第54話「船出への第一歩」

 リジャスト・グリッターズに旅立ちの時間が訪れた。

 二つの地球を守るべく立ち上がった者たちには、つかの間の休息すら満足に許されない。それでも、ブライト・シティの多くの市民に見送られての船出ふなでだった。

 今、全てを拒む絶氷海アスタロッテを超えて……西へ。

 閉ざされた空と海の間をあゆむ、冒険にも等しい旅が始まった。

 出港直後であわただしいコスモフリートの中を、アレックス・マイヤーズは士官室へと歩く。どういう訳か彼は、御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさに呼び出されていた。


「なんだって僕を、僕なんかを呼び出すんですよ……まったく」


 心当たりは、ない。

 強いて言えば、アレックスの側に断りたい、遠慮したい理由だけがある。

 刹那は常に高圧的で好戦的で、その上に人間を手駒てごまとして見る傾向がある。そうして徹底的に軍人としての機能だけを己に求めている、己にこそ一番厳しい女性だと知ってはいる。頭ではわかっているが、やはり好きにはなれない。

 見た目は小学校低学年なのに、いつもやりこめられるから苦手意識もあった。

 だが、呼び出されたとあっては無視もできない。


「っと、この部屋か」


 東堂清次郎トウドウセイジロウやバルト・イワンドといった、司令系統の上位に近い者たちの部屋が並ぶ一角。その片隅に、刹那の使っている個室もあった。基本的には士官用のものを使うアレックスたちと変わらない生活で、大人たちは誰もが自分だけいい暮らしをしようとは思わないらしい。

 アレックスはインターホンも兼ねた扉のタッチパネルを操作する。

 返事は、ない。


「あれ……呼び出しておいて留守なのかな? ……いや、違う。開いてるぞ」


 試しに触れてみたら、オートで扉がスライドする。アレックスが一歩を踏み出せば、背後で圧搾空気あっさくくうきの抜ける音がして部屋が密閉された。

 そこは、女性が暮らすには不自然な殺風景で、なにもない。

 壁には日本皇国海軍にほんこうこくかいぐんの軍服がかかっており、ベッドや机の周辺も綺麗に片付いている。

 単純に私物が少ない、というかほぼ見当たらないので、閑散とした雰囲気だ。

 そんな中で、机の上に一つだけ珍しいものがアレックスの目を引いた。


「これは……写真だ。へえ、刹那さんのおじいちゃんかな? 同じ海軍さんの軍人なんだ」


 小さな写真立ての中で、初老の紳士が刹那と一緒に写っていた。どういう訳かむくれてそっぽを向いた刹那と並んで、海軍の将校がにこやかな笑みをたたえている。

 相変わらず愛想がないのに、赤く頬を染めた刹那の表情が印象的だ。

 思わず手に取り、写真をしげしげと眺めていると……不意に背後で物音がする。

 そして、振り返ったアレックスは思わず絶叫を張り上げた。


「おう、来たか! アレックス・マイヤーズ」

「え、あ、はい。って、ほああああっ! ちょ、ちょっと、刹那さん!」


 そこには、全裸の刹那が立っていた。

 バスタオルで長い長い銀髪を拭きながら、シャワールームから出てきたところだ。

 真っ白な肌には起伏がなく、当然のように体毛もない。白無垢を思わせるフラットな肢体したいを隠しもせず、刹那は動じた様子もなく歩み寄ってくる。

 アレックスは思わず、持っていた写真立てで自分の顔を覆った。


「刹那さんっ! 丸見えです、なにか着てくださいよ!」

「御堂刹那特務三佐と呼ばんか、まったく……ん? おい、アレックス・マイヤーズ! そっ、その写真は……か、返せっ! それを見るんじゃない!」

「見たくて見てる訳では、っていうか、とにかく隠してくださ――」


 アレックスが写真立ての影から、そっとのぞくと……全裸のまま濡れた身体で、刹那は大股に迫ってくる。なにもかもがはっきり見えてしまう距離に、躊躇ちゅうちょなく踏み込んでくる。混乱するアレックスの手から、彼女は写真立てを奪おうとした。

 よせばいいのに、ついアレックスはうろたえるあまり、もみ合いになってしまう。写真立てを引剥ひきはがされては、本当に生まれたままの刹那が丸見えになってしまうから。

 そうしていると、バランスを崩した刹那がアレックスを巻き込んだ。

 押し合いへし合いしていた二人は、そのまま床に倒れる。

 そして、アレックスの時間が静止した。


「……おい、アレックス・マイヤーズ」

「あ、いや、これは……ええと、その」


 真っ赤な瞳が、真っ直ぐにアレックスを見詰めていた。その黒目がちな目に、情けない顔の自分が映っている。瞬きも忘れて、アレックスは刹那の双眸を見詰め続けた。

 長い銀髪はまるで月下の砂漠のように、床に広がり光が波打っている。

 覆いかぶさるような形で両手を突いたアレックスは、思わず狼狽うろたえながらも言い訳を考えた。だが、上手く思惟しいが結べない。

 そんなアレックスを見上げて、刹那は動じた様子もなく言葉をつむいだ。


「アレックス・マイヤーズ、少し痛いぞ。手をどけろ」

「は、はあ……あっ! いや、これは! その、違うんです!」


 アレックスの手は今、刹那のフラットな胸に触れていた。女性的な柔らかさや弾力、豊かな温かみは感じない。どこまでも平坦な向こう側に、ちいさなしこりを確認できたような、できないような。

 その時、来客を告げるインターホンが鳴った。

 そして、先程アレックスが発した台詞をそのまま、最悪のタイミングで第二の訪問者が告げる。


「おかしいな、誰も出ない……っと、開いてるぞ。あのー、刹那さん? 俺、来ましたけど――!?」


 扉が開いて、その向こう側から佐々佐助サッササスケが現れた。

 彼は部屋の惨状を見て、彫像のように固まる。

 床に仰向けに倒れた、裸の刹那。

 その上にのしかかる、アレックス。

 佐助は表情を失い呆然としたまま……黙って扉を閉めた。

 それで慌てて、立ち上がったアレックスが悲鳴に近い絶叫をあげた。そのまま扉を再度開いて、去りかけた佐助を部屋に引っ張り込む。


「まっ、待ってくださいよ! 佐助君、ですよね? あの、これは誤解なんですよぉ!」

「あ、いや……俺、そういうのにも理解ある方だから。大丈夫、誰にも言わないし。ロリコンは犯罪だけど、病気でもあるから……うん、気にしないで」

「違う、違うって! 事故、事故なんだよ!」

「うん、そうか……事後か。アレックス君もやるなあ、ははは。大丈夫、なんか刹那さんも怒ってないってことは、そういうことだよね? おめでとう、祝福するよ。じゃ、俺はこれで」

「妙に優しくしないでくれませんか、違うんですって!」


 そのやり取りを見ながら、ようやくのっそりと刹那が身を起こした。

 彼女は、アレックスが手放した写真立てを床から拾うと、それを元の机に戻す。素っ裸のまま、彼女が写真へと笑いかけたように一瞬見えた。だが、アレックスは必死で抗弁しながら佐助を引き止める。

 振り返った刹那は、隠しもせず堂々と腰に手を当て、薄い胸を反らして不敵に笑った。


「佐々佐助も来たか。悪かったな、呼び出して。二人共、そうだな……ベッドにでも座ってろ。茶でも出そう」

「あ、いえ……俺こそお邪魔してしまったみたいで」

「だから、佐助君! ……刹那さんからも言ってくださいよ。それと、なにか着てくださいよ。せめてバスタオルで身体を隠してくださいって」


 だが、全裸のままで刹那は、二人へとコーヒーを放る。チューブ状になってて、無重力状態でも飲みやすいやつだ。その上で、自分は缶ビールを持って戻ってくる。

 プシュッ! と炭酸を歌わせるや、汗をかいた缶を刹那はあおった。

 子供の飲酒という光景が、全裸も相まって猛烈にいかがわしい。

 まるでいけないものを見ているような気がして、目を逸らす。

 隣の佐助も同じ様子で、どうやら無駄に堂々とあられもない刹那に、先程の光景が事故だったと理解してくれたようだ。気まずい中で二人はコーヒーを飲む。普段から刹那が寝起きしているベッドが、二人を乗せて小さくギシリと鳴った。


「さて……お前たちに来てもらったのは他でもない。二人に確認しておかねばならないことがある。今日のことは他言無用だから、そのようにな?」

「他言無用、って言っても、なあ……佐助君」

「人に言えませんよ、こんな。居心地悪いですから、その……せめて隠すとか」


 ようやく刹那は、フンと鼻を鳴らすやバスタオルで自分を包んだ。そうして缶ビールを手に、椅子に座って脚を組む。

 改めて見ると、やはり子供だ。十代にすらなっていない、女児に見える。

 だが、彼女は二人を交互に見て、本題を切り出してきた。


「アレックス・マイヤーズ。そして、佐々佐助。お前たちは、一度死んだ身……何らかの形で死ぬほどのダメージを受け、そこから蘇った人間だ。そうだな?」


 互いに自分を指差し、アレックスと佐助は頷いた。

 アレックスは以前、大気圏に突入したコスモフリートを援護する戦いで、ピージオンの全力全開の加速力を爆発させた。強烈なGの中で、内蔵等に大きなダメージを受けて瀕死の重傷を負ったのだ。

 機械化手術でインプラントを多数埋め込まれ、今はこうして生きている。

 だが、佐助もそうした境遇だというのは初耳で、妙な親近感が沸いた。

 そのことを素直に告げると、佐助も経緯いきさつを放してくれる。


「そうなんだよ、アレックス君」

「ああ、アレックスって呼び捨てでいいです。なんか、君付けってこそばゆくて」

「じゃあ、俺も佐助で。で、アレックスも?」

「うん。あの時はでも、しょうがなかった……コスモフリートと一緒でなければ、大気圏を突き抜けてどこに落ちたか。もしかしたら燃え尽きてたかもしれないし」

「俺も似たようなもんかな。父と友達を……愛犬を殺された。その上、俺まで……こうして生きてるのが不思議なくらいで、不思議な世界に行って……チクタクマンのおかげだけど。……そして、父は、佐々総介サッサソウスケは……生きていた」


 二人が親しくなるのを満足気に眺めつつ、缶ビールを空にして刹那が脚を組み替えた。こうして改めて見ると、やはりいかがわしい。いけない魅力というのだろうか? なまじ女性的ないやらしさがない身体に、恥じらいを見せない態度。だんだん妙な気持ちになってきそうだ。ほんのりと頬を赤らめた刹那は、たしかに美形で愛らしい顔立ちをしているのも悪い。

 その刹那が、話の先を続ける。


「お前たち……最近、奇妙な感覚を覚えたことはないか?」

「奇妙な、感覚? それって」

「いや、別に。こんな身体でも日常生活はそんなに苦労はしない」


 刹那は顔を見合わせる二人を見て、溜息ためいきをついた。

 どうやら彼女はなにかに期待していて、それが空振りに終わったようだ。だが、彼女はそのことを注意深く再確認しようとしながらも、はっきりと情報の詳細を伝えてこない。


「具体的には言えんが、そうだな……緊張状態で時間が無限に引き伸ばされるような感覚。全てがスローモーションで見えたり、異様に判断力が鋭敏になったりした経験は?」


 アレックスは勿論、隣の佐助も首を横に振る。

 そんなことがあったら、それは人間の反射神経を凌駕している。人間業にんげんわざではない。一流のアスリートがゾーンと呼ぶ、極限を超えた中での集中力コンセントレーションなら知っている。知識でしかないが、人間に秘められた潜在能力せんざいのうりょくの話だ。

 だが、どうやら刹那がアレックスと佐助に求めているのは、そのレベルではないらしい。

 改めてニ、三の質問があったが、アレックスは佐助と一緒に否定するしかできなかった。


「……そうか。わかった、もういい。済まなかったな、時間を取らせた」

「いったい、なんなんです? もう少し説明してくれないと、僕も佐助も」

「まだ、早い。人類自体がまだ早いのか、それとも……

「だから、刹那さん! あの、ッ――!?」


 話の透明化を欲するままに立ち上がったアレックスを、佐助が手を添え止めた、その時だった。不意にコスモフリートの船体が、ガクン! と揺れた。

 なにごとかと思った、次の瞬間には床がかたむく。

 刹那は「始まったか」と、平然と座っているが……立ったアレックスはよろけて壁へと倒れそうになる。どうにか自分を支えた時、たまたま目の前にあった窓から異様な光景が見えた。


「なっ……サンダー・チャイルド? こんな近くに……激突するでしょう!」

「ああ、そういえば……アレックス、なんかみんな言ってたんだけど。その、絶氷海? ってのを渡るための措置らしい。コスモフリートはこれからしばらく、


 眼下には海が広がり、その上に全高300mのサンダー・チャイルドがそそり立っている。巨大な鉄巨神は、軽々と肩へコスモフリートをかつぎ上げてしまった。

 そのまま進む先へと、窓に張り付いてアレックスは見る。

 遥か海の先が、白いもやのようなものでけむって、雪原らしきものが水平線に広がっている。その光景に目を見張るアレックスは、驚きのあまり佐助も呼ぶ。

 二人は、意味深な笑みを浮かべる刹那にも気付かず、新たな冒険の船出に驚くのだった。

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