第130話「女王たちのお茶会」
未知の鉱石であるDRLを得て、人類の科学は飛躍的に進歩した。
例えば、場所を問わぬ軌道エレベーターの建設が、その代表的な偉業である。DRLは不思議な物質で、ある一定の刺激に対して
これが、赤道直下でなくても日本ピラーが建設できた理由だ。
そして、
背後に大人たちの声が遠ざかってゆく。
「カグヤ様っ! どうかお戻りを! 地上へのリニアがもうすぐう」
「おいっ、その呼び方はよせ! ……ここはもう、アースリングの領域、敵地だ」
「ハ、ハッ! 申し訳ありません、少佐。で、では……お
「……少佐も次からはよせよ、ったく」
カグヤが振り切ったのは、護衛の軍人だ。それとわからないように黒のスーツを着込んでいるが、それがまた
だが、カグヤは自分では気付いていなかった。
行き交う人は皆、美しいカグヤ自身を見ているのだと。
「お嬢様ーっ! まだ歌詞と振り付けのテキストがこんなに! あーもぉ」
「ただでさえあのお方は顔が割れてる有名人だ。参ったな、これは」
カグヤは内心、心の中で舌を出す。
申し訳ないとは思ったが、まるで
それに、地上につく前に覚えるべきものは、
月のアイドルにして女王、カグヤはそれを完璧に演じる自分を磨き終えていた。
「本当に大げさなんだから……っと、重力ブロック。なにか冷たいものでも飲めれば」
ゲートをくぐると、中間区画は微弱な重力が彼女を捕まえてくれる。そっとそのまま床に降りて歩けば、次のゲートの先は1Gの重力ブロックだ。
重力、それは人間にとって、生まれてから死ぬまで共にあるもの。
そして、カグヤと月の民にとっても特別な
そして、月の民は……地球の六分の一の重力によって、ゆっくり死に続けている。逃れられぬ死が完結するまで、少しずつ弱っていくのだ。
「とにかく……国連総会で多くの人に知ってもらわなきゃ。戦争だけでは、国力に差がある地球とは勝負にならないんだから」
人工重力が1Gに調整された区画に入ると、無機質な金属の床と天井が消え失せる。
解放感のある風景が、青い空を広げていた。
中継ステーションの居住区に広がる、擬似的な箱庭に過ぎないが、それでもカグヤは緊張がほぐれるのを感じた。一人の名もなき女の子として振る舞うのは、もう何日ぶりになるだろうか。
多忙な日々の中、束の間の休息。
ここでは戦争が嘘のように、平和を満喫する人々が行き来していた。
「なあ、聞いたか? あの暗黒大陸からも、国連総会に出席するべく皇帝とかってのが出てきたらしいぞ」
「そのニュース、見た見た! ……あの馬鹿デカい戦艦は」
「ああ、例の建造中のコロニーを消し飛ばしたやつらしい。どういうことだ?」
「ま、国連総会が始まればわかるさ。なにせルナリアンも来るらしいからな」
「……そうかよ、クソッ! 地球人の話し合いに、宇宙人が来るってのか」
たまたま聴こえた通行人の言葉に、思わずカグヤは胸ポケットのサングラスを取り出す。それをかけても、隠し通せぬ
アイドルにはドラマや映画の撮影もあって、自然と演技が身についてしまった。
なにより彼女は、月の女王という大役を演じ続けねばならないのだから。
「……こうして、変わっていくのね。ああ……アキラ、今どこでどうしてるの?」
恋人の名を、心の中に
そして、
初めてのデート、告白し合った両思い……でも、恋人としての二人へ踏み出したその日に、
そのことを極力考えないようにして、カフェスペースに入って飲み物を注文する。
「アイスココア、トールサイズ。キャッシュで、いえ……カードでお願いします」
「はーい、少々お待ちを。店長、オーダー! アイスココア、ワン!」
店の奥で、店長らしき男がドリンクを用意し始めた。
その間、カグヤは携帯端末を取り出し、メールをチェックする。
仕事のメールばかりで、正直うんざりする。が、見ないわけにもいかない。特に、
気がのらないが、液晶パネルへ指を走らせれば情報が踊り出す。
「ふーん、リジャスト・グリッター内部の工作員から定時報告……あの子、か。えっ、なに? 敵の艦内で協力者を二名、確保? ……大丈夫なのかしら」
悠仁は影で、なにかと忙しく動いているようだ。
カグヤが月の女王たる表の
民の戦意を高揚させ、アジテーションを盛り上げるのはカグヤの仕事なのだ。
必要なメールのみ、手短に返信してカグヤは端末をしまう。
先程の店員が驚きの声をあげたのは、そんな時だった。
「えっと、お客さん、困りますよぉ! サイズ選んでくれなきゃ、サイズ!」
「あら、まあ……わたくしが、選ぶのでしょうか」
「そらそうでしょ! ショート、トール、グランデ、そして特盛のベンティ。ようするに、沢山飲むか、少しでいいか……さ、選んでください?」
「わたくしが、選ぶ……ふふ、なんだか不思議ですわ。だって、選ぶのはいつも……いつだって、
それは奇妙な少女だった。
空と海とを閉じ込めたような、鮮やかな
彼女は、絶世の美少女という形容さえ控えめに感じるほど、綺麗な
だが、カグヤが目を奪われたのはそこではない。
(なに……? あの
店員の女性を困らせている少女は、とても
だが、そのどれもが奇妙な程に空虚なのだ。
あまりに完璧な美貌が、かえって奇妙な違和感を
それでも彼女は、カグヤの視線に気付いて振り返った。
「困りましたね……わたくしは常に選ばせる側、選ぶのは……では、ええ、そうしましょう。そこの貴女。そう、貴女ですわ」
思わずカグヤは、自分を指差し目を
だが、ニコリと笑って少女は手を伸べてくる。
「どうか、選んでください。わたくし、
「……変な娘。えっと……あんまし店員さん困らせちゃ駄目じゃない」
とりあえず、カグヤは自分と同じサイズでと伝えてやった。
その少女は満足したように、代金を払って近付いてくる。
極秘で地球に来ているカグヤは、もしやと思って身構えた。だが、しばしの
もしアースリングの刺客ならば、今の時点でカグヤは殺されている。
それに、自分が地上に降りるルートは、一部の人間以外には極秘なのだ。
「ありがとうございます、おかげで助かりました。ふふ」
「あっそ、まあ……どういたしまして?」
「あら、疑問系。では、どういたしますわ。どういたしましょう」
「いや、なんかペース狂うわね。ま、いいわ。あたしはカグ……カグラよ。あなたは?」
名乗った上で、名前を聞いてみた。
カグヤに合わせるようにして、しばし視線を空へと
だが、彼女はやはり張り付いたような笑みで、パム! と手を叩いた。
「わたくしはキィと申します。貴女にはそう名乗っても、差し支えないと思いますわ」
「そう、キィね」
極めて奇妙な少女である。
だが、わずかにサングラスを下げて目元の笑みを伝えた。
同年代の女の子と、なんでもない会話がしたかったのだ。女王陛下と呼ぶ者ではなく、戦闘や行政の話でもない、本当になにげない言葉のやりとりがしたかったのだ。
事実、他愛のない話を振っても、キィは笑顔で応えてくれた。
楽しい時間はあっという間で、それがカグヤに許された小さな自由だった。
不意に、長身の男がキィの背後に立ったのだ。
「キィ様、お時間です……既にもう、エンター様以下、三銃士の皆様も到着しております」
「ご苦労さまです、オルト。では、カグラさん。どうぞよい旅を」
上品な笑みで一礼して、キィはお目付け役らしき男と去ってゆく。
その背を見送り、カグヤはなんとなくだがキィの事情を察した。
つまるところ、同じ匂いの人間同士が傷を舐め合っただけかもしれない。キィも、自由のない生活の中で、カグヤと同じ想いを抱いたのではないだろうか。
「ま、それはわからないけどね。さて、もう戻らなきゃ」
飲み物のカップを空にして、ゴミ箱へと捨て去る。
そうして一度、
月面都市やコロニーは、基本的にここと同じだ。閉鎖空間に人工的に再現された、大自然。草花も鳥も本物だが、限られた環境の中で飼われてるに過ぎない。
そして、宇宙の民……特に月の民は、地球人に飼われて
「一定の武力を示したからこそ、交渉材料も増えてる。国連総会……あたしが頑張らなくちゃ。いい? しっかりやるのよ、カグヤ」
自分に言い聞かせて、歩き出す。
丁度、黒服の護衛たちがこっちを見つけて走ってくるところだ。こうしてまた一人、議論の場へと国を背負った者が降りる。その先に、波乱と戦乱が待ち受けるとも知らずに。
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