第57話「神楽の舞姫は歌う」

 逢魔おうまが時が、闇を深めて夜を広げる。

 少女はその腕に勇気ある少年を抱きながら、れる視線で仲間の背中を見ていた。

 名は、暁沙那アカツキサナ


黒崎クロサキさん、黄泉獣が……このままでは!」


 目の前では今、黄金の獅子王ライオンハートが奮戦している。

 仲間である黒崎護クロサキマモルが駆るタジカラオウと共に、黄泉獣ヨモツジュウを押さえ込もうとしている。

 だが、吠え荒ぶ黄泉獣は暴れ狂って、二機の機神を寄せ付けない。

 そうこうしているうちに、沙那も異変に気付く。


「おかしい……逢魔が時が薄れてゆく中で、黄泉獣の力が増している!?」


 黄泉獣がその力を現世げんせで振るえる時間は、限られている。

 その僅かな時間こそが、昼と夜、現世うつしよ黄泉よみ狭間はざま……逢魔が時。

 だが、一種異様な空間を広げる黄泉獣の時間は、場所も時間も選ばず広がりつつ……今回だけは終息を見せない。

 タジカラオウとがっぷり四つに組み合う黄泉獣は、ますます勢いを増してゆく。

 普段とは違う光景に、沙那が驚いた、その時。

 不意に背後で声がした。

 振り向けば、一人の紳士が立っている。その顔は、沙那には資料で見覚えがあった。この日本を不安定な状態へ陥れたと言われる、危険度SSSの魔人。その名は――


佐々総介サッサソウスケっ! ……貴方の仕業ね」

「いかにも。既にこの東京は魔都バビロン、現世と黄泉の境界は揺らいでいる。今こそ奇蹟の再現を……神代かみよの太古にときを巻き戻すのです」


 男はただ静かに、うっそりと言の葉をうむぐ。

 阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずと化した中で、行き交う悲鳴を貫いて届く、声。沙那は自然と、両腕で抱き上げる少年をかばうようにして総介をにらんだ。

 その背後では、黄泉獣を相手に二機が苦戦している。

 護が総介の存在に気付いたのか、タジカラオウの中から叫んだ。

 その声も、絶叫を張り上げる黄泉獣の咆哮にかき消される。


『沙那、気をつけろっ! 奴は……奴は既に人にあらず! チィ……獅子神ししがみの少年、黄泉獣の動きを俺が止める! その隙に胸のコアを! 君の〝オーラム〟の方が、細かい作業は』

『やってみます! 慎重に……神経を機体に張り巡らせるんだ。集中して!』


 タジカラオウは、その六本の脚で大地をしっかりつかむ。そうして左右の豪腕ごうわんを振りかぶると、黄泉獣を一時的に押さえ込んだ。

 力と力がぶつかりあう中で、〝オーラム〟が慎重にその横から近付く。

 だが、沙那は信じられない光景に言葉を失った。

 再度見やれば、総介は愉悦にも似た表情で笑っている。

 それは、狂喜に身をやつした者の笑いではない。

 ただ、静かにいだ海のように、穏やかな笑みだ。

 それは、とても優しく穏やかな表情で、底知れぬ戦慄を沙那に感じさせる。

 黄泉獣は絶叫と共に、大きく息を吸い込んだ。

 慌てて沙那は、耳をふさいで少年の身体に覆いかぶさる。


「いけない……この黄泉獣は以前にも!」


 刹那、金切り声がその場の全てに耳障りな高音を響かせた。

 人間の動きを封じるほどに、強力な超音波が割れ響く。

 そのなかでタジカラオウは、思わず後ずさった。それは〝オーラム〟も同じだったが、金縛りの状態から二機は素早く脱する。

 護の機転は、黄泉獣の攻撃をあっという間に打ち消した。


『くっ、耳が……あ、あれ? 動ける……今のは』

『大丈夫か、〝オーラム〟の少年!』

『そっちの六本足の……なにを? 助かりました』

『波長を合わせた低周波で奴の叫びを打ち消した。だが、これでまた振り出しに戻ってしまった』

『もう一度、何度でもやりましょう! あの女の子を助けないと』


 黄泉獣が暴れる中で、〝オーラム〟とタジカラオウは再び接近を試みる。

 まさに今、東京の軌道エレベーター周辺は異様な戦場と化していた。

 そして、その光景に目を細めながら……総介は沙那に語りかける。


刮目かつもくせよ、乙女よ……神話の再生は第二楽章へと続く。されば、この竜源郷りゅうげんきょう……日ノ本は太古の摂理せつりに沈む。神々の時代の再来だよ」

「佐々総介っ! それは――」


 その時、沙那の手を掴んで……胸の中の少年が身を起こす。

 怪我で苦しげに呻きながらも、彼は総介を睨んで声を絞り出す。


「……なにを、した……あの、バケモノは、美亜ミアを……妹を、どうするつもりだ!」

「おや、少年……あまり喋らない方がいい。折れた肋骨が肺を突き破るぞ?」

「質問に……答え、ろ……」

「なに、神々に供える生贄いけにえだけは、いつの時代も変わらぬものだよ。純潔の乙女を捧げ、そのけがれなき心身を得たときこそ……見給みたまえ、黄泉獣は力を増してたけすさぶ」


 沙羅の目にも、はっきりとわかる。

 普段よりも黄泉獣が、力を増していた。

 それは恐らく、一人の少女を胸の水晶体クリスタルに取り込んだからだ。

 普段から黄泉獣の対処に慣れている護が、苦戦している。一緒の〝オーラム〟のパイロットも、慣れない中で巧みな操縦技術を駆使しているのに……咄嗟とっさの連携にしては、阿吽の呼吸を探る中でよくやってるのに。黄泉獣は今日に限って、普段の何倍もの力で暴れまわっているのだ。

 それでも、腕の中の少年は立ち上がろうともがく。


「あなたが……あのバケモノ、を……? なら、許さない……俺は、美亜を、必ず……必ずっ! 助けて見せるッ!」

「……少年、確か君の名は。そう、その眼差しに宿る光を、かつて僕もまた……それはすでに、遠い過去」

「俺は……俺はっ、御門響樹ミカドヒビキ! 覚えて、おけ……美亜とまわりのみんなを苦しめるなら……それは、あなたが俺の敵ってことだ!」


 これ以上は、この場所も危険だ。

 沙那は、血を吐いた響樹を抱き上げる。

 刹那、いよいよ混乱を増してゆく中で逃げ惑う人のうずから……全てを貫くような声が響いた。それは、沙那にとっても聞き慣れた声音で、りんとしてすずやかに空気を震わせる。


「ようえた、御門響樹! そして……お主が魔人、佐々総介かや? 一つ、挨拶つかまつろう。我もまた、連なる世界線の中を泳ぐ者」


 小さな、本当に小さな少女がこちらへ歩いてくる。

 ともすれば、幼女とさえ言えるような女児だ。

 だが、その大きな瞳には強い力が宿って、総介を見据みすえていた。

 鋭い眼光を受けて、総介もまた「ほう」と表情を引き締める。


「まつろわぬとき舞姫まいひめ、か。斯様かような場所でお会い出来るとは」

「フン、よくぞまあ……人の身にそれだけの宿業しゅくごうを集めたものよなあ?」

「それでもまだ、僕の悲願成就ひがんじょうじゅには程遠い。されば今は、この地を異形と怪異で埋め尽くすのみ」

「なにが目的じゃ……人間でいられることまでやめて、お主はなにを願う? 二つの母星ははぼしは今、互いに惹かれて次元境界線じげんきょうかいせんを歪めておるのじゃ。かつてと呼ばれた者たちをも呼び込みかねん……そうまでして、なにを願う!」


 舌鋒ぜっぽう鋭く、少女は迫る。

 彼女の追求の言葉を受けて、総介は薄い笑みを再び浮かべた。

 それは、先程までの穏やかで哀切あいせつに満ちた微笑みではない。

 まさしく魔人……人の領域を飛び抜けた者特有の、狂奔きょうほんに瞳が燦々さんさんと輝いている。


「僕の目的……それは、比翼ひよく巫女みこの復活。その先で僕は、愛を取り戻す」

「比翼の巫女の復活とな? ……愚か。比翼と比翼は対となってこそ羽撃はばたく。その両者は既に『あちら』と『こちら』で失われて久しい。二人の巫女の復活は、条理を捻じ曲げかねん……見過ごせぬなあ、佐々総介!」

「フッ、僕の歩みは止まらない。刻は戻らず、ただ無常に過ぎゆくのみ。舞姫よ、僕を止めるなら覚悟を持って望むことだね。閉じた円環えんかんをなす己の運命を、全存在を賭けて挑んでくるがいい!」


 総介の笑いに、少女もまたニイイと口元を歪める。

 それは、沙那が初めて見る表情だった。

 いつもは飄々ひょうひょうとしてつかみどころがないのに、とても優しい人。小さな少女は、沙那にとっては家族だ。だからこそ、恐ろしい……ひょうげてのらりくらりとした少女の姿は、普段の愛くるしい姿はどこにもないから。

 沙那は、初めて母リリスの本気の怒りを垣間見た。

 そう、少女は……アカツキリリスは沙那の母だった。

 そして、総介は踵を返すと、トレンチコートをマントのように棚引たなびかせて去ってゆく。リリスはそれを追わず、鼻を鳴らして沙那と響樹に駆け寄った。


「無事じゃな? 沙那」

「リリス、私は大丈夫です。けど、この人が……確か、響樹君と」

「なんじゃ、母様と呼びならわせ? 面白くない娘だのう」

「そういう場合じゃないんです! ……それに、私より幼い母親なんて」

「よいよい、どれ……ふむ、まずいのう。下手をすると内蔵にもダメージが。……む?」


 ふと、リリスが顔を上げてビル群の向こうを睨んだ。

 そして、新しいマシーンの駆動音が近付いてくる。

 その先を沙那が見詰めれば、空気を切り裂く爆音と共に火線が走った。

 正確な射撃が黄泉獣の肩口にヒットし、小さな爆発の花が咲く。

 新しい機影は、表通りの方から回り込むや片膝を突いて射撃ポジションを取り直した。

 それは、自衛隊のアーマーギア、戦陣せんじんだ。SVの尾張おわりシリーズと並行して配備されている、全高8m程の汎用人型兵器である。部隊運用が前提の筈だが、単機での行動は珍しい。

 沙那がいぶかしげに見詰めていると、戦陣から声が走る。

 それは、激昂の叫びと共に黄泉獣が地を蹴るのと同時だった。


『援護します! 私は陸上自衛隊の第八戦陣隊隊員、光咲香奈コウサキカナ一等陸士です。現在、海から上陸した無数のイジンが此方へ向かっています。そちらはIDEALイデアルの協力者、黒崎護さんですね?』


 次々と着地した先でビルを倒壊させながら、黄泉獣は去った。その旨に、響樹の妹である美亜を閉じ込めたまま。

 それを見送る沙那は、リリスが頷くのを見て立ち上がる。

 そして、異変はそれだけではなかった。


『光咲一等陸士、こちらは黒崎だ。助かる、できれば黄泉獣の追跡に協力を願いたい』

『引き受けました、しかし急いでください! すぐにイジンの群れが侵攻中です! 周囲の避難も、陸上自衛隊が警察と連携してますが、まだ』

『避難……しまった、まずいな。黄泉獣の逃げた先に避難所となっている体育館が。急ごう、光咲一等陸士! そちらの〝オーラム〟の少年、君も……少年?』


 その時だった、一回り大きな〝オーラム〟が、ぐらりと揺れる。

 スピーカーを通して響く声は、弱々しく呼気を荒げていた。


『あ、あれ? 身体が……おかしいな。ゲーム、じゃ……こんな、こと』


 〝オーラム〟の瞳から光が失せて、急激に駆動音が小さくなってゆく。

 すかさず沙那は、響樹をリリスにまかせて立ち上がった。


「出でよ。天翔あまかけ機神きしん! アマノウズメ!」


 沙那が念じて願いを拳に込める。その手は、固く握られ光り出した。

 そして捧げる祝詞のりとを奉じれば、暗い曇天どんてんを突き抜け光が舞い降りた。次第に優美な女性の姿を象る光は、倒れる〝オーラム〟を抱きとめながら顕現けんげんする。

 迷わず沙那は、光の化身である巨大な人型へと地を蹴った。

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