第71話「私のはじめてのお友達」

 天をおおっていた黒雲は今、残らず霧散むさんして消えた。

 だが、広がる青空はそこにはない。

 太陽の光さえ吸い込む破壊神の姿に、シファナ・エルターシャは震えた。そこにもう、親切にしてくれた少年の面影おもかげはなかった。いつも真っ直ぐ進み、横を歩いてくれた。白き神像ゴーアルターを駆りて、共に戦ってくれた。

 そんな真道歩駆シンドウアルクの気配が、苛烈かれつな怒りの波動に消え去った。


「こ、この力は……いけません、歩駆さん! 負の力に身をゆだねては!」


 悲痛な叫びが自然と口からこぼれる。

 今、ゴーアルターは己を封じていましめる鎧を脱ぎ捨てた。

 しかし、あらわになったのはあの白亜に輝く神々しい姿ではない。

 まるで生き血のしたた臓物ぞうもつのような、暗い赤。不気味な明滅は、まるで血潮がたぎるかのように黒い光を放っている。

 そして、リジャスト・グリッターズの戦士達は等しく声を聴いた。

 地の底から湧き上がるような、怨嗟えんさ憎悪ぞうおを練り上げた声を。


『お前ぇ……俺の、俺のぉ! ――我を、今……うぬは我の逆鱗げきりんに触れた』


 歩駆の声ではなかった。

 そして、フェイスマスクがオープンになったゴーアルターは憤怒ふんぬ形相ぎょうそうで進む。

 その先には、全ての武器を向ける楯野タテノツルギの尾張十式おわりじゅっしき・改が立っていた。

 危機感に満ちた空気が凍りつく。

 その緊迫した雰囲気に耐えられないのか、周囲の異形達は絶叫を張り上げた。模造獣イミテイトが、黄泉獣ヨモツジュウが、イジンが神話生物が。あらゆる怪異が、豹変ひょうへんしたゴーアルターの放つ覇気に怯えてすくむ。

 大地を踏み締めゆっくり歩くゴーアルターに、たちまち敵意が殺到した。

 シファナのジェネスを追い越し追い抜き、バケモノ達が群がってゆく。

 思わず口から零れるシファナの声は、悲痛な叫びとなって響いた。


「駄目……それは貴方あなたの力では! 歩駆さん、貴方の力は……ッ! んくぅ!?」


 次々とゴーアルターは、ほとばしる黒き波動で敵を粉砕してゆく。

 それを追いかけようとしたシファナのジェネスを、衝撃が襲った。

 徒手空拳としゅくうけんで、黒い一撃が装甲を掠める。

 目の前に対峙していた黒き邪神輿イビルアーク、シエルが貫手ぬきてを放ってきたのだ。五本揃えた指と指とが、鋭いやいばとなってジェネスの態勢を崩す。

 かろうじて避けたシファナは、背後で仲間達の声を聞く。

 アレックス・マイヤーズや飛猷流狼トバカリルロウ東城世代トウジョウセダイといった少年達の声が強張こわばっていた。そして、彼等の前ではまだ……火だるまになった偽ピージオンが絶叫を張り上げている。


『なんです? バルト大尉! ……IDEALイデアルの人が? ダイナムレベルがマイナスって』

『歩駆っ、気持ちを強く持つんだ! お前が目指したヒーローは、そういう力で表現されるべきじゃないっ! くっ、フィリアさんに続いてお前まで!』

『まずいなあ、これは……じゃあ、そろそろこのへんで僕は、って訳にもいかないよね。美央ミオさん、ちょっとゴメン。揺れるよ!』


 すぐに仲間達は動き出した。

 三機はそれぞれ、偽ピージオンと尾張十式・改、そして変貌してしまったゴーアルターへと向かう。だが、シファナのジェネスは動けない。

 先程から、まとわりつく影のようにシエルが攻撃を繰り出してくる。

 スメルの姫巫女は今、自分が振りまいてきた希望の代価を強いられていた。

 民のため、自らをしるべともして照らした未来……その光は、知らぬ間に足元へと闇を広げていたのだ。少しずつ零れてよどんだ闇は今、影の中からあふる。その中へととらわれ沈んだ女性の声が、かすれたようにシファナの耳朶じだを打った。


『シファナ、さん……逃げ、て……』

「フィリアさん! 意識が……待ってて下さい。今、助けます!」

『……駄目……逃げて。全ては……私の、短慮たんりょと、未熟みじゅくが……こんな』

「大丈夫です、必ず助けます。さあ、ジェネス。いい子だから動いてね……行きましょう!」


 シファナの祈るような声に、ジェネスが瞳の光で呼応する。

 風斬かぜきり迫るシエルの右手を避けつつ、その手首を握る。同時にシファナはジェネスの右手を伸ばしてフィリアを求めたが、すかさずシエルが握り締めてきた。

 手と手を互いに押し込みながら、押し込まれる手をはばむ。

 拮抗きっこうする力と力の中で、シファナは懸命に祈りをつむいでジェネスにそそいだ。

 だが、そんな彼女をあざけるように……シエルの肩に立つ佐々総介サッサソウスケが笑う。


流石さすがと言わざるを得ませんな……比翼ひよくの巫女の末裔まつえい、シファナ・エルターシャ。その高貴なる血を今、僕は欲している。すでにもう、フィリア・アイラ・エネスレイクは我が手にちた。次は――』

「おだまりなさい! 佐々総介……いにしえの巫女の復活など、世迷言よまよいごとを。我らが始祖しそ、比翼の巫女はそんなことなど望んではいません。過去の力に頼り、その眠りを乱すなど!」


 シファナ達スメルの姫巫女は、神代かみよの昔に民を導いた存在、比翼の巫女の末裔だと言われている。だが、シファナに奇蹟きせき御業みわざがある訳ではない。比翼の巫女はかつて、暗黒大陸に降り立ちニッポンを生み出した。国生みの力はくり抜いた大地を、この土地に日本列島として浮かべたのだ。

 だが、シファナが頼るのは祖先の力や血、魂ではない。

 きずなを交わした仲間と、仲間が信じてくれる自分をこそ、信じる。

 そしてそれは、囚われのフィリアも同じ筈だ。

 シファナはジェネスを支えてシエルを押し返しつつ、フィリアへゆっくりと語りかける。


「フィリアさん、聞いて下さい。あの時を覚えていますか? あの時……レオス帝国の領内、召喚陣しょうかんじんの残るあの場所におもむいて……私達二人は出会いましたね。まだ、昨日のことのように思い出せます」


 返る声は、ない。

 ただ、無言で沈黙に沈むフィリアを乗せたまま、シエルが力を力で押し返してくる。

 それでもシファナは、素直な気持ちを記憶にえて話し続けた。


「私は姫巫女、ゼンシア神聖連邦しんせいれんぽうを出ることは多くはありません。暗黒大陸の民のため、何度か行幸ぎょうこうの旅をしたくらいで……だから、嬉しかった」

『……嬉しかった? どうして……私は、怖かった。王女として、振る舞い……父の名代みょうだいとして……でも、私は、非力で、無力で』

「でも、フィリアさんは私に出会ってくれました。そして、お友達になってくれた。私には、同世代の女の子が友達だなんて……とても、嬉しかった。嬉しかったんです!」

『友……達……?』


 あの日、レオス帝国の領内で二人は出会った。

 シファナは、禁忌きんきとさえ言われた召喚の儀式をレオス帝国が執り行う際、立会人として招聘されたのだ。アルズベック・レオス・ヴァルパーは、大胆にして豪放、そして繊細で知略に長けた男だ。己の行いを正当化し、それを周辺諸国にしめすため……暗黒大陸の全ての民がほうじる、スメルの姫巫女を場に同席させたのだ。

 そのことを誰よりも、シファナが一番よく知っていた。

 己の身分と立場故、常に政治や政争に利用される。

 小さな頃からずっとそうだった。

 シファナはただ、国や民族を問わず人々を……老若男女を問わず皆を守って導きたいだけなのに。そんな純粋な気持ちすら、国家間の軋轢あつれきの中へ消えてゆく日々だった。


「私は、嬉しかった……貴女に出会えて、貴女にお友達だと言ってもらえて。そして、知っています。貴女はあの日も、務めを果たすべく自分を奮い立たせていました。その華奢きゃしゃな両肩にのしかかる重責じゅうせきに耐えて、王族の義務のために最善を尽くしていました」

『それでも、私は……』

「フィリアさん! 続きは直接お顔を見てお聞きします! さあ、黒き闇の力よ……私のお友達を解放なさい!」


 シファナの意思を拾って、ジェネスが力を振り絞る。

 だが、シエルの束縛を解いた白き聖神輿ホーリィアークは……両手を広げて無防備に胸を反らした。シファナはフィリアを奪った力へと、力を向けることをやめてしまった。

 すかさず自由になった両手をシエルが伸べてくる。

 ガシリ! と首を締め上げられたまま、ジェネスが空へ高々とつるるされた。

 きしむ愛機の中で、シファナは声を限りに叫ぶ。


「ジェネスよ! 我が血に連なる歴代の姫巫女よ! 力を……お友達一人すら救えぬ者に、国も民も、星も救えません! これはスメルの姫巫女ではなく、私の願い。私だけの望み! 力を……もっと光を!」


 その時、奇蹟が起こった。

 息を荒げるがごとくたかぶっていたシエルが、止まった。

 ジェネスをくびるように吊るしたまま、停止したのだ。

 流石に総介も片眉かたまゆを跳ね上げる。


『ほう? 自ら身をていして友を守る……それもまた、愛。スメルの姫巫女よ、びよう……僕は貴女あなたあなどっていたようだ。だが、それも終わる。二つのとうとい血と血をたばね、えが螺旋らせん二重ふたえつむげば……連理れんりの果てに我が愛は再び!』

「ッ……! 佐々総介、覚えておきなさい。フィリアさんは私が守ります。彼女は強い女性です……私と二人ならば、決して闇などに堕ちはしません!」

『ならば、その高潔なる意思を試されよ……そうでなくては、にえとしての価値はありませんからな。フ、フフ……フフッ、ハハハハッ! これにてそろった……比翼と比翼を揃えて今、僕は愛へと羽撃はばたける!』


 シファナは自分の力が抜けてゆくのを感じた。

 朦朧もうろうとする意識の中で、力を使い過ぎたことをやんではいない。悔いはないが、ただただフィリアが、そして戦う仲間の少年達が心配だった。

 自ら敵の手に落ちてでも、フィリアに寄り添い支えて守る。

 自分の光なら、闇の深淵しんえんでも彼女を照らせると信じている。

 ゆっくりと意識が薄れてゆく中……彼女は声を聴いた。

 そして、仲間達の誰もが振り返る気配を知る。


『サスケッ! あそこですわ! ……ああもぉ、有象無象うぞうむぞうが邪魔ですの! 行ってくださいな、サスケ。ここはワタクシがっ!』


 シファナは、暗く狭く閉じてゆく視界の中に見た。

 ナミハナの声を超えて今……激しい怒りの気迫が顕現けんげんするのを。

 激昂げきこうたぎりに飲み込まれたゴーアルター、その中で憎しみの溶鉱炉と化した歩駆さえ振り向かせる存在。それは今、総介を裂帛れっぱくの意思でシエルの肩から飛び降りさせた。

 邪神降臨……ジェネスとシエルの前に、禍々まがまがしくも神々しい玉座が出現していた。

 古き神をまつ祭壇さいだんにも似たその機体は、大地に降り立つ総介を見下ろす。

 そして、声が走った。


『お前は……見付けたぞっ、父さんっ! なにを……なにをやってるんだ、父さんは! なにをしようとして、こんなっ!』


 少年の叫びは、血を吐くような激情の中で高らかに響く。

 窮地きゅうちに現れたケイオスハウルのコクピットで、チクタクマンの制止を振り切るように佐々佐助サッササスケは絶叫していた。そして、その声の中にはまだ確かに存在していた……微かに迷うような躊躇ちゅうちょが、シファナにははっきりと感じられた。

 それは、子がどこかでまだ父を信じたいと願う、小さな小さな祈り。


『オーケィ、サスケ! クールダウンだ! 気持ちをませて心を落ち着けよう。彼は、ソウスケは既に魔人まじん、人の身を捨て人を踏み越えた存在。ゆえに――』

『これが落ち着いていられるか……父さんっ! 全て知ってることを話してもらうっ! その前に……俺の仲間を返してもらう! 俺達の大事な仲間を!』


 シファナは、その時初めて知った。

 自分が人々に灯してきた希望が、今……佐助の雄々しさで自分にも灯るのを。救いを求める時、伸べられる手の暖かさ。炭火のように自分へ浸透する仲間の声があるから、彼女は自分ごと闇へ沈んでフィリアを求めた。

 暗闇の中で膝を抱えて震えるフィリアに、そっと気持ちを寄せて支える。

 消え行く意識の中、最後にシファナは佐助達の絶望にあらがうう声を聴くのだった。

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