第173話「神の奇蹟さえも振り切って」

 一条灯イチジョウアカリは、せる。

 く、いて走る。

 その身を包むは、最新鋭のレヴァンテイン。

 レギンレイヴ……その意味は『』である。

 だが、灯はその言葉に深い意味を見出したりはしない。


「そうよ、神様なんていない……もしいたなら、私は許せそうにないからっ!」


 甲高い駆動音を響かせ、レギンレイヴが森を疾駆しっくする。

 右に左にと、鋭角的なターンを繰り返しながら木々をって駆け抜ける。

 模擬戦プラクティスの相手は、百戦錬磨ひゃくせんれんま幼年兵ようねんへい……エース集団、戦技教導部せんぎきょうどうだんだ。だからこそ、灯たちの今の隊長は奇策に打って出た。乾坤一擲けんこんいってき、相手の意表をついたフラッグ機による吶喊とっかん。フラッグ機を守りながら戦うという、ルールそのものをひっくり返した大勝負だ。

 それを考えたのは、飯田秋人イイダアキトだ。

 その言葉が、今も脳裏を過る。


『スペックを見た限りでは、レギンレイヴは精密狙撃能力は勿論もちろん、優れた機動力と運動性を持っている。今までのヴァルキリーの性能を、一つを除いて完全に凌駕りょうがしているな』


 レギンレイヴには、今まで灯が載ってきたヴァルキリーの戦闘データが移植されている。だからだろうか、酷く肌に馴染なじむ。まるで、以前同様に薄い装甲の全てが、自分の肌に置き換わったかのような錯覚させ覚えた。

 新型機になっても、脆弱な防御能力は変わらない。

 灯はスナイパー、狙撃手だ。

 姿を見せずに全てを射抜く、穿うがつらぬ魔弾の射手ザミエルなのである。


『じゃ、そういう訳で俺が皆と援護する。灯君、突出して相手のフラッグ機と一騎打ちに持ち込んでくれ。……君は、彼女のことを心配しているようだし、それがいい』


 正直、驚いた。

 秋人は、何故なぜ灯が今回の作戦……ウーリ作戦の陽電子砲担当にこだわっているかを知っていた。いな、察していた。それに確信を持ち、共感さえ示してくれた。

 皇国陸軍は基本的に、旧態然とした軍閥化の傾向がある古い組織だ。

 そこから出向してきた秋人が、まさかこんなにも柔軟な考えを持っているとは思わなかった。あとで話せば、藤堂千景トウドウチカゲ皇都スメラギミヤコも少しは心を開くかもしれない。

 だから今は……今だけは、彼を隊長と呼ぼうと決めた。

 部隊の長として、命を預けようと決めたのだが、


『オスカー1? 俺がかい? いや、やめておこう。オスカー1は……あの男はまだ、君たちの中に生きている。なら、そうだな……俺は本来ありえないナンバーでも名乗るさ』


 そして今、秋人の戦術は模擬戦を大きく動かした。

 敵の前衛を突破し、灯は真っ直ぐ相手のフラッグ機へと向かう。

 位置は特定できていないが、すぐに分かる。

 


「――ッ! 初弾から当ててきた! いい腕ね……次は直撃が来るっ!」


 遮蔽物しゃへいぶつの影から影へ、高速で移動する標的への狙撃。それは本来、不可能に近い神業かみわざだ。だが、敵からの射撃がかすかにレギンレイヴをかすめた。

 わずかに装甲をでた程度で、弾丸は飛び去ってゆく。

 そして、すぐに灯は持てる知識と経験の全てを総動員した。

 自分はフラッグ機、撃破判定が出れば敗北が確定する。

 ゆえに、敵は必ず自分へと撃ってくる……そう、撃たせるのだ。どんな狙撃手でも、位置を知られれば移動せざるを得ない。移動後にまた撃たせて、どんどん追い詰める。

 これは、熟練の狙撃手である灯だからできる、敵の腕を信頼した戦いなのだ。


「丘の方、上を取ってる。セオリー通りね」


 予想通りの方角から、次の射撃が襲ってきた。

 今度はえて、その一撃を機体に受ける。

 模擬専用の弱装弾とはいえ、振動と同時にアラートがコクピットを赤く染めた。ダメージを伝えてくるが、まだ撃墜判定は出ていない。

 これで相手は、徐々に狙撃の精度が上がっていると錯覚するはずだ。

 そして、次の狙撃ポイントへと移動する。

 そこに自ら飛び込み、接近戦で灯は勝負を決めるつもりだった。

 だが、そうやすやすと事が運ぶとは思ってもいない。


「上っ、あの子たちの隊長機っ!」

『ッイャッホー! ゴキゲンだぜ、灯先生ぇ! 悪いがこっから先はいかせねえ』

「その声、三年の辰馬タツマ君ね」

正解ビンゴ! はじめまして。そして、さよならだ』


 スラスターを使ったジャンプ飛行で、白いパンツァー・モータロイドが襲い来る。

 アサルトライフルからばらまかれる銃弾を、灯はランダム回避で全て避けた。応戦はできない。こちらが反撃の射撃を撃てば、位置が正確に割り出されてしまうからだ。

 それでも、レッグスライダーをスピン状態にして木陰へと隠れる。

 レギンレイヴの本来の進路上にグレネードが打ち込まれ、森の一角が炎に包まれた。


「戦技教導部部長、五百雀辰馬イオジャクタツマ君。いい腕ね……それに、この音。旧式のPMRパメラとは思えないハイチューンド。そうとうなパワーを絞り出している。そんなことをすれば、操作系の余裕がなくなって」


 幼年兵たちが使ってる教習用の機体は、89式【幻雷げんらい】……ほぼ十年前の機体である。パラレイドとの永久戦争に加えて、多くの動乱を抱えた地球圏では兵器の刷新さっしんが異常に早い。僅かな差でも、よりよい新兵器が投入され、従来の機体が払い下げになるのだ。

 だが、辰馬たちの駆る機体は徹底した改造が施され、まるで別物だ。

 操縦性を犠牲にして、極端に尖った性能をそれぞれに追求されたスペシャルなのである。


『よぉ、灯先生。俺ぁ思うんだがよ……女教師おんなきょうしって読むより、女教師じょきょうしって読んだ方がちょっといやらしくねえか? なんか色っぽい感じだろ』

「セクハラなら間に合ってるわよ、辰馬君。それと、こうして無線で話してても位置を教えるほど先生は優しくないの」

『あっちゃー、バレてる? まあいいか、へへ。フラッグ機が単騎で突っ込んでくるたあ、誰が考えた作戦だい?』

「私たちの隊長、信頼できる仲間よ。……あの人と同じくらいに、ね」


 ちらりと機体の頭部を、大樹の影から覗かせる。

 相手は大型のシールドに、グレネードランチャー付きのアサルトライフル。指揮官機らしく、頭部には通信機能の強化を示すアンテナが増設されていた。

 フレームこそ旧式だが、あそこまで改造を重ねるとすでに原型を留めていない。

 だが、意を決して灯は愛機にむちを入れた。

 レッグスライダーが巻き上げる土埃つちぼこりを引き連れ、再度目標へと走り出す。


『おおっと、れて出てきたかい? こっちだ、かわいこちゃん! んー、美人女教師とのただれた秘密授業……最高かよ、ってね』

「あら、悪いけど先生忙しいの。ボウヤは大人しくしてて頂戴ちょうだいね」

『言うね、先生! 気に入ったぜ……本気でやるかよっ!』


 背後に辰馬の機体、改型壱号機かいがたいちごうきが迫る。

 走破性ならレギンレイヴの方が上だが、ここは木々が密集する森の中だ。直線距離をフル加速で走れない分、レヴァンテインのアドバンテージである高速戦闘を挑むのは無理だ。

 そして、辰馬は最短距離で縦横たてよこを無視し、時には上下のスペースを使って追ってくる。

 

 その究極の答を今、灯は背後に感じていた。


「信じられない操縦センスね。木々の枝やみきも使って、最短ルートで……でもっ」


 その時、敵のフラッグ機から三射目の銃弾が放たれた。

 完全に辰馬の改型壱号機と連携した、見事な狙撃だった。

 当たれば、だが。

 辰馬もただ、がむしゃらに追っている訳ではない。既にもう、灯が自分たちのフラッグ機を……御巫桔梗ミカナギキキョウ改型弐号機かいがたにごうきを狙っていると知っている。だからこそ、桔梗が狙撃しやすい位置以外へ灯が進路を変えることを許さない。

 強烈なプレッシャーは、灯が桔梗への最短ルートを踏み外した瞬間、背後から撃ち抜いてくるだろう。

 見事な連携、阿吽あうんの呼吸。

 だが、それは戦技教導部だけの専売特許ではない。


『さーて、んじゃま……とすぜ? 恨まないでくれよな、先生――ッ!? な、なにーっ!』

『ジャンジャジャーンッ! 騎兵隊きへいたいの到着だーいっ! 灯ちゃん、行って! ここは任されたっ』


 不意に、灯と辰馬の間に翠緑色エメラルドのレヴァンテインが滑り込んできた。

 両手に雌雄一対しゆういっついの刃を握って、左右の連撃で辰馬の改型壱号機からスピードを剥ぎ取った。かろうじてシールドで受けた辰馬が、減速して背後に見えなくなる。

 それは、都の乗るフレイア……あのレナスの発展型である。

 最後に見たレナスは、巨木の太い幹を垂直に駆け上がり、そこから宙返りで斬撃を繰り出していた。この立体的な森林は、都の軽業かるわざが無限に活きる戦場だった。

 二人のやり取りが背後に、急速に遠ざかる。

 それに、もう灯にはわかっていた。

 自分たちの勝ちだと。

 そんなこと、時計を見た時点で決まりきったことなのだった。


『ぐぬーっ、手癖てくせの悪いお嬢ちゃんだな! って、ヤベェ! クソッ、もう時間が! 桔梗っ!』

『あーっ、お嬢ちゃんって言った! こう見えても年上なんだからね!』


 森を抜けると、見渡しのいい平原エリアに出る。

 だが、もう狙撃の銃弾は飛んではこなかった。

 そして、丘を超えればそこに一機のPMRが仰向けに倒れている。機体を寄せてコクピットのハッチを開けると、すぐに灯は飛び降りた。

 その機体は、緑色に塗られた改型弐号機だ。

 側には、まだ銃身の熱した長い長い対物アンチマテリアルライフルが横たわっていた。

 急いで機体に駆け上がり、灯は外側からハッチを強制解放させる。


「桔梗さんっ、平気? さ、早くそこから出ましょう?」


 灯は知っていたのだ。

 リハビリとして、皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこうの青森校区で教師をやれと言われた時、主だった生徒のデータ全てに目を通した。リジャスト・グリッターズの少年少女に加えて、彼ら彼女らが転入するクラスの生徒、そして幼年兵として戦う全ての学年の子供たち……全てを把握しているのだ。

 だから、どうしても勝ちたかった。

 やまいして戦う少女を止めるには、それしかなかったから。


「っ、う……どこから、ですか? どこから、わたくしは」

「正確な射撃だったわ、桔梗さん。正確過ぎて、位置取りが丸わかりだっただけ」

「そう、ですか」


 御巫桔梗は、重いPTSDを患わっている。かつて皇都こうとうだった東京で、パラレイドの襲撃により家族を失ったのだ。消滅する帝都が燃え盛る中……彼女の腕の中で、弟が亡くなったと聞いている。

 彼女自身も、崩落する建物に閉じ込められ、闇の中でのサバイバルをいられた。

 今でも桔梗は、狭い暗所に長時間いることができないのだ。

 そんな彼女は、スナイパー……鋼鉄の棺桶かんおけの中で、息を殺して敵を撃つのが桔梗の仕事なのだ。


「さ、手を」

「す、すみません」

「大丈夫、作戦は私に……私たちに任せて」

「でも……どうして、ですか? 何故、わたくしのためにわざわざ」

「あら、そんなの当たり前じゃない」


 おずおずと伸べられた、桔梗の白い手を握る。そうして引っ張り上げながら、灯はあの人と共有し続けた想いを言葉に乗せた。それは、仲間たちと今も共に背負った、彼女の生き様そのものだから。


「私たちは独立治安維持軍どくりつちあんいじぐん、そして……リジャスト・グリッターズ。戦えない人たちを守って、その人の代わりに戦うのが仕事ですもの」

「そう、ですか……灯さんて、強いんですね」

「ふふ、まさか。最初から強い人間なんていないわ」


 ――ねえ、そうでしょう? シナ……

 最後の一言は、空気を震わせる言の葉をかたどらなかった。

 まだまだ寒い四月の早朝、一つの戦いが終わり……そして、本当の戦いが幕を開けようとしているのだった。

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