第126話「蝕む闇、苛む恐怖」
リジャスト・グリッターズの艦隊は、無事に欧州へと入った。
途中、黒海にて謎の敵と遭遇したが、若き少年少女の活躍によってこれを突破。
だが、ナオト・オウレンは
トレーニングルームで汗を流しても、胸中を覆う黒い
「くっ……機体の修理は終わっている。なのに、それなのに……
ベンチプレスで筋肉をいじめ抜き、限界へと追い詰めてゆく。それでどうにか、悩みを忘れようとナオトは
それは、恐怖だ。
前回の作戦で、目の前に現れた謎の黒いトール。その圧倒的な力を思い出すと、震えが込み上げる。トール四号機のリミッターをカットしても、全く歯が立たなかった。
「自分は、怖いんだ……それを見抜いたから、バルト大尉は。クソッ!」
中破したトール四号機の修理は、完了している。
だが、ナオトは
そして、仮に戦う機会が得られたら、自分は勝てるだろうか?
そのことが一番腹ただしく、情けない。
戦わなくてもいい正当な理由が、
「よぉ、少尉さん……精が出るじゃねえか。けど、オーバーワークはいけねえぜ」
ふと気付けば、逆さまに自分を覗き込む顔があった。
確か、ゲルバニアンの地下採掘都市から来たという、
そう、戦士……短い時間で背中を預け合ううちに、ナオトは直感で察していた。
旭が背負う、数奇な運命……逃げることの叶わぬ
だが、平時の彼は酷く穏やかで、子供たちにも慕われている。
「天原さん……自分は」
「おいおい、よせやい。旭でいい」
「はあ……旭さん」
「少し休んで水分でも取りな。筋肉に大事なのは、過負荷と回復、休息だ」
ベンチプレスを台座に固定して、ナオトは起き上がる。
どうやら旭も、空いた時間で汗を流しに来たようである。彼は各種ドリンクが備え付けられたサーバから、コップにスポーツドリンクを持ってきてくれた。
冷たいドリンクを
「ありがとうございます、旭さん」
「さん、は余計だが、まあいい……少尉さんもあんまし
「どうか自分のことも、ナオトと。どうしても、やることがないと焦ってしまって」
「例の出撃禁止の話か……」
こういう時、気を使って慰めの言葉を口にしない、それが旭という男だ。ナオトはそれが、なによりのいたわりに感じられる。
軍人として鍛えられたナオトには、不用意な安らぎは必要ない。
自分の戦技と心の問題であり、一人前の軍人として自分で現状を打破する必要がある。それを察しているからこそ、旭も特別に
「……旭さんは、戦いが怖いことがありますか?」
「ああ? 俺がか?」
「す、すみません。ただ、自分は今……怖いんです。黒いトールも、それに負けた自分も」
「自分で言っちゃうかねえ……素直でいいじゃねえか」
旭はルームランナーを選ぶと、テレビを付けてから走り出す。
トレーニングルームの隅で、大きな液晶画面にニュース番組が映った。既に欧州の放送が受信できているようである。
ナオトも旭の隣で、ルームランナーの速度を最大に設定して駆け出した。
そして、意外な言葉を聴く。
「自分を弱いと思うか? ナオト。お前さんは、負けた」
「……自分は、弱いです。チームの一員として、前衛を任されながら」
「まあ、そうだな」
「今も、あの黒いトールのことを思い出すと」
自分の手を、じっと見る。
鮮烈な記憶は心の奥底に刻まれ、今も傷となって出血しているのだ。その痛みは、
たまらなく、怖い。
思い出すだけでも、手が震える。
手の平の中に握り潰しても、震えは止まらないのだ。
だが、そんなナオトを横目に、旭は
「さっきの答えな、その……俺が戦いが怖いかという話だ」
「は、はい」
「怖ぇよ。恐ろしい。ケツをまくって逃げたくなるさ」
「へ? え、いや、だって旭さんは」
「俺ぁ、炭鉱夫だ。仲間がいて、家族がいて、毎日岩を叩いて石を掘る。
だが、それは永遠に失われてしまった。
もう二度と、戻っては来ない。
唯一生き残った旭の経緯を、ナオトは聞いている。復讐を誓うも謎の技術で異形に身をやつし、その中で不思議な力を手に入れた。DLRと呼ばれる謎の物質は、まだまだ人類が解析できぬ謎をはらんでいる。
その神秘に触れた時……旭の本当の戦いが始まったのだ。
そんな旭が、戦いを怖いという。
「ナオト、野生の虎は恐怖を感じると思うか?」
「……本能的な危機感を嗅ぎ分ける、そういう能力はあると思います」
「そうさ、鼻が利く。肌で感じるんだよ……そして、野生の動物は自分が怖いと思った時、絶対に戦おうとしねえ。逃げるんだな」
「それは、そうでしょうね……でも、旭さん。
「一応、人間様だからな。それでも、怖いと思う気持ちを忘れたことがない」
「意外です」
同じ場所でルームランナーの上を、ナオトは走る。
旭も僅かにペースを上げ、両者は全力疾走に近い形で並んだ。
戦いが、怖い……不思議な感情だ。実は、ナオトは戦いに恐怖を感じたことはない。そう、あの黒いトールに
ナオトには、過去の記憶がない。
あるのは、身に染み付いた戦う
それが、恐怖という名の劇薬で機能不全に
「人間様は、動物とはちょいと違うからな……まず、怖さを知る。それを恐れる自分の弱さを知る。そして……弱さを知るからこそ、強くなれるのさ」
「旭さん……」
「ああ? おい、なんで意外そうな顔してんだ。俺がサルかゴリラに見えてんのか?」
「い、いえっ! ただ……弱さを知って、強くなる。全くなかった発想です」
「そりゃ、ちょいと頭が硬いぜ? お坊ちゃん」
弱さはナオトにとって、ただ弱さでしかなかった。
潰すべき弱点であり、取り除くべき障害、不確定要素と言えた。
だが、今のナオトは力の全てが弱さになってしまった。まるでリミッターがかかった愛機トール四号機のようだ。そう、リミッターを解除して
今はもう、相棒とさえ言えるトール四号機すらも怖い。
自分にかかった恐怖という名のリミッターは、目に見えない
それなのに、旭の言葉が不思議と胸に染みて心地よかった。
「忘れるなよ、ナオト。弱さを知って、そこからどうするかは人の意志の力だ。気合とか根性とかいうがな、別に怖けりゃ逃げたっていい」
「でも、そうはいきません。自分は軍人ですから」
「なら、その弱さも、怖さも恐れも、全部抱えて走れ。頭で考えて、胸の奥に問えばわかるってもんよ。お前がどうするか、なにを選ぶかは……お前の意思が全て決めるんだ」
それだけ言ってペースを落とし、旭はルームランナーから降りる。
かれは「じゃあな」と言って、バーベルやダンベルの方へと行ってしまった。
ルームランナーを停止させて、ナオトはその背を見送り一礼する。
最後に一度だけ、旭は肩越しに振り返った。
「あと、根を詰め過ぎるのはやめとけ。息抜きも必要さ。食堂に顔を出してみろ」
「食堂に? で、ありますか」
「なんつったか? こないだ、アイドルのお嬢ちゃんを拾ったろ。今、このコスモフリートに乗せられちまった難民たちに、コンサートをやってんだよ」
「はあ、しかし自分は」
「まあ、気晴らしだ。どうせ
「グッ! ……返す言葉もないです。確かに」
「バルト大尉がお前を外したってことはな、暇をやるから少し考えろってことだと思うぜ? 羽根を伸ばすのもいいし、休むのも兵隊さんの仕事だろう」
確かに今、ナオトに任務はない。
欧州に入って、警戒態勢もぐんと下がっていた。定期パトロール以外に任務はなく、この手の仕事は空戦をメインに戦う機体のパイロットたちの
ようやくリジャスト・グリッターズは、戦いの連続から解き放たれつつあった。
欧州は比較的平和で、まだ
だが、何故かナオトには予感があった。
先日の黒いトール、その驚異と比べても遜色のない敵が待っている。
根拠はないが、そう感じるのだ。
「……いけない、また深刻に考えてしまった! 自分は、本当に……けど、そうかもしれない。なにかを探せ……バルト大尉、自分は」
自問自答するも、心の中のバルトはなにも言ってはくれない。
とりあえずタオルで汗を拭いて、ナオトはシャワールームへと向かった。汗を洗い流してから、旭が言う通り食堂へと顔を出してみようと思ったのだ。
難民たちはストレスが溜まって、部隊の悩みの種でもある。
だが、彼等のような力なき者こそが、軍人としてナオトが守るべき人々なのだ。それを再確認することから始めようと、ナオトは目に見えぬ闇の中で手探りの模索を再開させるのだった。
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