第16話「神々の黄昏を見やるは魂の玉座」

 甲府こうふ、燃ゆ。

 紅蓮ぐれんの業火に包まれ煉獄れんごくと化した街を、飛猷流狼トバカリルロウは友人たちと逃げ惑っていた。最初は夕暮れの襲撃、テロリスト『あかつきもん』による街の飽和攻撃だった。無差別に繰り返される殺戮の中で、確かに流狼は身勝手な主張と、虐殺に酔う愉悦の声を聞いたのだ。

 だが、今は違う……謎の青いロボットが助けてくれたが、状況が変わった。

 突如として飛来した新たな敵が、混乱にさらなる闘争の火種を投げ入れている。


「こっちだ、風上へ! 陽与ヒヨちゃん、龍羅リュウラ兄も! 煙を吸い込まないよう、頭を低く口を抑えて!」


 街の中心地を囲んで、逃げ場を奪いながら中心へと包囲を狭めるような攻撃だった。いたるところで炎が道をさえぎり、三人の行く手を阻む。警察も消防も組織的な救出活動を阻まれた中で、多くの罪なき市民たちが烈火の中へと消えていった。

 そんな中でも流狼は希望を捨てずに走る。

 恋人である世代陽与ヨシロヒヨの手を握って。

 陽与はごく最近、よくある少年少女のめを経て交際を始めた恋人だった。少し格闘技をたしなむ少年と、どこにでもいる普通の少女の恋……手を繋いだのは、今日が初めてだった。

 そんなことももう、流狼の頭の中を高速で背後へ飛び去ってゆく。


「考えても見れば最近の甲府は妙でした……それも全て、この異変の前兆だったとも考えられますね」

「龍羅兄? なにを」


 三人は大通りから路地へと入り、頭上を覆う轟音と炎の中をくぐる。火の海と化した街からの脱出で、既に流狼は陽与を守ることで精一杯だった。

 一方で、従兄弟いとこ葵龍羅アオイリュウラは危機感もあらわながら落ち着いていた。

 流石に鍛えた身体にも乳酸が溜まって、肩を上下させて出入りする呼吸が乱れる。流狼や龍羅といった、武道で鍛えた二人でも体力が消耗しているのだ。まして、ただの普通の女の子である陽与の疲労と消耗が気になる。

 三人は路地から飛び出す前に脚を止め、左右の圧してくるような壁に身をこすりつけた。熱くけたコンクリートの感触を感じれば、向かう先の通りを一機の巨大な人型兵器が歩く。10mを超える巨体は黒光りして、頭部に鬼のような角が真っ直ぐにひたいから生えていた。

 息を殺して冷たい敵意を見送れば、灼熱地獄の中で流狼は凍える。

 いつになく饒舌じょうぜつな龍羅が汗を拭いながら喋り出したのは、そんな時だった。


「先日、県立第三高校で妙な事件がありました。全校生徒が地下に、突然の避難訓練で押し込められた……何故か、地下シェルターが第三高校に」

「地下シェルター? 第二次冷戦だいにじれいせんの遺物かなんかかな?」

「いえ、違います……街でも一斉に外出禁止令が出て、なにかが起こりました。そして次は」

「このテロ事件か」

「もう一つ。先日……人気アーケードゲームのBMRS筐体から、忽然こつぜんと一人の少年が消えたそうです。まだ高校生の男の子ですね。そして……この日本皇国では最近、。法則性はほぼなく、ランダムに……無作為に選ばれた者たちが痕跡もなく消えているのです」


 その言葉に、流狼の隣で陽与が声を発した。彼女は思い出したように言葉を選んで、それを伝えて会話に参加し、どうにか非常事態での正気を保とうとしていた。

 健気けなげに思えて、そんな陽与の手を握る手に力が篭ってしまう流狼。


「じゃ、じゃあ……あの、第二皇都廣島だいにこうとひろしまのあの事件……御殿医ごてんいの佐々先生を息子さんが殺して、その後失踪したまま全く足取りがつかめないのって。も、もしかして」

「ええ、そういう推理も成り立ちます。御殿医を殺した犯人が、息子さんをさらったと。しかも、なんの証拠も残さず……そして、今日は当局も情報を掴めなかったテロに、謎の敵の襲来。……いえ、謎の敵などではありません。連中は以前から、この甲府に来てたとしたら」


 だが、お喋りはそこまでだった。

 黒煙が風に舞う空に、無数の光が立ち上る。流狼は詳しくはないが、それが空へ放たれた敵の攻撃だということはわかった。無数の苛烈な光条を吸い込む先で、空の遥か高みにまばゆい輝きがスパークする。

 そして、なにかがパラシュートを開いて逆噴射のバーニアを点火させるのが見えた。

 それは流狼には、見えない力で邪悪な光を跳ね除け舞い降りる、救いの天使に見えた。

 気付いた龍羅も空を見上げて「ほう」と落ち着いた声を走らせる。


「皇国陸軍……いえ、違いますね。軍はパラレイドのことしか頭にない。とすれば、この危機に迅速に対応できる部隊。人類同盟の各国は日本国内には不干渉となれば……噂の独立治安維持軍どくりつちあんいじぐんでしょう。ですが、妙ですね? 第二皇都廣島を本拠地とするにしては、手際が良過ぎます」

「なんだっていいさ、龍羅兄! 助けが来てるなら、そっちに逃げよう!」

「いえ、流狼。連中は戦闘部隊、戦いに来てるのです。逃げるなら、戦場になる彼らとは逆方向でしょう」

「なるほど! ……よし、行こう。ここも時期に本格的に火が回る」


 意を決してうなずきを交わし合うと、流狼は陽与の手を引き路地から飛び出す。あちこちで建物が燃えているが、まだ倒壊しているものは少ない。このまま通りを真っ直ぐ郊外へと抜けられれば、ひとまずはこの地獄からは生還できることになる。

 だが、その時……流狼が日頃培った鋭敏な感覚が、轟音と共に現れた敵意を感じ取った。

 慌てて立ち止まった、その先に現れたのは、紅蓮の炎を撒き散らす巨神。灼けたアスファルトにレッグスライダーのホイールを鳴かせて、一機のレヴァンテインが現れた。そして、流狼や龍羅は勿論、陽与にもすぐにわかった。

 この機体は、交差する横道から飛び出てきたのは……敵だ。


『おやおや、善良なる市民の少年少女諸君。避難中かい? それじゃあ、わざわざ街を外側から包囲して焼いてる意味がないだろう? ……誰も生かして帰したくないんだよねえ。あの機体を……を見た者は一人もさあ!』


 スピーカーを介して頭上に叩きつけられた声は、子供だ。

 同時に、幼い少年の声とは思えぬ程に、ゆがんだ恭悦きょうえつ享楽きょうらくに震えている。まるで、無垢むくな子供に読ませた残虐な倒錯小説ポルノの如き背徳感……弾んで聞こえる声音は、まるで愉悦ゆえつに酔ったような響きで続けられた。


『こうして見下ろすと、本当に自分が神になった気分だよ……たまにはいいね。戦いをこそ愛して興じる僕でも、ただ虫ケラのようにプチプチと鏖殺おうさつするのも興奮するよ』


 その機体は、右手に大きな大砲らしきものを持っている。それは冷却のためと思しき白い水蒸気を巻き上げ、太いチューブで背中に接続されていた。

 流狼にはその姿が、人の運命をもてあそぶ邪神のように見えた。

 だが、震える両足に力を込めて、龍羅へと陽与を押し付ける。


「龍羅兄! 二人で行ってくれ! ……お前の相手はっ、この俺だ!」

『……うん? おやぁ、なんか言ったかな? 僕の聞き間違えかなあ。気でも触れたかい』

「俺は、正気だ。武装したレヴァンテインから徒歩かちの人間が逃げられる道理はない……だけどなあ! こっちにも意地がある、守りたいものがあるんだよ! みんな、あったんだよ!」


 流狼が腰をわずかに落として、握った拳を身構える。勿論、レヴァンテインを相手に、体得した古武術が通じるとは思えない。あの装甲へと一撃を加えるだけで、流狼の拳は砕けて骨が折れ、蹴れば筋が裂けて腱が破壊されるだろう。だが、それでいい……たとえ拳が届かず、蹴りが空を切ったとしても、いい。

 それで稼げる貴重な数秒で、二人の命が逃げてくれるなら、構わない。


御託ごたくはいいんだよ、テロリスト……来いよ! 俺が、この俺がッ! 戦ってやる!」

『……ップ! ハハ、アハハハハ! 戦ってやる? 生身でかい? どうやって――チィ! 展開が早い!? 実戦慣れしてるな、どこの部隊だ!』


 不意に、目の前のレヴァンテインが身を翻した。

 そして、燃え盛る建物をジャンプで乗り越え、二機のレヴァンテインが降りてくる。その手に構えたアサルトライフルは、照星サイトに確かにテロリストを捉えていた。だが、流狼たちの存在が銃爪トリガー躊躇ためらわせたのだろう。

 それでも、照準を重ねられたことでテロリストはポジションを失ったのだ。


『いいぜえ、いい調子だ円月えんげつ! こいつだって、ちゃんとチューンしてやれば……ん、要救助者、発見!』

『フォローは任せろ、南雲ナグモ! 気をつけろ……そいつは強奪された瞬雷しゅんらいだ。火力が違う。こちらオスカー6、伊崎イザキです。オスカーリーダー、応答願います。瞬雷発見、繰り返す! 瞬雷発見!』


 助かった、そう思った瞬間に流浪の身体から力が抜ける。情けないことに、先程までの気迫が失せて、流狼はその場にへたり込んだ。その背中を抱くように、泣きながら陽与が抱きついてくる。手に手を重ねれば、温かな涙のしずくが生を実感させた。

 だが、安堵に動けなくなった流狼が次に見たのは……目の前に落ちてくる巨大な物体だった。


「流狼、危ないっ!」


 咄嗟に二人まとめて、龍羅に突き飛ばされた。三人は勢い余って、そのままひしゃげたシャッターの前に転がる。落下してきたのは、救助に来てくれたレヴァンテイン、確か先程円月と言っていた


『クソッ、サブカメラを! なぁに、たかがまだ頭部をやられただけだ! 守る……俺は市民を、守るんだよ! 俺が――』


 次の瞬間、光が走った。

 頭部を失いながらも体勢を整えようとしたレヴァンテインが、通りの向こうまで突き抜ける光の槍に貫かれた。それが、テロリストが構えた巨大な砲身から放たれたビームだと、ようやく流狼が理解した時には……コクピットのある胸部に風穴の空いた機体がその場で立ち尽くす。まだかろうじて生きているオートバランサーが立たせている、それが返って力なく垂れた両腕、落下するアサルトライフルと噛み合わなくて……うつろな恐怖を無駄にあおる。


『南雲ぉ! こいつ……並じゃないぞ。だが、だがなあ! おい、そこのっ! 早く立て、立って逃げろ! ……ここは任せろ。オスカーリーダー、槻代級ツキシロシナ! 一機、預けます! お先に!』


 腰の剣を抜刀したレヴァンテインが、無茶を承知で斬りかかる。

 先ほどの流狼と同じだ……一瞬の一秒、その刹那せつなを稼いでたくすために、その男は戦いを選んだ。叶わぬ絶対強者タイラント、摂理にも等しい敵へと刃を向けたのだ。

 その男の名を、流狼は知らない。

 だが、その男が駆る機神の咆哮を心に刻みつけた。


「二人とも、立てるか!? さっきはごめん、でも! そういう気持ちを見たら、無駄にしちゃいけないんだ! 逃げよう、早くっ!」


 しかし、現実は無慈悲な金属音で全てを砕き、断ち割り、引き裂く。二機目の円月は剣をいなされ、コクピットを膝蹴りで潰された。互いに同程度の装甲を持つレヴァンテイン同士での、体術による打撃。衝撃を浸透させて、自分を壊さず相手を潰す。それは、流狼とは別次元の武道家、達人がやる技だ。

 僅かに浮いた円月は、そのまま大の字に倒れ込んだ。

 潰れてひしゃげた胸部の亀裂から、黒くて赤いなにかが滲み出ている。


「あ、ああ……ッ! 駄目だ! まだ、負けては駄目だ! 逃げるぞ、陽与ちゃん! 龍羅兄も!」

『おっと、そこまでだよ。どうした? ええ? 僕と戦ってくれるんじゃないのかい? それとも……この有様をみたらビビっちゃったかなあ? アハ、アハハハアハ!』


 だが、その時……灼熱の空気が渦巻く惨劇の中に、低くくぐもる声が響く。同時に、耳をつんざくハイチューンのメカニカルノイズが金切り声を歌った。そして、テロリストのレヴァンテインが立つすぐ横……燃え盛る倉庫をぶち破って、燃える巨影が現れる。

 それは、正しく怒りの炎で身を焼く戦神……突き抜けてきた倉庫の瓦礫がれきが舞う中で、抜いた剣の刃が走った。


『黙れよ……黙れええええっ! お前は、俺の……俺たちのッ!』

『馬鹿なっ!? クッ、ナビゲーションに頼り過ぎたか! まさか、建物をブチ抜いてくる馬鹿がいるなんて。いいね、たぎるよ……いるじゃないかあ。できる奴がさあ!』

『黙れと言った!』

『アハ! 怒りに身を任せてたけるか。それじゃ、僕には……勝てない』


 二機のレヴァンテインは、激しく火花をちらして路面の上を滑る。それは、炎が見せる蜃気楼ファントマイルの中で踊る氷上の演者にも似て。しかし、互いがホイールを奏でて舞うのは、生死を分かつ破滅の輪舞曲ロンドだ。

 突如現れた漆黒のレヴァンテインが、フェンサーブレードを繰り出す。

 しかし、その切っ先が鋭く何度も空を切った。テロリストの機体はまるで遊ぶように、ギリギリで避けつつ、時には装甲の上で刃に火花を飾らせながら肉薄する。

 そして、薄氷はくひょうに舞う中でテロリストは……不意に距離を取るや、流狼の上を取った。ジャンプで降りてくる影から陽与を守って、そんな流狼ごと守ろうとした龍羅を闇が包む。思わず衝撃に目をつぶってしまった流狼は、不意に圧迫感で肺腑はいふから空気を絞り出された。

 あっという間の電光石火で、流狼たち三人はテロリストが操るレヴァンテインに捕まってしまった。右手に三人まとめて無造作に掴みながら、その腕が突き出される。


『こういうのは、どうだい? ハハ、どうする? その機体……資料で読んだことがある。独立治安維持軍のカスタム機、確か……メリッサ。さあ、どうするんだい! メリッサのパイロット!』

『クッ!』

『剣と銃を捨てなよ? ほら、指先一つで肉塊の出来上がりだよ? ほらほら、ほらあ!』

『迂闊……もっと冷静に、俺が……クソォ!』


 アサルトライフルが、次いでフェンサーブレードがアスファルトに転がった。だが、流狼は見る……メリッサと呼ばれた黒き騎士は、その目に宿るセンサーの光が死んではいない。牙も爪も砕かれて尚、戦う意志が折れていない。

 なにか打開策をと思う一方、ミシミシと骨が軋む中で耳元に悲鳴が噛み殺される。陽与も龍羅も、歯を食いしばって耐えているが……テロリストの言う通り、指一本の力が強まるだけで三人は圧縮されて鮮血を吹き出すだろう。


『最後に教えてやるよ、メリッサのパイロット。僕は、ロキ。そして僕らは……失楽園パラダイス・ロスト。この世に混乱をもたらし、その狭間はざまで破滅を踊る者の名だ。そう、僕は――』

『級……槻代級、だ』

『は? ああ、君の名かあ。そうか、ツキシロシナ……楽しかったよ、そしてさよなら』

『覚えておけ、いつか必ず……必ずお前を倒す。この俺の名を、覚えておけ』


 それは、刃も銃弾も失った男が絞り出した、決して折れぬ意志の言葉だった。それを一笑に付すテロリスト、邪神を名乗ったロキの言葉が僅かにかげる。ただならぬ迫力をにじませた言葉に、流石のロキも気圧されていた。

 そして、異変は突如として襲う。


『楽しかったよ、僕を一瞬とは言え焦らせるなんて。ツキシロシナ、君は……ん? なんだ……光が。これは……ッ!?』


 次の瞬間、不意に流狼の頭の奥で言葉が走る。

 ――転移魔法、発動を確認……君がボクの二人目のマスター、かもしれないね。

 その声なき声は、頭の奥で脳裏に直接刻まれるように響いた。

 そして……燃え盛る炎の中で、ロキのレヴァンテインごと地面を走る光が飲み込んでゆく。助けに来たメリッサのパイロットが仕掛けたものではない。それはまるで……太古の錬金術や魔術、陰陽術に似た、しかし無数の類似性が複雑に絡み合う中で互いを消し合うような魔法陣。

 そう、魔法陣だと思った瞬間には、ロキと共に流狼たち三人の視界は眩い光に飲み込まれた。

 ――拳王機けんおうきアルカシード……それがマスターに与えられた力……魂の叫びが求めた力かもしれないんだよ。

 先ほどの声は不思議と、意識が遠ざかる中で徐々に近づいているように流狼には感じられた。

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