第38話「戦場と戦場の合間に」

 高度数百メートルの空は、ひんやりした風が吹き抜ける。

 だが、そのやわらかな空気の流れは、決して暴力的な強さではなかった。

 涼やかな気流に今、無数の洗濯物が揺れている。ここはリジャスト・グリッターズの母艦、サンダー・チャイルドの広いデッキだ。当番で分担している仕事を民間人たちと終え、真道美李奈シンドウミイナひたいの汗をぬぐう。

 パイロットであると同時に、皆が未知の世界でのサバイバルを生きる仲間……自然と誰もが、手の開いてる時間を利用して作業にいそしんでいた。勿論、全員ではないが次元転移ディストーション・リープに巻き込まれたドバイからの民間人たちも手伝ってくれる。


「シファナさん、少し休憩といたしましょう。午前の洗濯物はこれで終わりですから」


 美李奈の声に、きらめく翠緑色ジェイドグリーンの髪を揺らす少女が振り向いた。彼女の名はシファナ・エルターシャ。この暗黒大陸で、不案内なリジャスト・グリッターズを導いてくれる人物である。さる国の姫巫女でもあるが、美李奈には自分とそう歳も身分も変わらない、普通の女の子に見えた。

 そのシファナが、はためく洗濯物の間をうようにして、やってくる。

 二人は並んでデッキの縁に立つと、とりあえず安全対策で設けられた手すりに寄り掛かる。すぐ下は今、サンダー・チャイルドが悠々と歩く大河の流れだ。

 水音を掻き分け巨体を進めるサンダー・チャイルドは、戦闘時と違って全くといっていい程に揺れが少ない。御堂刹那ミドウセツナがなんらかの慣性制御システムの存在をうたがっていたが、シルバーは笑顔で首を横に降ったり、小首を傾げて疑問符を浮かべるだけだった。

 そんなことを考えていると、シファナは眼下を見下ろし感嘆の溜息を一つ。


「凄いものですね、この鉄巨神は。それに、皆様の操御人形もそうです。サイズも仕組みもまちまちなものが、あんなに沢山」

「ええ。本当はないほうが平和かもしれませんが……その平和のために、必要最低限の力が必要だと今は思えます。そのことが少し寂しくもありますが」

「美李奈さん、貴女あなたは……もしや、この暗黒大陸を訪れる前は、王族や貴族だったのでは? 私にはそう思えるのですが」


 そんなことを真顔で言うシファナに、美李奈は目を丸くする。

 そして、次の瞬間には笑い出してしまった。口に手を当てこららえようとすれば、やはり腹の底から込み上げる笑みに肩が震える。


「私はそんな大それた女ではありませんわ。ただ、多くの仲間たちと同様、このリジャスト・グリッターズにごえんがあって集った者です」

「そうですか……しかし、美李奈さんのたたずまいや所作しょさ、振る舞いはとても戦士とは思えません。とても、美しいものですから」


 今度は美李奈は、生真面目な言葉に思わず言葉を失う。

 普段通り、もはや普段着と化した如月乃学園きさらのがくえんの制服は、清潔感こそそこなっていないが、ツギハギが少し目立つ。身を飾る装飾品もなく、化粧品など必要最低限だ。それでもシファナは、そんな美李奈を再度美しいと言った。


「その言葉は、私にはふさわしくないですね」

「いえ、そんな」

「一代で財をなした家の生まれですが、ふふ……もう没落して今は見る影もありません。ですが、それを恥ずかしいと思えぬ気持ちがあって」

「そうなん、ですか?」

「ええ」


 そういうものだと美李奈は思っていたが、同時にこうも考える。清貧せいひんを心がけ、常に心はにしきと気を張っていた自分は確かにいた。それが、違う世界の違う文化を持つ少女からも、そう見られるのは驚きだ。

 そして、そう見てくれるシファナにも独特の気位きぐらい、高貴な高潔さを感じる。

 それが恐らく、巨大な連邦国家でスメルの姫巫女と呼ばれる少女なのだ。


「でも、なんだか悪いですね。シファナさんに洗濯のお手伝いをさせるなんて、少し」

「いいんです。姫巫女といっても、気取って暮らしている訳ではありませんから。民と同じ視線に立つことで、いつも民の声に耳を傾けているつもりです。……それでも、あのような悲劇は起きてしまうのですが」


 今、シファナの母国であるゼンシア神聖連邦にも、様々な主義主張が入り乱れていた。レオス帝国の覇権主義に追従、ないしは対抗しようという動きもあれば、ここぞとばかりに国防を固めて閉鎖主義的な未来へ舵を切ろうとする者たちもいる。

 そんな中、召喚の儀の立会人としてレオス帝国へ出かけたシファナの動向は、皆が注目していた。

 現在、彼女は対外的には生死不明、行方不明ということになっている。


「ラスティアさんが、ミスリルのお義母様かあさまが計らってくれました。国では今頃、大慌てでしょうが……そうすることで浮かび上がるなにかが、見えてくる筈です」

「シファナさん……」

「気にしないでください、美李奈さん。海軍を動かした連中は、ラスティアさんの調べではタカ派の一部と繋がっていたそうです。主戦派も国には多く、その一部は……私もまた、日本のブライト・シティで確かめることがあるのです」


 シファナは首都へは帰らず、リジャスト・グリッターズに同行した。

 どうやら彼女は彼女で、国の未来を案じているらしい。そして、武に武で対抗しようとする者たちが、日本になにかを隠していると知ったのだ。中立の交易都市、ブライト・シティ……その名は、日本人である美李奈には初耳だ。

 恐らく、この暗黒大陸の日本は、美李奈の知らぬ土地。


「そういえば、美李奈さんも日本人だと聞きました」

「ええ……あちらの地球、惑星"アール"の日本人ですが。日本は、あちらには一つしかないのです」

「……日本が、二つあるのですか?」

「こちらの地球、惑星"ジェイ"ではそうだと聞きました」

「まあ……世界は広いのですね。私たちは暗黒大陸から出られぬ身、しかし……そうと知れば、比翼ひよくの巫女の伝説も真実なのではと思えてきます。神話の時代、彼女が奇蹟を起こした……今は皆さんを見て、信じる気になれますね」


 ――比翼の巫女。

 それは、あのジェネシードと名乗る謎の敵が残した言葉。特異点と呼ばれる、二つの地球をめぐる謎の鍵を握る存在だ。

 そのことをシファナは、風に髪を遊ばせながら語ってくれる。

 パタパタと風に舞うシーツやシャツの音を聞きながら、美李奈は耳を傾けた。


「比翼の巫女は、これから行く日本と強い関わりがあるのです。遥か太古の昔、神代かみよの時代……彼女は日本を創造しました。この暗黒大陸で、国創くにづくりを行ったのです」

「……私の星の日本にも、そういう神話はあります。二人の神、原初の男と女から生み出された、それが神州日本……真偽は別にして、民に寄り添い残るルーツの物語」

「比翼の巫女は、この暗黒大陸に日本を生み出し……そして、去りました。この世で唯一、彼女だけが出ていけた外の世界へ。そして、私は……私たち歴代のスメルの姫巫女は、彼女が残した一族の末裔まつえいだと言われています」


 シファナの言葉に、小さな希望が見えた気がした。美李奈はそのことを、仲間は勿論、東堂清次郎トウドウセイジロウたち大人にも伝えるべきだと思った。

 やはり、比翼の巫女と呼ばれる存在は、この戦いの運命を握っている。

 そのことを再度認識した時、軽やかな声があがった。

 それは、涼やかな風に乗って凛と響く。


「その、比翼の巫女? 美人さんかな。かわいい娘だといいけどね」

「まあ……ふふ、美央ミオさん。またそんなことを言って。シファナさん、ご紹介しますわ。私の仲間の神塚美央カミヅカミオさん。一緒にパイロットをやってます」

「そっちが例の姫巫女さんね? よろしく、美央でいいわ。……ふーん、見た目はともかく、普通の女の子かな。見るまでもなく華がある、とも違うな……なんかイイ感じ、雰囲気あるけど」


 二人で振り向けば、そこには一人の少女が立っていた。

 神塚美央は、今日はミニスカートに白いシャツとラフな格好で笑っている。鍛え抜かれた身体は女性的な柔らかさを失わぬまま、引き締まって均整の取れた曲線美でかたどられていた。

 美央は洗濯物を避けつつ歩きながら、シファナへとなにかを放る。

 両手で受け取ったシファナは、その手の小さな物体を見下ろし首を傾げた。


「これ、は……?」

「携帯、って言っても通じないか。ま、通信機だよ。ネットには繋がらないけどさ。科学部の連中、ユウとかリュウ雄斗ユウトが結構詳しいんだよね。コスモフリートの端末をサーバに使って、とりあえず使えるようにしたのを配ってるんだ。こっちは美李奈の」


 美李奈も美央から、ちょっとクラシカルなタイプの携帯電話を受け取る。恐らく、あの日にドバイの一部と共に次元転移してしまった際、なるべく多くの物資を搬入した中にあったのだろう。

 この時代、美李奈たちの地球……惑星"r"の文明は緩やかに衰退していた。

 百年前は、液晶画面のタッチパネルが標準装備された、スマートフォンが普及していた。だが、パラレイドや月のアラリア共和国……今はインデペンデンス・ステイトと結託したアラリア連合帝国との戦争が長引き過ぎた。戦争状態が日常化した中で、生活水準は昭和中期前後まで後戻りしている。美李奈にとっては、今渡された二つ折りタイプの携帯電話ですら珍しいくらいだ。

 もっとも、美李奈のそれは主に、経済的な理由があるが。

 物珍しいのか、シファナは何度も携帯電話を開けたり閉めたりしている。


「これが……魔力や精神力を使わず、遠方との会話を? ……凄い技術なのですね。原始的な有線通話なら、ゼンシアでも首都のごく一部でわずかながら。でも、これにはコードがありません」

「とりあえず、シファナのにも美李奈のにも、私のアドレスと番号を登録しといたよ。夜が寂しかったらいつでも呼んで」

「はあ……あら? あの、美央さん。その、ケータイ? というものが、ピカピカと」


 不意にシファナが手に持つ携帯のランプが点灯し始めた。次の瞬間、着信のメロディがデッキに響き渡る。それは美李奈のいた世界では有名な日本のアニメ、『ハイライフ! ストリーム!!』で使われている楽曲、『STAND:UP!!』なのだが……残念ながら、設定した吹雪優フブキユウたち三人の徹夜の努力は、美李奈たちには伝わらなかった。

 シファナは軽快なアップテンポでポップナンバーが響く中で、おろおろと周囲を見渡す。彼女は美李奈が使い方を教えようとした瞬間、ひらめいたとばかりに表情を明るくした。


「なるほど、わかりました。こうして音楽をかなでることで、私が伝えたい事があると周囲に教えるのですね。この曲を聴いて、誰かが来てくれると……そういう装置なのでは」

「いやいや、違う違う、違うからシファナ。美李奈、教えてあげて」

「シファナさん、携帯電話を開いてください。そして、このボタンを押して耳にあてるのです」


 シファナは言われた通り、たどたどしい手付きで通話に応じた。そして、携帯を耳に当てた瞬間、彼女は目を見開く。

 美李奈は、シファナが話し始める前に「上下、逆ですわ」と耳打ちした。

 携帯を持ち直すシファナに電話をかけてきたのは、あの少年らしい。

 相手が見えないのにシファナは、まるでそこに彼がいるかのように優雅に会釈する。

 相槌あいづちを打ったりうなずいたりするシファナを、気付けば美央が優しい視線で見守っていた。美央は一騎当千のパイロット、神牙シンガを操るアーマーローグ……戦闘中の猛々たけだけしさは鬼気迫ききせまるものがあって、戦いにえた孤狼ころうのような印象がある。

 だが、今の美李奈の隣にいるのは、ちょっとお姉さん風を吹かせる普通の少女だった。


「ん? なに、美李奈」

「いえ、なんでもありません」

「そっか、美李奈も一人寝が寂しい時は私を呼んでね。私もそうするけど」

「考えておきます。それより……どなたなんです? シファナさんに電話なんて」

「あー、例のほら、ミスリルって子」

「ああ」


 どうやら、シファナの耳は今、不器用な言葉を途切れ途切れに拾っているらしい。美央が言うには、この仲直り作戦を考えたのは皇都スメラギミヤコとのことだった。シファナに救ってもらった彼女なりの、感謝の気持ちを込めたお節介せっかいというところだろう。


「ええ、ええ。大丈夫です、ミスリル。私こそ……いえ、そんな。ミスリルこそ、私の言葉で……だから、気にしないでください」


 シファナの横顔は、小さな笑みが穏やかに広がっていた。

 そして気付けば、美李奈と美央の背後に人の気配が立つ。


「ミスリルって言ったよね、彼。よかった……僕とコスモフリートでジャガイモの皮剥かわむきをしてたけど、少し落ち込んでたから」


 気付けば、隣にアレックス・マイヤーズが来ていた。彼を見て、美央は「ごくろー、ごくろー」と笑って小突く。やめてくださいよ、と言いつつ、アレックスも笑顔だった。彼もまた大きな傷を心身に負ったが、短い時間なら作業を手伝っている。医者が言うには、身体を慣らすためにも少しは働いたほうがいいそうだ。

 そのアレックスだが、思い出したように「そうだ」と声を上げる。


「ユートが偵察から帰ってきたって、それでみんな大慌てでさ。美央さんも美李奈さんも、すぐにコスモフリートのブリッジに来てください。この暗黒大陸の日本、大変な場所だって」

「ちょっと、アレックス? あのユートとは打ち解けておいて、私や美李奈はさん付けな訳? ……どうやってあの偏屈坊へんくつぼうやと仲良くなったのよ」

「ご、ごめん。えっと、美央……時々ユートから、地球のことを話してもらってたんだ。僕は……木星圏しか知らなかったから」


 その時だった。

 噂をすればなんとやら、サンダー・チャイルドが腰部に増設した格納ブロックへと向かって、一つの機影が降りてくる。あの音は、今しがた話題にのぼったユート・ライゼスのEYF-X、通称"RAY"だ。丁度通話を終えたシファナも、轟音に空を見上げる。

 見事なタッチダウンで、胸部のデッキにいた美李奈たちを掠めて翼が通り過ぎた。

 そして、遅れて訪れた風圧が吹き抜ける。


「あら」

「まあ!」

「っと!?」


 シファナの、美央の、そして勿論美李奈の着衣が上昇気流でめくれ上がった。シファナの民族衣装のような服も、美央のきわどいミニスカートも、その奥の下着が丸見えになる。当然、プリーツスカートを慌てて抑える美李奈も同じだ。

 そして、三人が三者三様にうつむき赤面に振り向けば……そこには、固まるアレックスの姿がある。


「……アレックス、ちょっとこっち来て。いいから、来い…来いつってるの!」

「ま、待ってくださいよ、美央! いえ、美央さん、美央様! 違う、僕は」

「へぇ……見なかったって言うんだ。アレックス?」

「見たくて見た訳では! これはそう、なにかこう……陰謀が! 僕は別に!」

「見たくもないって言いたい訳? ちょっと! あ、こら、逃げるなっ! 待て!」

「こんなリハビリは嫌だ、なんでこんな……!」


 アレックスを追って、美央はデッキの鉄板をカンカン鳴らしながら駆けてゆく。その背を見送る美李奈は、隣のシファナと目が合って肩をすくめるしかない。

 だが、和やかな日常も、見知らぬ日本へと移動する間だけだった。

 暗黒大陸の日本を間近に臨む今……その驚きの姿に誰もが絶句することになる。シファナが、これが日本だと説明してくれた地域は、。だが、神話にうたわれる遥かな過去に、比翼の巫女がつくったとされる日本は……同じ形をした全く別の場所だった。

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