第145話「その手の中に、夢と恋と」

 新しい朝が今、はなの都パリを輝かせている。

 だが、十六夜迦具夜イザヨイカグヤにとって本当にまぶしいのは、その朝日を浴びる一人の少女だ。カグヤの操縦する〝シルバーン〟の手に立って、虹浦ニジウラセイルは歌っている。

 まるで彼女自身が、天へと飛翔する太陽のようだ。


「だとすれば、アタシは……ふふ、その照り返しで光る月ね」


 ヴェサロイドの頭部にあるコクピットは、四方から密閉された小さな監獄かんごくだ。そこにはの光など差さず、モニターやデジタル表示の光がぼんやりと浮かぶだけだ。

 純然たる戦闘兵器の中に密封されたままでも、カグヤは歌った。

 セイルと一緒に歌えば、なにかを救える気がしたのだ。

 だが、二人はあまりにも違う。

 戦いが終わった今、もう二度と共に歌うことはないだろう。

 だが、〝シルバーン〟の手の平の上で、セイルは笑顔で振り返る。


『カグヤ! とっても素敵な歌だった。ねえ、顔を見せて? そこから出てきてよ』


 せんとうに戦闘はもう、収束している。

 パリの空を今、〝シルバーン〟は朝日を浴びて飛んでいた。外気に身をさらしたセイルのために、ゆっくりと、まるでたゆたう雲のように浮かんでいる。

 眼下に広がるパリは、どうやら大きな被害をまぬがれたようだ。

 だが、例のダルティリアとかいう超弩級機動兵器ちょうどきゅうきどうへいきは、残骸が巨大過ぎてまるでだまし絵のよう。破壊され横たわる姿は、完全に距離感を狂わせていた。


「ん、そうね……いいわ、遠慮しとく。貴女あなたをリジャスト・グリッターズに送り届けたら、お別れだもの」

『そう、なんだ』

「そうよ。だって、アタシは……アタシは、月の女王カグヤ。本来、地球に住むアースリングとは敵同士なのよ」

『そうかなあ? 歌ってさ、敵も味方もないんだよ? 音楽は一繋ひとつなぎ、人を繋ぐもの!』


 もしそうだったら、どれほどいいことか。

 だが、あの戦いの一瞬一瞬、その刹那せつなの瞬間に誰もが繋がっていた。カグヤでさえ、その一部となって戦ったのだ。

 そして、そんな奇跡の時間は終わってしまった。

 再び月の女王として、ルナリアンのために戦う日々が戻ってくるのだ。


「さて、と。あれは確かアキラの……愛鷹あしたかとかっていう戦艦ね」


 データベースでも見た、巨大な宇宙戦艦が上空を飛んでいる。

 セイルが落ちないように手をえて、カグヤは〝シルバーン〟を上昇させた。

 街ではもう、救助活動が始まっているようである。

 なにやらセーヌ川の方が騒がしいみたいだが、今はセイルを無事に送り届ける方が先だ。そして、それで夢のような時間は終わってしまう。

 その無慈悲な現実を突きつけるように、コクピット内に通信が響く。

 モニターの隅に、小さく悠仁ユージンことジーン・アームストロング大佐が浮かび上がった。


『……説明して頂けますか? 女王陛下。どうして、このような利敵行為りてきこういを』

「悠仁……アースリングといえど、パリの市民は兵士ではないわ。そ、それに……そう、謎の敵からパリを守った実績は、これは外交カードにもなる。貸しを作ったまでよ」

『なるほど、筋は通っていますね。では、すぐにお戻りを』

「わかってる」

『余談ですが……我が軍の兵たちも、最前線で歌うカグヤ様に大興奮でした。士気は上がり、意気軒昂いきけんこう。次のアースリングとの戦い、決して負けますまい』

「そう、よかったわ」


 通信を切っても、悠仁からは逃げられない。

 このコクピットに閉じ込められたカグヤは、正にかごの中の鳥なのだ。

 決して逃げられない。

 そして、カグヤは逃げはしない。

 棄民政策きみんせいさくに苦しむ月の民を、必ず救ってみせる……その責務から、逃げない。

 だが、そんな自分が疲れてしまうのを、どうしても彼女は無視できなかった。


「……これで、いいのよね。こちら〝シルバーン〟、月の女王カグヤです。宇宙戦艦愛鷹、着艦許可されたし。これより虹浦セイルさんをそちらへ届けます」

『こちら、宇宙戦艦愛鷹! 了解です! 着艦用ガイドビーコン、オンライン! ……あ、あのぉ……』

「なにかしら」

『さっきの歌、素敵でした! わたし、実はカグヤさんのファンで……あっ、あとで、サイン頂けないでしょうか!』


 オペレーターは若い少女だった。

 恐らく、カグヤとそう歳も変わらない。

 そんな年頃の女の子が戦場にいることも、驚きだったが……地球の人間にファンと言われて息を呑む。自分の歌は月を癒やして、そこに済む民を慈しむ歌だ。

 その歌が、地球まで届いていた。

 敵対する人間の中にさえ、想いを届けて響いたのだ。


『あっ、あのぉ……ごめんなさい、わたしってば変なこと言いました? 言いました、よね?』

「……いいえ、ちっとも。でも、今は急いでるから……そう、あとで届けるわ」

『ありがとうございます! あ、着艦どうぞ! ハッチ開放します』


 カグヤは慎重に〝シルバーン〟を操作し、ゆっくりデッキへと舞い降りる。

 そこには、先程の激戦を戦った機体が並んでいた。どれも、かなりのダメージを受けている。実戦で傷付き汚れた機体は、そのどれもが物言わぬ巨神となってそこかしこに立っていた。

 自然と、御門晃ミカドアキラの〝オーラム〟を探してしまう。

 どうやらここにはなくて、もっと奥の格納庫で既に修理中なのかもしれない。

 そっと〝シルバーン〟を屈ませ、手の中のセイルを解き放つ。

 セイルは小さく飛び跳ねてふねに戻ると、振り向き笑顔で手を振ってくれた。


「これで、よし。……ありがとう、セイル。楽しかった……少しの間だけだったけど、楽しかったよ」


 小さくつぶやき、機体を立ち上がらせる。

 そのまま帰投しようとした、その時だった。

 集音センサーは、息せき切って走る少年の声を拾った。

 それは、絶叫。

 必死で叫ぶ声は、あのアキラだった。


『待ってよ、カグヤ! 行かないで!』


 真っ直ぐ、全速力で駆けてくる姿を視認できた。

 それを見た瞬間、不意に視界がにじんでゆがむ。

 カグヤは慌てて、浮かぶ涙をまなじりの向こう側へと拭い去った。

 泣いては駄目……泣く資格なんてない。

 カグヤは一つの恋より、全ての月の民を取ったのだ。


「……さよなら、アキラ」

『待って……僕の話を聞いてよ! カグヤ、もっと話そう!』


 カグヤは〝シルバーン〟をひるがえす。

 そのまま背を向け、デッキから飛び立った。

 これ以上この場にいたら、きっと泣き出して動けなくなる。

 昨夜会って、改めて思い知らされた。

 自分は月の女王である前に、一人の小さな女の子なのだと。

 そして、そうであってほしいと願ってくれる、一人の男の子がいるのだ。


「バイバイ、アキラ……好き、だったよ。もう、思い出にするね」


 ブーストをかけようと、スロットルに触れて力を込める。

 だが、瞬時にカグヤは急加速を中止した。

 先程いた愛鷹のデッキから、複数の悲鳴があがったのだ。

 そして、舞い上がる風の中からあの声が響く。


『待ってて、カグヤ! 今っ、行くから!』


 瞬時にカグヤは理解した。

 それは直感ともいえる鋭敏な感覚で、見る前に見えていた。

 すぐに〝シルバーン〟を急降下させる。

 その先に今、風圧にあおられるアキラが浮いていた。

 いな、落ちていた。


「なっ……アキラ! なんて馬鹿を! ……どうして、そこまで」

『クッ、カグヤ……カグヤアアアアアッ!』


 あのデッキから、アキラが飛び降りたのだ。

 それしかない。

 無茶で無謀だが、知ったらもうカグヤも止まれなかった。

 そして、奇妙な感覚が体感時間を急激によどませてゆく。


「な、なに……? この感覚……集中力が、頭の中をクリアに。今なら、追いつけるっ!」


 カグヤは真っ直ぐ、銀の翼で飛んだ。

 どこまでも落ちてゆくアキラを、必死で追いかける。

 VDヴィーディの鋼鉄の腕では、うまく相対速度を調節しなければアキラを潰してしまう。その繊細な操作が、今のカグヤにはできると信じられた。

 操縦桿スティックの傾き、ミクロン単位のスロットル操作、そして機体表面を流れる気流。

 その全てが把握できる、不思議な時間はゆっくりたゆたう。


「突入角、ちょっと下げて! そうよ、カグヤ! しっかりしなさいよ、アタシ……絶対に! 絶対に、アキラを受け止めて見せるっ!」


 ギリギリで急反転、急上昇。

 朝焼けの空に再浮上した〝シルバーン〟の手の中に、小さな少年の姿があった。

 彼はゆっくりと身を起こすと、親指に抱きつくようにして身を支えている。

 生きてる。

 助けられた。

 その彼がなにかを叫んでいるが、残念ながら風が強過ぎて聴こえない。

 ならばと、カグヤはコクピットのハッチを開放しようとした。オートで浮かべておけば、問題はない……そう思ったが、レーダーが高速で接近する機体を察知する。


「クッ、なに? このスピード……氷威コーリィの〝グラディウス〟ねっ!」

『そこを動かないことだ、カグヤ! 一撃で決める……ッ!』


 〝シルバーン〟の死角に、完全に〝グラディウス〟は肉薄していた。その飛行形態が変形するのを見たところで、カグヤは衝撃と激震に見舞われた。

 昔から、氷威には近接格闘戦では敵わなかった。

 それでも、手の中のアキラだけはと、彼女は薄れる意識の中で機体を制御するのだった。

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