第69話「運命回帰点への秒読み」

 飛猷流狼トバカリルロウが振り向いた時には、もう遅かった。

 すでにフィリア・アイラ・エネスレイクの声と一緒に、エネスリリアが怪物達の中へと飲み込まれてゆく。一緒に特訓して見慣れた機兵は、天へと伸ばした腕部以外見えなくなっていた。

 フィリアを気遣きづかい背後に下げたことが、逆にあだになった。

 彼女は熱心に機兵の操縦訓練に打ち込み、少年達が基礎体力を作るためのトレーニングにも協力的だった。そんな彼女の声はもう、聴こえない。

 代わって、真道歩駆シンドウアルクの絶叫がほとばしる。


「あれは……礼奈レイナっ!? 渚礼奈ナギサレイナだ! どうして……なんでだっ! 礼奈ぁぁぁぁっ!」


 暗雲垂れ込める空の下、少年の声が悲痛さを帯びる。

 そして、歩駆の声に呼応するように……にせピージオンのひたいに飾られた少女が顔を上げた。うつろな目から涙をこぼして、裸の少女は模造獣イミテイトはりつけにされたようである。

 間近で見上げる流狼には、歩駆の気持ちが直感で伝わった。

 なんという偶然、残酷な運命か……別の地球へと次元転移ディストーション・リープで飛ばされた歩駆は、ようやく戻った故郷で顔見知りの危機に直面している。その脅威を滅する力を手にしながら、親しい者を人質に取られているのだ。

 つい流狼は、フィリアの危機に動けなかった自分を重ねてしまった。

 そんな彼に、相棒のアルが呼びかける。


『マスター、あの……なにか言ってるみたい』

「アル、声を拾えるか?」

くちびるの動きに合わせて、空気の振動を解析してみるヨ!』

「よしっ! できたら、その声を歩駆に届けてやってくれ! 俺は俺で、もう少し奴を――ッ!?」


 不意に偽ピージオンが、手にしたベイオネットライフルを振りかぶった。その銃身バレルにも今、無数の顔が浮かぶ。取り込まれた人間達は、助けを求めて泣き叫んでいた。

 なげきの刃と化した銃剣ベイオネットの輝きが、鋭い切っ先となってアカグマを襲う。

 両腕をクロスして防御を固めつつ、流狼はステップアウトで斬撃ざんげきを避けた。

 だが、先程吹き飛ばした周囲の異形は、より数を増して押し寄せる。

 そして、鼓膜こまくでるように響く、声。

 落ち着いた男の声が、回線越しとは思えぬ質感で頭の中へと忍び込んでくる。


『我が大願たいがん成就じょうじゅするときは近い……高貴なる血の連なりが生んだ乙女おとめ、確かに貰い受けた。さて、もう一人……そちらの姫巫女ひめみこ様も来ていただきましょうか』


 かろうじて視界のすみに、その声の主を流狼は見た。

 助けを求めるように突き出た、エネスリリアの手に男が立っている。

 どこから現れたのか、いつからそこにいるかもわからない。

 だが、一つだけ察することができるのは、その男が敵だということだ。

 冷たい悪意は慇懃無礼いんぎんぶれいなまでの仰々ぎょうぎょうしさをまとって、周囲の異形達を波立たせている。間違いなく、謎の紳士が怪異に関係していることは明らかだ。

 仲間達もそれを感じたようだが、今は偽ピージオンにとらわれた人々と歩駆が心配だった。

 アレックス・マイヤーズのピージオンが周囲を警戒し、少し緩慢な動きで東城世代トウジョウセダイのヴァルクが追う。

 状況は最悪だが、誰もあきらめていない。

 諦めてはいないが、先の見えない戦いに打開策もなく、若い少年達はれるしかなかった。


『歩駆っ! 知り合い、なんだな? やっぱり……なら、やっぱりあれは攻撃できない』

『でも、止めなければ被害は広がる。それに、フィリアさんも助けなければいけないし』

『アレックス、世代! 俺が……俺が礼奈を助けてみる。いや、助け出すっ! 絶対だ!』


 ピージオンが、ヴァルクが、そしてゴーアルターが……乗り手の心を映すように小さく挙動を乱す。そうしている間にも、包囲の輪は再び流狼達を飲み込もうと迫った。

 そんな時、不意に強い声がりんとして響く。

 この場の誰もが忘れかけた平常心を、その少女は思い出させてくれた。


『皆さん、気を静めて下さい。私達が足並みを乱せば、群れなす怪異のさらなる跳梁ちょうりょうを招きましょう。そして、の者が私を望むならば……つつしんでお相手申し上げます。フィリアさんの救出は私に任せてください!』


 ジェネスのコクピットはいていた。

 そう、

 そして、インカムが慣れないのか、しきりに髪を気にしつつ……異様な空気の坩堝るつぼと化したこの場所で、シファナ・エルターシャが生身をさらしていた。

 すぐ目と鼻の先に、凶暴な化物がひしめき合っている。

 既に死地と化した中、彼女は謎の紳士を見据みすえて凛々りりしい眼差まなざしの矢を放つ。

 流石さすがに流狼も慌てたし、それは他の者達も一緒だった。


『シッ、シシ、シファナさんっ! すぐにコクピットに戻って! 危ないんですよ!』

貴女あなたになにかあったら、僕達はミスリルに怒られてしまいそうだよ。ねえ、アレックス。歩駆も、流狼も』

『……世代の言う通りだ。……そう、だな。命を張ってるのは、みんな同じか』


 シファナはその身を危機に晒すことで、少年達の動揺と弱気を振り払った。

 そうして、真っ直ぐな視線で謎の紳士を刺し貫く。


『名乗りなさい! 邪悪なる者よ。私はシファナ……スメルの巫女、シファナ・エルターシャ! この地と民を苦しめる狼藉ろうぜき、これ以上は私が許しません!』


 毅然とした言葉には、凛冽りんれつたる決意が研ぎ澄まされていた。

 その声に、喉の奥から笑みをあふれさせる男。黒いスーツに身を包んだ壮年の紳士は、改めてゆらりと頭を垂れる。大げさに手をえて、彼はうやうやしく膝をついた。


『これはこれは……ゼンシア連邦の姫巫女様。御機嫌麗ごきげんうるわしゅう。さあ、全ては我が悲願成就ひがんじょうじゅのため……こちらへと来て頂きましょうか』

『お断りします! それより、即刻そっこくフィリアさんを解放なさい。……貴方あなたがどんな望みを持ち、なにを願おうと構いません。ですが、そのために他者を巻き込むならば、見過ごせる私ではないと教えて差し上げます!』

『フフフッ、流石はスメルの姫巫女……清冽せいれつなまでに美しい、その顔立ち。その気性……その心根。大いなる儀式のにえとして相応ふさわしい。フィリア姫とシファナ姫……たおやかな羽根はねは今、比翼ひよくと比翼を再臨させる依代よりしろとならん!』


 うっそりと酔いしれるように、顔をあげた男は最後に名乗った。


『私の名は、佐々総介サッサソウスケ……魔人へとした者ですよ。切なる願いを今こそささげて……この地に再び招かん。神代かみよの古代に実在したとされる、比翼の巫女を!』


 その名は、佐々総介。

 流狼には、どこかで聞いたことがある名前だ。そう、すぐ近くで……この惑星"ジェイ"、暗黒大陸あんこくたいりくでの旅路に記憶を探る。すぐに同じ苗字みょうじに行き着いたが、今は思考を巡らせている時ではなかった。

 シファナがコクピットへと戻ると同時に、ジェネスが静かに歩み出る。

 無防備に総介へと向かう背中を、流狼はフォローするように身構えた。

 目の前の偽ピージオンがすさぶ。

 ついにその姿は、本来のピージオンが持つ優雅ゆうがさと雄々おおしさの調和を脱ぎ捨てた。

 双眸そうぼうの下でフェイスパーツに相当する部分が裂けて、牙の並ぶ真っ赤な口があらわになる。

 同時に、取り込まれた者達の苦痛の声はいよいよ増していった。

 そんな中、アルの声が皆へと響く。


『マスター、音声の再現に成功したヨ。みんなにも届けるネ!』


 そして、流狼の耳にも悲痛な声が響く。

 かすれて涙に濡れた泣き声が、静かに響いた。


 ――タタカッ、テ……ワタシ、ハ……ヘイキ……ミンナヲ、タスケテ、アゲテ。


 かほそく弱々しい声を、歩駆の絶叫が塗り潰す。

 だが、怒りに震えるゴーアルターをフォローしつつ、ピージオンとヴァルクも手出しができない。そして、前門の虎が膠着状態こうちゃくじょうたいを生む中、シファナは後門の狼に挑む。総介はただ、穏やかな笑みをたたえて姫巫女の聖神輿ホーリィアークを出迎えた。

 そして、辛酸業苦しんそうごうくの悲鳴がかなでる交響曲シンフォニーは、第二楽章へと突入する。

 その邪悪な気配を最初に察知したのは、意外な人物だった。


『なに? なんか……ねえ! あんた! お姫様、だっけ? 足元……!』


 ヴァルクのコクピットから、通信回線を伝って神塚美央カミヅカミオの声が響いた。

 先程から世代が喋る度に、その背後から声が聴こえていた。間違いない……神牙シンガのパイロット、美央だ。何故、東埜ヒガシノいちずや神守双葉カミモリフタバではなく、神塚美央がヴァルクに乗っているのか? それはわからないが、彼女の声がシファナを救った。

 突然、堂々と歩くジェネスの影が……波打ち盛り上がるなり、立ち上がったのだ。


『なっ……これは!? 禍々まがまがしい負の力が収斂しゅうれんしてゆく?』


 シファナがジェネスを身構えさせた時には、異様な光景が広がっていた。

 影から出たるは、闇。

 漆黒しっこくられたが、肉薄の距離で手刀しゅとうを振りかぶる。

 空気を切り裂く光が走って、黒いジェネスが手刀を横にいだ。

 咄嗟とっさに避けたジェネスの背後で、ビルが真っ二つに裂けて滑り落ちる。上層階を失ったビルは、あまりに鋭利過ぎる断面が光っていた。

 突如として現れた黒いジェネスに、場の緊張感がさらなる混乱を呼ぶ。

 総介の声だけが、嫌に鮮明に耳元へ伝わってきた。


如何いかがですかな、姫巫女様……民の希望となりて、光あふれる未来をしめすスメルの巫女。しかし、世は清濁併せいだくあわつ欲とエゴの世界。光が強い程、影は色濃くきざまれる。万物陰陽ばんぶついんようことわりは、陽のに満ち満ちた足元へと……陰の氣を凝縮させるが道理!』


 黒いジェネスは、シファナの白いジェネスを下がらせる。

 そして……総介が立つ異形の塊へと手を突っ込んだ。無造作に、血飛沫ちしぶき体液たいえきを撒き散らしながら、漆黒の邪神輿イビルアークが取り出したものは――

 流狼は思わず、目の前の偽ピージオンも忘れて声を張り上げていた。


「あれは……フィリアさんっ! な、なにを……佐々総介っ! なにをする気だ!」

『落ち着いて、マスター! ちゃんと生きてる、まだ息があるヨ』


 黒いジェネスは、模造獣や黄泉獣ヨモツジュウ、イジンに神話生物といった魔物達に取り込まれた中から……生身のフィリアを抉り出した。それを無造作につかんで、自らの中へとみちびく。

 ジェネスでいえばコクピットがある位置へと、フィリアは消えた。

 そして、黒いジェネスは身を震わせるや、鋭い眼光を白いジェネスへと向ける。

 みなぎる暴力の権化ごんげとなった黒い影へと、総介は身も軽く飛び乗った。


御紹介ごしょうかいしよう。これは……ジェネスと対なる神輿みこし。陽の力に満ちた光がジェネスならば、その反作用を集めて凝縮したのがシエルです。陰の力に満ち満ちて、影より暗き闇とならん。さあ、はじめましょうか! ――を!』


 総介の恍惚こうこつは絶頂へと達した。

 彼は広げた両手で天を抱くように、垂れ込める暗雲の空を仰いで叫ぶ。

 しかし、彼の声を銃声が掻き消した。

 そして、絶叫……偽ピージオンが突然、大きくよろけて体液を撒き散らす。

 取り込まれた人達の悲鳴が響き渡り、頬を濡らす礼奈のなみだ血涙けつるいへと変わる。

 流狼は援軍の到着をアルの声で知ったが、躊躇ちゅうちょなく攻撃したことに驚いた。アレックスが得たデータはリジャスト・グリッターズで共有している。では、誰が? それは、見知らぬ機体の接近と、二撃目の発砲で機体識別を表示させた。

 それは、自衛隊の特殊部隊に所属するカスタム機……尾張十式おわりじゅっしきかいだった。

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