第75話三井芳香は、料亭で麗の住所を聞き出そうとする。

麗、麻央、佐保が早い眠りについた頃、吉祥寺の料亭に三井芳香が顔を見せた。


応対は、桃香だった。

「三井様、本日の予約は承ってございません」

「それから。現在午後9時を過ぎておりますので、閉店時間となります」


三井芳香は、顔が赤く、酒臭い。

「うるさいわねえ、客ではないの」


桃香は、三井芳香をじっと見る。

「それでは、何かの理由が?」


三井芳香は、いきなり怒鳴った。

「麗君!麗君の家を教えなさい!」

「本当に腹が立つ!」


桃香は、首を横に振る。

「知りません、知っていたとしても、お教えすることはいたしません」


しかし、三井芳香は、引かない。

「あなた!送っていったでしょ?麗君を!」

「嘘言わないでよ!」


桃香は、冷静。

「嘘も何も、お客様の情報を、お客様の承諾なしに伝えることは出来ません」

「それに、麗君と言う人も、あの日以来、ここの店には来ておりません」

「芳名録にも、住所は書いておりません」

三井芳香が興奮しているので、「麗は単なる一見の客」として、対応をする。


ますます激怒の顔をする三井芳香を見ていたのか、女将の香苗が出てきた。

また、香苗も麗は「単なる一見の客」として、知らないフリをする。

そして、三井芳香をやさしく諭す。


「三井様、お客様どうしの、お話なのでは?」

「ここの店でお出ししたお料理についてのご不満ならお聞きいたしますが」

「お客様どうしで、何があったのか、当店内のことであるならば、多少は把握をいたしますが、当店内でも何分、そこまで聞き耳を立てることもなく」

「ましてや、私が覚えている限り、麗というお客様が、三井様にご無礼を働いたようには見えませんでしたけれど・・・」


三井芳香は、確かに、店の中での麗には不満はない。

むしろ、料理を口に運ぶ作法に見とれてしまったほどだったのだから。

三井芳香は、素直に白状した。


「仲居さん、あの時の運転手ですよね」

「私、麗君に迫って逃げられて」

「それが気に入らなくて、その後・・・」

「大学でも、部室に来いって怒ったら、部に入らないって言い返されて、逃げられて」

「それも、たくさんの学生がいる前で、言い返されて、逃げられて」

「それが悔しくて・・・もう、私のプライドはメチャクチャにされて」

「恥ずかしくて大学にも通えなくて」

「学生たちの、ひそひそ声が、耳について離れなくて」


女将香苗が再び、冷静に三井芳香を諭す。

「それが、当店に何の関係が?」

「それと、仲居が申したとおり、正確な住所をお書きになられたお客様ではないのです」

「そもそもが個人情報でもありますし、本人の同意がない上に、正確な住所がわからないのです、それを、どうやってお教え出来るのですか?」


言葉に詰まった三井芳香に、女将香苗は厳しい顔。

「お引き取り願います」


その厳しい顔と、言葉がショックだったのか、三井芳香は不意に持っていたバッグを床に落としてしまった。

そして、その閉じられていないバッグから、出刃包丁のような刃物が床に転がり落ちる。


桃香の身体が震えた。

「三井さん!それ・・・」


三井芳香は、慌てて刃物をバッグにしまう。

その時に指を切ったようだ。

血を滴らせながら、逃げるように、料亭を飛び出していく。


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