Act.18「決断を選ぶ者」

第103話「甘き誘惑へと抗って」

 巨大な首都が炎に包まれ、黒煙がくゆる中に全てはぼやけてゆく。

 その光景を、アレックス・マイヤーズは呆然ぼうぜんと見詰めていた。今、議事堂の屋上へ彼は立っていた。

 眼の前のセントラルパークで始まる予定だった、無慈悲な公開処刑。

 たった一人、単機で救出に飛び込んできた仲間の背中。

 全てアレックスは、その目で見て確かめた。

 そんな彼の震える肩に、優しげな手がそっと触れてくる。


「素晴らしいとは思わないかい? アレックス君」


 耳元でささやく声は、佐々総介サッサソウスケだ。

 甘やかなバリトンボイスが、耳の奥まで染み込んでくる。

 アレックスは目の前の惨劇を背に、振り返った。

 今、ミラ・エステリアルはバルト・イワンドによって守られ、天原旭アマハラアサヒによって助けられた。だが、周囲は見渡す限りに敵ばかり。そして、陽動で動いてる仲間達の何倍もの兵力が、この首都に集結しつつあった。

 この馬鹿げた乱痴気騒ぎを演出した魔人は、にらむアレックスへとうっそり微笑ほほえむ。


「もうすぐ歌劇オペラの最後の幕が上がる。人間同士で戦っているうちに、エンターが……ジェネシードのキィボーダーズ、三銃士最強の騎士がやってくる」

「エンターさんが? いったいなにを……まさか!」

「そのまさかだよ、アレックス君」


 あくまで穏やかな紳士の顔を崩さない総介。

 アレックスの脳裏に、もう一つの地球……惑星"アール"のドバイがフラッシュバックする。それだけではない、過去にもジェネシードの三銃士はそれぞれ強力な超弩級機動兵器ちょうどきゅうきどうへいきを用いて戦いを挑んできた。

 戦いとさえ言えない虐殺を広げて、リジャスト・グリッターズに立ち塞がったのである。

 その惨劇が今度はエークスの首都で始まる。

 アレックスは、全身がしびれるような寒さに凍えた。

 おびただしい数の犠牲を想像するだけで、足元がぐらつき立っていられない。それでも彼は、屋上を囲む手すりに寄り掛かりながら総介をにらむ。


「なにが……いったい、なにが目的なんですかっ! どうして貴方あなたは、こんなことをして」

「こんなこと、とは?」

「破壊と、殺戮……戦争ですよ、これは! 戦争なんかして、いったいなにがほしいんです! 地位ですか? 名誉? それともお金ですか!」


 アレックスの絶叫を吸い込む空に、戦闘機の爆音が響く。

 どうやら首都防衛大隊しゅとぼうえいだいたいは、周辺の基地から応援を呼び込んでいるようだ。

 このままでは、市街地戦が広がるばかりだ。そして、その中で沢山の市民が犠牲になる。リジャスト・グリッターズが被害を最小限に止めようとしても、それをゼロにすることは難しい。

 そして、失った命は決して戻ってこない。

 そのことをアレックスは、誰よりもよく知っていた。

 誰よりも強く、己の心に刻みつけていた。

 だが、涼しい顔で総介は言い放つ。


「僕は常に、愛のために動いている。求め欲する、望むもの……それは、愛」

「愛……!?」

「そうだよ、アレックス君。君もいずれ、失ってみればわかる。人間はいかなる時でも、どんな立場でも……誰でも、失うことでしか本当の価値を知りえないのだよ」

「知ったふうな口をっ!」


 だが、激したアレックスへと目を細めて、総介は後ろを向いてしまった。

 丁度、重々しい音と共にドアが開いて、一組の男女がやってきたところだった。

 小さな小さな少女、幼女とさえ言える女の子は、リン・カルタ。

 そして、その矮躯わいくを守るように起つ求道者きゅうどうしゃ然とした男は、時命皇じみょうおうだ。


「総介様っ! ここでのお仕事は終わったのでしょう? アルクを急いで呼び戻した方がいいわ。あの子、少しずつ引きずられてる。このままでは虚無教団きょむきょうだんの計画が」


 総介の前まで駆けてきて、リンがぴょんぴょん飛び跳ねる。

 そんな彼女を撫でて抱き寄せる横顔は、ことさら優しい。とても、世界を混沌こんとんおとしめようとしている男、危険度SSSスリーエス魔人まじんとは思えない。

 アレックスは、時々わからなくなる。

 リジャスト・グリッターズを出奔しゅっぽんし、流離さすらう中で総介達と行動を共にしてきた。逃げられるとは思っていなかったが、不思議と強制的に連行されている風でもない。気付けばここまで、ずっと行動を共にしてしまった。

 そして、それを求められた意味をここで知らされる。


「時命皇、リンを頼めますかな?」

委細承知いさいしょうち。して、奴は」

「彼とは、最後の話があります。さあ、決断の時だ……アレックス君」


 向き直る総介が手を伸べてくる。

 開かれた手の平をじっと見詰めて、アレックスは呼吸を忘れてしまった。


「選びたまえ、アレックス君。君が持つ、戦争を統べる力……電脳神サイバーマキナの力を僕に貸してくれないか。君には、その力を正しく使う人間になってほしいんだよ」


 アレックスは戸惑とまどった。

 同時に、その誘惑が当然のようにも感じる。

 ピージオンの力は、ユナイテットフォーミュラ規格のあらゆる兵器を席巻する。掌握して手中に握り、自由自在に操ることができるのだ。

 だが、ここはそんなピージオンが造られた惑星"r"ではない。

 もう一つの地球、全く違う軍事規格が入り乱れる惑星"ジェイ"なのだ。

 拒絶の言葉を発したつもりが、声は情けないくらいに震えていた。


「ピッ、ピージオンの力はそこまで万能じゃない。それに……貴方だったら、僕がいなくてもピージオンを扱えるんじゃないですか? そう、僕なんか」


 総介は、想定された問答を完成させるかのように言葉をつむぐ。

 静かで穏やかな声だ。


「君が必要だ……アレックス・マイヤーズ君。ピージオンに乗る、君こそが必要なんだ」

何故なぜですっ! わかりませんよ……わかれっこないですよ!」

すでに君のピージオンは、この惑星"J"での戦闘を経験する中……。マスター・ピース・プログラムは、我々の予期せぬ進化を見せているのだ。それは、君が戦う中で育った力だよ」

「違うっ! 僕は、そんなつもりで……ただ、守りたかった! 守れるうちは……それすら、できなかった。それなのに貴方は、僕の足掻あがいて藻掻もがいた日々が、ピージオンを……マスター・ピース・プログラムを育てたっていうんですか!」


 総介はゆっくりとうなずく。


「アレックス君。君が選ぶんだ……今やピージオンは、僕の魔術を必要とせぬ程に全知全能の力を宿しつつある。そう、ピージオンこそが世界に欠けたパズルのピース……それをはめ込むことで、僕の思い描く絵が広がるはずだよ」

「僕は……僕はっ!」


 心配そうに見詰めてくるリンが、思わず駆け寄りそうになっていた。

 それをそっと手で、時命皇が制する。

 なにか言いたげに口を開いては噤むリンの、大きくつぶらなひとみが揺れていた。

 絶叫が響いたのは、そんな時だった。


『おやっさん! 回線がこんがらがってるよ、全然通じない。だから、いいよね!』

『おいおい、待ちなって! シルバー!』


 キーン、と耳に痛い音と共に、聞き覚えのある声が響き渡った。

 驚いたことに、マイクを通した肉声である。

 そして、その女の子の声には全く緊張感がなかった。


『うー、マイクテス、テステス! あー、ゴホン! バルトのおっちゃん! 街の上空に次元転移ディストーション・リープ反応だよっ! すっごーく大きい! 通信が混線してるから、直接言うね。聴こえてるーっ?』


 シルバーの声だ。

 同時に、立ち上がったアレックスは手すりの上に身を乗り出す。

 はるか遠く、郊外の方から……渦巻く砂塵をまとって、巨大な雷神が歩み寄ってくる。その歩行速度は、完全に距離感を狂わせる程に速い。

 大地を疾駆する歩行戦艦ウォーカー、サンダー・チャイルドだ。

 そのコクピットから、シルバーの声はずっと続いていた。


『バルトのおっちゃん、ミラちゃんみっけた? よね? 多分、助けたよね……そんな気、するんだ。だから、早くいつもの仕事に戻ってよ。みんな、待ってるよ! おっちゃんの命令を、指示を……声を、待ってる!』


 その時、議事堂前の公園で片膝を突いていた機体が、僅かに動いた。ゆっくり立ち上がると、全身のリアクティブ・アーマーをパージする。

 その背を守るように、雄々しき虎の化身が並び立った。

 虎珠皇こじゅおうの手には、一人の少女がそっと抱かれていた。

 割れるように響くシルバーの声は、アレックスにも呼びかけてくる。


『そーれーとーっ! アレックスー、聴こえるー? 怒ってないから、帰っておいでよ! 私、一緒にゴメンしてあげるから。なんでも話せば、みんなわかってくれるよ! 帰ってこないと、話だってできないし、怒れないし。ねー、わかったー!』


 突如として現れた巨神に、周囲の首都防衛大隊は明らかに浮足立った。

 空港の方でも先程から砲火の光が飛び交っている。

 そして、混迷の戦場では……空に怪しげなオーロラが広がっていた。このゆがんだ虹は、次元転移の前兆だ。

 呆気に取られていたアレックスは、ゆっくりと手すりから離れる。

 もう、震えは止まった。

 自分の脚で、立てる。

 立って、歩ける。


「そうか、僕は……今まで、選んでこなかったんだ。みんなも仲間も、エリーも……敵さえも、殺さないようにって。でも、それじゃあまだ選び足りなかったんだ」


 不意に頭がクリアになってゆく。

 そして、そんなアレックスの表情を見て、総介は溜息ためいきこぼした。


「行くかね?」

「……はい。あ、あのっ! お、お世話になりました。リンさんも。その、僕は……僕は、母親を知りません。だから、上手く世話を焼かれてなくて、でも……嬉しかったです」


 驚いた顔でなにかを言いかけたが、黙ってリンは大きく頷いた。

 アレックスは、決めた。決意を改め、選び直した。

 その選択が待つ結果へと、彼は走り出す……振り向かずに。

 屋上を飛び出て階段を駆け下りれば、不思議と身体が軽かった。隠してあるピージオンへと向かって、アレックスは全速力で走り続けるのだった。

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