第200話麗は自由を求め、隠れ家を発見する。

四限目の授業を終えた麗は、少し帰宅をためらった。

その理由は、アパートに戻れば、お世話係の直美がいること。

直美に対して嫌悪感を持つわけではない。

何しろ、今まではなかった違和感を感じているのである。


「自由気ままに暮らしていたのに」

「田舎の家では、苦労の連続だった」

「毎日のように顔を見れば暴力を振るって来る宗雄」

「ただ泣くだけ頼りにならない奈々子」

「それに大騒ぎするだけの蘭」

「それから、ようやく解放されたのに、また人か」

「他人のご機嫌を取るのも疲れる」

「そもそも寝る時まで、一緒って何だ」


麗は、最寄の久我山駅について、珍しく喫茶店を探す。

「田舎じゃないから、喫茶店ぐらいはあるはず」

「できれば、まともな喫茶店がいいけれど」


幸運なことに、久しぶりに歩いたアパートへ向かう道とは反対方向の道沿いに、それらしき店を発見、そのまま店に入る。

中年の店員の挨拶も、落ち着きのある「いらっしゃいませ」

田舎の喫茶店の、ただ若く明るいだけ、歯をむき出しにしたような品のない挨拶とは異なる。


「ふう・・・良かった、落ち着いた店だ」

麗はサイフォンが並ぶカウンター席に座った。

その奥では、白ワイシャツに蝶ネクタイをつけた中年の男性が珈琲豆を挽いている。


「あの豆は、おそらくホンジュラス」

「優美な香り、ドライフルーツのような風味と酸味」


また、珈琲豆を入れた缶も数多い。

麗は、ここでも落ち着いた。

「帰りづらい時、少しここで気持を落ち着けるのもいいかもしれない」


注文を尋ねられたので、コロンビアと頼む。

白ワイシャツ蝶ネクタイ男の動きも無駄がない。

コロンビア豆を挽き、その甘くまろやかな香りが、カウンター席の麗にも漂って来る。


実際、コロンビア珈琲は美味しかった。

「他人に淹れてもらった珈琲は美味しいと言うけれど」

「俺が淹れるより美味しい」

「俺の淹れ方は、フレンチプレスで、誰でもほとんど同じ味になるけれど」


麗はメニューも見る。

「珈琲と紅茶の種類が多い」

「食事メニューはサンドイッチのみ、これは感心する」

「ケーキはチーズケーキとチョコレートケーキだけ」

「このシンプルさがいい」


麗は、喫茶店でも、食事の種類が多い店は好きではない。

「食事のメニューを増やすなら、喫茶店を名乗るべきではない」

「パスタやピザを出すと、その匂いが店内に充満する」

「結果的に、珈琲の香りの邪魔になる」

「それに食事を出すと、それにつられて食事のために来店する客が多くなって」

「口の中に食い物を入れて、しゃべるから、騒がしくて仕方がない」

「そして、自分たちだけが騒ぎたくて、周囲の静けさを求める客なんて無関心」


麗は、メニューを見ていて、珈琲豆の小売りの記載を発見。

これにも、ありがたく思う。

「吉祥寺まで買いに行かなくてもよくなった」

「まさか、直美に買いに行かせるのも、迷子になっても困る」

「ここで買えれば、ここで良し」


コロンビア珈琲を飲み終えた麗は、支払いの際に、コロンビア豆とホンジュラス豆を200グラムずつ、豆を入れる缶も購入する。

「お挽きいたしますか」と聞いて来たので、「いえ、ミルがありますので」と答える。

白ワイシャツ蝶ネクタイ男は、うれしそうな顔。

「ありがとうございます、またおいで下さい」

としっかりと頭を下げる。


麗は店を出て思った。

「久しぶりに自由を味わった、ここなら最適の隠れ家に出来るかもしれない」

アパートに戻る麗の肩は、少しだけ楽になっている。

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