第164話「神罰の日、来たれり」

 全てを白く染める、それは残雪のヴェール。こちらの地球はすでに、パラレイドと呼ばれる侵略者の攻撃で四季までも狂っていた。地軸がねじれた影響で、四月になってもまだ雪が降る。

 ナオト・オウレンは、巧みに積もった雪を利用した。

 パイルバンカーの衝撃が大地を突き抜け、周囲の雪が舞い上がる。

 敵の視界を奪った上での、一撃。

 だが、手応えがない。


「チッ、流石さすがだな! 統矢君っ!」


 自然と感嘆の気持ちが、相手への賛辞を呟かせた。

 この状況下でまさか、攻撃を防がれるとは思わなかったのだ。

 摺木統矢スルギトウヤの97式【氷蓮ひょうれん】は、巨大なナイフの一撃を受け止めていた。その手に握るパンツァー・モータロイド用のナイフは、酷く小さくて頼りない。それでも、ナオトが振り下ろした斬撃をしっかりと受け止めている。

 回線の向こうに今、相手の息遣いが感じられた。


『ハァ、ハァ……俺は、負けない。誰にも……負けてられないんだ!』

「そうだ、統矢君! なら、まずはその恐怖を克服するんだ」

『恐怖? まだそんな……』

「恐れる気持ちから、目を逸らしてはいけない。それは俺も同じこと!」


 ナオトは統矢に語りかけつつ、愛機のパワーを上げていく。

 トール四号機は、相手とは三倍のサイズ差がある。そのアドバンテージは同時に、ナオトにとっては大きな弱点でもあった。小さい標的との戦いは、レヴァンテイン等とのシミュレーションで普段から訓練している。

 小回りの効く機体で脚を使われては、大きく重いトール四号機は不利だ。

 だから、自分から攻めてペースを掴み、常に相手を掌握する必要があった。


『俺が、怖い? そんな……』

「統矢君、思い出せ。激情にかられて振り回すだけじゃ、機体は応えてくれない」

『! ――わかってる! わかってるんだ、でも……でもっ!』


 徐々に、上から圧するようにナオトはナイフを押し込んでゆく。巨体を利用しての、完璧な戦術だった。徐々に統矢の【氷蓮】は、きしみながら沈んでいった。

 全身に施された、包帯にも似たスキンテープが弾け飛ぶ。

 だが、ナオトは手を抜かずに完全勝利のために心を鬼にした。

 戦ってみて、はっきりとわかったのだ。

 自分の中にも、恐怖がある。

 そしてそれは、誰の心にも潜んでいるのだ。

 見守る周囲からも「おお!」と声があがった。


『怖がって、びびってられるかよ……俺は、りんなのかたきを討つんだ!』

「くっ、この力!? な、なんだ、統矢君! 君は!」


 瞬間、ナオトの背筋を衝撃が這い上がる。

 それは冷たい悪寒となって、全身の神経に危険なシグナルを放った。

 そして、圧倒するトール四号機の押し込む刃が、ピタリと止まる。

 信じられないことに、彼我ひがの質量差が消えてしまったようだ。相変わらず見下ろす位置に、統矢の【氷蓮】は震えている。

 だが、妙だ。

 先程よりこころなしか、出力が上がっているような錯覚を覚える。

 否、はっきりと感じられる……徐々に、地の底から沸き上がるようなパワーが肥大化してゆく。それは、より暗く燃える統矢の声音によって膨らみ続けていた。


『立ち塞がるなら、容赦はしない……俺はもうっ、負けない!』

「統矢君! ……使うしか、ないのか。いやっ!」


 即座にナオトは、いつものようにトール四号機のリミッターをカットしようとシステムに触れる。だが、すぐにその手を止めて、落ち着いて深呼吸。改めて操縦桿スティックを握り直す。

 確か、PMRパメラの制御システムや駆動系は、絶対元素Gxぜったいげんそジンキと呼ばれる精神感応性を持った物質が使われている。それが登場者の精神力によって、微量な数値の増減をもたらすということは資料で読んでいた。

 だが、ここまで露骨に顕現けんげんするなどとは、夢にも思ってもみなかった。

 今や、【氷蓮】は全身の放熱が逆巻き、千切れたスキンテープがゆるゆると揺れている。


『おおおっ! 押せよ、【氷蓮】ッッッ!』

「こ、これだけのパワーが……だが、統矢君! その力を制御できなければ、君も飲み込まれるぞ。復讐も戦いも否定はしない。けど、それだけに溺れてはいけない」

『お前になにが、わかるものかよ!』

「そうだ、俺にはわからないし、なにもない。そう思っていた俺にも、今は仲間がいる。君も仲間を頼れ! 弱い自分を知って認めたら、弱さを知ったらもっと強くなれる!」


 ハッ、と向こうで息を呑む気配が伝わった。

 同時に、不気味なまでのパワーがなりをひそめる。

 次の瞬間には、ナオトは機体を静から動へと加速させる。あっという間に、相手の小さなナイフを弾いて、その手から叩き落とした。

 だが、向けた切っ先の向こうで統矢は戦意を失っていない。


「そういえば……君はバルト大尉が銃口を向けても怯まなかったな」

『まだだ……まだ、終わってなんかいない! 俺は――』


 その時、突如として空気が激震に沸き立つ。

 けたたましいサイレンの音が響いて、青森校区のみならず市街地全体を戦慄で包み始めた。ナオトも初めて耳にする、それは天使の裁きが訪れる予兆。

 福音ふくいんのラッパではなく、黙示録もくしろくを歌う地獄への行進曲である。

 突然の警報に、ナオトは機体を停止させる。

 そして、コクピットを開放すれば少女の悲鳴が耳を衝いた。


「な、なんだ……? 敵襲か!?」


 見れば、ギャラリーの誰もが表情を強張らせている。

 先程名乗った五百雀辰馬イオジャクタツマも、三編みの少女を抱き寄せていた。先程の悲鳴は彼女のもので、取り乱して震えている。その怯え方は尋常ではない。

 そして、知る。

 こちらの地球、ナオトたちを異邦人として迎えた惑星"アール"には今……敵がいるのだ。

 それも、人知を超えた謎の驚異が。


『……来たかっ!』

「来た? 統矢君、それは」

『このアラートは、パラレイドの襲撃だ。見ろよ、少尉さん。山の方角、あの空を』


 統矢の声が、徐々に尖ってささくれだつ。

 彼に言われるまま、ハッチから身を乗り出してナオトは遠景に目を細めた。

 まだ白く雪化粧した、八甲田の峰々みねみねの……その上空に、不気味な発光現象が出現していた。それは、次元転移ディストーション・リープの予兆である虹色のオーロラだ。

 かつてこの地にナオトたちをいざなった光は、今度は災厄を連れてくる。

 それが、正体不明の敵であるパラレイドだ。

 驚きに思わず言葉を失っていると、よろけながらも【氷蓮】が動き出す。


「ま、待てっ、統矢くん!」

『パラレイドは、その全てを駆逐くちく殲滅せんめつする。……俺一人で十分だ!』


 微動に震える【氷蓮】が、スラスターを吹かして跳躍する。

 熱風で周囲の雪を吹き飛ばしながら、統矢はあっという間に行ってしまった。

 周りの子供たちも皆、忙しく動き出す。彼らは皆、幼年兵ようねんへい……この青森校区の学生であると同時に、PMRに乗って戦う兵士でもあるのだ。

 突然中断された模擬戦で、ナオトの勝利は遠くへ消えた。

 だが、最初から統矢に勝とうとは思っていなかった。

 ただ、今までの自分には勝てた気がする。思い出せぬ過去すら、一瞬だけ乗り越えられた……それを統矢にも、ナオトは知ってほしかった。過去が白紙だからこそ、ナオトには伝えられる。過去と死にとらわれて戦えば、その先に待つのは闇だけだ。

 そんなことを思っていると、トール四号機の足元で静かな声が響いた。


「ナオト少尉。まだ動けるか?」

「バルト大尉」

「いい戦いだった。……完全にりっしたな? 自分自身の奥に潜む恐怖を」

「まだ、わかりません。でも、今も俺の中に恐怖心はあります。それを引きずったままでも、もう俺は戦える……今はそう思います」

「よし、では出撃だ。すぐに部隊を動かすが、少尉は先行して先程の少年を追え」

「ハッ!」


 バルト・イワンドは、ナオトの返答に大きく頷いて。

 そこには、ナオトを一人前の男と認めた瞳の光があった。それが嬉しくて、敬礼と同時にナオトはコクピットへ飛び込む。すぐにハッチを閉じれば、今すぐにでもトール四号機は戦闘可能な状態だ。

 武器はナイフ一振りしかないが、問題ない。

 後続のリジャスト・グリッターズ主力部隊がすぐに出撃するからだ。

 それまでの僅かな時間、統矢を追いかけて保護し、無事に二人で帰還する。

 作戦内容は明白だったし、先程の模擬戦の疲れもない。


「トール四号機、ナオト・オウレン少尉! これより先行してパラレイドに接敵、交戦しつつ統矢君を保護します!」


 既に周囲は戦場の雰囲気で、次々と幼年兵たちのPMRが出撃し始めている。旧式の機体を払い下げた練習機だが、実弾装備に換装すれば一級品の戦力だ。

 だが、それに乗せられているのはまだ十代の子供なのだ。

 そして、リジャスト・グリッターズでも多くの少年少女が戦っている。


「彼らを守れずして、なにが軍人か。よしっ、出るぞ!」


 グッと身を屈めたトール四号機に、ナオトは飛翔を命じた。

 全身のスラスターに蒼炎を輝かせて、巨大なマシーンは跳躍する。あっという間に、広大な敷地を持つ青森校区が背後に飛び去った。

 そのまま着地地点を瞬時に割り出し、人気のない工事現場を足場にさらにジャンプ。

 市街地を横切る形で、ナオトは徐々に山岳地帯の方へと近付いていった。


「このあたりは、雲谷もや……スキー場があるのか。本来なら、春スキーで賑わってただろうに」


 周囲は四月とは思えぬほどに雪深く、晴天なれども冷たい風が装甲を叩く。

 そして、徐々に空の光は眩しさを強めて広がっていた。

 不気味な明滅の、その下に少年が先走っている。先程刃を交えてわかったが、摺木統矢という少年は今、とても危険な状態だ。奇しくも、Gx感応流素ジンキ・ファンクションでコントロールされたPMRに対して、トールもまたMNCSマナクスと呼ばれるマン・マシーン・インターフェイスを用いている。

 互いに精神を機体の隅々へと行き渡らせて、激突した。

 その時、ナオトは統矢の心に触れたような気がしたのだった。

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