第95話麗は万葉集に強い興味を持つ。

「万葉集講座」を受け持つ講師は、30代後半の女性、中西彰子。

その講義の最初から、「この彰子という名前は、藤原道長の娘で紫式部も仕えた一条天皇の中宮となった彰子と同じ名前」

「ですが、これは私の親が勝手につけた名前、源氏物語とは全く関係がありません」などと言い、学生たちはドッと笑ったけれど、麗には少々ドキッとした思いが残る。


その麗は京都には強い反感と違和感を持つけれど、奈良には好感を持つ。

「京都人は奈良を田舎と馬鹿にするけれど」

「奈良があって、京都が出来た」

「藤原氏も、奈良で育った、馬鹿には出来ないはず」

「ただ、そんな後ろめたさを感じないのが、京都人の厚顔」


講義の内容は、万葉集第一巻の額田王の歌「あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」と、それに答えた大海人皇子の「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」。


講師中西彰子は、明るくパリパリとした解説をする。

「まず、一首目は、天智天皇が蒲生野に狩りに出かけた時の、額田王の歌と書かれていて、蒲生野の狩りは、滋賀県東近江市蒲生野を含む一帯の野原で、天智天皇7年だから西暦では668年の5月5日の狩のこと」

「大海人皇子、後の天武天皇や中臣鎌足とか群臣が参加したと言われています」

「尚、5月5日の狩りは、当時は強壮剤等の薬草を採集するもの」

「あかねさすは、茜色に照り映えるの意味で、紫とか日の枕詞」

「紫草野は、薬草が生えている野原の意味」

「標野は立ち入り禁止の標を張った狩猟、薬猟の占有地」

「野守はその番人」


「歌の意味としては、紫草の生えている野を、あなたは行ったり来たりして、袖を振っているのですが、野守が見ていないはずはありませんよ」


「それに対して、皇太子でもあった大海人皇子は、紫草のように、お美しい貴女に心が惹かれないのなら、人妻なのに、どうしてこれほど、私は恋しく思うのでしょうか」


「この関係は、天智天皇と後の天武天皇、そして額田王の三角関係の歌」

「大海人皇子からすれば、額田王は、かつては自分の妻」

「それが兄の天智天皇に奪い取られ、人目を忍ぶ、つまり野守、額田王を囲っている天智天皇の目を盗んで、人妻ゆゑの禁忌にかまわず、秘かに愛を歌いかけた歌と、伝承されています」

「ただ、諸説ありまして、その中に宴会時の戯れ歌との説もあり、真相は不明です」



麗は、その説明を聞きながら、天智天皇、額田王、天武天皇の関係を思えば、実に複雑な歌と思う。

額田王も、大海人皇子への想いは消えておらず、大海人皇子も当然思いは尽くせないから、こんな歌を詠む。

やがては、天智天皇が亡くなり、その後、壬申の乱を経て、大海人皇子は天武天皇として即位。

しかし、天武天皇の血筋は奈良期に絶え、天智天皇系の血筋の天皇が現代にまで続く。

額田王、古代日本史を飾る二人の英明な君主に愛された女性、実際には、どのような女性だったのか、麗も全く興味は尽きない。


しかし、麗はまた、こうも思う。

「わからない人だから、永遠のロマンになるのかな」

「額田王は、天智天皇の死後、哀悼する歌も作っているけれど、額田王自身が権力者たちに翻弄されて、どこまで自分の意思で生きたのだろうか」

「歌を詠めば、その感性の素晴らしさは、すぐにわかる」


中西彰子の講義が進む中、麗は確信、決意する。

「この中西先生のゼミなら面白そうだ」

「源氏よりは興味がある」

「高橋麻央や日向先生には、申し訳ない部分があるけれど」

「万葉集は、知っておいて損にはならない」

「万葉集全集は持っているから、解釈本が欲しい、そのアドバイスをもらおう」


麗が、そこまで思った頃、講義は終了した。

麗は行動をすぐに起こした。

講師中西彰子に向って、真っ直ぐに歩みを進めて行く。



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