第56話「神話への招待」

  黄金の獅子王ライオンハートを大地に産み落として、灰色の空は再び閉ざされる。まるで、なにかの力が働いているかのような重さが広がった。

 金色に輝く機体のコクピットで、少年は浅い呼吸を短く刻む。

 久しぶりの地上、地球だ。

 故郷の日本は今、曇天どんてんの下に薄暗く沈んでいる。


「くっ、こんなことしてる場合じゃ……でもっ! 見過ごせない、見捨てられないんだ!」


 少年は、両手両足で制御する機体を身構えさせる。

 名は、御門晃ミカドアキラ

 彼を内包する巨大な人型機動兵器を、足元の人間たちは指差し口々につぶやく。その声は、眼前のおぞましいクリーチャーが放つ叫びと共に、晃の耳へと入ってきた。

 軌道エレベーターの周囲には、無数に人々が集まっている。


『おっ、おい! あれ……〝〟だよ、ほら!』

『あ? そういえば……あの、ゲームに出てた』

『どうして『機巧操兵きこうそうへいアーカディアン』の〝オーラム〟が?』


 そんなの、こっちが聞きたいくらいだ。

 晃は無責任な言葉を浴びながらも、慎重に機体を制御する。

 周囲の者たちが言うように、晃が乗ってる〝オーラム〟は人気ゲームに登場する架空の兵器だ。全世界規模でオンライン対戦が盛んな、ネットワークゲーム……『機巧操兵アーカディアン』で、晃が使っていた機体である。

 そして今、訳も分からずゲーム通りに操縦しているのは、現実の〝オーラム〟だった。

 本物のコクピットに入って、まだ小一時間くらいしかっていない。

 だが、晃は周囲へ視線を走らせつつ……正面の異形と相克そうこくする。

 どこか少女然とした細面の少年は、静かな闘志を短く叫んだ。


「これが、ニュースで言ってた日本の……なら、引く訳にはいかないっ!」


 滑るようになめらかな動作で、〝オーラム〟は腰の背部ラッチから光の剣を抜いた。空気を震わす音と共に、練光剣ビームサーベル顕現けんげんする。

 他に武装は、胸部の激光対空砲ビームファランクスのみ。

 本来のオーラムが持つ、汎用性の高い選択式のバックパックはまだなかった。

 だが、敵はそんなことなど考慮してくれない。

 暴虐的ぼうぎゃくてきな敵意は今、足元の人々などお構いなしにオーラムへと迫っていた。


「こんなところで……僕は、僕はっ! を探して助けなきゃいけないんだ!」


 オーラムのツインアイに光が走る。

 異形の怪物が繰り出す両腕を、右に左にと避ける。

 同時に、悲鳴があがる足元で人々が逃げまどった。まさに、蜘蛛くもの子を散らすようなという形容がぴったりだ。ならば、蜘蛛の子一匹踏まぬように注意するまで。

 初めて乗る機体を、晃は完璧に掌握しょうあくしていた。

 初めてだが、未体験ではない。

 重さや反動、そして実機ならではの感触だけが新鮮だ。

 それ以外は全て、ゲームの『機巧操兵アーカディアン』と一緒。

 ならば、晃は怪物なんかに負けはしない。

 何故なら、晃は『機巧操兵アーカディアン』の上級者、世界最強のチャンピオンなのだから。彼の思うままに動くオーラムは、ゲームの中以上に高い追従性で攻撃を避ける。

 その時、足元から声があがった。


『チィ、佐々総介サッサソウスケを見失ったか! それより、そこのオーラム! もう少しだけ持ちこたえてくれ! 今、助けるっ!』


 視線でモニターに別枠のウィンドウを呼び出し、声のした足元を拡大する。

 晃は、オーラムを見上げる眼鏡の男を確認した。恐らく、軌道エレベーターの保安員かなにかだろう。白地に青いラインの服装は、戦闘用にも見えるし、パイロットスーツのようだ。彼は周囲を見渡しつつ、晃の視線に気付いて再度声をあげる。


『そこの機体、獅子神付ししがみつき! 黄泉獣ヨモツジュウを頼む! 奴の跳梁ちょうりょうを、これ以上許せば危険だ!』

「黄泉獣? それが、こいつの名前か」


 晃は改めて、メインモニタの中央に迫るモンスターをにらむ。

 見るもたくましいバケモノは、太い両手両足が異様に長く発達していた。獣のように前傾姿勢で、ハンマーのような両腕を引きずるように迫ってくる。長く伸びた尻尾の先にも、鋭利な突起が生えていた。

 練光剣ビームサーベルの光と熱が恐ろしいのか、酷く興奮している。

 再度飛びかかってきたその巨躯きょくを、迷わず晃は切り払った。

 絶叫と共に、黄泉獣の身体が、ジュッ! とける。

 だが、鎧のように強固な外殻が、赤熱化しながらもダメージを空気中に逃がした。


「イキモノの感触じゃない、まるで……それより!」


 よろけて下がった黄泉獣が、半ば崩れるようにして通りを横切る。そのままビルに背を激突させつつ、黄泉獣は甲高い絶叫と共に右腕を振るった。

 そのいびつな形の手が、逃げ惑う人の中から一人の少女を鷲掴わしづかみにする。

 思わず晃は、オーラムの動きをピタリと静止させた。

 黄泉獣には、知性があるのか?

 それとも、咄嗟とっさの偶然だろうか?

 まるで怪獣映画のワンシーンのように、モンスターは可憐な少女をその手に掲げる。恐怖に美貌を引きつらせる少女は、晃と同世代か、少し上か。装甲を通してスピーカーが拾う悲鳴が、晃の鼓膜を震わせる。

 泣き叫ぶ少女と目があって、思わず晃はひるんだ。

 ゲームにはないシチュエーション、そしてゲーム以上に危険な決断が迫りつつあった。そして、それを選べないことは晃自身が知っている。


「攻撃できないっ! 駄目だ、危険過ぎる。威力を絞っても、練光剣ビームサーベルの粒子がかすりでもしたら、あの子は」


 その時だった。

 晃は常識の埒外らちがいな光景に絶句する。

 足元を全力で疾駆しっくする影が、生身で黄泉獣へと飛び込んでいった。

 雄々しい絶叫と共に、瓦礫がれきが散乱するアスファルトの上を全力疾走。その人物は、まるで恐怖を忘れたような……いな、恐怖を克服したかのような全身を躍動させていた。


美亜ミアぁぁぁぁぁぁっ!』

『お兄ちゃんっ!』


 兄と妹、二人は兄妹きょうだいのようだ。

 そして、晃にも妹を想う強い気持ちが伝わる。

 それは形こそ違えど、今の晃が胸中にくゆらす想いと同じだった。

 晃もまた、一人の少女を救いたいと願っている。

 願いを力に変えるために、偶然目にしたオーラムに乗ったのだ。ゲームの世界のロボットが、現実にその姿を現したことさえ、今の晃には疑問に思う余裕がない。

 全ては、最大のライバルにして親友……そして、親友だった少女を救うため。

 さっきまで一緒だった、十六夜イザヨイかぐやを助けるためだった。

 どうにか、絶叫と共に走る少年を助けようと、晃も操縦桿スティックを握り直す。


『美亜を放せっ! こいつっ!』

「無茶ですよ、そんな! ……頼むっ、オーラム! 動いてみせて!」


 それは、黄泉獣が身を揺するのと同時だった。暴力の権化ごんげは今、篝火かがりびのように美亜と呼ばれた少女を掲げ……もう片方の腕を振りかぶる。

 兄である少年の頭上へと、巨大な鉄拳が落ちていった。

 練光剣ビームサーベルから光の刃を消して、晃が繊細な操作に全身を緊張させる。

 ミクロン単位の操縦を誤れば、目の前の兄妹が危険だ。

 だが、迷っている時間はない。

 足元を走る少年は、遅い来る黄泉獣の拳を避けて転がる。だが、強過ぎる力はアスファルトにクレーターを作り、無数のつぶてを周囲へと撒き散らした。

 咄嗟とっさに晃が、オーラムをかがませ少年をかばう。

 そして、影が視界の隅に走った。

 烈風かぜはやさで、誰かが少年を助けて通り過ぎた。

 それは、特殊なスーツを着込んだ若い女の子だ。凛々りりしい表情で彼女は、兄の方を助けてから妹を見上げる。先程の眼鏡の男と、色違いのスーツに見えた。


『君、平気? ……酷い怪我』

『お、俺は、いい……美亜を……美亜をっ!』

『まずいわ、逢魔おうまときが過ぎ去ろうとしている。これ以上は……黒崎クロサキさん!』


 いよいよ荒ぶり吠える黄泉獣は、とらえた少女を己の胸にかざした。そこには、装甲と化した鱗と甲殻の継ぎ目にあか水晶体クリスタルが輝いている。

 そして、晃を驚きの光景が襲う。

 黄泉獣は、黒い呼気を口元にけむらせながら、身の毛もよだつような声をあげていた。


『ニ、エ……ニエ……ニエェェェェッ!』

「なにを……やめろ、やめるんだあああっ!」


 黄泉獣は確かに、喋った。

 ――贄と。

 それはまさしく、囚われの生贄いけにえを示していた。

 黄泉獣は、己の胸に歪に輝く水晶体へ……美亜の身体を取り込み、飲み込んでしまった。

 必死に身を捩って叫んでいた声が、聴こえなくなる。

 晃の鼓動が、どんどん耳の奥で膨らんでゆく。

 激しい動悸が、怒りの中で加速していった。

 黄泉獣に取り込まれた少女に、愛しい者の姿が重なる。

 足元では、先程の少女に肩を貸された兄が、絶叫をほとばしらせていた。


『美亜……美亜ぁぁぁぁっ!』

『しっかりして、大丈夫……黒崎さん!』

『ああ。出すしかないようだな……どこかで見ている佐々総介に、手の内はさらしたくはなかったが。来い、タジカラオウ』


 美亜と一体化した黄泉獣の足元が、亀裂を走らせ激しく揺れる。

 そして……足元を白いライトバンが駆け抜ける先で、大地が割れた。

 地響きが轟く中、巨大なひつぎが現れる。異様な雰囲気を発散する黒い棺桶グレイヴは、不思議と邪気を感じない。それどころか、オーラムの中で晃は厳粛な空気に息を飲んでいた。

 男の声を乗せた白い車体が、棺へと吸い込まれる。


機神合身きしんがっしん


 静かに開いた棺の奥から……雄々おおしき巨神が姿を現した。

 黄泉獣の姿がビクリと震え、その身に怯えの気配をにじませる。

 そして晃は、目撃した。

 己の住むコロニー、高天原たかまがはらの語源を……その名の元となった世界から降臨した、神話を受け継ぎ機神の姿を。

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