第54話「船出への第一歩」
リジャスト・グリッターズに旅立ちの時間が訪れた。
二つの地球を守るべく立ち上がった者たちには、つかの間の休息すら満足に許されない。それでも、ブライト・シティの多くの市民に見送られての
今、全てを拒む
閉ざされた空と海の間を
出港直後で
「なんだって僕を、僕なんかを呼び出すんですよ……まったく」
心当たりは、ない。
強いて言えば、アレックスの側に断りたい、遠慮したい理由だけがある。
刹那は常に高圧的で好戦的で、その上に人間を
見た目は小学校低学年なのに、いつもやりこめられるから苦手意識もあった。
だが、呼び出されたとあっては無視もできない。
「っと、この部屋か」
アレックスはインターホンも兼ねた扉のタッチパネルを操作する。
返事は、ない。
「あれ……呼び出しておいて留守なのかな? ……いや、違う。開いてるぞ」
試しに触れてみたら、オートで扉がスライドする。アレックスが一歩を踏み出せば、背後で
そこは、女性が暮らすには不自然な殺風景で、なにもない。
壁には
単純に私物が少ない、というかほぼ見当たらないので、閑散とした雰囲気だ。
そんな中で、机の上に一つだけ珍しいものがアレックスの目を引いた。
「これは……写真だ。へえ、刹那さんのおじいちゃんかな? 同じ海軍さんの軍人なんだ」
小さな写真立ての中で、初老の紳士が刹那と一緒に写っていた。どういう訳かむくれてそっぽを向いた刹那と並んで、海軍の将校がにこやかな笑みを
相変わらず愛想がないのに、赤く頬を染めた刹那の表情が印象的だ。
思わず手に取り、写真をしげしげと眺めていると……不意に背後で物音がする。
そして、振り返ったアレックスは思わず絶叫を張り上げた。
「おう、来たか! アレックス・マイヤーズ」
「え、あ、はい。って、ほああああっ! ちょ、ちょっと、刹那さん!」
そこには、全裸の刹那が立っていた。
バスタオルで長い長い銀髪を拭きながら、シャワールームから出てきたところだ。
真っ白な肌には起伏がなく、当然のように体毛もない。白無垢を思わせるフラットな
アレックスは思わず、持っていた写真立てで自分の顔を覆った。
「刹那さんっ! 丸見えです、なにか着てくださいよ!」
「御堂刹那特務三佐と呼ばんか、まったく……ん? おい、アレックス・マイヤーズ! そっ、その写真は……か、返せっ! それを見るんじゃない!」
「見たくて見てる訳では、っていうか、とにかく隠してくださ――」
アレックスが写真立ての影から、そっとのぞくと……全裸のまま濡れた身体で、刹那は大股に迫ってくる。なにもかもがはっきり見えてしまう距離に、
よせばいいのに、ついアレックスはうろたえるあまり、もみ合いになってしまう。写真立てを
そうしていると、バランスを崩した刹那がアレックスを巻き込んだ。
押し合いへし合いしていた二人は、そのまま床に倒れる。
そして、アレックスの時間が静止した。
「……おい、アレックス・マイヤーズ」
「あ、いや、これは……ええと、その」
真っ赤な瞳が、真っ直ぐにアレックスを見詰めていた。その黒目がちな目に、情けない顔の自分が映っている。瞬きも忘れて、アレックスは刹那の双眸を見詰め続けた。
長い銀髪はまるで月下の砂漠のように、床に広がり光が波打っている。
覆いかぶさるような形で両手を突いたアレックスは、思わず
そんなアレックスを見上げて、刹那は動じた様子もなく言葉を
「アレックス・マイヤーズ、少し痛いぞ。手をどけろ」
「は、はあ……あっ! いや、これは! その、違うんです!」
アレックスの手は今、刹那のフラットな胸に触れていた。女性的な柔らかさや弾力、豊かな温かみは感じない。どこまでも平坦な向こう側に、ちいさなしこりを確認できたような、できないような。
その時、来客を告げるインターホンが鳴った。
そして、先程アレックスが発した台詞をそのまま、最悪のタイミングで第二の訪問者が告げる。
「おかしいな、誰も出ない……っと、開いてるぞ。あのー、刹那さん? 俺、来ましたけど――!?」
扉が開いて、その向こう側から
彼は部屋の惨状を見て、彫像のように固まる。
床に仰向けに倒れた、裸の刹那。
その上にのしかかる、アレックス。
佐助は表情を失い呆然としたまま……黙って扉を閉めた。
それで慌てて、立ち上がったアレックスが悲鳴に近い絶叫をあげた。そのまま扉を再度開いて、去りかけた佐助を部屋に引っ張り込む。
「まっ、待ってくださいよ! 佐助君、ですよね? あの、これは誤解なんですよぉ!」
「あ、いや……俺、そういうのにも理解ある方だから。大丈夫、誰にも言わないし。ロリコンは犯罪だけど、病気でもあるから……うん、気にしないで」
「違う、違うって! 事故、事故なんだよ!」
「うん、そうか……事後か。アレックス君もやるなあ、ははは。大丈夫、なんか刹那さんも怒ってないってことは、そういうことだよね? おめでとう、祝福するよ。じゃ、俺はこれで」
「妙に優しくしないでくれませんか、違うんですって!」
そのやり取りを見ながら、ようやくのっそりと刹那が身を起こした。
彼女は、アレックスが手放した写真立てを床から拾うと、それを元の机に戻す。素っ裸のまま、彼女が写真へと笑いかけたように一瞬見えた。だが、アレックスは必死で抗弁しながら佐助を引き止める。
振り返った刹那は、隠しもせず堂々と腰に手を当て、薄い胸を反らして不敵に笑った。
「佐々佐助も来たか。悪かったな、呼び出して。二人共、そうだな……ベッドにでも座ってろ。茶でも出そう」
「あ、いえ……俺こそお邪魔してしまったみたいで」
「だから、佐助君! ……刹那さんからも言ってくださいよ。それと、なにか着てくださいよ。せめてバスタオルで身体を隠してくださいって」
だが、全裸のままで刹那は、二人へとコーヒーを放る。チューブ状になってて、無重力状態でも飲みやすいやつだ。その上で、自分は缶ビールを持って戻ってくる。
プシュッ! と炭酸を歌わせるや、汗をかいた缶を刹那はあおった。
子供の飲酒という光景が、全裸も相まって猛烈にいかがわしい。
まるでいけないものを見ているような気がして、目を逸らす。
隣の佐助も同じ様子で、どうやら無駄に堂々とあられもない刹那に、先程の光景が事故だったと理解してくれたようだ。気まずい中で二人はコーヒーを飲む。普段から刹那が寝起きしているベッドが、二人を乗せて小さくギシリと鳴った。
「さて……お前たちに来てもらったのは他でもない。二人に確認しておかねばならないことがある。今日のことは他言無用だから、そのようにな?」
「他言無用、って言っても、なあ……佐助君」
「人に言えませんよ、こんな。居心地悪いですから、その……せめて隠すとか」
ようやく刹那は、フンと鼻を鳴らすやバスタオルで自分を包んだ。そうして缶ビールを手に、椅子に座って脚を組む。
改めて見ると、やはり子供だ。十代にすらなっていない、女児に見える。
だが、彼女は二人を交互に見て、本題を切り出してきた。
「アレックス・マイヤーズ。そして、佐々佐助。お前たちは、一度死んだ身……何らかの形で死ぬほどのダメージを受け、そこから蘇った人間だ。そうだな?」
互いに自分を指差し、アレックスと佐助は頷いた。
アレックスは以前、大気圏に突入したコスモフリートを援護する戦いで、ピージオンの全力全開の加速力を爆発させた。強烈なGの中で、内蔵等に大きなダメージを受けて瀕死の重傷を負ったのだ。
機械化手術でインプラントを多数埋め込まれ、今はこうして生きている。
だが、佐助もそうした境遇だというのは初耳で、妙な親近感が沸いた。
そのことを素直に告げると、佐助も
「そうなんだよ、アレックス君」
「ああ、アレックスって呼び捨てでいいです。なんか、君付けってこそばゆくて」
「じゃあ、俺も佐助で。で、アレックスも?」
「うん。あの時はでも、しょうがなかった……コスモフリートと一緒でなければ、大気圏を突き抜けてどこに落ちたか。もしかしたら燃え尽きてたかもしれないし」
「俺も似たようなもんかな。父と友達を……愛犬を殺された。その上、俺まで……こうして生きてるのが不思議なくらいで、不思議な世界に行って……チクタクマンのおかげだけど。……そして、父は、
二人が親しくなるのを満足気に眺めつつ、缶ビールを空にして刹那が脚を組み替えた。こうして改めて見ると、やはりいかがわしい。いけない魅力というのだろうか? なまじ女性的ないやらしさがない身体に、恥じらいを見せない態度。だんだん妙な気持ちになってきそうだ。ほんのりと頬を赤らめた刹那は、たしかに美形で愛らしい顔立ちをしているのも悪い。
その刹那が、話の先を続ける。
「お前たち……最近、奇妙な感覚を覚えたことはないか?」
「奇妙な、感覚? それって」
「いや、別に。こんな身体でも日常生活はそんなに苦労はしない」
刹那は顔を見合わせる二人を見て、
どうやら彼女はなにかに期待していて、それが空振りに終わったようだ。だが、彼女はそのことを注意深く再確認しようとしながらも、はっきりと情報の詳細を伝えてこない。
「具体的には言えんが、そうだな……緊張状態で時間が無限に引き伸ばされるような感覚。全てがスローモーションで見えたり、異様に判断力が鋭敏になったりした経験は?」
アレックスは勿論、隣の佐助も首を横に振る。
そんなことがあったら、それは人間の反射神経を凌駕している。
だが、どうやら刹那がアレックスと佐助に求めているのは、そのレベルではないらしい。
改めてニ、三の質問があったが、アレックスは佐助と一緒に否定するしかできなかった。
「……そうか。わかった、もういい。済まなかったな、時間を取らせた」
「いったい、なんなんです? もう少し説明してくれないと、僕も佐助も」
「まだ、早い。人類自体がまだ早いのか、それとも……そんなものは、連中の幻想なのか」
「だから、刹那さん! あの、ッ――!?」
話の透明化を欲するままに立ち上がったアレックスを、佐助が手を添え止めた、その時だった。不意にコスモフリートの船体が、ガクン! と揺れた。
なにごとかと思った、次の瞬間には床が
刹那は「始まったか」と、平然と座っているが……立ったアレックスはよろけて壁へと倒れそうになる。どうにか自分を支えた時、たまたま目の前にあった窓から異様な光景が見えた。
「なっ……サンダー・チャイルド? こんな近くに……激突するでしょう!」
「ああ、そういえば……アレックス、なんかみんな言ってたんだけど。その、絶氷海? ってのを渡るための措置らしい。コスモフリートはこれからしばらく、サンダー・チャイルドが担いで歩くって」
眼下には海が広がり、その上に全高300mのサンダー・チャイルドがそそり立っている。巨大な鉄巨神は、軽々と肩へコスモフリートを
そのまま進む先へと、窓に張り付いてアレックスは見る。
遥か海の先が、白い
二人は、意味深な笑みを浮かべる刹那にも気付かず、新たな冒険の船出に驚くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます