第8話 源氏物語研究の権威の前で、懸命に語る麗。

高橋麻央は、再び要点を整理する。

「そもそも夕顔の帖は、源氏が六条あたり、つまり六条院の御息所にお忍びで通っていた頃の話」

「その途中で五条の乳母の見舞に訪れた源氏が、隣に住む謎めいた夕顔に出合い、のめりこんでしまう」

「日々、どうしようもなくのめりこんで、ついに廃院に連れ込み、激しい愛欲に溺れる」

「ところが、その廃院で、美しい貴婦人の物の怪が現れ、夕顔はとりつかれて死んでしまう」

「その他、空蝉との一旦の別れも書かれておりますし、また帚木、つまり雨夜の品定めでの中流以下の女の実例とかも指摘されています」


三井芳香も続く。

「夕顔亡き後、夕顔と頭中将との娘、将来は玉鬘と言われる娘を、源氏が内密に引き取り自分好みの女に育てたいという記述があるけれど、それは源氏の罪隠しと罪滅ぼしの意味に加えて、次の若紫で紫の上と出会う伏線とも言えます」

「最初は拒んでいた六条御息所が、一旦源氏に身体を許すけれど、その後源氏は夜枯れ、プライドを傷つけられた六条御息所の悔しさ、悲しさの表現も好きです」


そこまで黙って目を閉じていた日向先生が、突然、麗に話を振る。

「ところで麗君、麗君が夕顔の帖の中で、心が動いた場面とかセリフはありますか」


麗は、自分を見つめて来る日向先生は当然、講師の高橋麻央と三井芳香の視線も気にしながら、ゆっくり目に答えた。


「いろいろ、あるのですが・・・中でも・・・」

「宵が過ぎる頃、少し寝入ったところに、枕元にあらわれた美しい女の言葉です」

「己がまことに立派な方と拝する人を訪ねようとともせず、こんな格段のこともない人を連れて可愛がっておられるとは、あまりにひどい、恨めしい」

「この場合の己は光源氏、立派な人は、おそらく六条御息所、格段のこともない人は夕顔と考えています」

そして、少々不安気に言葉を出す。

「僕が勉強不足かもしれませんが、この美しい女は、少なくとも六条御息所の生霊ではありません」

「それは、六条御息所の生霊であれば、恋慕い続け、肉体関係まで結んだ光源氏が見抜けないはずはなく」

「それを考えると、その廃院そのものに取りついていた怨霊のようなものと」


日向先生は、その麗の答えに満足そうな顔。

「まあ、過去は六条御息所の生霊と考えられていたこともあるけれど、麗君の解釈が妥当」

「それで、麗君は、何故、その言葉に?」


麗は、日向先生の質問に、引き込まれるように答えた。

「それは、まず、身分の差です」

「六条御息所は前東宮の后、夕顔は没落した大臣家の娘」

「それが、格段のこともない人の意味の一つ」

「それから、教養とか様々なセンス、容姿も含めて、六条御息所はその当時の女性のトップクラス」

「しかし、夕顔は、それほどの教育を受けていない、普通の可愛らしい女性」

麗は答えづらそうな顔をしながら、話を続ける。

「あの、女性を前に、これを言うと嫌われるかもしれませんが」


高橋麻央と三井芳香が、ますます、興味深そうな表情に変わる。


麗は続けた。

「女性は、自分より劣ると思った女性が、意外に男性にもてはやされると、かなり気に入らないと、聞いたことがあります、そういう女性特有の心理があるのではと思うのです」

「ただ、その怪しい廃院に取りついていた怨霊そのものについては、詳しいことはわからないので、言い切ることもできません・・・確かなことは六条御息所の生霊ではないということ」

「疑問が疑問のままで終わりそうなので、逆に気にかかっています」


日向先生は、実に満足そうな顔。

「確かに、明石の御方の娘を、源氏の正妻、当時の紫上が育てるとか」

「母や祖母にしても、孫が入内すれば、言葉使いも全て変えてしまうとか、身分差には厳しい時代」

「天皇の娘、女三宮が源氏に降嫁すれば、自動的に紫上は正妻の座を追われるとか」

「確かに源氏物語を貫くテーマから、身分差は外せない」


そこまで話して、麗の顔をうれしそうに見る。

「やはり、よく勉強されています。これからも、勉強に励んで欲しい」

「私の屋敷にも、たくさんの関連の本があります」

「是非、いらっしゃい」

「私もね、こういう若い人と、源氏の話をするのが大好きなんです」


麗は、それでも慎重。

「そのお気持、ありがたく受け取らせていただきます」

「思いがけず、拙劣な私の理解を、辛抱強く聞いていただいて、心より感謝をいたします」


麗のその時点での気持ちは、「付き合うのは今日限り、それ以上のお付き合いは、俺には馴染まないし、目の前の善意の人たちには、迷惑になる」と固まっている。

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