第126話「蝕む闇、苛む恐怖」

 リジャスト・グリッターズの艦隊は、無事に欧州へと入った。

 途中、黒海にて謎の敵と遭遇したが、若き少年少女の活躍によってこれを突破。すでにもう、国連本部があるフランスのパリは、目と鼻の先である。

 だが、ナオト・オウレンは焦燥感しょうそうかんくゆらせていた。

 トレーニングルームで汗を流しても、胸中を覆う黒いきりは晴れない。


「くっ……機体の修理は終わっている。なのに、それなのに……何故なぜですか、バルト大尉」


 ベンチプレスで筋肉をいじめ抜き、限界へと追い詰めてゆく。それでどうにか、悩みを忘れようとナオトは足掻あがいていた。だが、疲労が蓄積する程に、かかえたものは膨れ上がってゆく。

 やまいにも似た重い感情を、ナオトは知っていた。

 それは、恐怖だ。

 前回の作戦で、目の前に現れた謎の黒いトール。その圧倒的な力を思い出すと、震えが込み上げる。トール四号機のリミッターをカットしても、全く歯が立たなかった。


「自分は、怖いんだ……それを見抜いたから、バルト大尉は。クソッ!」


 中破したトール四号機の修理は、完了している。

 だが、ナオトは哨戒任務しょうかいにんむのローテーションから外されてしまった。事実上の出撃禁止命令である。その判断を下したのは、バルト・イワンドだった。

 名誉挽回めいよばんかいのチャンスは、やってはこない。

 そして、仮に戦う機会が得られたら、自分は勝てるだろうか?

 無期限待機命令むきげんたいきにんむに、どこかホッとしている自分に気付いてしまったのだ。

 そのことが一番腹ただしく、情けない。

 戦わなくてもいい正当な理由が、免罪符めんざいふとして押し付けられているのだ。


「よぉ、少尉さん……精が出るじゃねえか。けど、オーバーワークはいけねえぜ」


 ふと気付けば、逆さまに自分を覗き込む顔があった。

 確か、ゲルバニアンの地下採掘都市から来たという、天原旭アマハラアサヒだ。謎のドリルロボ、虎珠皇こじゅおうを操る不屈の戦士である。

 そう、戦士……短い時間で背中を預け合ううちに、ナオトは直感で察していた。

 旭が背負う、数奇な運命……逃げることの叶わぬ宿業しゅくごうの数々。

 だが、平時の彼は酷く穏やかで、子供たちにも慕われている。


「天原さん……自分は」

「おいおい、よせやい。旭でいい」

「はあ……旭さん」

「少し休んで水分でも取りな。筋肉に大事なのは、過負荷と回復、休息だ」


 ベンチプレスを台座に固定して、ナオトは起き上がる。

 どうやら旭も、空いた時間で汗を流しに来たようである。彼は各種ドリンクが備え付けられたサーバから、コップにスポーツドリンクを持ってきてくれた。

 冷たいドリンクをのどの奥へと流し込めば、尖った気持ちがわずかに和らぐ。


「ありがとうございます、旭さん」

「さん、は余計だが、まあいい……少尉さんもあんましこんを詰めるなよな。潰れちまうぜ」

「どうか自分のことも、ナオトと。どうしても、やることがないと焦ってしまって」

「例の出撃禁止の話か……」


 こういう時、気を使って慰めの言葉を口にしない、それが旭という男だ。ナオトはそれが、なによりのいたわりに感じられる。

 みじめな劣等感れっとうかんに負けそうな自分に、甘えた優しさは危険だ。

 軍人として鍛えられたナオトには、不用意な安らぎは必要ない。

 自分の戦技と心の問題であり、一人前の軍人として自分で現状を打破する必要がある。それを察しているからこそ、旭も特別に気遣きづかう素振りを見せないのだ。


「……旭さんは、戦いが怖いことがありますか?」

「ああ? 俺がか?」

「す、すみません。ただ、自分は今……怖いんです。黒いトールも、それに負けた自分も」

「自分で言っちゃうかねえ……素直でいいじゃねえか」


 旭はルームランナーを選ぶと、テレビを付けてから走り出す。

 トレーニングルームの隅で、大きな液晶画面にニュース番組が映った。既に欧州の放送が受信できているようである。

 ナオトも旭の隣で、ルームランナーの速度を最大に設定して駆け出した。

 そして、意外な言葉を聴く。


「自分を弱いと思うか? ナオト。お前さんは、負けた」

「……自分は、弱いです。チームの一員として、前衛を任されながら」

「まあ、そうだな」

「今も、あの黒いトールのことを思い出すと」


 自分の手を、じっと見る。

 鮮烈な記憶は心の奥底に刻まれ、今も傷となって出血しているのだ。その痛みは、んで魂を腐らせようとしている。

 たまらなく、怖い。

 思い出すだけでも、手が震える。

 手の平の中に握り潰しても、震えは止まらないのだ。

 だが、そんなナオトを横目に、旭は飄々ひょうひょうとした態度を崩さない。


「さっきの答えな、その……俺が戦いが怖いかという話だ」

「は、はい」

「怖ぇよ。恐ろしい。ケツをまくって逃げたくなるさ」

「へ? え、いや、だって旭さんは」

「俺ぁ、炭鉱夫だ。仲間がいて、家族がいて、毎日岩を叩いて石を掘る。の差さねえ街でも、故郷ふるさとだからな……住めばみやこのいい場所だったさ」


 だが、それは永遠に失われてしまった。

 もう二度と、戻っては来ない。

 唯一生き残った旭の経緯を、ナオトは聞いている。復讐を誓うも謎の技術で異形に身をやつし、その中で不思議な力を手に入れた。DLRと呼ばれる謎の物質は、まだまだ人類が解析できぬ謎をはらんでいる。

 その神秘に触れた時……旭の本当の戦いが始まったのだ。

 そんな旭が、戦いを怖いという。


「ナオト、野生の虎は恐怖を感じると思うか?」

「……本能的な危機感を嗅ぎ分ける、そういう能力はあると思います」

「そうさ、鼻が利く。肌で感じるんだよ……そして、野生の動物は自分が怖いと思った時、絶対に戦おうとしねえ。逃げるんだな」

「それは、そうでしょうね……でも、旭さん。貴方あなたは逃げていない」

「一応、人間様だからな。それでも、怖いと思う気持ちを忘れたことがない」

「意外です」


 同じ場所でルームランナーの上を、ナオトは走る。

 旭も僅かにペースを上げ、両者は全力疾走に近い形で並んだ。

 戦いが、怖い……不思議な感情だ。実は、ナオトは戦いに恐怖を感じたことはない。そう、あの黒いトールに蹂躙じゅうりんされるまで、完璧な兵士として機能していたのだ。

 ナオトには、過去の記憶がない。

 あるのは、身に染み付いた戦うすべだけだ。

 それが、恐怖という名の劇薬で機能不全におちいっている。厳しい訓練で体得した戦技だけが、ナオトが自分を実感できる財産なのだ。それがもう、使えない。


「人間様は、動物とはちょいと違うからな……まず、怖さを知る。それを恐れる自分の弱さを知る。そして……

「旭さん……」

「ああ? おい、なんで意外そうな顔してんだ。俺がサルかゴリラに見えてんのか?」

「い、いえっ! ただ……弱さを知って、強くなる。全くなかった発想です」

「そりゃ、ちょいと頭が硬いぜ? お坊ちゃん」


 弱さはナオトにとって、ただ弱さでしかなかった。

 潰すべき弱点であり、取り除くべき障害、不確定要素と言えた。

 だが、今のナオトは力の全てが弱さになってしまった。まるでリミッターがかかった愛機トール四号機のようだ。そう、リミッターを解除してMNCSマナクスの力を解放すると、ナオトは自由な自分の肉体を得られるのだ。

 今はもう、相棒とさえ言えるトール四号機すらも怖い。

 自分にかかった恐怖という名のリミッターは、目に見えないかせとなって心身を苛む。

 それなのに、旭の言葉が不思議と胸に染みて心地よかった。


「忘れるなよ、ナオト。弱さを知って、そこからどうするかは人の意志の力だ。気合とか根性とかいうがな、別に怖けりゃ逃げたっていい」

「でも、そうはいきません。自分は軍人ですから」

「なら、その弱さも、怖さも恐れも、全部抱えて走れ。頭で考えて、胸の奥に問えばわかるってもんよ。お前がどうするか、なにを選ぶかは……お前の意思が全て決めるんだ」


 それだけ言ってペースを落とし、旭はルームランナーから降りる。

 かれは「じゃあな」と言って、バーベルやダンベルの方へと行ってしまった。

 ルームランナーを停止させて、ナオトはその背を見送り一礼する。

 最後に一度だけ、旭は肩越しに振り返った。


「あと、根を詰め過ぎるのはやめとけ。息抜きも必要さ。食堂に顔を出してみろ」

「食堂に? で、ありますか」

「なんつったか? こないだ、アイドルのお嬢ちゃんを拾ったろ。今、このコスモフリートに乗せられちまった難民たちに、コンサートをやってんだよ」

「はあ、しかし自分は」

「まあ、気晴らしだ。どうせひまだろ、お前さん」

「グッ! ……返す言葉もないです。確かに」

「バルト大尉がお前を外したってことはな、暇をやるから少し考えろってことだと思うぜ? 羽根を伸ばすのもいいし、休むのも兵隊さんの仕事だろう」


 確かに今、ナオトに任務はない。

 欧州に入って、警戒態勢もぐんと下がっていた。定期パトロール以外に任務はなく、この手の仕事は空戦をメインに戦う機体のパイロットたちの独壇場どくだんじょうである。

 ようやくリジャスト・グリッターズは、戦いの連続から解き放たれつつあった。

 欧州は比較的平和で、まだ模造獣イミテイターやイジンといったバケモノの目撃例も少ない。

 だが、何故かナオトには予感があった。

 先日の黒いトール、その驚異と比べても遜色のない敵が待っている。

 根拠はないが、そう感じるのだ。


「……いけない、また深刻に考えてしまった! 自分は、本当に……けど、そうかもしれない。なにかを探せ……バルト大尉、自分は」


 自問自答するも、心の中のバルトはなにも言ってはくれない。

 とりあえずタオルで汗を拭いて、ナオトはシャワールームへと向かった。汗を洗い流してから、旭が言う通り食堂へと顔を出してみようと思ったのだ。

 難民たちはストレスが溜まって、部隊の悩みの種でもある。

 だが、彼等のような力なき者こそが、軍人としてナオトが守るべき人々なのだ。それを再確認することから始めようと、ナオトは目に見えぬ闇の中で手探りの模索を再開させるのだった。

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