第6話 誘われても必死に食事から逃げたい麗。日向先生の登場。
その魂胆がいきなり、麗に向かって矢を放った。
高橋麻央が猫なで声。
「ねえ、麗君、今夜の予定はあるの?」
三井芳香は、その高橋麻央の猫なで声に、ふきだしている。
麗は、即答。
「ありません、とにかく、ここの研究室でのことが片付いたら、そのままアパートに戻ります、それだけです」
ただ、麗の「そのままアパートに戻る」は、やや正確ではない。
「帰りがけに近くのコンビニで弁当を買う」が抜けているけれど、それは答える必要などないと思うので、省略している。
また、麗は朝食を食べず、昼も自分のアパートで淹れた水筒の珈琲を飲むだけなので、実質的に、一日一食生活となっている。
その麗の顔を三井芳香がのぞき込む。
「ねえ、麗君、この後ね、先生とお食事会なの」
「だからね、仮に麗君の予定がなければ、ご一緒にどうかなあと」
麗は、また焦った。
そして、目の前の女性二人の意図を怪しむ。
「いきなり連れ込んで、宿題の話も済んでいないのに、それは何?」
「いくらなんでも、ほぼ初対面ではないか、ありえない、特に三井嬢はさっき会ったばかり、源氏物語研究の権威というお偉いさんも、今名前を聞いたばかりだ」
「それに、ここで俺が、『はい、ありがとうございます。ご相伴します』なんて言ったら、実にあつかましいと馬鹿にされるのが定番ではないか」
麗は、焦っていたけれど、少し腹も立ってきた。
「そんな予定があるんだったら、何故、俺を直前に連れ込む?」
「別に今日でなくてもいいだろう、来週でもかまわないだろう」
「よく知らない人たちの仲に混じって、食べ慣れない食事を、生返事をしながら食べるなんて、食べた気がしない」
「よほどコンビニ弁当を一人で食べるほうが、落ち着くというものだ」
その腹立ちもあり、麗は「ご遠慮させていただきます」を、それでもできるだけ、穏便に告げようと決めた。
そして、気持ちが固まれば、これで案外行動は早い。
また、麗の言葉は「お付き合いお断り」の時は、特になめらかになる。
「あの、今日のところは、あまりにも突然ということで、ご遠慮させていただきます」
「お食事のお誘いは、お気持ちだけということで、ありがたく承っておきます」
麗がそこまで「なめらかに」答え、心中ガッツポーズをした時だった。
ノックの音に続いて、古典研究室のドアが開いた。
そして、初老の上品な紳士が入ってきた。
高橋麻央が、小走りにその紳士に歩み寄り、頭を下げる。
「日向先生、連れてきました」
麗はこの時点で、その上品な紳士を「源氏物語の権威、日向先生」と推測する。
そして「身分違い、住む世界が違う」と思うので、全く動けなくなった。
麗は、ほぼ、ソファに座るだけの「置き石状態」になっている。
三井芳香も日向先生に深く頭を下げる。
「日向先生、本日は楽しみにしています」
麗は、この女性二人の反応で、「俺がなめらかに言った遠慮発言が、お偉い先生の登場で、吹き飛んでしまった」と理解するけれど、何しろ置き石なので何もできない。
その日向先生が、口を開いた。
「ああ、三井さん、こちらもよろしくお願いいたします」
日向先生は、三井嬢には軽く笑顔のみ。
そのまま麗を見る。
「それから、この子ですね?」
「ありがとう、連れてきてくれたのですね、それは本当にありがとうございます」
麗は、その柔らかで、丁寧な話しぶりに、心臓がバクバクしているけれど、いつまでも固まってばかりではいられない。
「お食事」は一旦「ご遠慮」したことは事実なので、源氏物語の課題に関することを手早く済ませ、脱兎のように帰りたいのが本音。
その本音に基づき、麗は置き石から懸命に脱却。
立ち上がって、深くお辞儀。
「沢田麗と申します、ご高名な日向先生にお目にかかり、実に光栄に存じます」
ほぼ定例の口上であるけれど、慎重に言葉を続けた。
そして顔をあげた麗に日向先生は、柔らかな笑顔。
「はい、私が日向です」
「それから、麗君、私たちの方で、沢田君をお呼びしたのです、そこまでかしこまらなくても、かまいません」
日向先生は、その柔らかな笑顔のまま、麗を見つめている。
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