彼女にはあらゆる戦いのすべが叩き込まれている。

 そんな瑠璃でも、狙撃ではわずかにこの二人には敵わないのだ。


『ま、今は目の前の任務に集中してくれや』

「わかった、すまない」

『なに、いいさ』


 二機の戦人は、いかつい手にハンドサインを交わし合って進む。

 やがて、重金属がぶつかり合うような、激しい衝撃音が奥から聴こえてきた。

 そして、月明かりに二柱の破壊神が姿を現す。

 片方は破壊の熾天使してんしゼラキエル。

 もう片方は、たけ荒神あらがみスサノオンだ。

 両者は今も、疲れを感じさせない戦闘を継続中である。

 瑠璃の目には、二機が拳と拳で戦う光景が、どこか神話の一節にさえ見えた。荘厳にして流麗、人間が踏み入ってはいけない神々の領域を思わせる。

 しばし目を奪われていると、ハイジの声が突然尖って突き刺さった。


『なにっ、高エネルギーの熱源体が接近中だぁ?! この速度……速いぞっ!』


 すぐに瑠璃もセンサーをチェックする。

 夜空を切り裂くように、高速で飛来する反応があった。

 そしてそれは、見上げれば満月の中にその身を晒している。まるで空中の玉座に身を下ろすかのような、その姿を瑠璃は知っていた。


「あ、あれは……!? 何故なぜゴーアルターがここにっ!」


 そう、それはもう一人の真道歩駆シンドウアルク、アルクが奪ったゴーアルターだ。背にジェットフリューゲルを装備した姿は今、腕組み月をバックに戦いを見下ろしている。

 咄嗟とっさに瑠璃は機体を木々の物陰へと移動させたが、どうやら気付かれてはいないようだ。

 勿論もちろん、ハイジは瞬時に気配を殺して闇に溶け込んでいる。


「何故ゴーアルターが……奴らにも次元転移の力が?」

『それはわからん。だが、二つの地球を行き来できるのは俺たちだけじゃない。少なくとも、ジェネシードとパラレイドにはそれが可能と見るべきだ。ならば』

「それらの組織とアルクが共闘関係にあるか、単独で次元転移する力をなんらかの方法で手に入れてる」

『そういうことだ』


 改めて瑠璃は、星空にたたずむゴーアルターを見上げる。

 威風堂々、しかして戦々恐々である。

 以前にも増して、禍々まがまがしい気を発散しているように思える。赤を基調としたヒロイックなカラーリングさえ、今は血染めの戦神を思わせた。

 天使と鬼神が戦う新雪の闘技場を今、戦神が睥睨へいげいしているのだ。

 そして、不意に声が走る。


『やあ、ヒビキ。以前より強い覚醒を感じてね……文字通り、飛んできたよ』


 アルクの声だ。

 ひどく澄んで穏やかで、それなのに心胆を寒からしめる鋭い声音だった。

 そして、その声にスサノオンが反応する。

 ゼラキエルの拳を受け止め、その腕を逆関節に捻じり上げながら天をあおぐ。


『……アルクか。まさか、手前てめぇから姿を表すとはな』

『当然だよ。共に神話をかなでて戦う者同士……イミテイターから見れば、君も同志だ』

『ハッ、笑わせるぜ! お前たちのような紛い物イミテーションのガラクタと一緒にするんじゃねえ』

『そうかい? 俺たちは基本的に同じ……『』と『』ぐらいしか違わないと思うけどな』

『よく喋るガキだぜ、ええ? なんならお前も降りてこい。この神兵と一緒にブチ壊してやるからよ』


 何が起こっているのか、瑠璃には理解不能だった。

 歩駆の話も大人たちが聴取したが、要領を得ない点が多かった。ただ、歩駆とは別の人格を持った、それはまさにアルターエゴ……アルクと名乗った謎の少年は、ゴーアルターを奪って独自の行動を始めているのである。

 その影におそらく、あの男……魔人、佐々総介サッサソウスケが暗躍している。

 稀代のトリックスターは、二つの地球をもてあそんでいるのだ。


『瑠璃、とりあえず下がるぞ。状況は把握した。データを持ち帰って司令たちに』

「わかった。確かに手持ちの武器じゃ、ゴーアルターとはやりあえないな」

『命あっての物種ものだねだからな。偵察を切り上げ帰投する』

「了解」


 ウーリ作戦に今、一つの不確定要素が生まれた。

 それも、作戦の成否を左右しかねない、とても大きな存在だ。

 ゴーアルターでアルクが介入してくるなら危険だし、もし敵に回れば……そう思うと、瑠璃の背筋を冷たいものが擦過さっかする。

 同時に、歩駆少年の強い瞳の光をも思い出せた。

 彼はいつか、ゴ―アルターを取り戻すつもりだ。

 そして、もう一人の自分に打ち勝ち、模造獣の秘密を暴き出すだろう。

 それが信じられる程度には、瑠璃はリジャスト・グリッターズに馴染みつつあった。


『よし、データ転送完了……瑠璃、戻るぞ』

「了解――ッ! い、今……こっちを?」

『どうした、瑠璃?』

「いや……何でもない。戦人二号機、離脱する」


 一瞬、月影に浮かぶゴーアルターと……アルクと目が合った気がした。

 全てを見透かされてるかのような、そんな悪寒おかんが止まらない。

 だが、瑠璃は自分を律して平常心を維持し、機体を静かに下がらせるのだった。

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