第34話「身に宿す血、零れる血」
そしてそれは、山梨県甲府市が火の海となったテロから、
そのことについてまず、龍羅は説明する必要があった。
当面の安全を保証してくれると言った、レオス帝国のアルズベックに。
「
「そうとしか今は説明ができません。自分にとっては、次元転移の光に飲み込まれたのは半日前でしかないのです」
「ふむ……その、次元転移というのは」
「我々の世界で、パラレイドと名乗る侵略者が用いる空間跳躍技術のことです」
「ぱられいど?」
アルズベックは私室の長椅子に腰掛け、しどけなく身体を休めている。
龍羅も武道を
本当に恐ろしい者こそ、その強さを相手に気取らせないのである。
今、テーブルを挟んで座る龍羅の拳の間合いに、無防備なアルズベックがいる。必中の距離、一秒も掛からず届く。だが、龍羅の中でなにかが攻撃を
さらに、龍羅の
「ぱられいど、とは……ふむ、まさか。よもや、
「アルズベック殿下?」
「いや、いい。リューラ、興味深い話だった。だが、お前の考えている懸念は、今までよりも……これから。そして、この者たちのことについてだな?」
「……はい」
アルズベックに肩を抱かれて、
そして、そのことに戦慄を禁じえないのか、逆側の隣ではもう一人の少女が震えている。
従兄弟である
彼女もまた着替えさせられ、その姿は局部の隠し方が巧妙なまでに
「アルズベック殿下、自分が望むものは二つ。まず、それを率直にお伝えします。そのことに二言もなく、後に要求を増やしたり
「ほう? 言うてみよ。私も持って回った腹の探り合いをするつもりはない」
「まず、陽与ちゃんとそちらの女性、都さんを含む、我々の世界から来た者たちの安全。そして、確約された元の世界への帰還手段と期限です」
「……リューラ、私は賢い人間が嫌いではない。そういった意味では、お前は好意に値する。明確極まりない上に、この状況でお前は優先すべき
龍羅は次第に気付きはじめていた。
このアルズベックという男が、ただの野心家、野望を抱く悪人ではないということを。時に命を軽んじ、自分の意に従わぬ者へは容赦がないのだろう。だが、彼の根幹には帝王学が感じられ、
そう自分で結論づけたことを、知ってか知らずかアルズベックは評価しているのだ。
「まず、召喚の儀でこの地に来た者たちの内、我が帝国に
「では」
「この二人には私の子を産んでもらうつもりだ。ヒヨには
アルズベックの瞳に、自分の顔が映るのをじっと龍羅は見詰める。
アルズベックは今の言葉で、自分を試しているのだ。
ここで逆上すれば、それこそいいようにあしらわれてしまう。賢い自分の価値を認めさせてこそ、交渉という危ういゲームが成立するのだ。そして、アルズベックはそれを楽しんでいるようでもあり、その相手である龍羅に価値を見出してくれている。
心を落ち着けると、龍羅はようやく「……構いません」と言葉を吐き出した。
ビクリと身を震わせた陽与を、今は見ることができない。
「次に、お前たち召喚されし者たちの滞在期限と帰還手段だが……こちらについては確約することはできぬ」
「何故です?」
「フ、
「……御自身の野望のためですか?」
「私の願いは平和、望みは繁栄と安寧だよ。そのためのレオス帝国による暗黒大陸統一、これは手段に過ぎん。いつか私は、暗黒大陸と呼ばれる呪われた名さえ
「その、まだ少しこの世界のことがわからないのですが」
ふむ、と唸るやアルズベックは、
この地は古来より、暗黒大陸と呼ばれる閉ざされた
そんな中で、国家間の緊張が続く中……異変は突然起きた。
「神話生物、というのを知っているかな? リューラ。お前たちの世界で言う、その、ぱられいどというものに似ている。交渉不能、意思の疎通が不可能な侵略者……否、侵略の意図さえなく暴れる魔物だ。田畑を腐らせ土地を
「先程、少し説明を受けました」
「この暗黒大陸の各所に、突然奴らが、神話生物たちが同時多発的に出現した。そして、各国の王族や為政者は同時に皆、同じことを考えたのだ」
「ま、まさか」
「そのまさかだ。多くの国が、神話生物を……どこかの国が侵略用に召喚したバケモノだと思っている。侵略の
「アルズベック殿下も、そうお考えで? どこかの国が、あの異形を呼び込んだと」
「……フッ、神話生物の由来や
盃を持ったまま、アルズベックは陽与をも抱き寄せる。そうして、怯える陽与の美しい黒髪に顔を寄せた。そうして龍羅を挑発するように少女たちの心身を
「神話生物に関しては、帝国内での駆除は進んでいる。まだまだ散発的な発生は続くだろうがな。
「と、いいますと」
「ミヤコ、そしてチカゲといったかな……二人の機兵。それと、鎧に身を固めた白き巨人を求められたので、引き渡したのだ。なに、我がレオス帝国には機兵も、秘蔵の古代機兵も、なにより王機兵もある。使えず解明も難しいとなれば、報酬に与えてしまってもよかろう」
そして、アルズベックは陽与の形良いおとがいを指でクイと持ち上げる。目をそらそして唇を噛みしめる陽与の、その
「さて、リューラ。お前は我が帝国に対して意思を表明し、あろうことかこの私を相手に交渉までしてみせた。見事だ、今後は帝国内での自由を許そう。私に
「……ありがとうございます」
「では、お前も休め。私は疲れた、
陽与から離した手で、アルズベックは都の髪を
アルズベックは立ち上がると、都に来るように言い放つ。
震えて
「ア、アルズベック殿下……わっ、わ、わた……私が、その」
「ん? どうした、ヒヨ。お前は私の正式な后として迎えるのだ。この国の母になる女なれば、ものには順序というものがある。一夜の
「で、でも……アルズベック殿下。都さんは」
「私の術中にある限り、甘い夢に酔わせてやるも
「で、でもっ!」
陽与は立ち上がると、強張る身体で瞳を
勇気を振り絞ったかのような彼女を前に、龍羅にできることは、ない。
心の中で流狼に詫びれば、握った拳の中で爪が痛いほどに食い込む。その激痛を握り締めて尚、流狼と陽与の喪失感に足りない。二人が二人でいられなくなってしまう瞬間を前に、なにもできぬ無力な自分を呪った。
そんな龍羅の前で、陽与が言葉を懸懸命に絞り出す。
「わ、私が……その、お、お相手を」
「ほう?」
「私を后と言うのなら、后にできることを、させて……ください。私は、
意外なことを陽与が呟いた。
そして、龍羅は初めて見る。
アルズベックの鋭い眼光に、僅かな影が差したのを。
「貴方は、なにかを……背負って、抱えて、そして……苦しんでいる。そんな、気がするんです。それが、持って生まれた王の器、英雄の
「いうのなら? なんだというのだ、ヒヨ」
「……
「……フッ、異界の女と
アルズベックは珍しく乱暴に陽与の腰を抱くと、己に引き寄せた。
そして、唇を
乙女の純血を飾る、その
都同様に、陽与もまた魅了の術で心を奪われたのだ。
脱力して崩れ落ちる陽与を抱き上げ、アルズベックが
「優しさを見せるなど……そのような女こそが危険なのだ。逆らい
それだけ言うと、アルズベックは隣の寝室へと消えていった。
一度だけ肩越しに振り返ると、アルズベックは床だけを凝視する龍羅に一言残す。
「今宵の私を忘れよ、リューラ。私は約束は違えぬ……お前の
龍羅の返事を待たず、ドアが閉められる。
アルズベックは闇が
龍羅には、分厚い扉の向こうから
だが、受け入れることは勿論、拒むことができない。惨めな敗北感の中で、これが現状では一番なのだと、自分に言い聞かせても納得できない。
そうこうしていると、静かに背後で廊下への扉が開いた。
振り向く龍羅は、意外な人物の登場に目を見開く。
「あ、
「お静かに。今、気配を殺して完全に私という存在を消しています。それに気付くとは……やはり、只者ではありませんね。大丈夫、私は敵ではない」
彼女は確か、ゼンシア
そして、龍羅はアルズベックとの面会の前に、予め周囲の側近たちから聞いていたことを思い出す。彼女こそが、この暗黒大陸で一番の信仰心を集める信奉の対象。スメルの姫巫女は
暗黒大陸と呼ばれし閉ざされた大地で、彼女こそが公正さの象徴、
「シファナ、様」
「シファナで結構です。さ、その方を
言われるままに、龍羅は都の手首を握って立たせる。そのままシファナに預ければ、フラフラと都は危なげながら自立した。そんな彼女の顔を覗き込み、シファナの表情が怒りに凍ってゆく。
燃え滾る
「魅了の術で女性を
次の瞬間、シファナは都と唇を重ねた。
わずか数秒という一瞬が、その刹那が龍羅には永遠にも感じられた。そして、驚愕に目を見開く都と、瞼を閉じたシファナが先程の二人に重なる。
だが、シファナの息遣いには、不思議と慈愛といたわりが感じられた。
奪うのではなく、むしろ与えるようなくちづけ。
そして、都の瞳が徐々に光を取り戻す。
それは、光を引いてシファナが唇を離すのと同時だった。
「ふぁ……ん、あれ? えと、私……あれれ? ……えーっ!?」
我に返った都が、驚きに目を丸くしつつ……目の前のシファナに頬を赤らめる。気が動転して混乱する彼女の頭を、シファナは優しく胸に抱き締めた。
「恐ろしい思いをしましたね。ごめんなさい……この地の民は未だ、武で武を争う支配の
「い、いえ、その……はーっ、きれいな人……じゃない、えと、キ、キニシテナイデス!」
「どうしても貴女の身体に
「は、はいぃ……えと、ノーカンにしときます。女の子だし、ノーカンで! エヘヘ」
「のーかん? ふふ、とりあえず許していただけるみたいね。なら、話は早いわ。すぐにここを出ましょう。そちらの方、確か……葵龍羅殿。貴方も一緒に」
シファナは凛々しい笑みに
レオス帝国の太子、皇子であるアルズベックには信用せざるをえない力があった。だが逆に、シファナには信頼したくなるようなぬくもりがある。あるように感じられる。そしてそれは多分、信じていいものだろう。
だが、その時だった。
寝室のドアの向こうから、悲鳴にも似た絶叫が
かすれたような
そして、徐々に悲鳴は
なにかが壊れてしまった。
そして、恐らくもう元には戻らない。
ならば、龍羅が選択する道も一つしかなかった。
「シファナさん、僕を殴ってください」
不思議な顔をした都が、シファナと自分とを交互に見てくる。既に正気に戻った彼女を前に、シファナは察しが良かった。
「……ここに残るのね?」
「ええ。他の人たちもいますし、僕だけがという訳にはいきません。それに……守れなかった者のためにも、僕にできることはこの場所でまだある筈なんです」
「覚悟、なんですね。今は問答している時間も惜しい、では」
「ええ!」
都を下がらせたシファナは拳を振り上げ、そして……その手を降ろした。
身を固くして待ち受けていた龍羅の前で、彼女は寂しそうに笑う。
シファナは腰の短剣を抜くと、その鋭い刃を自分へと向けた。
「この女性を守って、貴方は私と揉み合いになった。結果、短剣を奪って私を撃退するも……守るべき対象を連れさらわれた。その方がいいでしょう」
「しかし、それでは」
「私はスメルの姫巫女。無抵抗の者を傷付けるなど……でも、私なら」
それだけ言うと、シファナは自らの短剣を腕へと走らせる。室内の不思議な照明を反射する刃は、その鋭い切れ味で鮮血を床へと撒き散らした。
中途半端では
「さ、これでいいでしょう。この短剣を」
「……お心遣いに感謝を。この恩は忘れません。その人を、都さんをお願いします」
「もとあと言えば、我ら暗黒大陸の民が
足元を血で濡らしながらも、気丈に振る舞うシファナの表情が汗を浮かべ始めた。慌てて止血を始めた都の、テキパキとした手当でも血は止まらない。下着も
「では、都さん。参りましょう。貴方も、ご無事で」
「えっと、龍羅君、だよね? 報告書で私も見たけど、無事でよかった。その、陽与ちゃんのこと、よろしくね? もう一人、流狼君はこっちで探して保護するから。だから」
「ええ、お願いします。そして……彼には僕が謝っていたと伝えてください。そして」
――そして、帝国に合流して機を待つ。
そう伝えようと思った、その時には廊下のほうが騒がしくなってくる。
龍羅は寝室の奥で立ち上がる気配を拾って、直ぐ様二人の少女を送り出した。その手に握らされた短剣は、まだ温かい血を
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