第116話「お目覚めシルバー」

 シルバーが目覚めると、そこはコスモフリートの医務室だった。

 しばらく天井を見詰めて、何度かまばたきしてみる。ロボットであるシルバーにとっては、瞳の潤いを守る行為は必要ない。備わった肉体の機能ではなく、人間らしくあるためにプログラミングされたものだろう。

 それを今、シルバーはわかるのだ。

 あの激戦のさなか、その理由も知ってしまった気がした。


「私には、がいたんだ。それで、そっくりに私が造られた……のかな?」


 ベッドに身を起こして、全身の機能を確かめる。

 どこにもダメージはないし、自分の中におかしなデータログはない。同時に、あの時に確かに見聞きしたヴィジョンは鮮明に覚えていた。

 見上げる闇に地球を浮かべた、そこはどこだろう?

 あの、御堂刹那ミドウセツナにそっくりな大人の女性は、誰?

 そして、あの懐かしさを感じる男性の正体は?

 なにもわからない。

 ただ、はっきりしていることが一つだけある。


「私の中に、そのわたしがいる、かもしれない」


 あの時、シルバーはサンダー・チャイルドでエークスの首都を守ろうとした。

 ジェネシードの三銃士、エンターの猛攻から町を救おうと試みた。だが、超弩級ちょうどきゅうのサンダー・チャイルドすら子供に見える、相手の圧倒的な質量と火力が立ちはだかった。

 絶望的な戦闘の中でシルバーは、不思議なヴィジョンと共に真実を知った。

 サンダー・チャイルドの眠れる縮退炉ブラックホール・エンジンが覚醒し、隠された力が発揮されたのだ。

 それをうながしたのがパナセア粒子というのも、謎といえば謎である。

 ぼんやりと窓の外を見れば、遠くに元の姿に戻ったサンダー・チャイルドが立ち尽くしていた。その周囲ではすでに、復興作業が始まっている。


「あら、目が覚めたのね。どう? なにか自分におかしなところはない?」


 カーテンがレールを走る音が響いて、白衣の女性が現れた。

 この感の船医である、パウリーネ・ブレーメンである。

 彼女の柔和にゅうわな笑みは、どこか先日の夢を彷彿ほうふつとさせた。

 そう、夢だ。

 戦闘中に見た、それはまるで白昼夢。その中では、刹那にそっくりな女性が微笑んでいた。まるで母親のようだと感じたし、その夢の中では自分にも母親がいると思えた。

 それは、此処ここではない時……今ではない場所。

 未来の想い出とでもいうのか、それとも忘却の彼岸ひがんか。

 だが、そんな難しいことはシルバーにはわからなかった。


「んと、ふつー、かな? 変なとこはないし、健康そのものです!」

「そう、元気があってよかったわ。運び込まれた時は、なにしろ、その……困ったのよ」


 フフフと笑うバウリーネの苦労たるや、察するにあまりある。

 シルバーはロボット、アンドロイドとも言える存在なのだ。片腕の人工皮膚が失われていて、そこだけ銀腕が金属の光沢を剥き出しにしている。しかし、それ以外はどこにでもいる普通の女の子だ。

 みんなと食事もするし、お酒も飲む。

 だが、その中身に関してはブラックボックスだ。

 調べさせてほしいと申し出る者は何人かいたが、すべて丁重にお断りしている。そのうえで、このリジャスト・グリッターズの仲間達はちゃんと人間として扱ってくれる。

 それはバウリーネも同じなのだが、彼女は「ああ、そうだわ」と手を叩いた。


「シルバー、あなたにはどういった治療がいいかわからないわ。ただ、飲食が可能である点から……投薬も一定の効果が見込めると思うの。いいかしら?」

「えっと、お薬? 苦いのはやだなあ」

「大丈夫よ、苦い味はしないわ」


 一度カーテンの向こうへと、バウリーネは消える。

 だが、予め用意してあった治療器具を持ってすぐに戻ってきた。


「だって、注射だもの」


 ニコリといい笑顔。

 なーんだ、それじゃ苦くないね……などと思ったが、次の瞬間にシルバーは「げげっ!」と声を上げてしまった。

 注射が好きな人間というのは、これはあらゆる世界や時代で少数派だろう。

 薬物中毒の人だって、摂取の方法が注射なだけで、注射自体が好きな訳ではない。


「ま、待って、バウリーネ! あのね……ちょっと、注射は」

「気持ちはわかるわ、シルバー。でも、ただの栄養剤よ? いつか大きな怪我や病気になって、その時緊急で注射が必要になる前に……確かめておきたいのもあるの」

「そ、そう? えっと、ほら、うーん……ごめんなさいっ!」


 シルバーはベッドから飛び起きた。

 そのままササッと床の上を転がり、うようにして出口に走る。

 注射は我慢できる、でも我慢したいかどうかは別の話だ。

 そして、なんでこんなに焦っているかもすぐにわかった。この医務室はいつも、落ち着かなかった。それは、あの時に見たヴィジョンのせいだ。とても清潔で白く統一された密閉世界……地球を見上げるあの場所は、清浄な息苦しさに満ちていた気もする。

 シルバーはダッシュで医務室を出る。

 ちょうどその時、廊下を歩いていた大人達にぶつかってしまった。


「あたっ! ……うう、ごめんなさい」


 まるで筋肉の壁にぶつかったみたいだ。

 相手はビクともしなかったが、反動でシルバーは床に転がってしまう。

 起き上がろうとした鼻先に、静かに手が差し伸べられた。


「大丈夫かな? お嬢ちゃん。酷い格好だ、リジャスト・グリッターズには食料や医薬品の他に衣類も補給した方が良さそうだな」


 壮年の男が、いかつい表情を僅かに和らげていた。

 片膝を突いて、目線の高さを合わせてくれる。軍服姿で、その階級は恐らく佐官クラスだろう。本来ならば、シルバーのような一兵卒いっぺいそつとはあまり関わりのない人物である。

 だが、彼は気取った様子もなくシルバーの手を取り、立たせてくれた。

 その時に気付いたのだが、先程目を覚ましたシルバーは下着姿だった。

 隣の東堂清次郎トウドウセイジロウもほがらかな笑みを向けてくる。


「おやおや、シルバー君。女の子がいかんな……風邪を引いてしまう」

「あ、東堂司令! ごめん、なさい。服、着てなかったみたい」


 シルバーは、この部隊では他のパイロットと同じ人間扱いだ。それを望んだ彼女は、口で言うより早く周囲にそう接されていたのだった。それは、暗黒大陸のニッポンから一緒のブレイや、ヘルパーズの面々も一緒である。

 清次郎は「こちらが先程話していたシルバーです」と、目の前の軍人に紹介してくれた。


「おお、では君があの巨大な戦艦の……サンダー・チャイルドの艦長なのかね」

「あー、えっと、艦長というのではないけど、私が動かしてるよ」

「私はドルテ・クローニン大佐だ。よろしく、シルバー君」


 再び手が差し出されたので、握手に応じる。

 とても大きな手で、温かかった。

 そして、シルバーの地金が剥き出しになった腕を見ても動じない。


「お礼を言わせてほしい、シルバー君。首都を守ってくれて、本当にありがとう」

「あっ、いえいえ! ととと、とんでもないです、ハイ」

「報告にあったジェネシード……恐るべき敵だ。そして、魔人佐々総介サッサソウスケ。我がエークス軍の内部にも、彼の甘言に踊らされた幹部が少なからず摘発された」

佐助サスケのお父さん、なんか凄いもんね。でも、あんまし気にしないほうがいいよ?」


 恐らく護衛でついてるであろう、篠原亮司シノハラリョウジが無言で「あっ」という顔をした。

 それくらい、シルバーはフランクに握手したまま笑う。

 彼女には、ドルテが実質的な首都防衛の責任者である自覚がなかったのだ。だが、後から知る……リジャスト・グリッターズとの停戦から、双方の武装解除、そして被害と諸問題の全責任を彼は自ら背負ったと。

 ドルテは、誰もが嫌がる一連の武力衝突の、その全ての責を引き受けるつもりなのだ。

 だが、シルバーに向けられる笑顔は不思議と穏やかだ。


「先程、東堂司令と互いに停戦合意を確認し合った。エークス側からも、最低限の補給を融通し、機体の修理にも資材や人員を集うしよう。勿論もちろん、君のサンダー・チャイルドにも」

「あっ、それ助かる! ありがと、大佐さん!」

「また、エークス軍から正式に、バルト・イワンド大尉以下四名をリジャスト・グリッターズに出向させる。引き続き、よろしく頼みたい」

「もっちろん! 任せて、バルト隊長には私も助けられてるし」


 いちいち頭が痛いのか、亮司はとうとう顔を手で覆ってしまった。彼は職業軍人ゆえに、シルバーのドルテに対する応対が無礼に見えてしかたないのだ。

 だが、シルバーは不意に鼻がむずがゆくなり、次いで小さなくしゃみを一つ。


「おやおや、すまないな。立ち話で引き止めてしまった。さ、戻って服を着るといい」

「そうするー、くしゅん! ふあ……でも、注射は嫌だなあ」


 最後にドルテは、ポンとシルバーの髪をでて、清次郎や亮司と一緒に行ってしまった。その背中を見送っていたら、深刻な声音が先程とはまるで別物だ。

 あのヴィジョンで見た、白衣の男の声にドルテは似ていた。

 声色や声質ではない、優しげな雰囲気が重なって聴こえるのだ。

 だが、今の彼は軍人として厳格な声音を作っている。


「東堂司令、やはり国連の出頭要請に応じるのですか。こちらの世界では、国連はほぼ機能していません。宇宙ではルナリアンの決起を招き、世界全土のイジンや擬態獣イミテイト等に対しても後手に回っています」

「我々は善意を前提に動く超法規的独立部隊ちょうほうきてきどくりつぶたいです。ゆえに、身のあかしを立てるためにも無視はできません。敵ではないことをわかってもらうために、言葉を尽くすことも必要でしょう」

「……話し合いで済めばいいのですが。我がエークスも、できる限り公の場での擁護や支援を約束します」

「いたみいります、ドルテ大佐」


 大人達は難しい話を連鎖させて、行ってしまった。

 そして、またシルバーはくしゃみが出る。


「うー、なんか着よ……注射は、うん、もう少しだけ我慢するのを我慢してみよ。ヤだし」


 とぼとぼと医務室に戻るが、その先には笑顔のバウリーネが待っていた。先程の一部始終を見ていたらしく、目上の大人日する態度も含めて、小一時間みっちりと説教が待っていた。

 不幸中の幸いは、礼儀と礼節を叩き込まれるのと引き換えに、注射をまぬがれたことだった。

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