Act.17「絆をその手に掴む者」

第97話「大人として、男として、人として」

 その部屋を出る時、男はちかった。

 二度と戻れぬ場所になっても、決して後悔はしないと。

 置いていくのは、振り返る都度つど膨れ上がる、未練。

 たずさえるのはただ二つ、覚悟と決意だ。

 バルト・イワンドは誰にも何も告げず、黙って予定にない出撃へと向かう。指揮官としての責任、軍人としての一線、そして仲間達との平和の約束……全てをかなぐり捨ててでも、彼が目指すべき戦場があった。

 だが、格納庫ハンガーへと向かう通路でバルトを出迎えたのは、銃口だった。


「こんな時間に散歩ですか? バルト・イワンド大尉」


 若い士官の男が、拳銃を手に待っていた。

 バルトは自然と、彼の名を呼ぶ。


篠原亮司シノハラリョウジ少尉……君か」

「散歩でしたら、このコスモフリートをぐるりと回ってくるといいでしょう。食堂に行けば丁度、定時のパトロール要員とお茶だって飲める。そうしてあんたは、また部屋に戻って休むんだ。それだけでいいはずだ」


 亮司の目は、本気だ。

 YESイエス以外の答を望まず、決して許さないだろう。

 そんな彼の本気の眼差まなざしに、バルトも本気の本音で応える。


「……少し、ふねを空ける。少尉、後任の部隊長に関しては――」

「このリジャスト・グリッターズの機動部隊隊長は、バルト・イワンド大尉……あんただけだ。他に指揮を執れる人間を、俺は知らない」


 短い沈黙が、重苦しい。

 時刻は夜明け前、若い少年少女達には優先して休息を与えている時間だ。惑星"ジェイ"と呼ばれる地球の、ユーラシア大陸標準時間に艦内を合わせているため、民間の避難民達も寝静まっている。

 腹に響く轟音で飛ぶ宇宙戦艦の中で、二人の間に静寂が圧縮されていった。

 だが、バルトは意を決して踏み出す。

 僅かに気色ばんだ亮司は、再度確認するように銃を突きつけ直した。


「考え直してくれ、バルト大尉。……ミラ・エステリアル准尉の件だな?」


 答えなかったが、バルトの沈黙が何よりの答えだった。

 先日、日本列島を出発する前に聞かされた……直属の上官、ドルテ・クローニン大佐から、すでに情報はもたらされていた。

 ミラ・エステリアル准尉の命に危機が訪れていると。

 そして、先程公共の通常電波に乗せてテレビで報じられたのだ。

 脱走兵として公開銃殺刑こうかいじゅうさつけいが決定したと。

 エークスはゲルバニアンと並ぶ、このユーラシアの巨大近代国家だ。何故なぜ、こんな蛮行ばんこうが? その背後に、ある男の気配を感じる。そしてその人物は、他者のネガティブな心を操ることにかけては、天才的な才能を有しているのだ。

 ゆえに人は彼を、魔人佐々総介サッサソウスケと呼んだ。


「俺は行かなければならない。ミラ准尉は俺の部下、そして部隊の仲間だ」

「それが軍人として……良識ある大人として、許されると思っているのか? バルト大尉」

「誰に許されるでもない……俺自身、おのれを許せない。だが、ここで准尉を見殺しにしてしまえば、俺は俺でなくなってしまう」


 かつて、戦火に全てが奪い去られた。

 多くの命が失われる、その中に愛した人もいたのだ。

 それは全て、もう取り戻すことができない。

 そして『大切な人の大切さは、くしてから気付く』などと、さかしい教訓を突きつけてくるのだ。

 うんざりしている。

 行く先々、失うばかりの日々……軍人の道を選んだからには、戦う覚悟のある者はいい。しかし、覚悟のない市民も、戦えない兵士も、そのまま殺されては犬死いぬじにである。


「安っぽいセンチメンタルかもしれん。だが……俺は立場ある大人であるより、仲間に誇れる男でありたい。それは、決して仲間を見捨てないということだ」

「それで、

「地理は熟知している。今、ここでリジャスト・グリッターズとエークス側との対立構造を生むわけにはいかない」

「……と、隊長さんは言ってるんだがね。あんた等もそうかい?」


 亮司がわずかに視線を逸した。

 彼が見やる背後を振り向いて、思わずバルトは息を飲む。

 そこには、苦楽を共にしてきた小隊の仲間達が立っていた。


「大尉、自分達三人で陽動を行います。その隙に、公開処刑の行われる議事堂中央広場をおさえて下さい」

「敵は最精鋭、首都防衛大隊しゅとぼうえいだいたい……トール配備数は予備機を含めて80機以上」

「……バルト大尉。大尉が准尉を救うというなら、それを助けるのが俺達の約目です」


 リーグ・ベイナー中尉にルーカス・クレット少尉……そして、ナオト・オウレン少尉の姿があった。彼等の目を見て、説得は無理だとバルトはさとる。

 瞳に宿る光を見れば、彼等に言葉は不要だ。

 それをわかり合う仲で、だからこそ生き残ってきた。

 そして、それを見た亮司が銃口を下ろす。

 同時に、廊下が突然あわただしくなった。

 飛び込んできたのは、虹雪梅ホンシュェメイ少尉とソーフィヤ・アルスカヤ少尉だ。


「亮司! プロペラントタンクまでパンパンに燃料詰めといた、って……ありゃ?」

「いつでも出撃、できる……ただ、ペイロードの関係上、フォトンカタパルトの粒圧りゅうあつをあげないと。私達でトール一号機を、ポイントへ空輸し、投入……だよ、ね?」


 バツが悪そうに亮司は、肩をすくめた。

 どうやら彼には、最初から撃つ気はなかったようだ。


「リーグ中尉に押し付けようと思ってたんだが……隊長代理もまあ、少しの間だけなら。だから、なるべく早く帰ってきてくれよ? バルト大尉……バルト隊長」

「少尉……すまん」

「それと、そっちも銃を下ろしてくれ。……慣れないことはするもんじゃない」


 亮司の背後にも、人影があった。

 それは、拳銃を構えた槻代級ツキシロシナだった。


「亮司少尉、俺は……俺達は、バルト大尉と気持ちは同じだ。行かせてやってほしい」

「わかってる。だが、ことをいては仕損しそんじる。級、オスカー小隊のみんなとブリッジに上がってくれ。10分でいい、全てを見逃すように伝えてくれ」

「……了解した。すまない、亮二少尉」

「いや、大した馬鹿ばかばかりだよ、この部隊は」


 級も銃を下ろすと、バルトの前に駆け寄ってくる。

 彼は時間を気にしながらも、手短に言葉を選んだ。


「大尉、トール一号機の改修作業は終了しています。多薬室砲装備たやくしつほうそうびに、ありったけのグレネード、ミサイル等とリアクティブアーマーを追加しておきました」

「……すまない」

「あやまらないでくれ……何も間違っていない。そして、誰も間違いたくない筈だ。そのことを俺達はいつも、大尉の背中に教えられてきたんだ」


 亮司が「人が来る、早くしろ」と通路の角を気にし始める。

 それでバルトは、級とも短い別れを終えて走り出す。

 一緒に格納庫へと向かう二人の女性パイロットも、どこか満足そうに足取りが軽い。虹雪梅は愉快そうな笑みを浮かべているし、ソーフィヤはいつもの無表情だが、張り切ってフンスフンスと鼻息が荒かった。


「モテモテね、バルト大尉。男の友情ってやつ? 嫌いじゃないわ」

「バルト隊長、早く帰ってきて、ね? ……亮司が仕切るの、少し、不安だから」

「……わかった。二人とも、感謝する」


 格納庫の入り口には、不思議と見慣れた顔が何人か立っている。

 驚いたが、バルトの決意は鈍らなかった。

 シファナ・エルターシャとフィリア・アイラ・エネスレイク、そしてアカツキリリスの三人だ。見目麗みめうるわしい乙女達が、今日この時ばかりは祝福の女神に見えた。


「大尉、話はうかがっています。どうか大尉の進む先に、大いなる加護を」

「これ、シファナとリリス、そして私で作りました。簡単な食事しかできなくて」

「カカカッ! 急ぐがよいぞ? うるさい特務三佐殿とくむさんさどのには今、大友美雪オオトモミユキ艦長が張り付いておる。が、おやつでの足止めもそう長くは持つまい」


 どうやら、一番懸念していた御堂刹那ミドウセツナの介入はまぬがれそうだ。

 だが、リジャスト・グリッターズの司令である東堂清次郎トウドウセイジロウには、何も相談できず申し訳なく思う。そして、このことを告げれば、彼が自分の立場や安全を投げ出してでも、バルトを送り出そうとしてくれることを知っていた。


「では、行ってくる……少しの間、子供達を頼む。俺は……必ずこの部隊に生きて帰る。ミラ准尉を連れて、必ず」


 シファナとフィリアが大きくうなずく。

 リリスも奇妙な笑みを浮かべて、意味深な言葉を小さくささやいた。


「例の、オンスロートとやらも一緒にの? ……恐らくあれもまた、因果律へと触れるための輪転機タリズマン。故に、再び次元の壁を越えて跳躍する時に必要となろう」

「それは……」

「ま、今はよい。小娘こむすめ一人救えぬ者に、二つの地球を救うなど夢のまた夢……心せよ、バルト・イワンド。おぬしの命、既にお主だけのものではない。死ぬでないぞ?」


 以前ならば、戦場からの生還など約束はしなかっただろう。

 常に激戦地に身をおいてきたし、戦争に『』は存在しない。

 だが、それを知り尽くして尚、バルトは生きての帰還を誓う。

 そうして歩み出す格納庫では、片膝を突いた巨神が主を出迎える。アーマード・モービルが空輸用のケーブルを手繰たぐり出す中、新たな武器を得たトール一号機にバルトは迷わず飛び乗るのだった。

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